第2話 青い瞳と赤い瞳

 深緑の森を女神の恵みとも言える陽の光が照らしだしていた。

 人気のない木々の隙間に光の帯は入り込み、幻想的な光景を生みだしている。その奥にそれはひっそりと佇んでいた。石造りの建物の奥に眠るのは、一人の少女である。

 彼女の体は全身をうっすらと青い水晶に覆われていた。外部からの打撃、斬撃も通じず、魔法ですら破壊できない特殊なクリスタルである。それは彼女の体を守るように全身を覆い、巨大な木の枝がクリスタル全体を巧妙に隠していた。

 その中で、目覚めの時を少女は待ち続ける。




 リリーナ・シルフィリアはゆっくりとその目を開けた。

 美しい顔立ちに組み込まれたその瞳は海のように青く、サファイアのように輝いている。彼女を彩る綺麗に整えられたショートボブの髪は、美しい銀色に染まっていた。白ではない。光を浴びると輝く銀色である。それは、リリーナを「銀の賢者」と形容するほど、彼女を特徴づけるものだった。

 また、リリーナを着飾る服装は純白と青を基調とした美しいローブである。全身をゆったりと覆う一般的なそれとは違い、彼女が着ているローブは女性の体のラインに合わせ密着したものであり、腰元からローブの裾まで二股に分かれている。それは「賢者のローブ」と呼ばれ、世界でも彼女を含め八人しかいない「賢者」に寄与されるものである。

 世界に一人しかいない銀色の髪。最年少にして魔法使用者の最高峰とされる賢者となったリリーナは、その存在がこの世界において他の人間とは一線を画す特別なものであり、神話に登場する「創生の女神」に酷似した外見的特徴から、女神の現身とも言われていた。

 

 リリーナは、目覚めたばかりの虚ろな瞳のまま、その160センチメートルにも満たない小柄な体を動かそうとしたのか小刻みに震える。

 だが、その体はピクリとも動かない。

 時間が経つにつれ、彼女の瞳が光を取り戻した。

 うっすらと青みがかった半透明の水晶内部で、リリーナはゆっくりと深呼吸をする。少しずつその体が生命の息吹を戻しつつあるかのように、彼女の白く美しい肌をほんのりと朱色に染めた。

 リリーナは、目を閉じるとゆっくりとその小さな口が言葉を紡ぐ。


「解放<リベレーション>」


 その瞬間、クリスタルが音も無く割れ、それはまるでその存在が幻であったかのように空中に霧散し消滅していく。彼女は、それを目で追い確認すると美しく光り輝く銀色の髪を揺らし、ゆっくりとその体を起こした。

 立ち上がると、実年齢が十八歳とは見えないあどけなさの残る顔を左右に振り、周りの状況へ視線を移す。

 そのパッチリとした可愛らしい瞳の先に映るものは遺跡だった。光が差し込まない薄暗い石で造られた玄室のようにも見て取れる。長い間、何も手入れされていないのかカビの臭いが漂う。ヒカリゴケによるエメラルド色に放つ光りが室内をぼんやりと照らした。


 彼女は、冷静に今、自分の身に起きている現象を分析しているのか中空を見つめ、細く白い指を顎の下へと当てる。

 リリーナがクリスタルに覆われる直前の出来事と言えば、とある女と戦闘状態にあったことだ。そこから時間感覚が消失し、彼女が目を覚ますとクリスタルの中で、遺跡に生えた木に横たわっていたのである。

 リリーナにしてみたらまるで、彼女という存在そのものが一時的にこの世界から抹消され、今、この時に再構築されたかのような感覚だったことだろう。

 

 リリーナは、思案するかのように落としていた目線を上げた。その瞬間、彼女の視界に突如、上から黒髪が垂れ下がる。

 逆さに宙吊りになったその美しい顔は、血のように赤い瞳をリリーナに向け、不気味に微笑んだ。


「やっとお目覚め? 銀の賢者?」


 青き瞳と彼女の目線が重なったその瞬間、リリーナの瞳に文字のようなものが浮かび上がり、高速で流れていく。

 彼女のその口が短く言葉を紡いだ。それと時を同じくして宙吊りになった黒髪の人物を中心に、小規模の爆発が発生し玄室を揺らす。

 黒い煙で視界が遮られる中、美しく長い黒髪を揺らし、部屋を覆う黒煙を切り裂くかのように人影が飛び出した。

 

「……お前は、人を驚かす趣味でもあるのか? 死神」


 死神と呼ばれたそれは、長い黒髪を揺らし地面へ着地する。

 女だった。リリーナよりずっと背が高く、完璧な女性の体を携えた彼女は、リリーナのその言葉に微笑みで返した。


「いきなり魔法とかどういう神経? ちょっと人の話を聞いたらどう?」


「お前と戦闘状態にある中、呑気に話を聞く馬鹿がどこにいる?」


 追撃の手を緩める事無く、リリーナは自らの左手に風の力を収束させる。再び彼女の瞳に、魔法構成が文字となって浮かび上がった。注ぎ込まれた魔力が手に渦を巻く風の力を凝縮させ、眩しい光を放つ雷球へと姿を変貌させる。

 対峙する死神は、その光にたじろぐことなく、ため息をつくと大袈裟に両手を広げてみせた。


「今のこの状況を知るほうが必要なんじゃないの?」


「お前を殺した後、ゆっくり考察する」


 リリーナの瞳が冷酷な光を発する。彼女の左手に生み出された雷球が死神へ目がけて炸裂……しなかった。

 魔法名を告げる事無く、未完成となった魔法構成は消え去り、雷球は空気中に霧散して消え去る。


「……冗談だ」


「確かに今は状況確認が優先だ。戦闘している場合じゃないな。死神」


 戦闘状態を解いたリリーナを彼女はその目で確認すると、死神は美しい顔に笑みを浮かべゆっくりと近づいていった。

 

「死神じゃなく名前で呼んでくれないかしら?」


「そうだな。……シオン」


 彼女の名は「シオン・デスサイズ」という。先述した通り、生を貪り死をまき散らす「死神」だ。

 リリーナとは何もかも正反対の風貌を持つ美女である。小柄な彼女とは違い背が高く、お世辞にも魅力的とは言えない彼女の体とは違い、美しく女性らしいシオンの体は色気に満ちていた。

 服装も純白と青を基調とした首から下をすっぽりと覆う賢者のローブを身に纏っているリリーナと正反対で、赤と黒を基調としたショートドレスに似た服装で短めのスカートが揺れている。その美しい脚を太ももから黒の薄手の生地が覆い、ブーツも白のロングブーツを履いている彼女とは違い、黒のロングブーツである。

 またリリーナのその髪は、光り輝く銀色でショートボブの髪型であるのに対し、シオンは美しい黒のロングヘアーである。そして、常に無表情な彼女と違い、シオンは常に微笑み表情も豊かだった。


 その何もかもが正反対の彼女達は、行動も全く違う。実はこの二人。リリーナが目を覚めるまで敵同士だったのである。つまり、相手を殺すつもりで対峙していたのだ。

 リリーナの魔法攻撃をシオンはその再生能力で修復し、シオンの死神の鎌による斬撃をリリーナは魔法障壁ではじき返す。その戦闘が繰り広げられている最中、「それ」は起きたのだ。


「あなた……。何が起きたか理解できる?」


 シオンの表情に敵意は見られない。 

 本来なら戦うべき相手を前にして、戦闘態勢に入らない理由は明確だった。彼女の発言から恐らくこの死神もリリーナと同様に「直前の記憶がない」からである。現在の状況がわからない以上、敵対行動は無意味だった。

 リリーナは、そのサファイアの瞳をシオンのルビーのように赤い瞳に重ね、ゆっくりと口を開く。


「……正直、わからない。お前はどうなっていた?」


「クリスタルに覆われて寝ていたわ。あなたの解放リベレーションでクリスタルが消えて動けたのよ。意識はもうとっくに戻っていたんだけどね」


 彼女もクリスタルに覆われていた。

 あのクリスタルが何の魔法によるものなのか賢者であるリリーナですら首を傾げる状態である。当然、自然にできるものではなく、外的要因によるものなのは確かだ。つまり、「何者かがその魔法を行使した」ということになる。


「ねぇ。銀の賢者。提案があるんだけど?」


 おもむろにシオンが口を開く。

 彼女が何を言おうとしているのか、自身の脳裏にその言葉がすでに浮かんでいるのかリリーナは、彼女が言い終わらぬうちに首を縦に振った。


「停戦だろ? 確かにその判断は正しい」


「その通り。察しがよくて助かるわ。銀の賢者」


「今、私達が置かれている状況が理解できない以上、殺し合いは無意味ね。それで、これからどうするつもり?」


「とりあえずここを出る」


 薄暗い玄室の中、リリーナはそう口にすると扉が見える入り口へと足を動かす。その扉は瓦礫で塞がっているのか、もしくはそもそも開かない構造なのか、彼女の非力な細腕ではびくともしない。

 扉から手を離し、呼吸を整えるとリリーナの手が扉へゆっくりと近づく。その瞬間、彼女の手の中に光が渦を巻いた。


「上位神聖魔法・光の衝撃<ハイランクホーリーマジック・リヒトインパクト>」


 玄室の入り口の空間が湾曲したかと思うと激しい光を生みだし爆発を起こした。その際、発生した衝撃が玄室を揺らす。その揺れで埃が舞い、玄室の天井から小さな石の破片が降ってきた。

 光の精霊の力を収束し、中規模の爆発を起こす上位魔法が「リヒト衝撃インパクト」である。

 元々はアンデッドを浄化する神聖魔法に該当するものだが、その爆発は物理的威力も兼ね備えている為、瓦礫を吹き飛ばしたり閉じ込められた際の脱出ルート作成にも利用できる魔法であった。


「ちょっと。髪が汚れるじゃない」


 シオンが不機嫌そうに眉根を寄せ声を上げる。

 リリーナの目の前には、彼女が使役する光の精霊によって誘発された爆発により扉が吹き飛び、ぽっかりと大きな穴が開いていた。

 従来の前方広範囲の爆発だと玄室が崩れる可能性もあった為、彼女は爆発の範囲を制御し、横方向ではなく縦方向へ威力を収束していた結果である。

 自らを覆う魔法障壁で、汚れ一つ付かない美しい純白のローブを揺らしリリーナは、その穴へと身を通す。シオンもそれに続いた。

 玄室を抜けると遺跡と思われる通路が広がり、その先に出口が開いている。そしてそこを抜けた二人の視界に広がっているもの。それは、緑が生い茂り木々が立ち並ぶ森の中だった。

 シオンはその光景にどこか見覚えがあるのか、落ち着いた表情へと変わり、口元をほころばす。

 

「ここ……私とあなたが最初に出会った森ね」


 当時、リリーナは十四歳だった。

 国王ヴェルデから命を受け、王宮魔術師になるべくこの森に潜む死神シオンを討伐するため、彼女はこの森へ赴いていた。そこでリリーナは、シオンからこの国に根付く闇の存在を知ることになる。そして、シオンも目の前に現れた銀色の髪にサファイアの瞳という神話に登場する創生の女神と瓜二つのリリーナへ興味を持ったのか協力を提案したのだった。

 恐らく口には出さないもののリリーナにとってもここは、忘れられない場所なのかも知れない。


「二人が出会った場所にいるなんて素敵だと思わない?」


「思わない」


 きっぱりとした口調で視線を合わせる事無くリリーナは、シオンのその発言を跳ねのける。そして周囲を見渡した。

 目の前の光景に彼女も見覚えがあるのか、ゆっくりと頷いて見せる。


「……ということはここはコンフィアンス領か」


「そういうことになるわね」


 王都アフトクラトラスを中心とする五つに分かれた貴族の領地。即ち、「エスペランス」「ミゼリコルド」「コンフィアンス」「シュトルツ」「アイディール」の土地の内、彼女達はコンフィアンスにいるようだ。

 何故なら、王より討伐の命を受けた際、死神と遭遇した場所がここコンフィアンスだからである。


「とりあえずこの森を抜けよう。町を見つけたらそこで情報を集めるべきだ」


 森を歩いて抜けるとそこは草原が広がっていた。心地よい風がリリーナの銀の髪を揺らす。普段と何一つ変わらない世界がそこにはあった。

 周囲を見渡すと、一人の男が森に沿って続いている道を歩いている。その人物に視線を移し、リリーナが呟いた。


「あそこを歩いている人に話を聞いてみる」


 そう口にし歩き出そうとした瞬間、シオンがゆっくりではあるものの不気味な言葉を発した。


「あなた……あれがの?」


 彼女のその言葉にリリーナは怪訝な表情を浮かべる。

 リリーナにはシオンのその言葉の意味が理解できないのか眉間にしわが寄っていた。目の前を歩くその人物はどこから見てもただの旅人である。

 

「お前は何を言っている? どう見ても人間だぞ?」


「……そう」


 常に笑みを張り付けているその顔を珍しく険しいものに変え、シオンがゆっくりと右手を前に差し出す。

 彼女の口が静かに言葉を紡いだ。


「中位死霊武器・死者の叫び召喚<ミドルランクファントムウェポン・ザ・デッドオブバンシーサモニング>」


 その言葉とほぼ時を同じくして、彼女の差し出した右手に、妖艶な光を放つ巨大な刀身を持つ死神の鎌が具現化する。

 シオンはそれを上段に構えた。


「……お前。何を?」


 その瞬間、刀身が空間を裂く。刃が生み出す光の軌跡が斬撃となって飛び、目の前を歩く旅人の首を胴体から切り離した。

 首を失った体がゆっくりと崩れ落ちる。それを目のあたりにしてリリーナが声を張り上げた。


「何故、殺す!?」


「たかだかゴミ一匹殺したくらいで騒がないでよ」


 シオンは冷酷な言葉を口にしながら、首を切り離され横たわる死体へと足を進める。リリーナはそれを鋭い瞳で見据えた。


「お前とはやはり相いれないな」


「当然でしょ? 私とあなたは水と油のようなものよ」


 視線を彼女に合わせる事無く、シオンが死体の元へとたどり着くとその首を左手で持ちあげた。そして、毛髪を掴んだ首をぶら下げ、シオンはそれをリリーナの視界に映す。

 その時、彼女は驚愕したのか目を見開き、体を硬直させた。


「お前……?」


「何ってさっきあなたがといった男の生首よ」


「嘘をつけ!」


 リリーナの瞳の先には、信じられないであろう光景が広がっていた。

 シオンが先程、切り落とし掴んでいる首は、人間のそれではなかった。そこにあるもの。それは、すでに死んで日数が経過している血の気が全くない死者の首だったのである。


「お前が死霊魔法で……」


「私があなたを騙して何の得をするの?」


 そう言い放ち、シオンは血の気のない首を放り投げる。彼女の発言は正しかった。ここでリリーナを騙した所でシオンが得るものなどないのである。

 それに妙な状況だった。彼女が首を切り落とした際、本来なら頸動脈を切り裂かれ鮮血が噴き出すはずだ。だが先程の斬撃においてそれは見られなかった。せいぜい飛び散り流れ出る程度である。何故なら元々、「血など通っていなかった」からだ。

 つまりリリーナは、「リビング死体デッド」を「人間」と認識していたことになる。理由はわからないがその対象が死ぬと「本来の形である死者」に見えるのだ。


 リリーナは視線を下に落とし、その右手で顔を覆う。

 目が覚める前とは何もかも違う世界。何故、リビングデッドが生者のように生きているのか。そして、恐らく先程の発言からシオンには死者に見えているのだろう。


「シオン。……この世界はどうなっている?」


「死者が生者の真似事をしている世界。そして、あなたには生者に見え、私には死者に見える」


「こいつだけなのか? ……それともこの世界、全てがそうなのか?」

 

 リリーナの青い瞳には生者に見え、シオンの赤い瞳には死者に見える。だがどちらが正しい世界を見ているのか、現時点で二人には確認のしようがない。それにこの現象がこの場所だけで起きているのか、コンフィアンス領のみなのかもわからないのである。あるいは世界全てが死者の世界に変貌している可能性すらあるのだ。

 リリーナは顔を覆う手を下げると、そのサファイアの瞳を前に向ける。先程までの暗い表情はそこにはなく、決意に満ちたかのように瞳が輝いていた。


「……確かめる。この世界を」


 彼女はそう口にすると前に歩み始める。シオンはそれを見て、手にする死者の叫びを肩に乗せ、歩くリリーナの後ろを付き従い始めた。

 そのルビーの瞳には、憂いさが見て取れる。シオンはゆっくりと言葉を紡いだ。


「世界を確かめるというなら私はついていきましょう」


「ただし、もしあなたが死者を生者と思い込み、共に生きるというのなら……私があなたのその首。切り落としてあげるわ」


 もし死者のみとなったとしたらこの世界で、彼女達は何を見るのだろうか。

 それは希望の青い光なのか? それとも絶望の赤い光なのか?

 今はまだそれを知らない。

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