九章:冷静ノ目醒メ

※◇31.希望の赤と絶望の青


 真也しんやは引き続き、梨紗りさと共に殺風景な一室で時を過ごしていた。梨紗はまだ意識を取り戻さない。


「あ、そっか……Cコール出来ないんだったーん」


 誠也せいやわたるに状況を聞こうとACアダプロクロックに手をかけたが、Cの機能が遮断されてしまっていることを思い出し、額に左手をペチンと押しつけた。


「そうだ、この部屋にも何かないかな」


 真也は座っていたベッドから立ち、部屋をうろつき始める。縦長の古びた収納棚の扉を開くと、勢いよくあるものが転がり出してきた。


「うわっ! びっくりしたー! モップ?」


 掃除用のモップ。現世のそれとは多少異なる雰囲気をしているが、そう断定出来るフォルムであることには違いない。棚の中を覗くと、いびつなかたちのバケツもある。


「ふーん。宮殿をお掃除する担当の人の部屋だったのかなあ……ん?」


 モップを収め直し、棚の扉を閉めかけた真也は気がついた。上段に一枚の小さなサイズの画用紙があることに。


 棚の扉を閉め、画用紙に描かれている一見写真だと勘違いしてしまうほど上手い絵に視線を落とす。


「おっ、え?」


 思わず変な声が出た。黄ばみ煤けている画用紙であるが、描かれているそれが何であるかは、はっきりと理解が出来る。


「リー? と、誰これ」


 真也のひとみに映るは梨紗とそっくりな笑顔の女性。白いシャツに黄色のエプロン、頭には今で言うキャスケット風の薄黄色の帽子を被っている。そこまではよしとして、疑問であるのは隣に描かれている男性だ。見覚えのない濃いめの顔、高くない背丈のわりにガタイがよくそれなりに肉もついている。着用しているのは今で言うスーツのような正装だ。


「彼氏? セフレ? ……いや、まさかね。あんま格好よくないし」

「……ん……」


 失礼極りないことをポロポロ呟く真也の背後で梨紗の口元から小さな声が漏れた。真也はその絵画を無意識に床へひらりと落とし、梨紗の傍へただちに駆け寄った。


「リー! 大丈夫!?」


 目を開けぬまま苦しそうに両手を伸ばしてきた梨紗の身体を真也は抱き上げてやる。すると、梨紗は両腕を真也の首元に巻きつけ、抱きつくように凭れてきた。


 梨紗の背中を擦ってやっているうちに感じた左肩の温度の上昇。そこに押しつけられている梨紗の目から滲みだした温かいもののせいだ。真也が声をかけようとした刹那。


「たす……けて……」


 普段の梨紗からは想像出来ない弱々しい声。


「ワタル……たすけて……もう……ころして……」


 全ての言葉は呑み込まれた。真也はひたすらに梨紗の背中を擦り続ける。規則的になり始めた梨紗の息。今度は意識を失ったわけではなく、眠ってしまったようだ。


 ガタッ、と急なもの音に真也は肩を揺らした。扉のほうへ視線を向けるとそこには呼吸を荒げている誠也の姿があった。


「あ」


 よろしくない状態に、真也は短く声を上げる。誠也の叫びが響き渡ったのは言うまでもない。


「シン! こんな時に一体何考えてんの! ハレンチ!」

「待って待っておにーちゃん! 違うんだよ! ちゃんとわけがあるから」

「もういいや、それどころじゃない。あー、何から説明したらいいのかっ……」


 誠也はその場に倒れるように座り込んでしまった。梨紗をベッドに再度横たわらせてやると、真也は誠也の前にしゃがんだ。


「てか、ワタルは? ちょっとリー看てるの代わって欲しいなって」

「それなんだよ……ワタルくん、飛び出していっちゃって」

「えっ? 何で?」


 誠也から告げられた内容は、真也の度肝を抜いた。それ故真也は気がつかなかった。先程床に落としてしまった絵画がサラサラと砂のように消えてしまったことに。





 ◆◆◆





 宮殿から飛び出した航は、幸いにも第一の物語を引き継いで煉瓦造りのアーケードのところに括りついたままでいてくれた白馬を拾い疾走していた。


 黒い叫び声も消えてしまった今、辿る方法もなければCも使えない。どこにゆう達がいるかは分からない。当てずっぽうでも探すしかない。何よりあの部屋で知ってしまったことに、居ても立ってもいられなかったのだ。




 ■Snuggleスナグル Roomルーム in SEI and WATARU ■




 窓から差し込んだ光に照らされ浮かび上がったものを目の当たりにし、誠也と航は一瞬、呼吸をすることも忘れていた。


 怖々と航が一歩ずつ後ずさる。踏みつけてしまっていたものは床一面を覆う絵画。それもただの絵画じゃない、全てが赤。もちろん床だけではなく壁にもいくつかそれらは飾られており、見回す誠也の顔もさらに引きつっていく。


「これ……さ……ニン、だよね?」


 ようやく誠也は声を漏らした。赤と言うのは色のことではない、赤色の人物。大量の絵画に描かれているものは全て、仁子ひとこにそっくりな女性だったのだ。


 航が震える手で掴み上げた一枚の下にはまた別の絵画。描かれている仁子の所有者の表情は一枚一枚違ったものとなっているようだ。全ての絵に共通している唯一の箇所と言えば、身に纏っている赤色の高貴なドレスだ。


「さっきの部屋と描かれているこの雰囲気を見る限り、ニンの所有者は宮殿の人間で間違いなさそうじゃない?」

「確かに、服装的にも上位の人間っぽいし、お姫様なのかな。そうするとワタルくん達の予測である落とされる場所、ニンに関しては推測が正しそうだよね」

「うん。それに、ここがスナグルの部屋であるなら、ニンの所有者とスナグルのCrystalクリスタルを持っていた所有者には深い繋がりが……」

「ワタルくん?」


 言葉を結ぶことなくせさせた航の異変に、絵画を捲り上げていた誠也の手は止まる。航はある一枚の絵画を手に、金縛りにかかったようになっている。


「どうしたの……ひっ」


 絵画の山の上を止むを得ず踏んで渡り航の隣にやってきた誠也は、航が手にしている絵画を覗き込んだ瞬間に悲鳴を上げた。


 キャンバスの中には、うつ伏せで床に倒れているひとりの女性。赤の汁に塗れたその身体は血だまりを造っている。そして、その身体を潰すように彫り込まれている“Deadデッド”の大きな血文字。“Dead”は我々の未来を狩り取ろうとしている最大の敵の名だ。しかし今この文字に込められている意味はそんな入り組んだものではなく、とてもシンプルなものであるように思えた。


「死ぬ……いや、死んだの……? ニン」

「違う」

「え?」


 誠也の受けた衝撃は、続けられた航の言葉を受け、跳ね上がることとなった。


「よく見て……青なんだよ」


 航の震える指先が触れた箇所は倒れている女性が着用している真っ赤なドレスの裾の部分だ。見かけ上は散らばっている絵画に描かれているものと同じ仁子の所有者であると思わせられる。しかしよく目を凝らすと、薄っすらブルーの色素が塗り込まれているのが窺える。


「まさか、アン?」

「ただそうすると、さっきニンに当てはまった予測が当てはまらなくなるんだ」

「どうして?」

「アンはこの前、俺とヨクと一緒に下街に落ちてた。彼女は宮殿の人間じゃないはずなんだ」

「でも、ワタルくんだって同じじゃない? 話しに聞いた絵画上は、宮殿外に組織されていたと考えられるCrystalクリスタル Knightsナイツでしょ? でも今回は宮殿にいるんだよ?」

「その通りなんだけど、アンはGunsガンズの人間だよ? 現世の件も兼ね合うけど、ヨクとナリくんと関係が深いはずだと思わない? ヨクはきっと今回も下街に落とされてるはずだし、ナリくんはCrystal Knightsの絵画の中に所有者らしき人はいなかったけど、前回は宮殿の外から俺達のところにきてくれたんだ。今回も宮殿にはいないから、Crystal Knightsではないけど、恐らく外部の人間だって考えられる。そうすると、アンが宮殿内の人間じゃあ、二人と位が違いすぎる。けど、ナリくんは根拠もないのに、アンを自分のものだって言って止まないじゃない? ヨクも常々ナリくんに煽られているしだから、この血塗れの絵画のドレスは青だけど、何か、しっくりこないんだよ」

「ねえ、待って」


 航の考察を受け、誠也の脳内をある言葉が突き抜けた。


「“青色のお姫様”」


 今回のボスステージにくる直前、賢成まさなりつばさに放っていたワード。


 それはまるで、


「“青色のお姫様の全ては俺の手の中にある”」


 何もかもを把握しているような、そんな言葉で――。


「ちょっと待ってワタルくん! どこいくの!?」


 立ち上がった航の手を誠也は掴んだ。掴まれた反動で航がバランスを崩し、二人はそのまま絵画の山の中に倒れ込んだ。


「ユウとヨク、みんなのところにいく」

「でもユウくんこっちにいろって」

「そんなこと言ってる場合じゃないよ!」

「ワタルくん!」


 誠也の制止のかいもなく、航は絵画を跳ね退け部屋から飛び出していった。


 溜息をつき、絵画の山の中から起き上がりかけた誠也だったが、ふと目を留めた。掻き分けた絵画の中から現れたのは筆と絵の具。筆の毛先を見ると、固まってしまったインクがこびりついている。絵具もキャップの周囲やチューブに付着している汚れから新品ではない。思考を巡らした誠也の中には、あるイメージが必然であるかのように浮かんだ。


「絵画、描いてた? スナグル……」


 ひとりでここに留まる恐怖に耐えられそうにない。誠也は立ち上がると、真也と梨紗のいる部屋へと引き返し始めた。




 ■Snuggle Room in SEI and WATARU END■




 落ち着かない気持ちのまま、航は手綱を取り続ける。優、そして杏鈴あんずの所有者が宮殿事件で死んだかもしれないと言う可能性。


 仁子の所有者に関しても、大量に描かれていたのは不気味でならないが、血塗れに描かれていた青色のお姫様とはまるで扱いが違っていた。彼女はどの絵に関しても全て美しく描かれていた。きっとクリオスないし他の所有者達からも愛でられていたに違いない。その点だけが唯一肩の荷を下ろすことの出来る事実だった。


 基本をかえりみる。これは生と死のgameゲームと称されている。第一の物語と今構築している第二の物語を通して感じる。因果の侵食を甘く見てはいけない。優に関してももちろんだが、Dark Rダークアールに人質に取られている以上、今は杏鈴のほうが危険だ。


 認めたくない、あの絵画に描かれていたのが杏鈴の所有者であるなんて。だがもしかすると賢成は直感的にその事実を察知し、あの強烈なワードを放ったのかもしれない。


 過去の因果を辿ってしまうとするならば、杏鈴がこの第二のgameで命を落としてもおかしくはない。誰ひとりとして命の灯火を失うなんて絶対にさせるまい。決して引いてはならない血を阻止したいがために、航はクォーツに囲まれた道を駆け抜けていく。


 〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜


 ◇Link◇

 https://kakuyomu.jp/works/1177354054881417051


 ・EP1:※◇24

 ・EP1:※◇26

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