第6話 アフトクラトラスの慟哭 前編
王都アフトクラトラス。それはこの国の中心地であり、最大の都市でもある。
外敵からの侵入を拒む巨大な城壁に守られた街の中心に白い美しい王宮がそびえ立ち、その王座に国王と賢者が座している。とは言え、この国に宣戦布告をしてきたのは事実上、隣接する武人の国「プロエリウム」のみであり、それも以前、リリーナとの激突において七千以上の軍勢を壊滅させられ、現在は沈黙を続けている。
隣国のプロエリウムは武人の国と形容されるように、戦闘技術において近接戦闘を重視するが、ここアフトクラトラスは魔法文明も発展を遂げていた。
地上の外敵は城壁によりその侵攻を阻まれるが、空襲においては城壁は無意味に等しい。だがアフトクラトラスは空襲の対策も実施されている。この都市を埋め尽くす石畳の下には、巨大な魔法陣が描かれており、各所に点在する魔力を蓄える魔法石で形成されたクリスタルより
地上からも空中からも強固な王都……まさに要塞とも言えるのがここアフトクラトラスなのだ。
石材や煉瓦造りの街並みが続く光景の中、石畳の街道の上をリリーナとシオンを乗せた馬車の馬の蹄が駆ける。目的地は王宮を中央とした北西の方角。そこは五大貴族の一つ「エスペランス」の邸宅が建築されている場所である。
程なく走り、馬車はある建物の前で立ち止まった。煉瓦と木で作られた大きな豪邸である。その庭園には天高くエスペランスの紋章が刺繍された巨大な旗が風になびいていた。リリーナはその旗に一目、視線を送ると馬車を降りる。
リリーナがエスペランス邸を訪れるのは久方ぶりである。だが、その表情には明らかに陰りが見えた。
(この王都も……死者で溢れているのだろうか)
彼女はこの王都に入った直後、シオンへは話しかけなかった。また、シオンも何も言わなかった。
死の世界が止まり、この王都は正常に生者が生きているのか、それとも瘴気を体から放ち、まるで獲物を求めるかの如く彷徨う亡者の群れで溢れているのかリリーナにはわからないことだろう。
確かめる術はある。だが実行しなかった。いや、正確に言えば実行したくなかったのだ。
それはある意味、彼女自身が直観的に、または感覚的に理解しているからなのだろう。ただ、信じたくない故に口に出さず、そう見えないという理由だけで現実から逃げ、結論を虚無の理想で覆い尽くしているだけなのだ。
そして、彼女の後ろに佇むシオンは恐らくそれに気が付いている。シオンは確かめたいのだろう。リリーナがこの世界でどう生き、どう行動するのかを。
リリーナの来宅に気が付いた侍女の一人が慌てて家の中へ入っていく。すると豪邸の中からその人物は笑顔で現れた。
腰まで長い美しい金髪を携え桃色のドレスに身を包んだ美しい女性。そう。リリーナの生き方そのものさえ変えた彼女の友人であるフラン・エスペランス本人である。
フラン・エスペランス。父親の死により十六歳にして五大貴族の一つ「エスペランス」家の当主となった女性である。
見た目は麗しいが実は武闘派でエスペランス家に代々、伝わる双剣「
フランは、自身が十五歳の時、リリーナと出会った。
そして、共にここアフトクラトラスで暮らし始めた時、父親であるトレラント・エスペランスが殺害される。その時、彼女は女王になることを目指し、リリーナは賢者となり彼女を支えることを目指した。
それから父の死とそれに関与した当時の国王で、過去、剣王と言われたヴェルデ。そして、ヴェルデと共に
しかし世界は、唐突に終わりを迎えた。
その生き方さえ変えた彼女の顔がリリーナの目に写る。
フランの見せる笑顔は、リリーナの不安を一瞬で消し飛ばすのに十分だったのだろう。リリーナの陰りが見えたその顔は、みるみる本来の微笑みへと変わっていった。
「久しぶりじゃない。リリーナ。最近は宮殿にいるそうだけど今日はどうしたの?」
彼女より背が高いフランがリリーナの顔を覗き込む。
その美しい顔立ちも長い金髪も、近くに来ると漂う香水の匂いも普段通りのフランそのものだ。
「ちょっと立ち寄っただけだ。たまにはいいかと思って」
「勿論よ。大歓迎……ってか」
突如、フランが眉間にしわを寄せ、リリーナの後ろにいる黒髪の人物に指を差した。
「……なんでてめぇがここにいるんだよ!?」
普段、貴婦人の振る舞いに徹しているが、たまに「素の状態」が出る所もやはりフランそのものである。
実は、彼女は死神と形容されるシオンとも一度、刃を交えている。あのシオンと真正面から剣戟を振るうなど「双剣聖」であるフランくらいしかできないだろう。
指を差されたシオンは、憎まれ口を叩くわけでもなく憂いを秘めたような、それでいて鋭さも秘めた複雑な表情でフランを見据えて黙っていた。
当然、憎まれ口の一つや二つは飛んでくると身構えていたフランも、その予想外であろうシオンの反応に面食らった様子で、追撃の手を緩めてしまう有様である。
「な……なんだよ。随分と静かじゃないか」
「し……死神は今、ちょっと訳があって行動を共にしている。奴に敵意はない。私が保証する」
シオンに食い下がろうとするフランをまるでなだめるかのように、リリーナは笑顔で彼女にそう口を開いた。
リリーナがそう言うなら……とフランは頷くとリリーナへ笑顔を向け、家の中へと入っていく。その後ろ姿を再び陰りが見える表情へ変え、彼女はただ黙って見つめていた。
フランの姿が豪邸の入り口へ消えていったその時、ゆっくりとリリーナの口が動き出す。
「……シオン。彼女はどうなんだ?」
シオンはすぐには答えなかった。
リリーナ本人も死への帰還<リターンデッド>の試行で確かめることはできる。だが、彼女はそれをしなかった。正直、リリーナは自分のその目の前でフランが、リビングデッドへと変貌する瞬間を見たくなかったのだろう。
暫く無言の時間が流れていく。だがその時、静寂を破るかのようにシオンの残酷な言葉が響き渡った。
「……彼女は、もう死んでいる」
冷酷な宣告が下された瞬間、リリーナは地面に膝を折り、その小さな握りこぶしで石畳の大地を叩きつける。小柄な体が悲しみに打ちひしがれているかのように小刻みに震えていた。
「彼女だけじゃない。この王都全て……生者など存在しない。例外なく全ては死者よ」
彼女の言葉が冷酷な余韻を残し響き渡る。
リリーナが抱いていたであろう死の世界の停止という願いは打ち砕かれた。死の世界は王都も浸食し、真の意味で生者として生きているのはシオンとリリーナだけである。
だが、リリーナはその残酷な結末を心のどこかで予期していたのだろう。
シオンのその言葉を耳にしてリリーナの体の震えが突如、停止する。そして、ゆっくり立ち上がるとサファイアの瞳に青白い炎を宿らせ、鋭い声で言い放った。
「……もうこの世界には死者しかいない。そうだな? シオン」
「生存している可能性のあるものは私の知ってる範囲では二つ。一つは『
「それと……この世界にした『張本人』だけか」
彼女のその鋭い声がシオンの言葉を続ける。最早、リリーナは現実から目を背けはしなかった。
この死の世界は、隣国は不明だが少なからずここ「アフトクラトラス」全体を侵している。そこに例外などない。あるとしたら詳細は不明だがシオンの言う「監視者」と言われる存在。もう一つは、この世界を変貌させた張本人。それとリリーナの知識の中にあるだろう「
その時、リリーナは決心したのか鋭く真剣な眼差しで立ち上がる。
「私は決めたよ。シオン」
リリーナは決意を漲らせるかのように青白く光るサファイアの瞳をシオンへ向けた。
死者のみと化したこの退廃的な世界を風が吹き、リリーナのその銀色の髪とシオンの黒髪を揺らす。青いサファイアの瞳と赤いルビーの瞳が重なり混ざり合った。
「私は死者を死に還す。それがこの世界での……私の役目だ」
いずれは滅びるこの世界。生者として生きる死者を死に還すことこそ救いなのではないか。彼女はそう考えたのだろう。
リリーナの言葉を耳にして、シオンは憂いを帯びたその表情を微笑みに変え、彼女を見つめた。
「リリーナ。あなたの時折見せるその冷徹で残酷な顔。……私は大好きよ」
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