第16話 終焉の迷宮

 ドワーフの地下帝国「ベルクヴェルク」が位置するクレアシオン大陸最大の火山「モンス・ウルカニウス」の先にそれはあった。

 文字通り地の果てに広がる墳墓。それは、誰により造られたのかも不明であり、そこに立ち並ぶ墓石は、誰の墓なのかもわからない。訪れる者もなく、ただひたすらに闇と無音の空間が広がるその場所を、いつしか人は「永遠エテルネルなる墓地セプルクルム」と呼んだ。


 最果ての街「ウルティモ」から飛行杖で数時間かけてようやくたどり着くその場所に、リリーナ・シルフィリアとシオン・デスサイズが舞い降りた。

 昼間だというのに、その墓地全体から発せられる瘴気が生み出したかのような暗雲に覆われ、周辺は薄暗く灯りも当然、存在しない。風も吹かず、人の気配もない。それどころか生命の痕跡すらその場所にはなかった。

 葉のつかない黒い木々が周りに生え、名も無き墓石が並ぶ中、リリーナ達はランプの光を頼りにある場所を目指す。

 それは、墓地の奥にひっそりと佇んでいた。石材で造られた神殿のような建物が灯りに映し出される。その前は広場のようになっており、彼女達はその場で足を止める。

 神殿の入り口は、黒い大扉で固く閉まり、その鍵穴のみ銀色に光り輝いていた。


 デッド超越者トランスセンダーが潜むと言われる地下迷宮「終焉フィーニス迷宮ラビリンス」の入り口である。


 リリーナ達は、大扉の前へ歩み出ると銀色に光り輝く鍵穴を見つめる。

 丈夫な皮のバッグから同じく銀色に光る鍵を取り出すと、リリーナは慎重に差し込んだ。ベルクヴェルクの鍵職人が命を賭して製造した「トライミル・マスターキー」は、その鍵穴に滑らかに奥まで入り込む。

 差し込んだ後、ゆっくり回すとカチッとした手応えと共に大扉が、静かに開き始めた。


 神殿の中は、ただ闇が広がるばかりである。

 中はさほど広くない。リリーナの索敵サーチアイが発動しているが、敵意のある存在どころか生命あるものは、恐らく彼女とシオンだけであった。

 リリーナの持つランプの灯火に映し出されたのは、中央に鎮座する石碑とその奥に口を開けている地下への階段のみである。石碑にはこう刻まれていた。


「この先、七つの終焉を集めよ。それは、終焉の頭。終焉の胸。終焉の右腕。終焉の左腕。終焉のケツ。終焉の右足。終焉の左足である。それを集めし者に道は開かれん」


 リリーナは、石碑に刻まれた古代文字をゆっくりと読み上げる。シオンは、険しい表情を浮かべ、石碑を睨みつけた。


「何よこれ? いちいち集めないと先に進めないわけ?」


「そうらしい」


「面倒ね。転移魔法は使えないの?」


「現実的に無理な話だな。第一、座標もわからない。石の中に入りたいならやるけど?」


「おおっと。それだけは勘弁して頂戴」


 シオンはリリーナの目の前で大袈裟に手を振ってみせる。如何に不死の死神とはいえ、石の中に入ってしまってはさすがに活動不能になるようだ。

 リリーナはそんな彼女を一瞥すると、石碑の奥に口を開ける地下の階段へと足を進める。階段の奥は闇が支配し、どことなく悪臭が漂ってきていた。その直後、リリーナは全身を一瞬、震わせその入り口を不快感を露わにした険しい表情で見据える。

 突然、立ち止まった彼女へシオンが首を傾け話しかけた。


「どうしたの? 入らないの?」


「……本当に入るのか? ここに?」


「入るって、あなたが言いだしたことじゃないの?」

 

 きょとんとした表情を浮かべるシオンに、リリーナは必死な眼差しで訴えた。


「こんな地下迷宮なんて『臭い』『汚い』『汚らわしい』の三拍子が揃ってると相場が決まっている!」


 地下迷宮に足を踏み入れた時、自らに降りかかるであろう災難を想像したのか彼女は、その両手で自分の体を掴み身震いする。シオンはその光景を見て、半ば呆れたかのように肩をすくめた。


「ああ。できることなら入りたくない!」


「……あなた。最近、潔癖症に磨きがかかってきたわね」


 震える彼女を一瞥し、シオンは平然とした表情で階段の奥へと足を踏み入れる。彼女の左手には、シオンのその膂力により強引に引きずられるリリーナの姿があった。


「はい。行くわよ。汚れるのが嫌なら障壁でも張り巡らしなさい」


「当然だ!」


 地下迷宮へ足を踏み入れるとそこは広い空間だった。

 周りは石材の壁で覆われ、一般的な住居と同じ広さの部屋の奥に木製でできた扉が見える。リリーナの索敵の目は、この空間に生命反応を感知してはいない。どうやら安全地帯のようだった。

 先頭をシオン。その後ろにランプを掲げ、恐る恐る前進するリリーナの順に奥へと足を進める。取っ手に力を込め押すと木製の扉が音を立てて開いた。その先にある通路を用心深く進むと、奥に広場と見て取れる空間が広がっている。

 その瞬間、索敵の目が警笛を鳴らした。広場の上空を死肉を喰らうジャイアントバットが滑空し、リリーナの目の前に恐らくこの迷宮に放たれた亜人種であろうオークの腐敗した死体がリビングデッドと化し、迫っている。

 シオンが鋭い瞳を向け、死者ザ・デッドオブバンシーびを召喚しようとする……その時であった。


「臭い! 汚い! 汚らわしい!」


 薄暗い中、その青い瞳に魔法構成を浮かび上がらせたリリーナが叫びながら、その左手に炎を巻き起こさせる。彼女の表情は、目の前の汚らわしい存在に対する拒否反応で怒り狂っているかのようにも見えた。


「汚物は焼却だ!」


「上位精霊魔法・炎の嵐<ハイランクエレメンタルマジック・フレイムテンペスト>!」


 地中より噴き出した炎の柱が高速で地面を疾走し、頭上を狙うジャイアントバットと迫り来るオークゾンビを焼き尽くす。

 それだけに留まらず、部屋全体を炎の海にした後、奥にある通路まで炎柱は駆け巡る。そして、そこに潜んでいたであろう異形の物体の断末魔の叫び声まで、彼女達の耳に響かせた。

 全ての拒否反応の根源を焼き払い、リリーナは肩で大きく息をしている。

 黒焦げになった死体から吹き上がる黒煙を手で払いながら、シオンは声を張り上げた。辺り一面に吐き気を催すような悪臭が漂う。


「やりすぎよ。これ。臭いで鼻が曲がりそうだわ」


「ああ! 臭い! 臭いも防ぐ魔法障壁を開発すべきだ!」


 リリーナは、彼女より大袈裟に手を振って煙というより臭いを払っているようだ。その光景を目にし、シオンは飽きれた様子で肩をすくめて見せた。

 慌てふためいたリリーナが冷静さを取り戻すのを待ち、二人は再び、足を前へ進める。

 地下迷宮というものは、侵入者を排除するために設置するものであり勿論、一本道の単純な造りではない。それ故、マッピング作業は当然の如く必須であり、二人の場合、それをリリーナが担当していた。

 その事実にシオンが、自らの判断に間違いがあることを、この時点ではまだ気が付いていないのは明白である。


 迷宮を進むとそこには、広場がひらけ、中央に石碑が立っていた。その石碑には細長い溝が二本彫られており、その形状から「何かをはめ込む」ものだと推測できた。

 だが、現時点では、そのような形状の物を手に入れてはいない。

 別な通路を進もうと足を進めたシオンは、奇妙な光景を目にした。それは、先程の石碑である。同じように細長い溝が二本彫られている。

 同じものが複数、存在するのかとリリーナは、小首を傾げて眺めていたが、シオンだけはある事に気が付いたのか短く呟いた。


「……同じとこ回ってない?」


「そう?」


 彼女は自分が記している地図を目の前に広げ、再びその可愛らしい顔を傾け無言で見つめている。その光景を黙って見つめていたシオンの目が突如、ゆっくりと見開き始めた。

 シオンの判断の誤り……。それは、リリーナの「方向音痴」である。


「ちょっと地図を見せなさい!」


 彼女は、半ば強引にリリーナのその小さな手から地図を奪い取ると、ランプの光を当てた。

 紙に書かれていた内容は、方角も記されておらず、ただ来た道を棒線で引いているだけという、お世辞にも地図とは到底、言えない代物である。

 それを目にしたシオンは、殺意とも感じ取れるであろう鋭さを秘めた真紅の瞳をリリーナへ向けた。


「何これ? 地図? これが? ただ来た道を棒線、引いてるだけじゃない!」


 彼女に責められ、リリーナは地面の上で丸くなりながら、飛行杖の先端で地面を意味も無くなぞっている。

 ご丁寧にその体は、浮揚レビテーションの魔法で僅かながら宙に浮いており、その純白のローブに汚れ一つない。そのデジャヴを感じるであろう光景に、シオンは嘆息を漏らした。


「……忘れてたわ。あんた。方向音痴だったわね……」


「……お……」


「お風呂入りたいなんて口走ったらぶち殺すわよ?」


「……はい」


「もうあんたは地図書かない。というよりもう『自動地図作成<オートマッピング>』とかなんとか魔法作りなさい! 特にあんたは!」


「……はい」


 うずくまったまま、無機質な返事を繰り返すリリーナをシオンは見据える。

 視線を逸らすと彼女は、困惑しているのか険しい表情を浮かべ思案するかのように腕を組み、その黒いブーツのつま先がコツンコツンと地面を打った。つま先が大地を打つ音と、飛行杖の先端が地面を打つ音が交互に虚しく鳴り響く中、突如、その音が止まる。

 リリーナが突然、立ち上がった。


「……名案が浮かんだ」


「何?」


「壁を破壊する」


 リリーナのその言葉に驚愕したのか目を丸くするシオンが見つめる中、彼女は中央に座す石碑へ近づく。そして、青く光るサファイアの瞳を石碑の周辺へ向けた。


「この石碑。恐らく先に進む為にこの溝へ、何かの物体をはめ込むものだろう」


「ならこの石碑の周辺に先へ進む通路があるはずだ」


 仕組みから考えると可能性は高い話だった。恐らく地下迷宮へ入る前にあった石碑に刻まれているアイテムが必要なのだろう。だが、生真面目にそれを彼女達が揃える必要などないのである。


「いや……確かにそれはそうだけど、やけに大胆な発想ね」


 シオンが、先程の無力感を一切、感じさせない引き締まった表情を宿すリリーナへそう語り掛けると、彼女は歩み出しある壁の前で立ち止まる。その口が短く言葉を紡いだ。


「識別<アイデンティファイ>」


 識別の魔法陣が、その壁だけが有する異質を察知する。

 手で押すと開く仕組みなどではない。魔法で開くものでもない。明らかにもっと外部的要因で開くものだった。


「これだ」


 リリーナの青い瞳に魔法構成が文字となって刻まれる。それとほぼ時を同じくして彼女の左腕に光が渦となって収束した。

 眩い光を放つ塊を壁へ向けて突き出した瞬間、その場の空間が歪む。


「上位神聖魔法・光の衝撃<ハイランクホーリーマジック・リヒトインパクト>」


 壁を中心に爆発が起こった。

 だが、その刹那、青白い文字が壁一面に広がる。衝撃と爆発により生まれた白煙が空気中に霧散して消え去ったその時、視界に映る光景にリリーナは驚愕したのかその青い瞳を見開いた。

 そこには、何事もなかったかのように立ち塞がる壁だったのである。表面には傷一つついていない。


魔法相殺マジックオフセット!?」


 爆発の瞬間、広がった青白い文字は壁に刻まれた魔法付与マジックエンチャントであり、その効果は魔法相殺マジックオフセットである。それによりあらゆる魔法は、その効果を相殺されるのだ。

 魔法使用者マジックユーザーを対象とした魔法付与で考えれば、まさに最悪の効果である。


「……それによく見ると壁の至る所にトライミル鉱石が埋め込まれている。恐らく魔法障壁も展開されている。これだとシオンの物理火力でも破壊できない……」


 無力感がリリーナを襲ったのか、彼女は再びその場に崩れ落ちうずくまると、あたかも時間が逆行したかのように手にする飛行杖で地面を突き始めた。

 シオンは深いため息を口から吐き出す。


「……振り出しに戻ったわね」


「……超越者の笑い声が聞こえる気が……する」


 うなだれるように視線を下げ、リリーナがそう呟いた。

 まるで、彼女達を嘲笑するかのように迷宮内に獣のような咆哮が響いている。先の見えない通路には闇が広がるばかりである。

 八方塞がり状態になったリリーナ達であるが、この迷宮に足を踏み入れて二日後、事態は一変することとなるのを彼女達は知る由もなかった。

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