第18話 妖艶なる死神

迷宮内に大地を揺らすかのような魔獣の咆哮が響き渡った。

 ランプの光に照らされた先に九つの細長い首を持つ異形の生命体が浮かび上がる。

 それは二本足で立ち上半身がすべて蛇のようにうねり九つに分かれている。先端にある蛇の頭が、毒の霧をまき散らし、その牙が素早く滑るように滑空し獲物へと迫った。

 九つの頭を持つ魔獣ヒュドラである。その吐き出す猛毒は、人間程度の生物なら即死させるほど強力なもので、仮に吸い込まずともそれに触れるだけで時間をかけ肉体を壊死させていく。

 また、九つある首のうち一本は不死であり、それを破壊しないかぎり全ての頭が再生するという性質を持っていた。

 

 終焉の迷宮第二層。守護者が鎮座する石材で建築された部屋の中を毒の霧が覆いかぶさった。

 通常なら生物はみな死滅する世界である。だが、蛇の目が映し出すその黒髪の女は、毒の霧に覆われたその中を悠々と歩いて見せる。

 そして、その後ろに佇む銀色の髪を持つ女は、身に纏う魔法障壁が毒を遮断し青白い炎のように薄暗い中、サファイアの瞳を鋭く光らせた。


 黒髪の女……シオンは、漲る力を四肢に伝達し疾走する。その手には大鎌である死者ザ・デッドオブバンシーびを掴み、自らの刀身が持つ殺傷範囲に入り込むと、白刃の光の下、ヒュドラの首を切り落とした。

 闇と濃密な紫色が混在する世界の中、魔獣の赤い鮮血が飛び散る。すかさず彼女の側面へ回り込んだ別の首が、その鈍く光る牙を食い込ませようと脇腹目がけて高速で迫った。

 だが、常人を超える反射神経でシオンは左手でその首元を掴み、上位身体増強ハイボディストレングにより強化された膂力が、力任せに首をねじ切る。赤黒い血が噴き出る中、彼女はその光景に愉悦を感じているのか口元に笑みさえ浮かべている。


 暗闇と紫色の毒を切り裂くかのように無数の斬撃が舞った。

 高速で繰り出された光の軌跡は、瞬く間にヒュドラの首を切り落としていく。不死と言われる中央の一本だけ残し、まるで血の雨を降らすかのように鮮血をまき散らしたヒュドラの巨躯がよろめいた。

 その瞬間である。後ろに控える銀色の髪を持つ女……リリーナは、青い瞳に魔法構成を浮かび上がらせ、それが高速で流れていく。竜言語ドラゴンズロアによる脳内詠唱により、超高速で魔法構成を組み上げた彼女のその唇が、美しく魔法名を奏でた。


「上位精霊魔法・灼熱の監獄<ハイランクエレメンタルマジック・バーニングプリズン>」


 ヒュドラの体躯を炎で構成された巨大な檻が覆いかぶさり、その内部に燃え盛る灼熱の炎が、不死の首もろとも巨躯を焼き尽くす。

 灼熱バーニング監獄プリズンは、炎属性の上位精霊魔法である。

 同じクラスのフレイムテンペストと比べて範囲は狭い上に、個体、もしくは少数の対象にしか影響を与えないがその分、殺傷性能は極めて高い。

 炎の監獄に閉じ込められた対象は、完全に焼き尽くされるまで延々と灼熱の炎に身を焦がすのである。いかにヒュドラとはいえ、その身が灰と化すのは当然の末路であった。

 黒ずみと化したヒュドラの巨躯が崩れ去る。残ったその頭をシオンは足で踏み潰した。


 戦闘の一部始終をリリーナの生み出した魔法障壁に守られながら見つめていたプラヴォートは、感嘆の声を上げる。

 一層の守護者であるアラクネは、恐らく集結しているトレジャーハンターの力を合わせれば撃退できるかもしれない。だが、このヒュドラに関してはどうあがいても勝てる要素はなかった。

 全勢力をぶつけても間違いなく全滅である。あの骸骨が言っていた通り、どのみち守護者で探索は中止せざるを得ない運命だったのだ。

 だが、この二人は違う。あのヒュドラでさえ彼女達の前では無力であり、その戦闘能力は明らかに人智を超えている。この墓地に集結している全トレジャーハンターが束になったとしても二人はおろか一人にさえ敵わないだろう。


「あの……シオンさんは毒、大丈夫なんですか?」


「彼女に毒は通用しない」


 プラヴォートの質問にリリーナは、第三階層へ続くであろう階段へ向かって歩き始めながらそう答えた。

 彼女の言う通り死神の体は、毒が一切、通用しない。また、麻痺や石化もシオンには効果がない。言わばアンデッドに近い特性を持っているのだ。

 リリーナの足が第三階層へと踏み入れた。その青い瞳に浮かび上がる索敵サーチアイの魔法陣は、周囲に敵意を持つ生命体が存在しないことを彼女に告げているようだ。リリーナは頷くとバッグから水の入った小瓶を取り出した。


「キャンプを張る。少し休憩しよう」


 彼女は小瓶から聖水を周辺に振りまくと、三人がゆったりと休めるスペースを確保する。そして、短く言葉を紡ぐと円を描くように巻いた聖水が光り輝き、光の柱を産みだした。

 魔物の侵入を妨害する結界である。数時間ほど持続するその防護性能は、上位の悪魔など強力な魔の眷属であれば破壊されるが、周辺にいる魔物程度であれば容易に食い止められるものであり、さらにその聖なる光は邪な存在を払いのけるのである。


「さて第三階層だけど、プラヴォート。何か感じない?」


 リリーナの視線を受け、プラヴォートは周囲に注意を向ける。何か臭いを察知しているのかその鼻がぴくっと動いた。


「……微妙に腐敗臭がします。また、骨が歩く音も聞こえます。獣の息遣いは一切ありません。恐らくこの階層には、アンデッドモンスターがひしめいていると思われます」


 彼と同様に嗅覚と聴覚、視覚に優れるシオンが、その言葉に頷いた。恐らく彼女も同様の結論を出していたのだろう。

 プラヴォートは優秀だった。彼が事前に言った通り、戦闘においては全くの役立たずであったものの、嗅覚と聴覚に優れ、気配や音、臭いで生息している魔物の傾向や種類まで特定してみせた。また、視覚と鋭い勘により罠の発見も迅速であり、その処置も早く適切だった。まさに探索のプロフェッショナルなのである。


「アンデッドならあなたの得意分野でしょう?」


「そうだな。邪魔するなら全て浄化するまでだ」


 シオンのその言葉にリリーナの顔がほころんだ。四大元素の精霊のみならず光の精霊も自在に扱う彼女にかかれば、いくら不死の怪物と言えどひとたまりもないだろう。

 その時、おもむろにプラヴォートが立ち上がる。彼に視線を向けたリリーナに対して笑顔を見せるとプラヴォートは、目の前に広がる暗闇に目線を移す。


「ちょっと周辺を探索してきます。リリーナさんはここで休んでいてください」


「……それじゃ、護衛でもするわ」


 彼の発言に口を開こうとした彼女を制するかのようにシオンが立ち上がる。その真紅の瞳が浮揚レビテーションで僅かに浮きながら座るリリーナへ注がれた。


「あなたはここで黙っていること。決して勝手に歩き回るんじゃないわよ?」


「お前は私の母親か。言われなくてもそうする」


「迷子になっても助けないわよ? 臭い、汚い、汚らわしいこの迷宮の住人になりたくなければ大人しくしていることね」


「はいはい。早くいけ」


 リリーナが二人を払いのけるかのように左手をパタパタと前後に振る。その光景を目にしてプラヴォートは苦笑した。

 ふと彼は横に立つシオンの美しい横顔を一瞥する。彼女の表情は、まるで自らの子供を見つめるかのように優しく微笑んでいた。戦闘時に見せる残虐な一面とはかけ離れたものである。

 二人が闇へ溶け込むように消え去るとリリーナは、おもむろにバッグから小さな何かを取り出す。それは、縮小リダクションの魔法で縮小された本だった。


「解除<キャンセレイション>」


 彼女が短くそう言葉を紡ぐと本は、元通りの重量感溢れる大きさへと戻る。リリーナは小柄な体でそれを受け止めるとゆっくり開いた。

 リリーナが手にするその厚い本は、クレアシオン大陸に関してあらゆる分野の知識が記述された言わば百科事典と言える代物である。彼女はあるキーワードを探しているのか目次を目で追い、該当するであろうページをめくる。

 リリーナが探すそのキーワードとは……「神の遺産」であった。



 暗闇の中、小さな灯火が動いていた。

 ランプの光を頼りにプラヴォートは、細心の注意を払いつつ、周辺をくまなく探索している。隠し扉の確認、罠の有無、魔物の気配など彼の確認作業は多岐に渡るのだ。その光景を遠巻きからシオンが無言で見据えている。

 その時、おもむろに作業しながら彼は口を開いた。


「……あの、一つ聞いてもいいですか?」


「何かしら?」


「リリーナさんとはどういった関係なんですか?」


 プラヴォートの視線がシオンを捉える。薄暗い空間に血のように赤い瞳が浮かび上がっていた。一瞬、その光景を目のあたりにして恐怖に似た感情が芽生えたのか、彼は表情を引きつらせたじろぐ。

 先程の母親のような優しい笑顔を見て、彼は個人的な話を振っても問題ないと考えたのだろう。だが、彼女は死神だ。プラヴォートがその知識を持っていないとしても、人間離れした真紅の瞳に人は恐怖を抱くのである。


「……すみません。変なことを聞きました。忘れて下さい」


「……変わった男ね」


「あなた。私がただの人間じゃないことくらい知っているでしょう? 恐怖心とかないの?」


 鋭い言葉が返ってくると想像していたのだろう。彼は、柔らかい彼女の物腰に安堵感を感じたのか、その表情がほころんだ。


「実は怖いです。でも彼女と一緒にいるあなたがとても優しそうに見えてしまって。変なことを聞いてしまいました」


「……そう」


 プラヴォートの近くに彼女が歩み寄る。手にするランプの光にその肢体が浮かび上がった。艶のある長い黒髪、理想の女性の体を有したその美しい外見、そして、黒と赤を基調としたショートドレス。人間が本能で恐怖する対象でありながら、シオンは見る者を魅了するほど美しかった。

 ルビーのように光り輝く真紅の瞳が彼を見つめる。


「いいわ。話してあげる」


「……彼女は、敵よ」


 その言葉にプラヴォートは驚愕したのか目を大きく見開いた。そんな彼にかまう事無く彼女は言葉を続ける。


「何度も殺そうとしたわ。だけど殺せなかった。そして、彼女はいつしか敵ではなくなった」


「今の彼女は仲間とか友とかそんな陳腐な存在ではない。言わば『半身』よ。この世に二人といない存在。そして、彼女にとっての私も同様。私達はこの世界において『二人しかいない』のよ」


 彼女の話をプラヴォートは無言で聞いていた。

 彼には理解できない話だろう。シオンの話に何も言葉を発しないのが確たる証拠である。だが、シオンの言っていることは真実なのだ。何故なら、この死者のみの世界において、生者は彼女とリリーナだけなのだから。

 それにシオンは自らの話を理解してもらおうとも思わないだろう。彼が理解しても無駄な話であり、そもそもプラヴォートがそれを知るということは即ち、「彼自身が死者である」ことを自覚するのを意味するからである。


「だからあなたは、私達に必要以上に関わらないことね。それはお互いのためでもあるわ」


「行きましょう。そろそろ彼女が、待ちくたびれて痺れを切らしているだろうから」


 シオンはプラヴォートに背を向けると、暗闇へ向けてその姿を溶け込ませるように彼の視界から消え去る。

 プラヴォートは、慌ててその後を追った。

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