第17話 骸骨案内人

 リリーナとシオンの二人が、「終焉フィーニス迷宮ラビリンス」に足を踏み入れて二日目。

 迷宮の入り口が佇む神殿前の広場に異変が起きていた。それは、トレジャーハンターによる休憩施設の建設である。実は、リリーナ達がここ「永遠エテルネルなる墓地セプルクルム」に赴く以前から一部のトレジャーハンターにこの場所が知られており、熟練のハンター達の間で密かに話題になっていたのだ。

 だが、「トライミル・マスターキー」の製造など彼らには到底、不可能なことであり、ましてやドワーフの鍵職人にそれを依頼する人脈や地位すらない。正直、夢物語に過ぎなかったのである。

 しかし、銀色の髪を持つ女神がまさかその「トライミル・マスターキー」を携え、神殿の大扉を開けるとは誰しも想像しなかったであろう。その報せが舞い込むと瞬く間にトレジャーハンターの間で広がり、大挙して押しかけてきたのである。彼らは神殿前の広場に休憩施設を建設し、腕に覚えのあるハンター達がこぞって迷宮へと足を踏み入れていた。

 一夜にして、まるで世界が変わったかのように活気が溢れる場所と化した神殿前の広場を、茫然とした様子でリリーナとシオンはその場に立ち尽くす。

 目の前では、生気が全くない文字通り死者の世界であった墓地に人間が溢れ、挙句の果て、宿泊施設まで建築されている有様である。シオンはその光景に半ば呆れたかのように肩をすくめた。


「何? これ?」


「トレジャーハンターの財宝にかける情熱は凄まじいものがあるな」


「先、越されるんじゃないの? というか迷宮を進むのは向こうの方が上手よ。間違いなく!」


 間違いないを強調したシオンの言葉に、リリーナは目を細めて彼女を睨むとおもむろに口を開いた。


「別に私は財宝目当てでここにいるわけじゃない。それに超越者は彼らにどうこうできる相手ではないよ」


 話しながら二人は広場の中央へと歩み出る。

 そこに集まる金属のブレストプレートに身を包んだ筋骨隆々な男達の視線が一斉に彼女達へ注がれた。彼らの目の前には、銀色の髪を揺らし、純白のローブに身を包んだあどけなさが残るものの美しい顔を携えた女と、彼女から一歩下がった位置で付き従うかのように歩く黒髪の妖艶な美女が、男達の間を割って入るように足を進めているのである。

 小柄で華奢な女はともかく特に黒髪の女は色気に満ちており、否応なく男達の視線が集中する。一人の男がわざとらしい笑みを顔に貼りつけ、黒髪の女であるシオンへ話しかけた。


「なぁ。姉ちゃん。あんた達も迷宮へ向かうのか? それなら俺達と一緒に……」


 男が言い終わらぬうちにその体が、言いしれぬ恐怖に襲われたのか震えあがり、言葉を詰まらせる。

 何故なら、言い寄ってきた男を見据えるシオンの表情から見受けられる感情は、怒りでも困惑でもなかった。その目は相手を「生物」として見ていないのだ。男でも人間でもなくましてや生き物ですらない。道端に落ちてる石ころや、生活する上で排出されるゴミを見るような目つきである。

 蒼ざめた表情の男が立ちすくむ中、リリーナが呟いた。


「殺されないだけましだな」


「ただこの下衆な視線。不快ではあるわね。首を刎ねていいかしら? どうせ死んでるんだし」


 先程の話しかけた男の様子を知らない別なハンター達がこぞって彼女達の目の前に集まってきていた。女に飢えている彼らにしてみたら、美しい彼女達はまさにこんな陰気な墓地に舞い降りた天からの恵みとも言えるのだろう。

 だが、彼らは大きな勘違いをしている。魅力的に見えるその女は、死をまき散らす死神であり、人間をゴミのようなものとしか認識していない。そして、もう一人の彼女は、賢者であり、そして、潔癖症に磨きがかかった状態で、尚且つこの手の輩が最も嫌いな女性なのである。


「不快なのは同感だ。それではどうだろう? シオン。私達に精神的苦痛を与えた代償として地面にひれ伏してもらおうか?」


 リリーナのその言葉が耳に届いたのか、目の前の男達が怪訝な表情を浮かべる。一人の男がその盛り上がった胸元の筋肉を自慢げにさらし、肩を大きく前後に振りリリーナの元へ歩み出た。


「なぁ。あんた。その華奢な体でどうやって俺達を地面にキスさせてくれるって?」


 下卑た笑みを浮かべるその男に、彼女は可愛らしく微笑むと、その表情とはかけ離れた言葉を唇から紡ぐ。


「ひれ伏せ。下衆」


 その瞬間、見えない圧力が男達を襲う。それはまるで透明な巨人が男達全員を上から押えつけているような感覚だったことだろう。

 筋骨隆々な体躯も尋常ではない圧力の前には無力であり、頭を地面に擦り付ける。その光景はあたかも「ひれ伏している」かのように見えた。

 周辺にいた男達が頭を垂れる中、目に映る光景に満足したのかシオンは笑みを浮かべる。


「素敵な光景ね。男が全員、ひれ伏すなんて」


「それじゃ行こうか。シオン」


 シオンを後ろに従えリリーナは前へ歩み始める。

 その時、彼女は自らを見つめる視線と何かの気配を感じ取ったのか目を一瞬、見開き、その方向へ青い瞳を向けた。

 リリーナの視線の先にそれは浮かび上がる。ボロボロの薄汚いローブを身に纏った人型の何かが彼女の元へと歩み寄った。汚れた茶色のフードを後ろに下げると、そこには肉も眼球さえない骨だけで構成された頭蓋骨が視線を前に向けている。

 人の骨で作成されたアンデッド「スケルトン」である。筋肉がない故に動きそのものは鈍重で、膂力も大して高いわけではないが、アンデッドゆえに疲れを知らず、また、その骨だけの体は刺突に強い。一部には魔法も使える「スケルトンメイジ」も存在する。もっとも魔法を使えるといっても詠唱はできず魔法構成を直接、指で描き発動できる程度のものではあるが。

 トレジャーハンターとしては、比較的よく見る相手である。だが、リリーナはその鋭い視線を向けたまま警戒を怠らず、唇が短く魔法を紡いだ。


「……いやぁ。すごい念能力サイコキネシスですネ。それだけで人を殺せそうダ」


「それにこの姿を見ても警戒を解かズ、識別アイデンティファイ索敵サーチアイを高速詠唱とかどれだけ場数、踏んでるんデスカ?」


 骸骨はおもむろにカタカタと口から言葉を漏らす。骨だけとはいえそれは流暢な言葉だった。

 リリーナの目に映る索敵の目は、この骸骨から敵意を察知してはいないようだ。また、識別の魔法も特に異質なものを認識してはいないのか、リリーナは身動き一つしない。まさにそこにいるのはただの骨で形作られただけの存在である。


「別に大したことはしていない。十一歳で一人旅に出て、十五歳でプロエリウムの軍勢を打ち破ったくらいだ。骸骨。お前はなんだ?」


「ソレ。大したことはしてないって私らとは次元が違いマスヨ? 私? 私は見ての通りただの骨デスヨ」


「私の作り主で、ある方が何やら外が騒がしいというので見てきて欲しいと申されマシテ。見たら何やら男達と麗しい女性がいるじゃありまセンカ」


「私達はただひっそりとここで静かに余生をおくりたいだけなので、できれば引き取ってもらいたいんですが、どうでしょうカ?」


 目の前の骸骨は、骨だけになったその口で流暢に言葉を発する。

 会話が止まった瞬間、リリーナは男達を押えつけていた念能力<サイコキネシス>を解除した。彼らは立ち上がった後、体をさすり、または首に手をかけそれを左右に振り、自らの体に異変がないかどうかを確かめ始める。

 リリーナは、いまだ鋭い瞳を骸骨へと向けたままだ。


「他の連中はどうだか知らないが私はそれを承諾できない。財宝などに興味はないが迷宮の奥にいる存在に用がある」


「……デッド超越者トランスセンダーデスカ?」


「そうだ。どうしてもこの場から立ち去ってもらいたいのなら、お前自身が力で示してみたらどうだ?」


 彼女の声とほぼ同時に男達の視線が一斉に骸骨へと注がれる。それに反応したかのように骸骨は、骨だけになった手を大袈裟に振り、その口から言葉を発した。


「無茶ですヨ! 私はただの骨なんですカラ! それじゃ仕方ありまセン。守護者に任せるしかないデスネ」


「守護者?」


「ここ『終焉フィーニス迷宮ラビリンス』は六階層になってマス。各階層に守護者がいますノデ。その方々に任せるとして、私は破壊されないうちにこの場から逃げるとシマス」


 骸骨は先程の言葉に小首を傾げるリリーナを一瞥すると、そう口にして薄汚れたフードを被ろうとした。

 その時、今まで無言に徹していたシオンが突如、リリーナの前に歩み出ると骸骨へ詰め寄る。突然のその行動と彼女の体全体から発せられる無言の圧力に、彼は気圧され骨で形成された両手を立て後ずさりした。

 シオンは鋭い視線を骸骨へと注ぐ。


「ねぇ。あなた。ちょっと頼みがあるんだけど?」


「な……なんデスカ?」


「道案内してくれない?」


「道案内って……私、超越者側の骨デスヨ? 罠にはめるとか考えないんデスカ?」


 カタカタと声を発する骸骨の言葉に対して、シオンはその指を後ろに佇むリリーナへ向けながら、さらに彼へと詰め寄った。

 リリーナはその指を視界に収めながら、彼女が何を言わんとしているのか予想がつくらしく、文句の一つも言いたげに目を細め眉根を寄せた表情でシオンを見据える。


「罠? そんなもの方向音痴の彼女と一緒なんだから常に発動しているわよ! どうということないわ!」


「……それは災難ですネェ。でもさすがに案内役はできないデスネ。それにどうせ、一階層でみな止まるでしょうシ」


「それはどうかしらね」


 シオンはその口元に不気味な笑みを張り付けると、リリーナの所持するバッグの中から何かを取り出し、骸骨の前に放り投げた。それは、茶色い銅で造られた細長く、くの字に曲がった銅像の一部のようだった。よく見ると人間の右腕と左腕に酷似している。

 骸骨はそれに視線を移すと声を上げた。


「それ……終焉の右腕と左腕デスカ? もしかして……アラクネさん倒しちゃいマシタ?」


「八つ裂きにしてやったわ」


 シオンの冷酷な言葉を耳にして、その時の状況が脳裏に浮かぶのかリリーナは、冷や汗の雫を一滴垂らし苦笑した。

 昨日の話である。二人は隠し扉を発見し、ようやく一層の攻略が進展する。しかし、リリーナの方向音痴に振り回され、それでも辛うじて終焉の右腕と左腕を発見し、一層の石碑の奥へと侵入した。だが、リリーナ達の前に一層守護者であるアラクネと呼ばれた巨大な蜘蛛に女性の上半身を持つ魔物が立ちはだかる。

 しかし、その蜘蛛は不運であった。何故なら苛立ちを募らせたシオンのはけ口として恰好の相手だったからである。彼女の手により八本の足全てもぎ取られ、女性の上半身は大鎌によって細切れにされてアラクネは絶命したのだ。


「アラクネさんも決して弱い魔物ではないんですけどネェ。……さすが、『神の遺産』である女性は……桁違いでスナァ」


 頭蓋骨ゆえに感情を読み取ることはできないが、不気味な響きを含んだニュアンスで語る彼の言葉を耳にして、シオンの纏う空気が一変する。

 真紅の瞳が燃え上がる炎の如く光を放ち、全身から無数の針で刺すかのような物理的圧力を伴う殺気が周辺に放出された。対峙する骸骨は、先程とは打って変わりたじろくことなく、その眼球のない穴がシオンを静かに見据えている。


「お前……『何故、それを知っている』? お前は何者だ?」


「言ったはずデスヨ? 私は……ただの骨デス」

 

 骸骨がカタカタと笑ったかのように見えた。

 その瞬間、シオンの手に大鎌である死者の叫び<ザ・デッドオブバンシー>が具現化し、彼女はそれを高速で横一文字に振るう。巨大な刀身が生みだす光の軌跡が凄まじい速度で骸骨へと迫るその刹那、彼の姿は虚空に溶けるかのように消え去った。

 空振りし強烈な風圧を放ったその大鎌を消すと、シオンは鋭い視線のままリリーナの元へと歩み寄る。


「ただの骨……だってよ?」


「ふん。笑わせる。ただの骨が私の念能力サイコキネシスの影響下で動き回り、お前の斬撃を瞬間移動で回避するか? たちの悪い冗談だ」


 リリーナはシオンを一瞥すると、何かを思案するかのように視線を地面へと落とした。

 あの骸骨は、彼女のことを「神の遺産」と言った。この世界における神と言えば唯一神である「創生の女神」が該当する。神の遺産ということはその女神が地上に残した遺産ということになるのだろう。それが死神であり、正式には「調整者」と言われるシオンのことを差すのだ。

 リリーナは、神の遺産についてシオンへ聞くこともできただろう。だが、彼女はあえてそれをしなかった。あのお喋りな死神が今まで神の遺産というものについて一切、触れなかったのである。何か要因があるのかも知れない。ただ、彼女が話さないというのならリリーナが聞く必要もないのである。

 リリーナとシオンの間で、無言の時間が流れていく。だが、それを切り裂くように一人の男がリリーナへ近寄った。


「……あの。ちょっといいですか?」


 男の声に反応し、リリーナは彼へ視線を移す。

 そこにいたのは、茶色の髪に黒い帽子を被った長身の男だった。年齢は彼女より少し上くらいだろうか。比較的整った顔立ちに皮鎧を着こんでいる。どうやらトレジャーハンターの一人のようだった。


「何?」


「先程の話を少し耳にしたんですが……迷宮の案内役を探しておられるんですか?」


 無骨な男が多い印象のあるトレジャーハンターとは見えないその柔らかい物腰に、リリーナの警戒心が少しだけ解かれたのか、鋭かった表情がいつもの無表情なものへと変わる。

 彼は笑顔を見せると話を続けた。


「僕はプラヴォートと言います。主に探索を主体に活動してます。戦闘は苦手ですが地図作成や罠の解除とかは得意分野です」


「よかったら……僕を案内役として雇いませんか?」


 リリーナは彼の言葉に表情を変える事無く、青い瞳で見据える。シオンに至ってはまるで興味ないのか視線すら合わせようとはしなかった。


「何故、私に?」


「実はあなたのことを知っているのです。僕のお爺さんが『女神の捨て子を拾った』と父に手紙をくれたので……」


 その言葉を耳にして、リリーナの青い瞳が大きく見開く。

 女神の捨て子を拾ったという話で該当する人物など世界広しと言えども一人しかいない。その人物をリリーナは知っているのだろう。

 何故なら、捨て子だった彼女を拾い、我が子のように愛した唯一の家族とも言える元王宮魔術師であるケンウッドがその人物だからである。


「まさか……ケンウッド?」


「はい。僕の祖父に当たります」


「銀色の髪に青い瞳。この世に二人といないと聞きました。あなたを見た時、すぐわかったんです。たぶん、お爺さんの言ってた女神ってあなたのことではないかって」

 

「ここで会ったのも何かの縁だと思います。どうでしょうか?」


 リリーナは彼の提案に悩んでいるのか視線を地面へ移す。

 迷宮探索が苦手な以上、案内役の必要性があるのは確かだ。だが、彼は死者なのである。それにシオンも良しとはしないだろうことは容易に予想できる話だ。

 しかし、リリーナにとって家族同然のケンウッドの家系に属する人間である。血は繋がらないとは言え、他の人間とは違い明らかに親近感が増していたようだった。彼の言う通り、ここで会うのも何かの縁なのだろう。

 リリーナは顎先に手を当て黙り込んだ。その時、彼女の思考を遮るかのようにシオンが自らの上半身をリリーナの肩へと添える。


「いいんじゃないの? 道案内が欲しいところだし。この際、贅沢は言わないわ」


 意外とも言える彼女の発言にリリーナは、驚愕したのか目を見開いた表情でシオンを見つめた。シオンはそんなリリーナへそっと耳打ちをする。


「……まだリビングデッド化は進行していない。仮に危険な状態になったら斬ればいいだけ。そこまで働かせるのなら私は文句は言わない。『あとはあなた次第』よ」


 彼女の言葉にリリーナは小さく頷くと、目の前で答えを待つプラヴォートへ口を開いた。


「待たせた。いいだろう。ここで会ったのも何かの縁なのは確かだ。君を雇おう」


「ありがとうございます!」


 神妙な面持ちで立っていた彼の表情が明るくなる。プラヴォートは笑顔を見せ、握手のため手を差し出した。だが、リリーナはそっと彼から視線を逸らし動かない。その様子を見て、彼は頭を掻いた。

 プラヴォートは、死者と知りながら初めて交流を持とうとした最初の人間となる。だが、リリーナはシオンの「あとはあなた次第」という言葉の真の意味をこの時、理解してはいなかった。

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