第6話 あたしの願い

 例え作られた世界でも、創造主のように創った者の意志と、選ばれた者の意志が合えばそれは正となる。この場合、現実世界に残された肉体は眠りについたまま。例え朽ちたとしても魂は意識の中で生き続ける。それは『導きの栞』に込められた魂のように。

 微かに聞こえる呼吸する音。重なる腕から伝わる体温。舞踏会へ向かうためにフェアリーゴットマザーが施してくれた甘い香り。そして恋した人の姿。すべてが今目の前に、として存在している。そして残された接吻キス


「エクス…今更だけど…私、あなたと一緒にいたいの」


 運命の書に記された希望と幸せに満ちた未来を知っていても、耐えがたい日々の生活が限界に感じた時にいつもシンデレラは一人で森へ駆け出し、誰ともいわず目の前にあるものに弱弱しく語りかける。エクスは何度か森へ駆け出す彼女を追って後ろから声をかけたことがある。そして毎度「なんでもないわ」と先ほどまで泣いていただろう顔を消し、気丈に笑顔を作る彼女を見てきた。それほど強い少女が、自分にしがみつくように願いを述べる。


「シンデレラ。でも、王子様はいいの?」


 自分でもなぜこうまで自分を好いている者へ二つ返事で返せないのか呆れながら、疑問に思うことは聞いておかなければという一種の使命感で言った。


「ここはね、もはや栞の中なのよ。王子様なんていないわ。いたとしても私があなたを思う気持ちに嘘はないの。あの時は自分の運命に従ってしまったけれど、今はもう自由の身。いいえ…英雄ヒーローという栞に縛られた存在。だけど、こうしてまたあなたに会えたのは運命かもしれない。私は今でも心ときめく未来を夢見ているのよ」


 導きの栞に肉体はなく、自己紹介のように短くまとめられた物語と魂が込められているのみ。栞の中では物語を全うする行動も思いも放棄できる。ならば、できることであれば、あの時できなかったことを夢見てもそれは自由ではないのか、と。


「…そんな…」


 エクスは今まで導きの栞に宿る者たちがどんなふうに存在しているのか考えてもみなかったことを後悔した。すべての者がそんな風に思っているわけでないとしても、目の前のシンデレラのように空白の書を通して何かを成し遂げたいと思っている者もいるのかもしれない。

 しかし。と、エクスは心に突き刺さる痛みを、さらに心に押し付けるように目の前の少女を見つめる。”シンデレラ”と位置づけられた少女は今や―――


「ごめん。僕も君と一緒にいられるのであればそうしたかった。あの時に」


 エクスは優しく囚われた腕を優しくほどき、シンデレラの両の手を自分のそれで包んだ。


「この温かさは本物だけど、でも、今はもう過去ではないから…。僕は君を置いて今を生きているんだ」


 心臓の鼓動が激しく波打つたびに、心の棘は深く刺さる。エクスはシンデレラとの繋がりを再び断とうとしている。ここで終わりのない甘い幸せな時間を過ごすこともできる。しかし、自分にはやることがある。


「…どうしても?また私を置いていくの?」


 シンデレラの瞳から涙がこぼれる。先ほどのカオスシンデレラの涙ではない、本物の彼女の涙が。


「…あの時、君を置いて行ったことを、それで良かったんだってことに後悔したくないんだよ。君のこと、忘れたことなんてない。…むしろ所々でまだ惑わされているくらいだから相当僕は君が好きでどうしようもなく未練たらしなんだ」


 自傷気味に笑うエクスに、シンデレラも涙を引っ込め目を丸くした。


「ぷ、フフフフフ。ああ馬鹿みたいね。だから苛めがいがあるというものだわ」

「カオスシンデレラ…君がそんなに笑わなくても…と、とにかく、僕は今を選んだ責任を全うしたい。この後悔が後悔である方が、僕はあの時の君に胸を張って生きているという証明になると思ってる。…もしくは王子様になれなかった罪の枷として生きていきたい」


 だから、一緒にはいられないんだ。


 エクスは世の王子様のようにひざまずくことはせず、対等に、友情を内に込めるようにシンデレラの手の甲にキスを落とした。


「…そういうと、分かっていたわ。よかった。本当に」


 それは嘘だ。と、エクスは思った。なぜならばシンデレラは気丈に笑顔を作っていたから。それでもエクスはシンデレラに声をかけるのをやめた。


「作戦は失敗ね。男は移り気。私たちは私たちで愉しくやりましょう」

「ええ。…でもあなたとはやっぱり気は合わないわ」


 クスクスと笑うカオスシンデレラの言葉に、シンデレラは溜息を吐くように呟くとエクスの手から離れた。


「こんなことをしてごめんなさいね。あなたとまたこうして話せたのはとてもうれしかったわ」


 ドレスの裾を少し持ち上げ、片足を引き、優雅に礼をする。その姿はエクスの知らないシンデレラ。王子様に見初められた後のシンデレラ。


「僕も…ありがとう。シンデレラ」


 エクスも最大限の礼を尽くして礼をする。その時足元から闇が染み出し、シンデレラが造り上げた世界が消えていく。ハッとして顔を上げたが、目の前もすべて闇に浸食され、一瞬見えたのは、シンデレラの泣き笑い顔。


――ありがとう。さようなら。愛しき人。



―――――


「っ!」

 

 弾かれる様に意識が鮮明になり、瞼が開く。目の前に映るのは木の丸太を梁にした天井。


「!起きたか」


 少し上の方で声がしたのでそちらを見やると、眼鏡をかけた青年が自分を見下ろしている。


「クロヴィス…あれ?ここは?」


 見知った顔だったので安心して体を起こすと、自分はベッドに寝かされていたのだと確認が取れた。


「あなたが倒れたのであの魔女が街へ引き返そうと、そう言うことだ。原因も分からないし、道中起きることもなかった。どこか痛むところはあるのか?」


 いいや、とエクスはかぶりを振ると、クロヴィスも安心したように微かに笑った。


「心配かけてごめん。自分でもよく分からないんだけど…そう言えばみんなは?」


 辺りを見回すと自分が寝ているベッドと小さい机とイスが置いてあるのみで、一人部屋を借りたことは理解できた。そして自分とクロヴィスしかいない。


「ああ。エクスは俺が見ると言ったら、みな買い物に出ていった。魔女はほら、あそこで……ん?寝ているな…」


 この想区に着いた時に少し立ち寄ったこの街は意外と広く、先を急がないのであれば確かにゆっくり見物してもいい綺麗な町並みである。積極的に看病を買って出たクロヴィスに遠慮したのか、他の者はそれぞれに興味のある所に行ったらしい。しかしファムだけは宿と小川の間にある程よい木の木陰で読書をしていたらしく、今は閉じられた本を膝に乗せ帽子を目深に被りまさしく居眠りをしているようだった。


「ちょっとファムと話してくる」


 エクスはうたた寝するファムを見て、から醒めても内包する胸の痛みに導かれるようにベッドを降り、ファムのいる外へと駆け出した。



ーーーーーーー


「あら、やっと来たわ」

「遅かったのね」


 それは野外に設置された豪華なテーブルと、椅子。テーブルの上には豪華なティーカップと甘い菓子が並べられたティースタンド。優雅にお茶を啜るのは同じ声色の全く別人。青い髪はドナウ川のように長く、瞳は空の青と夕焼けの紅。


「いつから英国式になったのさ。さては気違いのお茶会マッドティーパーティ?」


 同じく青髪、碧眼の、ただし髪は短く切り揃えた女性は目の前の淑女たちに呆れた言葉をかけた。


「あ、分かった分かった!女子会っていう名の反省会って訳だ」

「相変わらずの減らず口ね」

「はいファムの分よ。どうぞ」


 紅色の瞳を細めて、カオスシンデレラはクッキーを一枚かじる。ファムの言葉に反抗する気もないシンデレラは芳しい香りを放つ温かな紅茶を空のカップに注ぐ。ファムは始めから用意してあった席に着き紅茶を一口、サンドイッチに手を伸ばしながら、今日が初めてではない二人を交互に見やって重たい息を吐いた。


「余計なことをしてくれたもんだねぇ。まさかあたし以外にこんなことするなんて。キミタチ何考えてる?まさか本当にエクスくんを誘惑できると思っていたわけ?」


 その問にシンデレラはいいえと首を横に振った。


「……エクスが想区を出た時からもう答えは知っていたから。ただちょっと話したくなっちゃっただけ」


 未練がましいのは自分の方。諦めはついても、つい声をかけたくなる。そして、いつまでも見守っていたい。それが、シンデレラの願い。


「強がってる貴女は苛めがいが全くないわ…」


 つまらなそうにカオスシンデレラがが溜め息を吐くと、シンデレラも負けじと言い返す。


「貴女だって、本当はあんな人を求めていたじゃないの。平凡でも確かな幸せをくれる人を」


 継母や義姉のいじめよりも酷い城での仕打ちは、ただただ平凡な、当たり前の幸せを熱望させる。夢を、みたかった。それが、カオスシンデレラの願い。


「平凡!あはははは!あー少年はそんなポジションだね。誰にも代えられない」


 ファムは腹を抱え笑った。そして、自分をちらりと見るシンデレラの視線を無視して、舌に残る胡瓜の余韻を消し去るように紅茶をもう一口。


「「ファム…」」


 シンデレラとカオスシンデレラが同時にファムの名を唱え、次の言葉を発しようとしたがファムがそれを制した。


「お姫様にちゃんとなれた人たち。何度も言うけどあたしはただの魔女ですよ。あたしはの意志で行動し、運命から逃げもした。でも後悔なんてしていない。まして、たらればな願いもしないよ。“シンデレラ”というモノが時にエラやロードピス、サンドリヨン、ゼゾッラと言う名であって、私がファムという名であることに不思議も何もない」


 さて、とファムは席を立つ。シンデレラたちは諦めにも似た笑顔を向ける。ファムがらしい。お別れの時間だ。


「あたしはファムなの。“シンデレラ”じゃない。でもまたお茶でも飲みましょ。本日もお招き頂きありがとうございましたっと。じゃーねー!」


 ファムはシンデレラたちに背を向ける。振り向くことはしない。振り向けば彼女たちの新しい願いを押し付けられてしまうから。

 そしてファムは一歩踏み出した。



ーーーーーーーーーーー


「……ァム?ファム起きて」


 優しく揺すられて意識が目醒める。目の前に青緑色の髪が揺れて見える。


「………ふぁーあ。あ、エクスくん、やっと起きたか~!よかったよかった」


 自分でも何とも間抜けな芝居だと思ったがエクスにはバレていないようで。しかし、エクスの赤葡萄のような深い色の瞳が今は眩しく映り、ファムは避けるように笑顔を作って帽子を浅く被り直した。


「で、どうしたの?」

「いや…別に特別な用は無いんだけど…みんないないし、クロヴィスとは話したからファムにも心配かけてごめんって言おうと思ってさ」


 エクスは自分から話しかけたのに気まずそうに視線を逸らしながら言った。そのどうしようもなく滑稽な姿にファムはつい吹き出してしまった。


「無理しなくてもいいんだよ。本当に君は向こう見ずな律儀さんだね」

「…………なんだか、さっきから笑われてばっかりな気がする。僕ってそんなキャラなのかな?」


 はぁ、とエクスは眉尻を下げながら自分を笑った。


「ニシシ。それが君という人間だから大丈夫さ。そう…君の代わりなんていない。だから胸を張って君が選んだ今を生きればいいんだよ」


 よいしょとファムは膝の上の本を小脇に抱え、背もたれにしていた木をバネに立ち上がる。無意識に先ほどのシンデレラと繋がっていた記憶が口から出てしまったことにも気づかず寝起きの伸びをして宿の方へ歩き出す。


「…え?ちょっと待って…それって…」


 エクスがファムを呼び止める。ファムは気づかないまま、それでもエクスにその先を言わせないよう言い放った。



「あたしはねぇ、自分の足で自分が見つけたいものを、自分の目で見るために生きているの。せっかく運命の書なんてものに囚われていないんだから。お姫様や君たちに会えたこの時間を大切にしなきゃバチが当たるよ」


 ニシシと、またファムが笑う。

 エクスはそれ以上の言葉を飲み込んだ。そしてファムの後ろ姿を追う。




「……よし!みんなが戻ってきたら出発しよう」

「遅れた分は最前線で頑張るってことでよろしく頼むよ」


 駆け寄ってきたエクスの肩をファムは小突きを入れ再び歩き出す。

 この感触が『今』なんだ。


 私たちは誰かの願いを叶えるほど大それた存在ではない。自分の願いすら満足に叶えられないちっぽけな存在。

 だけど、近づいたり離れたり、時を積み重ねること。それが生きていくということ。そしてそれを大切な人たちと全うすること。


 それが、あたしの願い。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

私と私とあたしの… Jami @harujami

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ