第19話 窮地に立つ賢者 前編

 終焉の迷宮、第三層を探索したリリーナ達は永遠エテルネルなる墓地セプルクルムへと帰還した。

 墓地はまるで火山の火口の如く吹き上がる瘴気により昼でも陽は差さず、外は常に暗闇に閉ざされ時間感覚を狂わせる。それ故、リリーナは疲れを感じ始めた場合、無理に探索を続行せず引き返すことにしていた。

 功を焦って奥へ突き進むと何らかの要因により帰還に困難が生じた場合、最悪、帰還不能になる可能性も出てくる。無理は禁物だった。

 リリーナは、暗く淀んだ空を見上げた後、おもむろに前を歩くプラヴォートに声をかける。


「プラヴォート。ちょっといいだろうか?」


 彼女とプラヴォートは、人目から少し離れた場所に焚火を燃やし、それを取り囲むような形で座っていた。そこから少し離れた位置にシオンが木に背を傾け佇んでいる。

 綺麗に足を体の前へ寄せリリーナは炎を見つめていた。

 相変わらずその体は地面に直接は触れず、浮揚レビテーションの魔法で僅かながら浮いている。純白のローブから僅かに見える白い太ももが淡い色気を醸し出していた。

 あどけなさが残る可愛らしい顔立ちが炎に照らされ、彼の目に写る。炎の煌めきによって銀色の髪が光り輝き、その青い瞳と相まって神秘的な美しさがそこにはあった。


「君に……ケンウッドのことを少し聞きたい」


「祖父のことですか?」


「そう。実は私は……あまり彼のことを知らないんだ」


 プラヴォートの祖父である元王宮魔術師ケンウッドは、ある場所でまだ赤子だったリリーナを拾った。

 彼女が物心つく頃からずっと傍におり、読書が好きなリリーナの為に本を集め、そして魔法も教えた。だがリリーナ本人は、拾った場所や経緯など一切、彼から聞かされることはなかったのだ。

 家族同然の存在であるはずのケンウッドについて彼女は何も知らない。


「僕もあまり詳しくはわかりませんが……たまに会うくらいでしたし」


「ただ、リリーナさんを拾った時のことは手紙に詳しく書かれていたので覚えています」


「私を拾った時のこと……?」


 プラヴォートは、リリーナのその言葉に頷くと手紙の内容を語り始めた。


 ケンウッドがリリーナを拾った場所。そこは人間を含むあらゆる生命が発祥したとされる場所……「女神の遺産」と呼ばれている。選ばれた者しか立ち入ることができないとされる場所であり、位置も不明である。

 ケンウッドが何故、そこへ赴いたのか詳細は書かれていない。だが、彼がそこへ足を踏み入れたということは、ケンウッドは選ばれた人間だったということを意味する。彼がそこでリリーナを拾ったのは言わば天啓とも言えるのだ。

 手紙によると彼女の名前を「リリーナ・シルフィリア」と名付けたのには理由があると書かれている。彼女を拾った際、女神の声が聞こえたと彼は記していた。

 女神はケンウッドへその赤子の名は「シルフィリア」だと告げたという。彼はその天啓を胸に刻み赤子に自らが考えた「リリーナ」と女神が告げた「シルフィリア」を合わせ、彼女の名としたのだ。

 

「シルフィリア……。今、思えば私はその名を持ちながら、それが持つ意味を知らないな」


「でも、名前なんてそんなものじゃないですか?」


 炎を見据えながら、自らの名について呟くリリーナへ、プラヴォートは笑顔を見せた。青い瞳がそんな彼を見つめる。


「僕だってプラヴォートって名前の持つ意味なんて知りませんし。親が勝手につけるものですからね」


 彼の言葉にリリーナはきょとんとした表情を浮かべた。だが、すぐそれは微笑みに変わり、彼女の含み笑いが耳にこだまする。

 その光景を鋭い瞳が見据えていた。遠巻きに見ているシオンの赤い瞳である。



 終焉の迷宮。第三層。

 暗闇の中、眼球のない頭蓋骨がランプの光に浮かび上がっていた。それは、鈍重、かつ無機質な動きで剣を振り上げる。その後ろで死神のように赤い瞳を光らせ、人型の赤黒い体躯が疾走した。

 スケルトンウォーリアーと吸血鬼ヴァンパイアの混成部隊である。

 スケルトンは骨で構成されたアンデッドだが、仮にバラバラにしたとしてもすぐに再生する特性があり、また、吸血鬼は、その鋭い爪に毒や麻痺の効果がある上、体を破壊しても再生する不死性を持つ強力なアンデッドである。

 だが、例え再生能力を有していようと彼女が使役する光の精霊による神聖魔法の前では、すべてが無力だった。


 闇を切り裂くかのように光り輝く光弾が空中を駆け巡り、スケルトンの頭部を貫いていく。

 そして、素早く大地を疾駆する吸血鬼を追尾し光弾は爆ぜた。吹き飛んだ上半身が赤黒い血と体の一部をまき散らし、下半身だけになった体がゆっくりと後ろへ倒れていく。

 リリーナの放った「追尾ホーミングする光弾ライトバレット」である。神聖魔法に該当するその魔法光弾マジックミサイルは炸裂した対象に小規模の爆発を起こし破壊する。また、アンデッドに対してその再生能力を抑制する効果もあった。

 上半身を破壊された骨と吸血鬼の無残な姿が一面に広がる。その体はピクリとも動かない。リリーナは屍の上を感情が一切、感じられないかのような無表情で歩いていった。

 

 三人の目の前に石碑がそびえ立つ。

 それは、第一層、第二層にも存在した階層守護者への道しるべであり、この石碑の奥にそれが鎮座していることを意味している。

 石碑には上層と同様に何かをはめ込むへこみが存在していた。それは、上側が中央にかけてへこんだ丸みを帯びた形をしている。シオンはその石碑を一瞥すると、この階層で入手した銅で作成された置物をリリーナに向けて放り投げた。

 音を立てて地面に転がるそれは、石碑のへこみと同じ形状をしている。リリーナはその置物を拾い上げた。


「終焉のケツですって。ケツって何よ?」


「ここだろ?」


 そう言い、彼女は残った左手で自らの形のよい尻を突き出しポンッと叩く。

 シオンはその光景を目にして呆れたと言わんばかりに両手を広げて見せた。


「どうしてその表現なわけ? 下品だわ」


「全くだ。もっと適切な表現だってあるだろうに。超越者に会ったら文句の一つでも言いたいくらいだ」


「落とし穴に落ちて『ケツでも打て』って意味かもしれないわよ?」


 シオンの冗談めかした口調で語るその言葉に、リリーナは口元をほころばす。


「落とし穴に落ちるほど私は馬鹿ではない」


 リリーナは、用心深くその置物を石碑にはめ込む。するとどこからともなくカチッとした音が耳に響いた。

 その瞬間である。

 彼女の足元が突如、空洞になり、リリーナの体が吸い込まれるかのように穴へと落ちていく。咄嗟に手を伸ばしたプラヴォートは、彼女の手を掴んだものの体勢を崩し、二人は奈落の底へと落ちていった。

 シオンはその身を空洞へと投げ出そうとする。だが、その瞬間に落とし穴は口を閉じ、元通りの地面へと変貌を遂げた。



 地下へと急降下する最中、リリーナは短く何かを呟いた。

 その声とほぼ同時に彼女とその手を掴んだプラヴォートの体がゆっくりと降下をはじめる。浮揚レビテーションの魔法が発動した結果だった。

 大人二人が辛うじて通れるほどの空洞を降りると、そこは他の階層と変わらない石でできた部屋が見える。

 だが明らかに違う現象が彼女達を襲った。それは、その部屋に降りる瞬間、浮揚の効果が切れ、真っ逆さまに落ちたのである。

 リリーナの下にいたプラヴォートは、空中で体勢を立て直し地面に着地する。そして、上から降ってきた彼女を受け止めた。

 彼に抱きかかえられるように腕の中に納まったリリーナは、恥ずかしさを感じたのか頬を上気させ、すかさず視線を逸らす。

 プラヴォートはそんな彼女に笑顔を見せ、リリーナの華奢な体をそっと立たせた。


「……ありがと」


「いえ。しかし、すみません。まさか石碑に罠があるとは思いもよりませんでした。僕のミスです」


「君を責めても仕方ない。それにシオンなら一人でも平気だ。まずは合流する方法を考えよう」


 そう口にしながらも、何か違和感を感じたのかリリーナは眉根を寄せた。周辺を見渡すと小首を傾げる。部屋を構成する石の壁には何やら巨大な文字が刻まれ、僅かながら発光していた。


 彼女が違和感を感じたであろうその理由。

 それは、迷宮にいる時は常時、発動している索敵サーチアイの効果が消滅していること。さらに先程の浮揚レビテーションの効果が突如、かき消されたことである。


 リリーナは、右手を体の前に掲げると何かを呟く。それは、周囲を照らす照明の効果がある魔法だった。だが、灯火は産み出されない。

 その事実に恐怖と動揺を感じたのか、彼女の顔が一瞬で蒼ざめた。冷や汗の雫が頬を伝う。

 ただでさえ白い肌を持つ彼女が顔面を蒼白とさせる様子を見て、プラヴォートはリリーナに問いかけた。


「どうしました?」


「……まずい」


 魔法使用者として最悪の状況に今、まさに遭遇したリリーナは顔を引きつらせ、彼へ視線を移す。


「ここは……魔法禁止区域だ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る