第3話 死への帰還
リリーナ・シルフィリアは、別名「銀の賢者」と言われている。
由来はリリーナの持つその美しく光り輝く銀色の髪だ。
賢者とは、この国「アフトクラトラス」において
彼女が賢者になる前は、その地位にいるのが七人でリリーナは八人目になる。しかし……今は彼女しかいない。
それは、七賢者は「
戦争を意図的に誘発させ、生命エネルギーを「生産」し、国内に配置した巨大五芒星により「変換」していた彼らは、それをリリーナによって暴かれ阻止される。
そして、七賢者は全て彼女の手により殺された。何故なら七賢者とは、捨てられていた彼女を拾い育てた親とも言える人物を殺し、故郷を焼いた復讐の対象だったからである。
彼女の行動は、七賢者全員を銀色のナイフで刺し殺すという猟奇的なものだった。だが、その光景を詳しく知るものは、その場に居合わせた死神であるシオンしか知らない。
当然、否定されかねない行動である。リリーナ自身、賢者という地位などいつ失っても構わないものだった。だが、友人であるエスペランス家当主の働きと「魂転換」という禁忌に当たる行為の発覚により、彼女は今でも賢者の地位を維持している。
己の復讐という利己的な行動とは裏腹に、実質、彼女は人為的に行われていた魂の大量入手。つまり、戦争を止め、民の命を救ったことになるのである。
そんな彼女は今、不可解な現象に陥っていた。それは死者が生者のように生き、生活している世界だった。そして、リリーナの青いサファイアの瞳にはそれは生者に見え、シオンの赤いルビーの瞳には死者に見えるのである。
町へ向かう途中、彼女はある実験をしていた。それは、見かけた人間に「死への帰還<リターンデッド>」の魔法をかけるとどういった現象が起きるかである。
「死への帰還<リターンデッド>」とはその名の通り、
そして、歩く人間に「死への帰還」を使用してみたところ……。その人間は、動く死体となり、牙を剥き出しリリーナへ襲いかかった。
「中位精霊魔法・切り裂く風<ミドルランクエレメンタルマジック・ワールウィンド>」
リリーナがそう口にした途端、彼女の手に風が巻き起こった。
それは鋭くまるで金属の刃のように死者の体を突き抜け三等分に切り裂き、その動きを止める。水気を含んだ体がぼとりと地面へ落ち、赤黒い腐った血液がゆっくりと広がっていった。彼女はそれを冷たい瞳で見つめる。
「状況が少し飲み込めた?」
程なくしてその光景を後ろで黙って見ていたシオンが口を開いた。目の前で凄惨な光景が繰り広げられているにも関わらず、その表情には微笑さえ見て取れる。
リリーナは、そんな彼女に視線を移す事無く、言葉を発した。
「憶測だが生者に見える死者は、死への帰還により強制的に自分が死者であることを認識し、動く死体に戻っている」
「つまりここにいる生者に見える死者は、自分が死んでいることを自覚していない。それ故、生者であるかのように生活しているのだろう」
そして、彼女の言葉が意味すること。それは即ち、この現象を起こした『何か』は、一瞬でこの死の世界にしたということになる。それ故、死んだ者達は自分が死んだことを自覚できず、まるで生前となんら変わらない生活を営んでいるのだ。
一瞬で世界を滅ぼす。そんなことが可能なのだろうか。もし可能だとしたらそれができるのは人間ではない。別な何かだ。それこそ神話に語り継がれ、全てを創造したと言われる創生の女神のような人智を超えた存在によるものである。
リリーナは思案するかのように落としていた目線を上げた。
「……もう少し確かめてみる必要がある」
一時間ほど歩いた後、二人の目の前にとある村が見えてきた。
そこはコンフィアンスでリリーナとシオンが目覚めた森から少し離れた位置にある小さな村である。三角屋根の木造の家が立ち並ぶその村の中央にある広場に彼女達は足を踏み入れた。
時間は、陽が燦燦と降り注ぐその様子から昼だろう。中央の広場では村人が行き交い、人々の話す声が耳に入り、どこからか食事をしているのか美味しそうな匂いが漂ってきた。
村人の男達は各々、農具を手にしている。農民の仕事は畑を耕し維持することであり、それが彼らの生きる術であり生活の基盤なのだ。
ざっと見渡して五十人以上は、生活を営んでいるであろう規模の村である。リリーナは、その広場の中央で足を止めた。村人の視線が一斉に見慣れない銀髪の少女に注がれる。彼女はその視線に臆することなく、シオンに話しかけた。
「シオン。お前の目にはどう映る?」
リリーナの青き瞳には、普段通り、広場を行き来する人間の姿にしか映っていないのだろう。その表情は困惑の欠片もなく無表情である。だが、死神であるシオンのその赤い瞳には、先の出来事から恐らく死者に見えているのかも知れない。
シオンは、普段、見せている笑みを消し去り、鋭い瞳でリリーナへ口を開いた。
「例外なく全て……死者よ。ここに生きている生命などいない」
彼女の声が耳に響いた途端、リリーナの足がトンっと地面を打つ。その瞬間、彼女の足元に魔法陣が浮かび上がった。
「
魔力増幅魔法陣は、魔法を行使する際、
シオンが眺める中、リリーナは魔法陣の光に包まれながら鋭い瞳を前に向けた。
「ここの村人が全てそうなのか手っ取り早くわかる方法があるだろ?」
「シオン。戦闘準備をしておけ」
彼女の口がさらに魔法の言葉を奏でた。可愛らしい声に言霊を乗せ、美しい歌声のような詠唱が村人の耳に入る。
だがそれは彼らにとって死を奏でる声であった。
「有効範囲拡大<エフェクティブレンジ・エクステンド>」
リリーナの足元に出現した魔法陣が巨大化し、村全体を覆いつくす。それとほぼ時を同じくして、彼女の唇から村人への死刑宣告が静かに下された。
「死への帰還<リターンデッド>」
その瞬間である。
普段と何も変わらず生きていた村人達が突然、変貌を遂げた。頭を掻きむしり、もがき苦しみ、または天を仰ぎ、その姿が見る見るうちに血の通った生者から血の通わぬ亡者の姿へと変貌を遂げていく。
死者となった村人のその生者への憎悪がこもったかのような光のない瞳が、広場の中央に立つリリーナへ向けられる。歯を剥き出し、爪を掻き立て動く死体は、この場で唯一の生者である彼女とシオンへ襲いかかった。
それとほぼ同時にリリーナの瞳に魔法構成が文字として浮かび上がり、流れていく。そして、再び言葉を紡いだ。
「上位精霊魔法・連鎖爆撃弾<ハイランクエレメンタルマジック・チェインエクスプロージョンボム>」
その瞬間、彼女の周辺に小規模の爆発が連続で発生する。それはリリーナを取り囲むかのように連鎖し、死者達の体を破壊していった。
炎属性の設置型殺傷魔法の「
爆発により死者の体は弾け飛び、体の一部と共に腐った血をまき散らす。そして、残った体は炎により炎上し、リリーナの周辺はバラバラになった死体の一部と焼け焦げた肉体で埋め尽くされた。
その爆発の間隙を縫ってシオンは疾走する。その手に掴まれた大鎌である
爆発が止むと肉の焼ける臭いが漂い始める。もはや動く者は無く、ただ無残な肉の破片となった死者と首や胴体を切り離された死体だけが、村中を覆い尽くした。
その中央で、リリーナは冷徹に無表情で立っている。全ての死者を死へと戻したシオンが、そんな彼女へゆっくりと語り掛けた。
「今、どういう気持ち?」
「……最悪だ。恐らく死の世界はここだけじゃない。もしかしたら……王都も……」
リリーナの脳裏に不安要素が浮かんでいるのか表情に陰りが見える。不安が恐怖を呼ぶのかその綺麗な顔が一瞬、蒼ざめた。
王都にはリリーナが生涯、友として生きていくと誓うほどの存在がいる。彼女はリリーナの生き方さえ変えた。復讐する為に賢者を目指していたリリーナは彼女の存在により、相手を死に至らしめるものではなく、友を支える為に賢者になる、言わば目的そのものを変えた人物なのだ。
この死の世界が王都まで浸食しているのなら、彼女もまた犠牲者となっている可能性がある。それはつまり、彼女の死を意味するのだ。
リリーナが思案するかのように目線を下げているその時、彼女とシオンの耳に響くのは何かを動かした物音である。それは村の入り口に配置されている木造の馬小屋の周辺からだった。
用心深くリリーナはその場所へ足を進める。その時、彼女の視界に映るものは、怯えるように体を震わす年端もいかない少年だった。彼は一人で先の戦闘中、村の外にいて畑の様子を見ており、それ故、「死への帰還」の範囲から外れたのだ。
勿論、リリーナのその瞳には生きている少年に見えていることだろう。だが、彼を視界に収めたシオンの顔は、鋭利な刃物のように鋭く赤い瞳が光り輝いていた。
「銀の賢者。その子は……」
「……知っている。死者なのだろう?」
そう呟きリリーナは自らの手を少年の前に広げた。彼女の瞳が鋭く光り、魔力が収束しその手の中が光り始める。だが、リリーナは突如、手を閉じ彼から目線を逸らした。
「行け」
少年は、彼女の意図を察したのかその足で大地を蹴り、リリーナの元から脇見も振らず走り始める。その瞬間だった。
突然、光り輝いた鋭利な刀身による斬撃が、少年の体を真っ二つに切り裂く。血をまき散らし死者となった少年が崩れ落ちた。それを目のあたりにした彼女の瞳が大きく見開き、冷たい瞳をその少年に向けるシオンへ視線を移す。
「シオン!」
「……余計な情はやめなさい。何故、生かす? 何故、殺さない? どうせ死んでいるのに?」
死神のその言葉に憂いを帯びた表情で視線を地面へと落とすリリーナ。それを見てシオンは、幾度となく亡者を切り裂いた死神の鎌を消し去った。そして、今だ下を向いたままの彼女へとルビーのように赤い瞳を向ける。
リリーナは、そんな彼女に視線を合わせる事無く、力なく言葉を発した。
「……シオン。私はただひたすら死者を死に戻していけばいいと言うのか?」
「その先に何があるんだ?」
「そんなの私に聞かれても困るわ」
シオンはゆっくりとリリーナへと近づいていく。その赤い瞳がうなだれるように地面を見つめる彼女の顔を覗き込んだ。
「ただ言えることは一つだけ。あなたは死者とダンスでも踊るつもりなの? 死者と共に寝泊まりでもするつもりなの?」
「死者は所詮、死者でしかない。生者にはなれない。死者は死に還す。……それだけよ」
「その言葉。忘れないことね。……あなたが正気を保つその為に」
死神はそう口にすると、ゆっくりとリリーナから体を離す。彼女はその言葉を噛みしめるかのようにそのまま動かなかった。
数十分後、建物の中を漁るリリーナの姿がそこにはあった。村人が全滅した村をくまなく調べて回る。その後ろ姿をシオンはじっと見つめていた。
どうやら彼女は、村の中に金目の物があるかどうか捜索しているようだ。農民がいない、もしくは捨て去った農村は事実上、廃村として扱われる。死んでも同様である。盗賊による強襲、戦火による焼失など廃村となる要因はいくらでもある時代だった。
リリーナの場合は、虐殺による廃村とも言えるが襲われて命の危険を察知した故に反撃した結果であり、仮に目撃されたとしても罪には問われない。それに「死への帰還」の魔法は、生きている人間に対して行使しても全く無意味であり、本来なら敵対行動とはみなされないのである。
「突然、動き出したかと思ったら今度は盗賊? 銀の賢者ともあろう者が物品漁るとかどうなの?」
「王都に行けば私の金庫がある。だがそこまでの駄賃はない」
「どうせ死者に金目の物など不要だ」
タンスの中などを漁り、手にするものを仕分けながら彼女は言葉を続けた。
リリーナによって不要と判断された品物が、シオンの目の前で弧を描き地面へと投げられていく。シオンは、その様子を口元にいつもの微笑みを貼りつかせ眺めていた。そんなシオンにリリーナは、物品を漁りながら口を開く。
「立ってないで手伝え。シオン」
その後、大き目の皮袋に金目の物を詰め込み、村に放置されている馬車に乗り込むとリリーナはその村を後にする。
彼女の目は、前に広がる光景ではなく、別な何かを見ているのか一点を見据え動かない。
リリーナにはどうしても確かめたいことがあったのだろう。王都へ向かう主な理由はそれなのだから。例え結末が最悪の形であったとしても彼女は知らねばならなかった。
(フラン。君は死者なのか? それとも生きているのか?)
リリーナは沸き上がる不安を払いのけるかのように首を振る。そして、馬に繋がった手綱を握りしめた。
この死の世界が王都まで浸食しているのかどうかは現時点ではわからない。一部地域のみの現象であることが彼女の理想だろう。
だが、それはただの願望に過ぎないのかも知れない。そして、もし友が死者となっているのならリリーナは決断を問われることになる。
シオンの言葉を借りれば死者は所詮、死者でしかないからだ。
リリーナは青い瞳で荷台に座るシオンを一瞥し、前を見つめる。
この旅路の先にあるものが例え「死」しかあり得ないとしても、今はただ前へ進むしかないのだから。
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