◇18.パンケーキは複雑な味


 仁子ひとこの胸に走ったのは、大きな棘が突き刺さったかのような痛みだった。視界は潤み、血が一気に頭へ遡っていくのを感じる。


「えっ! そ、な……え!?」

「あー、予想通りの反応だよね。自分で分かってないんっしょ」

「す、好きじゃないわよ!」

「いや、好きだから、絶対」


 大きな声で否定した仁子だったが、梨紗りさ上手うわてだ。仁子が心の奥深くに潜ませていた“恋愛感情”と言うものを、遠慮なく梨紗は引きずりだしていく。


「大丈夫。君は間違いなく五十嵐いがらしが好きだから。もう今日これで、仁子の悩みは全て解決するから安心しな」

「安心って、出来ないわよ!」

「何で?」


 遂に、仁子は梨紗の前にて陥落した。


「今、凄く、苦しくて……」

「まんま乙女かよ。ふざけてるわ~」

「ふ、ふざけてるのは如月きさらぎさんじゃない!」

「いや、あたし、至って大真面目だけど」


 胸を抑え、息も絶え絶えの仁子を余所に、梨紗は落ち着いた様子でヨーグルトドリンクのストローに口をつけた。


「五十嵐のどんなとこが好きなの?」

「どっ、どんなって……」

「じゃあもっとはっきり言うわ。仁子はあの瞬間、杏鈴あんずに猛烈に嫉妬したの」

「……しっ、と?」

「そう、嫉妬。杏鈴が五十嵐の隣にいる、ただそれだけで気持ちが煮えくり返るほど妬いたんだよ。つか、仁子処女でしょ」

「ちょっっっっと! 声大きい! やめてよ!」

「あー、ビンゴね」


 次々と明るみにされてしまう事実に、普段の調子にはとてもじゃないが仁子は戻れない。完全にこの会話の主導権を握った梨紗は、ニヤリと笑いながら運ばれてきたパンケーキを受け取ると、ナイフとフォークで切り分け始めた。


「好きな人、出来るのも初めてだろ」


 梨紗の的中率が百パーセントを超えたところで仁子は口を噤んでしまった。恥ずかしすぎて全身から火を噴いて倒れてしまいそうだ。


「ごめんごめん。ちょっといじめすぎたか」

「違うの……今、如月さんに言われて気がついた自分が恥ずかしいし、情けない。それに、全然違うのが苦しかったの」

「ん?」

「五十嵐くんの、表情。私に向ける時と全然違ったの。五十嵐くんを見つめる笹原ささはらさん、本当に可愛くて。そんな笹原さんを見てる五十嵐くんの表情も、凄く優しかった……」

「一体どんだけ観察してたんだよ……」


 俯きかけた仁子の視界に、梨紗からの優しさが入り込んできた。


「ほら、パンケーキ分けた。食べな」


 パンケーキをひと口サイズにカットし、仁子は口に運んだ。


「……うん。美味しいわ、凄く」

「だろ?」


 ふわふわの生地と、とろけるように甘いクリームは、胸の苦しさと高鳴りへの良薬になってくれた。平静さを取り戻した仁子は、ポソリと言葉を漏らした。


「……最初も」

「うん」

「……最初も、少しだけ、ドキッとしたの」

「最初?」

ACアダプトクロックをもらった時」

「あー、こっちは雰囲気もクソもなかったけどな」


 パンケーキを頬張る梨紗に仁子は苦笑いを浮かべたのち、その時の情景について伝えた。


 最初こそは不気味だと感じたが、包むように仁子の手を握って、真っ直ぐ頭を下げてきた優の姿と、周囲をふんわりと舞い上がっていた薄ピンク色の桜の花びら。印象深い出会いだった。思い返してまたドキッとしてしまうほどに。


「あと、この前の真也しんやくんを助けた時、五十嵐くん、自分の家族みたいに真也くんのことを包んであげて泣いたでしょう。どうしてあそこまでって思う気持ちもあったけど、か、か、かっこ、よかったのよ。その時の五十嵐くん……」

「ふーん。なるほど。まあでも結局、一目惚れだったってわけね」

「そう、みたいね……こうして、振り返れば」

「っつかさ、もし付き合えるってなるとするじゃん。まじ今手え握られたくらいでそんな感じだったら、裸で抱き合うことになった時どーすんの?」


 梨紗のその言葉は、純粋無垢な仁子の心臓をえぐった。一瞬でも自身のキャパシティを超える想像をしようとしたことを間違いだと悟った時には既に遅かった。ドクドクと音を立てている鼓動は、もう抑えられない。


「むっ! 無理よ! そんなの! ばっ、爆発しちゃう!」


 梨紗は手を激しく叩いて笑い始めた。仁子の様子がおもしろくて仕方がないようだ。


「き、如月さんは、恥ずかしくないの!?」

「別に裸なんてみんな一緒だろ」

「一緒じゃないわよ!」

「そう思えるのは素敵じゃん。ここまで汚れちゃあ、もう戻りたくても戻れねえし。抑えきれないくらい妬くなんてさ、見る人によっちゃあ幼稚かもしんねえけど、そんなに好きって気持ち持てるの、あたしは素直にすげえと思うよ」


 まだ興奮気味な状態だったが、仁子は梨紗の言葉の色の変化を識別出来た。悪ふざけをする子供のような雰囲気をしていたのに、途中から、あからさまにトーンダウンしたのだ。


「如月さんは?」

「あたし?」

「綺麗だし、モテるでしょ」

「どの口がそれ言ってんだよ。笑うわ。仁子、自分のビジュアルがどんだけ完成度高いかって自覚あんだろ」

「自分で自分を綺麗だなんて思わないわよ」

「思えばいいじゃん。つか、仁子が思わなかったらあたし含め、その辺の底辺女達はどーなんだよ」

「如月さんは私を過大評価しすぎよ」

「何で? 多分、杏鈴もそう言うと思うけどね」


 ようやく梨紗の口から飛び出したその名に、仁子は目元をシャープにした。


「笹原さんに謝らなくちゃいけないんだけど、何だか気まずくて、連絡出来てないの」

「別に謝んなくていいよ。杏鈴、微塵も気にしてないと思う」

「そうはいかないわ。手まで出してしまったのよ? それにどうして断言出来るの? 友達だから、よく分かる?」


 梨紗はパンケーキをが刺さったままのフォークを皿の上に置くと、少し遠くを見るようにして頬杖をつき始めた。


「杏鈴って昔からそうでさ。女から好かれない女っていう属性なんだよ。あたしも何でそうなんのか分かんねーんだけどさ、見事に嫉妬を買うっつーか。何か、何考えてっかよく分かんねーじゃん杏鈴って。それに男は心を揺さぶられるのかね。実際全然そんなたぶらかせるような乙女心なんて持ってないのにな。神経腐ってんの。汚れてんだよ」

「ちょっと! 友達なのにそんな言いかた」

「同じなんだ。あたしと杏鈴」

「同じ?」

「そう、。似た者同士ってやつ。今言った通りのな」


 仁子は返す言葉に詰まってしまう。梨紗が小さく息を漏らし、笑みを浮かべた。


「杏鈴、仁子のこと、普通に好きだと思うけどな」

「どうして? 私、本当に子供だし、自分勝手で性格悪い……」

「逆にそこがいいんだよ。てか、性格悪くないでしょ」


 眉を潜めて、仁子は梨紗の目を見つめた。


「杏鈴は、いい人ぶってるやつが嫌いなんだよ。仁子はあたしから見てもまじで綺麗。それは顔のことだけを言ってんじゃなくて、目も、心も、身体も、何もかも全部ひっくるめて濁りがない。大抵の女はさ、自分の好意ある男にちょっかいかける女のことは、ビジュアルの高低関係なしに“あんなブスのどこがいいのよ!”みてえな感じで、表に出さずとも悔しがって僻みでヒステリックになるわけじゃん」

「そう……よね」

「お? それには納得?」


 否定するだろうと思っていた仁子が共感の意思を示したことに、梨紗は少し驚いたようだったが言葉を続けた。


「でもさ、仁子は違うじゃん。全部正直なんだよ。真正面から本人にぶつかっていけるやつなんてなかなかいないぜ? それってさ、強い証拠なんじゃないかって思う。あたしと杏鈴にとって、仁子は違う世界の人」


 梨紗の表情には、どことなく切なさが滲んでいる。確かに、仁子と二人が見ている世界の色は少しばかり構成が異なっていそうな、そんな気がする。


「あたしと杏鈴が綺麗って口揃える女はまじでレアだからさ。自信持って」

「……あり、がとう」


 会話が一段落したところで、残っているパンケーキをサクサクと口に運んだ。皿の上をペロリと綺麗にしてから、仁子はもじもじと再び口を開いた。


「あの、


 含んだヨーグルトドリンクを噴くまいと、梨紗が堪えたのが分かった。


「せっ、先生って何だよ」

「恋愛の、先生と、言いますか……」

「まー何でもいいけど。何?」

「五十嵐くんに、どんな感じで謝れば」

「多分だけど、五十嵐もたいして気にしてないんじゃないかな。何もなかったみたいにしれっと普通に接すれば大丈夫そうに思うけど、あいつのあの感じは」

「で、でも」

「そいや、もーすぐ五十嵐とわたるの地元で花火あるらしいじゃん」

「……うん」

「うんって、バッチリリサーチ済みじゃないのお姉さん」

「ち、違うわよ。たまたまこの前、道の掲示板で見ただけで」

「ふーん、見たいんだな五十嵐と。連絡して誘ってみればいいじゃん。普通に」

「むっ、無理無理っ! 今は特に、意識しちゃうし」

「そっか、意識してたら緊張しちゃうか。じゃあさ」


 梨紗の右手が左手首へと伸びていく。それを仁子は椅子から半分腰を浮かせて、全力で阻止した。


「待って! 誰にかけるつもり!?」

「へ? 五十嵐」

「やっめってっよ! 恥ずかしいわよ!」

「もやもやすんならとっとと本人と話して解決したほうがよくね?」

「そうだけどっ……」

「何かさ、根に持ちそうなタイプではないけど、五十嵐って、変に分かりずらいとこあるなって、あたしは思うって言うか」

「分かりずらい?」

「そう。なんとなーくだけど、影ある感じっつーの?」


 梨紗が伝票を手にしたのが合図だ。鞄を持ち仁子は立ち上がると、梨紗のあとに続いて階段を下り始めた。


「ま、Crystalクリスタルのメンツは、みんなそんな感じするっちゃするけどな」


 割り勘で会計を済ませて店を出た。


 前方で伸びをする梨紗の背を仁子は見つめる。振り返った梨紗は、重ね合わせた両手を胸にあてている仁子に首を傾げてきた。


「どうしたよ」

「如月さんと笹原さんって、本当に、友達?」


 優に対するの感情の陰に一旦隠して忘れたふりをしていた引っかかりを唐突に仁子は溢れさせた。


 困ったような笑みを浮かべ梨紗は軽く頭を掻いたが、その手をバサッと振り下ろすと、仁子に一歩近づいた。


「知りたがりなお嬢さんだね。まあ自然か」

「如月さん……」

「仁子分かりやすいから、もう他のやつにもばれてる感じあるけど、とりあえず今日仁子と話した五十嵐に関連することについては一切他言しない。だから、友達ってことにしといてくんないかな?」


 梨紗の顔から煙のように立ち消えた笑顔。闇を感じさせるその黒目に焦点を合わせて、仁子はゾクッとした。


「航も分かりやすいからさ、多分だけど、探ろうとしてきてんだよね。あたしと杏鈴のこと」

小宮こみやくんが?」

「そ。航が自発的にそんなことをしようなんて思いつくとは思えないから、新堂しんどう辺りから何か言われたんじゃねーかな」

「で、でも、友達じゃないなら、何? 高校が一緒なのは本当?」

「うん。それは本当。ただ……」


 梨紗の視界の隅を過った羽。それを捉えた仁子は両目をはっと開く。


 一匹、二匹――目に見える細胞分裂を起こして、その数は増えていく。


「友達ではねーんだ。やっぱり」


 地から響くような梨紗の低い声を待っていたと言わんばかりに、二人の足元から灰色の海は広がっていく。これは最近続いていたおちょくりではない。


「あーあ。何でこう楽しい時間の締め括りを台無しにしようとしてくるかね」


 たった今過ごしていたパンケーキカフェは、あっという間に色素を失った。道いく人々も石像と化し、唯一蠢くは背中に蝶の羽を生やしたフォロワーの軍団だ。


「えっ……斧?」


 仁子は違和感から、眉間に皺を寄せた。


 ヤツらが手にしている武器は、銃ではなく大きな斧だ。


「ニン、B!」


 黄色のBバトルクローズを纏い、槍を手にした梨紗。戦闘モードへと切り替わったかけ声に、仁子もACのAdapt Nameアダプトネームに触れる。


 フォロワーが振り回してきた斧の先端を受けるふりをして梨紗は槍を引く。そのフェイントに動揺したフォロワーの胸元を、すかさず左足で思い切り蹴りつけた。


「す、すごっ」

「あたし趣味、キックボクシングなんで。ニン斬れ!」


 今の一撃でリズムを掴んだようだ。梨紗は軽々と襲いくるフォロワーの間を掻い潜り、蹴りを入れ込んでいく。


 それによってよろめいたフォロワーを仁子も逃さない。剣の矛先を確実にフォロワーの腹に斬り入れ、黒の血飛沫を上げていく。


「あ、やべっ!」


 梨紗の蹴りの勢いがよすぎたために吹っ飛んだフォロワーが、道で石像と化している人々を薙ぎ倒してしまった。


 剣と斧を交える金属音をいくつも響かせながら、仁子はそのフォロワーの元へと急ぐ。案の定起き上がって石像に危害を加えようとしたヤツの首根っこを背後から掴み上げると、一瞬にして斬殺した。


 倒れている石像を確認すると、幸いひび割れずに済んでいた。後ろから振りかかってきた斧を剣で弾くと、仁子は身体を回転させ、数体纏めて斬り刻んだ。


「ねえ、ちょっと変じゃない!?」

「何がっ!?」


 梨紗が槍で肩を刺して蹴り飛ばしたフォロワーが、今度は店のガレージを突き破ってしまった。細く狭い道だ。今回展開したフィールドで、周囲に危害を加えないようにするのは、中々に難しい。


 頬が軽く引きつったが、仁子は少し離れたところにいる梨紗に問いかけるのをやめなかった。


「どうしていきなり斧になってると思う!?」

「そんなの気にするとこ!?」

「気にするわ! きっと意味があるもの!」


 S応援要請を飛ばさずとも会話をする余裕のある二人の戦闘能力は、第一の物語より着実にレベルアップしている。二人の殺傷能力は勝り、フォロワーの増殖はスピードを落としていく。


 ふいに、仁子は背中に嫌な感じを覚え、振り返った。オーラ、それは今相手にしているフォロワーとは違う何か。


「……蝶?」


 ひらひらと優雅な様子ではないが、サイズの少し小さめな蝶と思われる物体が、猛スピードで空へと向かっていく。


「ニン! 危ない!」


 梨紗の声に反応し、仁子は高速で剣を背中のほうへ振り上げると、迫ってきていたフォロワーの斧を弾き飛ばした。すかさず梨紗がサイドから腹を刺すと、黒い血を垂れ流しながら最後の一体はチリチリと消失していった。


 空間が歪み始める。色が戻り出すその中で、仁子はじっと、ただの真っ青になった空を見つめていた。


「ふう、よかった。現実にならなくて」


 梨紗は即座に元に戻った周囲の様子を確認した。平常通り人々が歩いている。空間で損壊した店にも影響は出ていないようだ。


「仁子?」

「さっき、変な気を感じなかった?」

「いや? あたしは何も……っつーか」


 道のど真ん中ではいき交う人々の妨げになってしまう。梨紗に腕を引かれ、仁子は道の端へ寄った。


西条さいじょうさんじゃね? 斧と言えば」


 梨紗の言葉に仁子の表情は固くなる。


 あの日、駅で別れた輝紀てるきの顔が思い浮かぶ。


 仁子はACの上にスクリーンを浮かばせると、輝紀へCを飛ばした。


「……でねえな」


 数十秒間鳴らし続けても応答はない。止むを得ず、仁子は自ら通信を遮断した。


「どうしよう。何かあったんじゃ……」

「考えすぎたか。フォロワーが銃に飽きただけかもしんねぇし」

「そうは思えないわ。それに変な蝶が飛んでいったでしょ?」

「蝶? そんなんいたの?」

「如月さん全然周囲見てないのね」

「うん。見てないっつーよりは、見えてないのかも。仁子ほど、あたしには戦闘能力がねえんじゃねえかな。あんまりそう隅々までは見てる余裕なかった」


 表情がきつく強張っているに違いない。仁子の左肩に、梨紗の右手がポンッ、と優しく置かれた。


「そんな思いつめんなよ。また夜にでもかけてみりゃあいいじゃん」

「そう、ね。ごめんなさい。私、今敏感になりすぎてしまっているのかもしれないわ」

「そーそ。もー少し楽にいこうぜ。つか、先輩にかけたノリで五十嵐にもかければ?」


 梨紗はニカッと笑って駅のほうへ向かって歩き出した。再び優のことを考え始めてしまった仁子は、少し頬を熱くしながら慌てて梨紗を追う。


「花火、見れるといいなっ。応援してるよ」

「……ありがとう……」


 複雑な気持ちをいくつも心の中で混ぜ込みながらも、仁子は梨紗に小さく笑い返した。


 〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜


 ◇Link◇

 https://kakuyomu.jp/works/1177354054881417051

 

 ・EP1:◇10

 ・EP1※:◇12

 ・EP1:◇29

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