第13話 滅亡のベルクヴェルク 前編

 王都アフトクラトラスが座する大地は「クレアシオン大陸」という名である。

 それは大きな一つの大陸であり、アフトクラトラスはその中でも大国に名を連ねるほど巨大な国家だが、周辺には武人の大国「プロエリウム」とハイエルフが支配する深緑の国「エヴァーグリーン」そして、リリーナ達が目指しているドワーフが支配する地下帝国「ベルクヴェルク」が存在する。


 ドワーフとは、人間より背丈は小さいものの屈強で長い髭を蓄えているのが特徴的な種族だ。その屈強な体は戦闘でも性能を遺憾なく発揮し、小さいながらも勇猛な戦士としても活躍する。また、その反面、器用さの優れた種族でもあり、武器、防具、彫刻細工などの製造に長けており、優れた品質を誇る武具を求め、人間が訪れることも多々あった。

 閉鎖的なハイエルフとは違い、ドワーフは比較的、人間とは友好的である。だが、それはあくまで武具の流通においての便宜を図る為であり、その本質は人間に対して懐疑的であり、彼らの存在を歓迎することはしない。


 リリーナは後ろにシオンを乗せ、アフトクラトラスから南東に位置する巨大な火山の麓へと飛行杖フライトスタッフで舞い降りた。

 ドワーフは火山の近くに地下都市を建設する。それは、彼らは鍛冶の神「ヘパイストス」を信仰しており、巨大な火山である「モンス・ウルカニウス」が有するそのマグマにはヘパイストスの化身が宿ると信じている。そして、そのマグマを利用して作成する武具には、化身の力が宿り、ドワーフに繁栄をもたらすと考えているのだ。

 リリーナの目的は、「トライミル鉱石」という特殊な金属である物をドワーフに作成してもらうことである。彼女が目的地に到達するのにどうしてもそれが必要だからだ。

 リリーナはシオンを後ろに従え、その純白のローブを揺らし地下帝国「ベルクヴェルク」の国境へ足を運んだ。境界線には石材で建設された建物があり、そこには屈強なドワーフの戦士が大斧を大地に突き立て佇んでいる。

 彼女はそのドワーフの戦士に語り掛けた。


「王都アフトクラトラスから来た賢者リリーナ・シルフィリアという者だ。ベルクヴェルクに入国したいのだが構わないか?」


 戦士は懐疑的な瞳でリリーナを一瞥する。

 アフトクラトラスにて史上、最年少で賢者となった彼女の名は、ここベルクヴェルクにも当然、届いている。

 ドワーフの王は、自らの国で生産した武具は主にプロエリウムと取引していたが、アフトクラトラスと全く接触がないわけではない。ベルクヴェルクは完全なる中立国なのである。プロエリウムとアフトクラトラスが例え戦争を起こそうと一向に構わないのだ。むしろ、武具の取引が増えると小躍りするくらいである。

 それ故、アフトクラトラスから来た賢者を拒む理由もない。そして、その目に映る賢者のローブが、彼女の言葉を信憑性の高いものと判断させたことだろう。

 リリーナは差し出された紙にサインをし、短く言葉を紡ぐと指で印を押す。これは、アフトクラトラスの賢者のみが押せる魔法印マジックスタンプであり、他の人間には押せない特殊な術式で構成されているものである。


「なお、後ろの女は私の従者だ。許可をもらいたい」


 戦士は頷くと道を開ける。

 リリーナは国境を越え、ベルクヴェルクへと入国した。その時、後ろで短く呟くシオンの声が耳に入る。


「……従者ねぇ。まさか私があなたの従者になるなんて思いもしなかったわ」


「その方が楽に通れる。本気でそう思っているわけじゃない」


 ふと後ろを歩くシオンへ振り向くとリリーナは、彼女のその意地悪そうな表情に向けて微笑んで見せた。


「それにお前みたいな書物庫を破壊する従者なんて、読書を愛する私とは相性が悪すぎる」


 その言葉にシオンが同じく微笑みで返すと、リリーナは再び前へ視線を移す。

 国境を越えた先は地下帝国への入り口となっており、次第にそれは陽の光を遮り、薄暗い穴の中へと潜っていく。大地をくり抜いて作成されたその地下への通路は、油を燃やした灯火のみの光で辺りを照らした。

 リリーナは、ゆっくり歩きながらシオンへ振り向く事無く、言葉を発する。その時の彼女の青いサファイアの瞳は、先程の微笑みとは遠くかけ離れ、刃のように鋭いものへと変貌していた。


「……シオン。ここも『死の世界』なのか?」

 

「残念ながら正解よ。どうやら死の世界はアフトクラトラスだけの問題ではないようね」


「……そう。なら『遠慮はいらない』って認識でいいな」


 ここベルクヴェルクも死の世界と化しているのなら、いずれはこの国に住むドワーフもリビングデッドへと変貌を遂げ、この国は滅亡の一途を辿ることになるだろう。

 ならば、彼女の目的の妨げとなる障害が発生した場合、リリーナは迷う事無く「死への帰還<リターンデッド>」を強行するつもりなのだ。仮にこの国全てが動く死体へ変貌したとしても、誰もリリーナの生命活動を止めることはできない。

 何故なら彼女にはそれだけの力と覚悟があるからである。


 地下都市への通路を抜けると突如、視界が開ける。

 そこは石を積み重ねて作り上げられた都市だった。石を材質とした正方形の建物が並び、大地をくり抜いたその空とも呼べる空間には、鍛冶により生まれた煙が朦々と広がっている。彼女達の耳に金属を叩く甲高い音が響いていた。

 

 ドワーフの地下帝国「ベルクヴェルク」である。

 規模は小さな街ほどだが、地下五階層まで掘り進められた地下都市であり、最深部に王族の都が存在する。街往くドワーフの目が突如、地下都市に舞い降りた銀色の髪を持つ女神に一瞬、その動きを止めた。

 リリーナの目的の場所は決してベルクヴェルクの王宮ではない。

 彼女が欲するそれは鍵職人である。リリーナは、街の看板やドワーフの話を頼りに腕に覚えのある鍵細工の職人を探した。その間、シオンは熱気とこの地下都市という空間そのものが苦手なのか、どことなく不機嫌そうに眉根を寄せている。

 

 幾つかの情報を得てリリーナは、とある鍵細工の職人が住む石造りの家にたどり着いた。

 扉をノックすると中から重厚で、まるで唸り声のようなものが彼女の耳に響く。開けるとそこには、小柄なリリーナよりさらに背丈が低く髭で顔のほとんどを埋め尽くしたドワーフが立っていた。


「誰だ?」


 剛毛で覆われた中、辛うじて見えるその目がリリーナを捉える。


「アフトクラトラスから来たリリーナという者だ。ある材料で鍵を作ってもらいたい。それもマスターキーだ」


 マスターキーとは、あらゆる扉に合う鍵のことである。

 それを製作できるのは細工の技術に特化したドワーフのみだと言われ、人間には不可能とされる技術だ。勿論、扉を開けるだけならリリーナの持つ魔法「開門オープンゲート」でも可能である。だが、今回はそれができないのだ。

 何故なら彼女の本来、目的地とする場所は、そんな魔法で簡単に到達できるほど生ぬるい相手が鎮座する所ではないからである。

 そう。あの「デッド超越者トランスセンダー」の元に赴くには、マスターキーが必要なのだ。


「材料は『トライミル鉱石』だ」


「それなら鍵を作るだけの量は辛うじてある。だが、マスターキーだと? 作れんことはないが……断る」


「理由は?」


「色気のない女の注文なんぞ御免だ」


 そのドワーフの返答を耳にした途端、リリーナの体が硬直する。まさかこんな所で色気を問われるとは想像もしなかったのだろう。

 彼女は頬を上気させ、その口から文句の一つどころか下手をすれば罵詈雑言に発展するかもしれない言葉を無理矢理、呑み込むと指を動かし後ろに佇むシオンを呼んだ。


「……まさか私にやれって言うんじゃないんでしょうね?」


「不本意ながら仕方ないだろ」


「うん? その女でも無理だ」


 彼の冷徹な言葉にリリーナとシオンが、ほぼ同時にドワーフを見据え動きを止めた。

 リリーナはともかくシオンは「女性の色気」で言えば文句の言いようがない容姿を有している。だがドワーフから見たらそれは何の魅力にもならないのだ。彼女達がドワーフの持つ「美的感覚」に理解がないのは一目瞭然である。


「髭のない女なんぞ興味ない」


 シオンの目の色が変わった。

 恐らく彼女は現在の外見にそれなりの自信を持っていたのだろう。それが根底から崩された瞬間、シオンの瞳は殺意に塗り固められたかのように赤く光り輝いた。


「ぶち殺してやろうかしら。この毛玉」


「よせ! シオン。鍵が作れなくなる!」


 リリーナはシオンの前のめりになるその体を制止すると嘆息を漏らした。今からこのドワーフの御眼鏡に適う相手を探し出すなど時間の無駄である。

 目の前のドワーフもいつリビングデッド化するかもわからない。また、家族の誰かもしくは、近しい何者かが豹変するとこの男が食われる可能性もあるのだ。失ってしまってはもう戻らない。再び、振り出しに戻るだけである。

 彼女はそっとドワーフの男に近寄ると瞳に冷たい炎を宿らせ、その美しく整った唇から冷酷な言葉を紡いだ。


「では、こうしよう。お前が協力しないというのなら……武力行使を行う」


 リリーナのその残酷な言葉に、ドワーフも一瞬、驚愕したのか瞳を見開き、言葉を発した。


「それはどういうことだ?」


「お前が首を縦に振るまで、近しい誰かを一人ずつ殺していくとしよう」


 彼女の言葉が耳に響いた途端、たじろぐどころかその男は笑い声を上げる。

 ドワーフの目には、後ろの怪しげな女は別として、目の前にいるこの銀髪の少女は、華奢で片手で首を絞めれば殺せるような存在に見えるのだろう。

 この男の例に漏れず、ドワーフという種族は魔法を軽視する傾向にある。彼らが信ずるものは剣と槌と斧であり、彼らを守るものは鎧だけなのだ。


「面白い。だったらこうしよう」


 笑い声が収まるとドワーフの男は、その剛毛で覆われた顔を動かし、外にある広場を指で差した。その口がにやりと不気味な笑みを張り付ける。


「あんた達はいい時に来た。あともう少しでそこの広場で大罪人の処刑が行われる」


「その大罪人とあんた達は戦ってもらう。魔法や武器はなしの素手勝負だ」


「もしそいつを殺すことができたら……あんたの実力を認める。儂は家族を殺されるのは悲しいからな。言う通りに従う」


 ドワーフの男の話によると、この地下都市において素手で同族を八つ裂きにして殺す大罪人が現れ、何人ものドワーフが犠牲になったらしい。その男がつい最近、捕縛され今日、見せしめとして広場で処刑されるとのことだった。

 リリーナはその話を耳にすると男に頷いて見せ、彼女の後ろで佇むシオンへ視線を移す。


「……だそうだ。魔法なしだと私の出番はないな。お前の独壇場になりそうだ」


 

 広場に異形の人型を成した筋肉の塊が佇んでいた。その顔にはドワーフ特有とも言える濃く大きな髭は全くなく、不気味なほど白いその肌は他のドワーフとは一線を画している。

 何よりその異形たらしめている外見は、彼が持つ体躯である。

 女性にしては身長の高いシオンより、さらに大きな体を持つ彼は最早、ドワーフには到底、見えない姿だった。その何人ものドワーフを八つ裂きにしたであろう岩のような拳に繋がる鎖を揺らし、その男は目の前にいる女を凝視する。


「ドワーフの突然変異体ミュータントか」


 リリーナが異形のドワーフを一瞥し、声を漏らした。

 その声とほぼ同時に広場の中央に立つ男の前へ、ゆっくりと妖艶な女が歩み出る。美しい黒髪を揺らし、その女……シオンは、目の前で処刑を待つだけの異形のドワーフに冷酷な笑みを浮かべた。


「ねぇ。リリーナ? 殺してもいいのよね?」


「当然だ。だが、簡単に殺してしまえば力を誇示できない」


 シオンの背に位置し、彼女は冷徹で氷のように冷たい青い瞳をドワーフへ向ける。その口が残酷な言葉を発した。


「見せしめにゆっくり破壊しろ。すぐには殺すな」


 リリーナのその声を背に受け、シオンの体から凄まじい殺気が発せられる。強大無比な力によって対象を踏みにじり叩き潰す。それこそが彼女の持つ力のもっとも有効な活用方法なのだ。

 まるで無数の針に刺されるような感覚をその場にいるドワーフ全員が感じたのか、顔を引きつらせた。

 シオンの口元が不気味に歪む。


「はい。ご主人様」


 男の手首に繋がれた鎖が外された。その瞬間、まるで待ち焦がれていたかのように男の体躯が素早く動く。

 異形のドワーフの瞳には、これから起こる宴のことしか浮かび上がってはいないのだろう。目の前の女を八つ裂きにすることの愉悦を想像しているのか、その口元に笑みを貼りつかせていた。

 だが、男の剛腕は彼女の体へ到達しなかった。空を切る音が耳に入ったその刹那、自らの腕があり得ない方向へ曲がっているのに彼は気が付く。折れた腕から骨が飛び出し、そこから血が滴っているのを男の濁った目が捉えていた。

 声を出す間もなく、シオンの繰り出した足がまるで刃物のように弧を描き、男の左足を強打する。周りにいるドワーフ達の耳に激しい衝撃音と共に、異形のドワーフが叫んだ苦悶の声が響き渡った。

 右腕と左足の骨を折られ、その巨大な体躯が地面に崩れ去る。激痛に苛まれ、恐怖を感じているのかその震えている顔をシオンは、不気味な笑みを浮かべ見下ろした。美しい脚が男の体に添えられる。


「大丈夫よ。折れた骨が内臓に刺さらないように……うまく折るわ。安心して苦しみなさい」


 彼女の足が体を激しく打ち付ける。その度に骨が折れる音が響き、男の声にならない叫び声が広場にこだました。

 リリーナはその様子を美しく整った眉一つ動かす事無く、何の感情も感じ取れない人形のような無表情で眺めている。はじめから勝負などありはしなかった。死神を前にして肉弾戦など愚行としか言いようがないからだ。

 無言で見つめるリリーナへあの提案した鍵細工職人のドワーフが、震える口で言葉を発した。


「……もういい。あんた達の強さはわかった。もう解放してやってくれ」


 彼のその言葉にリリーナは、顔色一つ変えない。

 男が骨を折られ、血を吐き、濁った瞳が徐々に光を失っていく様子を見据えながら、視線を移す事無くそのドワーフに言葉を紡いだ。


「……見せしめで殺すんじゃなかったのか? 凄惨な光景を目の当たりにして手のひらを返すというのか」


「だが、あれはあんまりだ! もういい! あんた達の要望通りの鍵は作る! だからもう終わらせてくれ!」


 懇願する鍵職人を一瞥するとリリーナのその口が、シオンへ向けて言葉を発する。


「シオン。もう飽きただろう? 解放してもいい」


「そう? それじゃ弱者をいたぶるのもここまでにしましょうか」


 彼女の言葉とほぼ同時に、シオンの足が男の頭上に振り上げられた。

 それは美しく弧を描き、凄まじい速度で彼の脳天を強打する。大地が震え衝撃音と共に男の頭は粉砕され、血と脳漿をまき散らし、その体は動きを止めた。

 シオンは男の着ていた服で血のついた黒いブーツを綺麗に拭き取ると、先程までの凄惨な光景を意に介さないような美しい笑顔を見せ、リリーナへ近づいた。


「つまらない役をやらせてすまなかった。シオン」


「別にいいわよ。どうせ死んでる奴の頭の一つや二つ、潰した所で何の感慨も湧かないわ」


「そうだったな。お前にとっては死体を潰してるのと……一緒か」


 リリーナは、憂いとも受け取れる少し寂しげな表情を浮かべると、そうゆっくりと呟いた。

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