第20話 窮地に立つ賢者 後編

 迷宮に罠は付き物と言われる。

 それは勿論、迷宮の存在意義とは侵入者を排除するためだからだ。中には探索者が迷宮を突破するかどうかを観察することに、愉悦を感じる輩がいるかも知れないが。

 罠にも物理的に侵入者を排除するものがほとんどだが、中にはある特定の対象のみに効果を限定させたものも存在する。それが「魔法禁止区域」である。

 対象は言うまでもなく魔法使用者だ。

 魔法禁止区域とは、特定のエリア全てを魔法の効果が消失する結界で覆い尽くすというもので、その効果範囲内にいる場合、すべての対象の魔法が効力を失う。探索者もその階層に潜む魔物も例外は存在しない。

 魔法を従来通り扱えるようになるには、その効果範囲外へ自らの足で抜け出すしかないのである。魔法使用者というものは、肉体的には何の鍛錬も積んでいない脆弱な人間である場合が多く、魔法が封印された時点で概ね役立たずである。それは例え銀の賢者と言えども同様と言えた。

 先人曰く「魔法が使えない魔法使用者などただの可燃ゴミ」と魔法大全集に言葉を残している。



「……何か武器はないですか?」


 絶望に打ちひしがれたかのように体を丸めてうずくまるリリーナへ、プラヴォートは声をかけた。

 彼女の様子から恐らく魔法が使えなくなったのだと彼は理解したのか戦闘を志願する。例え苦手とはいえ、プラヴォートも一応、剣の修行は受けていた。リリーナが戦えない以上、彼がこの場を凌ぐ以外に方法はないのだ。

 シオンは今、恐らく第三階層にいるだろう。彼女がリリーナと合流するには、シオン一人で第三階層の守護者を撃破する必要があるのだ。

 彼女なら一人でも撃破しここへ到達する可能性もある。それ故、リリーナはこの場に落ちてから一歩も動かないのかも知れない。

 下手に二人で無謀な戦いに挑むより、シオンの助けを待つほうが賢明だとリリーナは判断したのだろう。


 だが、物事はそう上手くはいかないものだ。

 突如、リリーナとプラヴォートの耳に獣とも人とも言えない唸り声が響く。リリーナはハッと顔を上げると周囲を見渡した。

 ランプの光に照らされるのは、奇妙な文字が刻まれた石の壁のみで、それ以外は等しく闇である。だがその闇の先から何かが迫ってくる気配を彼女は感じたのか、うずくまるのをやめ突如、立ち上がり闇を見据える。

 リリーナは、おもむろに腰へ手を伸ばすとそこから対になる双剣を取り出した。それをプラヴォートへ差し出す。


「……私の友が残した形見の品だ。すまないが魔法が使えない私に戦闘能力はない。君に任せるしかないんだ」


 プラヴォートは、気を引き締めるかのように真剣な眼差しを彼女に向けると、「精霊エレメンタル竜牙ドラゴンファング」を受け取る。それは、かの双剣聖と謳われたフラン・エスペランスの愛剣だった。

 それを両手に持つと彼は目の前で寂しげな表情を浮かべるリリーナを見つめる。


「あなたは……僕が守ります」




 終焉の迷宮。第三階層。

 守護者が鎮座するであろう大きな扉をシオンは、足で蹴破った。

 音を立てて開く扉の奥には闇が広がるのみである。だが死神が有する真紅の瞳は、例え闇の中でも鮮明に対象を映し出す性能を持っている。闇の中に巨大な玉座が佇んでおり、そこに何かが着座しているのを彼女は見据えていた。

 歩きながら、シオンの口が言葉を紡ぐ。


「上位全能力強化<ハイポテンシャルブースト>」


「上位身体増強<ハイボディストレング>」


 全身に力を張り巡らせ、彼女は鋭い瞳を目の前の巨大な何かに向けた。彼女のその表情は、怒りとも焦りとも受け取れる険しいものであり、全身から殺気がまるで鋭い切っ先のように刺々しく放出される。

 シオンが放つ殺気を浴びてそれは動いた。

 背丈は長身の彼女を遥かにしのぐほどの巨体であり、全身を黄赤色の鎧に身を包んでいる。右手に巨大な槍と左手に大剣を携えていた。顔の半分以上を覆う兜の隙間から見える口が不気味に歪み、そこから蒸気のように白い息が漏れる。

 巨人ゴライアスである。神話に登場する巨人兵士で相手が信仰する神を嘲り、向かい来る兵士を次々と殺した豪傑だ。

 何故、この終焉の迷宮で階層守護者の役目を担っているのかは不明だが、恐らく超越者が作り上げた複製品レプリカであろう。

 

 ゴライアスが眼下を見据える。

 たった一人でこの部屋へと足を踏み入れた愚かな女を嘲笑するかのように、彼の咆哮が周囲を揺るがした。だが彼女はそれに微動だにせず、右手に巨大な刀身を持つ大鎌を具現化させる。

 それは、彼女が愛用している死者ザ・デッドオブバンシーびではなかった。禍々しく闇を纏い、シオンの背丈と同等の長さを持つその大鎌は、あのフラン・エスペランスを屠り、書物庫さえも切り裂いた死神デス大鎌サイズである。

 大鎌が持つ巨大な刀身が、妖艶な光を纏い周囲に漂う霊力を吸収しはじめた。彼女はそれを横に構え、巨人を睨みつける。


「……邪魔するな。どけぇ!」


 シオンが咆哮を上げた。

 まるで獲物を狙う猛獣の如く、その体が闇を切り裂き疾走する。彼女の動きに呼応し、ゴライアスはその左手に握る大剣を凄まじい速度で繰り出した。

 だがその刃はシオンの体に食い込む事無く、巨人の体を横一文字の軌跡が走る。

 シオンの持つ死神の大鎌の物質透過能力により、刀身が鎧を通過し肉体を切り裂かれたゴライアスの体が血を噴き出す。鎧の隙間から赤黒い液体が流れ出た。

 その瞬間、シオンの目に飛び込んできたのは巨大な槍の先端である。腹部を切り裂かれたにも関わらず、巨躯の動きは衰えることを知らず、槍の切っ先の照準を彼女に合わせたのだ。

 攻撃後の隙を突かれたシオンの左手が槍の一撃によりえぐられ吹き飛んだ。左腕を失い血をまき散らしながらも、彼女は突撃を止める事はしない。

 巨人の体を幾重にも白刃が舞い、刃を肉体に食い込ませる。それと同様に彼女の体もまた、ゴライアスが持つ大剣の切っ先が切り裂いていった。

 シオンは口から血を吐きながら、その血に濡れた歯を食いしばる。


「……リリーナぁ!」


 彼女の瞳は巨人を見ていないのだろう。目の前に立ちはだかる巨躯の奥にある第四階層への階段。その奥にいるであろう銀色の髪を揺らすリリーナを見つめているのだ。

 シオンは回避などしていない。行動不能にさえならなければ体をいくら切り刻まれようとも、その動きは衰えない。

 早く、何より早く全てを切り伏せリリーナの元へと向かう。それが彼女の最優先事項なのである。

 全身から血を流しながらも巨躯は崩れない。その口が咆哮を響かせ、槍の切っ先と大剣の刃をシオンへと走らせた。


「うるせぇ!」


 彼女もまた、獣のように咆哮を上げる。霊力を蓄えた死神の大鎌を横に構え、その体が一瞬、動きを止めた。


「殺傷範囲拡大<キリングレンジ・エクステンド>!」


 大鎌が持つ刀身そのものがまるで叫び声を上げるかのように、耳鳴りのような甲高い音を響かせる。

 シオンの眼前にらせん状の風を纏い槍の切っ先が高速で迫った。それは彼女の動きを止める為、頭部を狙った一撃である。

 刃がシオンの頭を貫こうとするその刹那、彼女の真紅の瞳が見開いた。

 ゴライアスの体に光が線を描き煌めく。霊力の吸収により斬撃の威力を高めたその白刃は、巨人の腕を切り落とし、さらにその首筋へと刃を滑り込ませた。

 首元から赤黒い血をまき散らし、その巨大な頭部がゆっくりとずれ落ちていく。地面に転がる音が響いたのと同時に巨躯がゆっくりと倒れていった。

 全身から血を流しつつもシオンの足が大地を蹴る。巨大な屍を乗り越え、その体は闇へと溶けて消えた。



 終焉の迷宮。第四階層。

 ランプとは違う別な光がそこにはあった。それは、金属同士がぶつかり合う際に発生する火花である。衝撃音が周りに響いていた。

 リリーナの目の前に迫るのは、金属の鎧に身を包んだ死者の戦士である。

 中身はアンデッドゆえ疲れを知らず、その体は休むことをせずに剣を振るう。繰り出される戦士の刃を受け止めるのは、慣れない双剣に四苦八苦しながらも何とかその場を持ちこたえているプラヴォートであった。


 リリーナは、この場において無力な自分に憤りを抱いているのか、その表情は険しくかつ暗い。

 魔法が使えなくなる状況はいくらでもあり得る話だった。それに関して一切、準備を怠っていたのは他でもない、彼女の慢心が生み出した結果である。

 プラヴォートが繰り出した一撃が弧を描き、戦士の首筋へと迫った。

 その刃は首を切り落とし傷口を焼く。目の前の死者が崩れ去ると肩で大きく息をしつつも彼はリリーナへ笑顔を向けた。


「……自分もやればできるんですね」


 プラヴォートの笑顔にリリーナは憂いを帯びた表情を浮かべ、彼から視線を逸らす。呼吸を落ち着かせるとそんな彼女へプラヴォートはゆっくりと近づいた。


「そんな顔しないでください。誰にだって失敗はありますから。そもそも落とし穴は僕のミスです。気づけなかった僕が悪いんです」


 彼のその言葉にリリーナは、視線を動かす事無く小さな声で言葉を紡ぐ。


「……何故、君はそこまで私を擁護するの?」


 彼女の声が耳に響いた途端、プラヴォートはその笑顔を消し去り、真剣な眼差しを彼女へと向けた。


「……それは、僕があなたのことを……」


 その瞬間である。

 彼の体に衝撃が走り、言葉を遮った。

 リリーナの眼前に血が飛び散る。音もなく近づいた戦士の繰り出した刃がプラヴォートの体を切り裂いたのだ。

 激痛に耐えながらも彼は体勢を立て直す。幸い、傷口は浅かった。

 プラヴォートの目の前に迫るのは、単体ではなく複数の戦士達である。死者特有の声にならないうめき声を響かせ、複数の刃が掲げられた。鎧がこすれ合う音が彼の眼前まで迫る。

 その時、プラヴォートが感じたのは死の予感であろう。顔が引きつりその体が一瞬、痙攣したかのように震えたからだ。

 一体ですら苦戦した相手が複数、眼前へと迫るのである。戦況的に勝てる要素などありはしなかった。

 しかしその刃は彼を切り裂くことはなく、戦士は動きを止める。見るとその首が折れ曲がっていた。そして、ゆっくりと後ろへと倒れていく。

 リリーナの眼前で、黒髪が揺れていた。

 それは高速で駆け巡り素手で瞬く間に戦士達を一方的に屠っていく。素手で首を折り曲げ、頭を粉砕し、次々とその体が崩れ去っていった。

 彼女の真紅の瞳とリリーナの青い瞳が重なる。彼女の見せた笑顔にリリーナはその瞳にうっすらと涙を浮かべた。


「あなたは私がいないと本当に駄目ね。こんな雑魚に苦戦するなんて」


「……全くその通りだシオン。私はお前がいないと駄目らしい」


 リリーナが見せた笑顔をその赤い瞳に映しこむとシオンは、プラヴォートから精霊の竜牙を受け取り、前を向く。そして、おもむろに口を開いた。


「手間かけさせたお代は、あなたの料理で払ってもらうわ」


「わかった。後ろでランプ係でもしながらレシピでも考えているよ」


 リリーナのその言葉に一瞬、口元をほころばすとプラヴォートを一瞥し、優しかった瞳が鋭いものへと変貌する。

 シオンの目の前には再び、アンデッドの戦士達が集結しつつあった。


「……脱出する。いくぞ。プラヴォート」

 

 彼がその言葉に頷くと彼女は、フラン・エスペランスの遺産である双剣を握りしめ、前へ歩み出る。


「借りるわよ。双剣聖」

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