第8話 アフトクラトラスの慟哭 後編

 フランは、笑顔だった。


「あなたへの仕事の斡旋は当家エスペランスが行うわ! ついでに連絡が面倒だから家に住んじゃいなさい!」

 

 フランは、時に泣いた。


「国王になるんじゃなかったのかよ! 国王になって貴族階級とかいうくだらねぇ制度をなくすんじゃなかったのかよ!」


 フランは、怒鳴った。


「……聞くまでもねぇよリリーナ。七賢者はあんたに託す。でも剣王ヴェルデは……私が殺る」


 そして、フランはリリーナを守った。


「何、人の城に土足で上がりこんだ上にリリーナに喧嘩、売ってんだよ」


 

 彼女の存在は、復讐のみに支配されていたであろうリリーナの賢者になる目的を変えた。

 フランを女王にする為、賢者を目指した。

 リリーナは彼女のその笑顔を常に見て、彼女と共に歩み、この世界を変えたかったのだろう。


 だがフランはもういない。



 リリーナの眼前に血が舞った。

 その青いサファイアの瞳は、あたかもスローモーションで見ているかのように、ゆっくりと彼女の体が両断される瞬間を捉える。

 赤黒い血で床が染まった。

 上半身だけになったフランのその体は、まるで、生へ執着するかのように激しく痙攣し、糸の切れた人形のように突然、ピクリとも動かなくなる。

 リリーナは、体の震えを止められず床に顔を伏せ、立ち上がることができなかった。


 死神の身体能力は、人間のそれを遥かに凌駕する。

 本人がそれを望むなら斬撃武器など使わずに、素手で人間を引き裂き、絶命させることも可能なのである。それほどの強さを持ちながら、全能力強化でさらに底上げし、身体増強ボディストレングで上乗せしたその膂力の前では、防御など何の役にも立たない。

 さらに死神デス大鎌サイズは、周辺の霊力を吸収する特性がある。霊力とは霊体が発する外部魔力マナと似た性質を持つ見えざる力であり、デスサイズはそれを取り込むことで斬撃の威力を増す。

 勿論、中位召喚武器である「死者ザ・デッドオブバンシーび」同様に物質透過の能力も併せ持ち、戦闘状況に応じてその形体を変化させることも可能である。まさに近接戦闘においては、他の武器の追随を許さない絶対的な力を持つ斬撃武器なのであった。

 

 フランはその一撃を受けた。

 咄嗟に左手に持つ双剣の背で防御の体勢を取っていたが、死神の大鎌の斬撃は、双剣の背を軽々と弾き、その刃を深々と彼女の体へと食い込ませ切断したのである。

 

 フランの血に濡れた黒光りする刀身を消し去ると、シオンは泣き崩れるようにうずくまるリリーナへとその鋭い視線を落とす。

 そして、銀色の髪を掴み彼女の涙に濡れる顔を引き上げると、その体を壁へ勢いよく叩きつけた。怒りとも悲しみとも見分けがつかない複雑な表情で、シオンは瞳に涙を浮かべるリリーナへ語り掛ける。


「人間性を保って……その先は? 何度も言わせるな。死者は所詮、死者に過ぎない」


「助ける方法があるとでも? 死者を生者にする方法などあるのか? 理解しろリリーナ」


「その思想は危険だ」


 そこまで口にすると、彼女の髪を掴んでいた手を離し、リリーナへ背を向ける。その時、うなだれる彼女の耳に聞こえるシオンの口調は、普段と変わらないものに戻っていた。


「私は、死者と化したあなたなど見たくはないわ。死者と化したあなたの首など斬りたくもない」


「どうせ斬るなら……生者としてのあなたを斬りたいわね」


「立ち上がりなさい。この死の世界で唯一の生者を……私だけにするつもりなの?」


 シオンのその言葉に、リリーナは青い瞳を見開く。

 この世界で生者は特異な例を除けば二人しかいない。リリーナ・シルフィリアとシオン・デスサイズだけだ。もし、リリーナが死者と共に生きる道を選んだとしたなら、そう遠くない未来にフランに食い殺されていたことだろう。もしくは近しい他の誰かに。

 そうなるとシオンはただ唯一の生者として、全ての死者を死に還した後、この広い世界に孤独に生きることとなる。死にたくても死ねないその体で、ただ一人、孤独に時間だけが過ぎていく。その苦しみがどれ程のものか当然、リリーナには理解できないことだろう。

 ただ一つ言えることはこの世で生者は、リリーナとシオンだけだということ。それは、シオンを救えるのはリリーナのみであり、逆にリリーナを救えるのはシオンのみだという事実を意味する。その状況で、何故、生者であるシオンより死者であるフランを救おうとするのか。

 死者は所詮、死者に過ぎない。生者には決してなれないのである。


 突然、シオンの後ろで深いため息が吐き出される。

 うなだれるように視線を地面へ落としていたリリーナが顔を上げた。その青い瞳には最早、涙などなく以前の決意を秘めたかのような鋭いものへと戻っていた。


「お前のせいで髪が乱れた」


「あら? これでも優しく掴んだ方よ?」


「当然だ。お前が本気で掴んだら、今頃、私の頭は胴体から外れているよ」


 リリーナがその小柄な体を壁から離すと、地面に横たわるフランの体へ近づき、膝を折る。

 彼女の体がピクリと動いた。上半身だけになったその震える手を伸ばし、リリーナの細い腕を掴む。彼女はそんなフランをそっと抱き寄せた。


「フラン。君との約束は守れそうもない」


「私はこれからこの世界を元に戻さなければならなくなった。元に戻す……つまり、この世界に生きる死者を全て……死に還すということだ」


「でも君はもう休んでいいんだ。もう戦わなくていい。後は私に任せてくれ」


 リリーナの腕の中で、フランの瞳が徐々に光を失っていく。その様子をシオンは憂いさを秘めた瞳で、ただ黙って見つめていた。


「……おやすみ。フラン」


 一瞬、リリーナのその言葉に彼女が笑顔を見せた。

 目を閉じると彼女の白い肌も美しい顔も全てが死者のものへと変貌する。リリーナはただ無言でフランを抱きしめていた。



 血のように赤く染まった空の下。

 エスペランス邸の前で銀色の髪を風になびかせ、リリーナは静かに立っていた。

 その手には、両断され死者と化したフラン・エスペランスの遺体が抱かれている。何事かとその場に駆け寄った衛兵は、あまりの異様な光景に息を呑んだ。

 彼女は、無表情だがどこか悲しみを纏わせたかのような暗い瞳で衛兵へ視線を送ると、彼らの前にその遺体をゆっくりと置く。

 そして、おもむろに口を開いた。


「丁重に埋葬してくれ」


 衛兵の目に飛び込んだそれは、まるでリビングデッドのように死後、時間が経過した死者と化しているエスペランス当主であり、その胴体は切断され無残な姿に変わり果てていた。

 彼らには、リリーナが彼女を殺したと現時点では断定できないだろう。だが、リリーナが死体を持っていること。そして、皆が周知していたほど信頼し合ったフラン・エスペランスが死んでいるのにも関わらず、彼女は冷静で冷たく、それでいて無表情なその状況から、エスペランス当主の死に関与していると判断した衛兵が、疑惑の瞳をリリーナへ向けるのは当然の話であった。


「失礼ですが賢者リリーナ様。城までご同行願えますか?」


 そう口にしその手を彼女に伸ばそうとする。だが、衛兵の動きを制するかのように鋭く強い口調で、リリーナが言葉を発した。


「……私に手を触れるな」


 針で刺すかのように衛兵に突き刺さるその言葉に、まるでムチで打たれたかのように彼らの動きが止まる。まるで落雷にでも当たったかのように一瞬、痙攣した男達に気を留める事無く、彼女の足は大地を踏みしだく。


「城? これから行くよ。宮殿でのさばっている奴に……会いに」


 その瞬間だった。

 リリーナの鋭い感覚が何かを感じたのか突如、その青い瞳を見開く。それは、魔力のうねりだった。彼女のものではない別の人間が使役したであろう火の精霊が揺らぎ、フランの死体へと近づいていく。

 リリーナは彼女の死体へ振り向き叫んだ。


「フラン!」


 リリーナの声とほぼ同時だった。

 突然、巻き起こった火炎によりフランの死体は燃やし尽くされ、黒ずみへと変貌していく。その時、リリーナの背中へ冷酷な声が響き渡った。

 

「……城へ赴く必要などない」


 女の声が聞こえる。それは、間違えようもない。リリーナの声そのものだった。

 リリーナはゆっくりと振り向き、鋭く光る青き瞳をその人物に向ける。


「……火葬はお嫌いか? それとも土葬のほうがよかったのか?」


 リリーナの視線の先に、女が立っていた。彼女と同様に銀色に光り輝くショートボブの髪を風になびかせ、青いサファイアの瞳が自らのものと重なる。

 それは手に杖を持ち、リリーナの着ている賢者のローブに似た純白のローブに身を包んでいた。

 リリーナとまったく同様のその姿に、シオンですら驚愕したのか目を見開いている。対峙する彼女は、口元に不気味な笑みを張り付けた。


「……お前は……誰だ?」


「シルフィリア。お前と同じ名を冠する者」


 彼女の足がトントントンと三回、大地を打つ。

 その瞬間、足元に彼女を包み込むかのように三重にもなる魔法陣「三重トリプル魔力増幅魔法陣ソウルアンプマジックサークル」が浮かび上がった。

 光りが見えたと同時にシオンはその体躯を前へ繰り出す。素早くリリーナへ距離を詰めるとその華奢な体を抱え込み、大地を蹴った。


「……嫌な予感がするんだけど?」


「奇遇だな。私もだ」


 走り出しながらシオンの赤い瞳がシルフィリアと名乗った彼女を見据える。

 その青い瞳に幾重にも重なる魔法構成が文字として浮かび上がり流れていく。それを視界に映したリリーナがシルフィリアの瞳を凝視した。


「……竜言語ドラゴンズロア!?」


 リリーナだけではなかった。シオンもまた彼女の自らの瞳に映るであろうその「外見」に声を張り上げる。


「それだけじゃない。あいつ。死者じゃない。……だ!」


 賢者であるリリーナと同様に竜言語ドラゴンズロアによる脳内詠唱で、魔法構成を超高速で組み上げた彼女のその口元が残忍な笑みを浮かべた。

 それと時を同じくして目の前に魔法陣が浮かび上がり、中心に膨大な熱量が渦を巻き始める。

 彼女達の耳に冷酷な言葉が響き渡った。


「最上位精霊魔法・燃え盛る炎龍<ハイエンドエレメンタルマジック・ブレンネンフラムドラグーン>!」


 凄まじい熱量が迸った。

 火の精霊が凝縮し巨大な炎で形成された龍を生みだす。それは、生を貪る死の使いであるかのように周辺の建物や人物を燃やし尽くしながら、リリーナを抱えて走るシオンに高速で迫った。

 二人の姿は炎龍に飲み込まれ、その凄まじい火力により服は一瞬で燃え尽き、体中の水分が蒸発する。

 炎龍が渦を巻き、生命を燃やし尽くした後、そこに残るのは最早、人であったとしか認知できない黒焦げの物体である。

 

 役目を終えた炎龍が魔法陣へと帰還していく。

 周りを熱量が視界をぼやけさせ、燃えた木や建物が火を吹く中、シルフィリアはゆっくりとその黒焦げの死体へと近づいた。

 彼女の無表情な顔がじっくりと死体を視界に収める。その時、おもむろにシルフィリアは言葉を紡いだ。


「識別<アイデンティファイ>」


 青いサファイアの瞳に小規模な魔法陣が出現する。識別の魔法が知らせるその情報を得ると彼女の口が歪んだ。


「近くにいた人間に偽装フェイクをかけたな。死神は……分裂ディバイトか。本体は瞬間移動テレポーテーションで逃げたか」


 顔を上げるとサファイアの瞳が周囲を一瞥し、その口が短く言葉を発する。


「……エスペランス黒色騎士団はいるか?」


 声が響いたとほぼ同時に影が動いた。それは素早く彼女の元へ音も無く移動すると、全身を黒い鎧で覆った騎士が頭を垂れる。

 エスペランスの領地を守護し、当主であるフラン・エスペランスに付き従う黒色騎士団である。当主の方針を反映してかその者達は、五大領地に専属する騎士団の中でも武術、剣術などの近接戦闘技能に特化した猛者で構成されており、その実力はアフトクラトラス王国の中でも随一を誇った。


「当主の無念。晴らす機会を与える」


「奴らの次の目的地はケントニスの書物庫だ。迎え撃ち必ず仕留めろ。私と見た目が同じでも奴は曲者だ。躊躇するな」


「死神の鎌は物質透過の能力がある。ミゼリコルドの魔法守護者マジックガーディアンも連れていけ」


「御意」


 静かに黒い兜の奥に潜む口がそう言葉を紡ぐと、闇へ溶け込むかのように素早く移動し、その姿は視認できなくなる。

 空は陽が落ち、闇が深くなりつつあった。薄暗くなる最中、シルフィリアは銀色の髪を揺らし、ゆっくりと歩き始める。

 その美しい顔が冷酷に歪んだ。


「……何度、同じことを繰り返そうとこの世界は変わらない」


「せいぜい踊るがいい。滅亡という名の神に操られた人形達よ」


 彼女の体は、闇に閉ざされた中、それと同化するかのように消えていった。



 王都アフトクラトラスを遠くから見つめる二つの目があった。

 それは木にぶら下がり、茫然とした様子で遠くに映る王都を眺めている。足を太い木の枝にぶら下げ、逆さに宙吊りとなったその黒い長い髪が揺れた。


「……ねぇ」


「何?」


「あれ、何?」


「私が聞きたい」


「何であなたの生意気な顔を二つも同時に見ないといけないのよ!?」


「……全くだ。本当に気に入らない」


 木の枝にしがみついているリリーナが、銀色の髪を揺らす。

 普段の彼女には、あまり見られない怒りを露わにし眉間に皺を寄せた表情を浮かべ、小さな拳で木の幹をコツンと叩いた。

 

「あなた。普段、自分の顔を鏡で見た事ないの?」


「鏡なら毎日見てる! こう見えても身だしなみには気を遣っている!」


「私が言ってるのは顔の話じゃない! 奴はあの街中で炎龍フラムドラグーンを撃ったんだぞ! それが何を意味するか知ってるのか?」


 シルフィリアが放った燃え盛る炎龍<ブレンネンフラムドラグーン>は、通過する際に飲み込む全ての物を無差別に燃やし尽くす性質がある。

 つまり、それをあのアフトクラトラスの街中で放ったということは、街の建物や人間が焼失しても問題ないと思っている人間性の欠片もない女なのか、もしくは周りの人間が「死者」だと知っているのかどちらかだ。


「それにあの竜言語ドラゴンズロアは、私独自の詠唱法だ! 本人の許可なしに使用するのは断固、反対! 使用禁止を要求する!」

 

 彼女はそう言い放つと、まるで子供が駄々をこねるかの如くポカポカと木の幹を再び、両手の拳で叩き始めた。それを目にして半分、呆れたと言わんばかりに逆さになったままシオンは、肩をすくめて見せる。


「……あなた。魔法に関しては細かいのね」


「しかし、あなた同様に単独で最上位魔法ハイエンドマジックを使う上に国家の後ろ盾付き。真正面からは厳しいかしらね」


「それで、これからどうするの?」


 彼女のその言葉に冷静さを取り戻したのかリリーナは無表情を顔に張り付けた。そして、少し思案するかのように視線を落とすとおもむろに口を開く。


「まずはケントニスへ向かう。あそこには書物庫があるから」


「間違いなく相手も予測済みだろうけど……罠が張ってあるとわかっても行くしかない」


「了解。それじゃ行きますか」


 シオンはその言葉を合図に、慣れた手つきでするすると木の幹を伝って地表へと降り始めた。

 対するリリーナは浮揚レビテーションにより、ゆっくりと地面へ着地する。漆黒に包まれた森の中、二人の姿は闇へと溶け込んでいった。


「……今日は野宿ね」


「失敗した。フランの家でお風呂に入るべきだった」

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