第14話 滅亡のベルクヴェルク 中編

 トライミル鉱石は、通常の鉱石とは大きく異なる性質を持っている。

 それは通常のものとは違い、魔力を秘めた魔法鉱石マジックメタルなのだ。また強度が弱く、武器、防具の材料には適さないがトライミル鉱石は魔力の波長が独特であり、その波長が合わない魔力を秘めた性質のものと合わせると、反発するのも特徴の一つとして挙げられる。

 あまり使い道のなさそうな鉱石に見えるが、この独特な魔力の波長を有することを利用し、鍵としての役目を与えた人物が存在する。

 自身の座する迷宮を守る為、扉の鍵の部分をトライミル鉱石で作成し、同じ鉱石で作成した「鍵」でなければいかなる方法でも開けることができない扉を作成したのだ。

 その人物とは、デッド超越者トランスセンダーである。彼は迷宮の入り口となる大扉の鍵の部分にトライミル鉱石を材料とし、それを魔力で覆った。

 先述した通り、トライミル鉱石は自らの波長と合わない魔力と反発する。それ故、自身の放つ魔力と外部の魔力が反発し合い、その力が均衡となった場合、非常に強固な魔法防壁として機能するようになるのだ。それを利用し超越者は迷宮の大扉を破壊不可能なほど強固な防壁で覆い、その奥深くで静かに息を潜めている。

 


 リリーナ・シルフィリアの目の前でそれは、徐々に鍵の形を形成していた。

 トライミル鉱石は、希少な鉱石であり流通量は極端に少ない。彼女の狙い通り、ここドワーフの地下帝国ベルクヴェルクには少ないとはいえ、鉱石の蓄えがあったが、それでもせいぜい鍵一つ作成する量しかないのだ。つまり、鍵職人が失敗すれば再び振り出しに戻ることになる。

 だが、仕事場が張りつめた空気に覆われる中、目の前にいるドワーフは、その熟練の技術で精巧な鍵を作成していく。無言でその様子を見つめるリリーナへシオンが話しかけた。


「……まさか、あなたがあんなことを言うとは思わなかったわ」


 恐らく、彼女はリリーナのあの脅迫とも受け取れる冷酷な発言のことを言っているのだろう。リリーナは少し口元をほころばすとゆっくりと言葉を紡いだ。


「確かに私らしくないかも知れない。だけど相手を動かすのに必要なものが、何も友好的な態度だけとは限らない」


「目的を果たす為なら、時に強行手段も必要だと思うよ。この世界は綺麗事だけでは済まされないから」


 時には救い、時には殺し、そうして彼女は生きてきた。

 目的を達成する為、フラン・エスペランスを助け、死神と恐れられたシオンと協力し、プロエリウムの軍勢を鏖殺し、七賢者を全員、ナイフで刺殺した。それは自らの復讐の為、恩人の無念を晴らす為、友の為にもっとも有効な手段を選択した結果だった。

 恐らくこれからも彼女は選択を迫られるだろう。その度に屍が積み重ねられ、その上をリリーナは歩くこととなる。だがそれが彼女の本心と一致しているとは限らない。


「……だけど、本当は誰も傷つかず、誰も死なない選択が私に舞い降りることを願っている」


 中空を見つめ、そう言葉を漏らすとリリーナは笑顔を見せ、隣に座るシオンへ視線を移した。


「我が儘かな?」


「別にいいわよそれで。あなたがどう願おうと最終的に出てくる選択とそれに対する結論は変わらない。そうでしょ?」


「結局は冷酷無比な選択を迫られ、それを選ぶとしてもせめて、そうなる前は甘い幻想くらい抱いてもいいのではないかしら」


「私はそう思うわ」


 シオンは、目の前で作業するドワーフから視線を逸らす事無く、彼女の問いにそう答える。

 リリーナはその言葉を噛みしめるかのように目を閉ざすと、少し間を置き再び青い瞳で鍵職人の仕事ぶりを見守りはじめた。


 

 数時間後。

 地下故に正確な時間はわからないが、恐らくそれくらいの時間は経ったであろうその時、ドワーフが立ちあがった。

 満足のいく品ができた故の充実感を漂わせるその顔は、職人ならではのものである。彼は、椅子に腰かけるリリーナへ近づくと、その岩のように太く大きい手の中にある、銀色に光り輝く煌びやかな自信作を彼女へ見せる。

 それは、魔力を持つ鉱石特有の光の加減により、虹色に発する色合いを変える精巧を極めた鍵であった。


「あんたの納得のいく仕上がりだと思う。同じものを作れと言われても作れる自信がないくらいな」


 リリーナはそれを受け取ると、青いサファイアの瞳でトライミルの鍵を見つめる。

 彼女には、こういった物の価値を品定めする能力は残念ながら持ち合わせていない。だが、素人の目でもはっきりわかるほど、その鍵は見事な出来栄えであった。

 リリーナは頷くと、おもむろに満足気な表情を浮かべるドワーフに語り掛けた。


「見事だな。確かにこれなら問題ないだろう。いくらだ?」


 報酬の交渉に入ろうとした彼女の耳に、予想だにしないであろう鍵職人の言葉が響く。


「……いや。金はいらない」


「いらない? 何故?」


 小首を傾げるリリーナへ、ドワーフは真剣な眼差しで口を開いた。その時シオンとリリーナはあることに気が付く。目の前の鍵職人は、その小柄でありながら逞しい体を小刻みに揺らしていた。


「金の代わりに……教えて欲しい」


「私に? 何を?」


「……儂の……体のことについて何か知ってないか?」


 突如、ドワーフは頭をその手で覆い、膝を地面につける。以前に増してその体を震わせ、瞳孔を見開き、震えるその口で言葉を必死に吐き出した。


「最近、食べても食べても腹が減る。寝ても寝ても眠気が取れないんだ」


「ひたすら鍵に打ち込んでいる時、儂は思ったんだ。満足のいく品を作るのは儂の夢だ。だがその後は? いや、鍵以外のことは?」


「その時、儂は気が付いたんだ。満足のいく鍵が作れた時、気が付いたんだ。儂にはぽっかりと大きな穴が開いている」


「……記憶が……薄れていくんだよ……。そして、何も……無く……」


 その瞬間、シオンの赤い瞳の前にあり得ないものを映し出される。

 先程まで、鍵職人にはリビングデット化の前兆となる瘴気が薄く立ち昇っていた程度だった。だが今、この瞬間にそれは闇がまるで膨れ上がるかのように濃密さを急激に増し、最早すぐ動く死体へと変貌する危険性を物語る状況へと一変していたのだ。

 シオンが浮かべる驚愕と見て取れる表情に、リリーナは状況をいち早く察知したのか表情は真剣なものへと変わる。鍵職人は光を失いかけたその瞳をリリーナへ向け、助けを懇願するかのように彼女を問い詰めた。


「あんた、賢者なんだろ? 何か知って……ないのか?」


 リリーナは、一瞬、彼から視線を逸らすと意を決したかのように憂いを帯びた瞳を鍵職人に向ける。その口から発せられた言葉は、彼にとってまさに死刑宣告に等しいものだった。


「……君は、もう……死んでいる」


「その体はもう死者なんだ。だが君という人間性のみがそれを生者のように動かしている」


 鍵職人のドワーフは、彼女の言葉を耳にして茫然と立ち尽くす。瞳孔は見開き、まるで魂の抜けた人形のようだった。

 その剛毛に覆われた口が、震える声を紡ぎ出す。


「……儂は、これからどうなる?」


「正確な時期は言えないが、このまま放置すると君は人間性を失いリビングデッドと化す。そして、周りにいる同族を嚙み殺すだろう」


「私には君を助ける術を持たない。私にできることは……君を死に還し安らかな永眠を与えることしかできない」


 彼の体が熱を帯び始めた。

 平均気温の高いここベルクヴェルクの室内であっても、はっきりわかるほどの熱量である。まるで、ドワーフの持つ人間性が熱となって外へ発散されているかのようだった。


「……やってくれ。儂は……仲間を喰らいたくなんか……ない」


 体から立ち昇る濃密な瘴気がまるで炎のように吹き上がる。もう限界がすぐ目の前まで迫っていた。

 リリーナはそんな彼に近づくと手を差し伸べ、初めて会った時とは違い笑顔を見せる。


「鍵の作成は感謝する。大事に使うよ」


 一瞬、鍵職人の顔が……笑ったように見えた。それを目に移すと彼女の唇がある言葉を紡ぐ。


「死への帰還<リターンデッド>」


 瘴気が解き放たれ、空気中に霧散して消え去る。

 リリーナの目の前には一体の動く死体……リビングデッドが立っていた。それは人間性を失い、三大欲求のみで自身の目の前に立つ彼女へ襲いかかる。

 光が煌めいた。素早く動いたシオンによる斬撃が死者の首を跳ね飛ばす。赤黒い血が飛び散り、死者の体はゆっくりと地面に倒れた。

 リリーナはその死体を見つめると、口を開く。


「……記憶だ」


「生者として生きる死者がリビングデッドとなるかならないかの境目。それは生前の記憶」


「記憶が人間性を維持する『鍵』なんだ。だがそれは時間と共に薄れていく」


 人間性を維持する命綱ともいえるのが『記憶』だとリリーナは結論付けた。

 体から発せられる瘴気の量は『視覚的な目安』であり、人間性を保つその要因となるものは『生者としての記憶』なのである。人が長い時間をかけ、記憶を失う特性があるように、死者もまた生前の記憶を時間と共に失う。

 記憶を失ったその時、その身に起きるのはリビングデッドへの変貌である。またこのドワーフのように自らの存在に疑念を抱いた時も同様の状態になるのも先程の状況から理解できた。


 その時、リリーナの目が見開く。

 ドワーフは懐疑的な種族だ。もし、一度、自らの異変に気が付けばそれは疑念となって、自らの体の中に炎のように沸き上がる。

 また、生まれた疑念は常に燃料を投下し続けるかのように燃え上がり、いつしか自らの体を燃やし尽くすのだ。そして、その疑念は……周りの同種族に感染し拡散される。


 彼女は突然、鍵職人の家を飛び出す。

 最悪の事態はすでに起こっていた。ドワーフの騒めきがベルクヴェルクに響き渡る中、濃密な瘴気を炎のように噴き出したドワーフ達が虚ろな目を周辺へ向け、おぼつかない足取りでフラフラと漂う。

 そのうちの一人が突如、豹変した。顔を掻きむしりその体はみるみる死者のものへと変貌を遂げていく。動く死体と化したそれは、近くにいたドワーフへその牙を体へ食い込ませた。凄惨な光景を目に移し、さらに体を食い破られたドワーフの悲鳴が都市を揺るがす。

 一瞬で騒然となったドワーフ達へリリーナは、拡声魔法でその声をベルクヴェルクに響かせた。


「無事な者は今すぐ下層へ避難しろ! 早く!」


 彼女の声と同時に足元に魔法陣が浮かび上がる。それは、魔力ソウルが産み出した魔力増幅魔法陣ソウルアンプマジックサークルだった。

 人間性を保ったドワーフが下層への昇降口へ流れ込んでいく。その中、シオンは自らの手に死霊武器である死者の叫び<ザ・デッドオブバンシー>を掴み、リリーナの背に向けて語り掛ける。


「やるのね」


「どのみちこの場を切り抜けないと目的地へは到達できない」


「……それに、鍵の代金を支払っていない。私は代金踏み倒しとか嫌いなんだ」


 魔法陣により自らの体を光で覆ったリリーナは、青白く燃える鋭いサファイアの瞳を前に向け、そう言葉を紡いだ。

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