五章:漆黒ノ手

◇17.“青い月”は鋭く苦い


「あれっ!? つばさくんじゃない! びっくらイケメン」

「……何だそのよく分からん表現は」


 あ来る日、翼は真也しんやが勤めるBarを訪れていた。カクテルグラスを拭いていた真也が手を止めてまで目を丸くした様子から、どうやら彼の中での“まさかの人物リスト”に該当していたらしい。


 真也の目の前のカウンターの席へ誘導されると、翼は彼が笑顔で広げてきてくれた冷たいおしぼりを受け取った。


「きてくれてありがとーなんだけどさ、帰りどうすんの? 電車ないよね、女?」

「……何故その発想に至る。明日こちらで予定があってな。今日は高校のときの友人のところに泊めてもらう。折角の機会だから、その前に立ち寄ってみただけだ」

「え~? ほんとかなあー? 翼くんさ、今まで女切らしたことないでしょう」

「……俺にどういうイメージを抱いてるんだよ。そんなことないぞ」

「ふ~ん。まあでも、困ったことはないだろうねっ」

「……困っている、今」


 翼は一枚ペラのメニューの表裏を交互に見ながらさりげなく呟いた。


「え? 何て?」

「……そんな気分のカクテル、お願いします」

「や、全然聞こえなかったんですけど」


 話しながら屈み込んでいた真也に声は届かなかったらしい。再びメニューを見るよう促された翼は、他の客の会計を済ませて舞い戻ってきた真也の目をじっ、と見つめた。



「……なあお前、今、一本持ってるか?」



 ふきんを握り直し、再びグラスを拭き始めようとしていた真也の動きはピタリと停止する。


「え? タバコのこと?」

「……ああ」

「翼くん吸うの!?」

「……ああ、たまにだけどな。だから常備はしていない」

「意外だわー。いいよ。あ、もう三本しかないし、箱ごとあげるよ」


 メンソールタイプの箱は、弧を描いて翼の手の中へと収まった。真也と銘柄の嗜好が一緒であるとは運がいい。吸う人の気持ちは吸う人にしか分からないし、辞められない人の気持ちもまた、吸う人にしか分からぬものだ。


 真也はカウンター内にある収納棚の中からライターと灰皿を取り出し目の前に用意してくれた。翼は箱から一本を掬い、その先に火を着け煙を昇らせる。


「吸いたい気分になったの?」

「……ああ、凄くもやもやしたりするとそうなる」

「な・る・ほ・ど。そういう気分ねっ、かしこまりっ」


 真也は銀色のシェーカーに氷を入れ、手際よく二種のリキュールとレモンジュースを調合していく。その手元を眺めながら翼は煙を嗜む。


「……凄いな。覚えているのか、レシピ」

「そりゃあねーっ。よしっ」


 翼の前に冷えたカクテルグラスを差し出した真也の目元は、より真剣なものへと変化した。彼が巧みにシェーカーを振り切ると、グラスの中には青味の強い紫色の液体が注がれた。


「じゃんっ。ブルームーンです。Gunsガンズの翼くんにはぴったりかな?」

「……お洒落だな」

「カクテルの意味はご自身でお調べ下さい」

「……スマホ、貸して下さい」

「へ!?」


 翼が未だガラパゴス携帯を使用していると言う事実にびっくりしつつも、真也はポケットからスマートフォンを取り出すと、快く貸してくれた。


「……これ、どこを押せば……」

「えっ、そこからですか」


 インターネットの使用画面を立ち上げてから、真也は二つ隣の若い女性二人組の前へと歩いていき楽しそうに会話をし始めた。常連客なのだろう。


 今語られたカクテルの名称をぎこちない指先で入力し、翼は検索ボタンをタッチした。検索結果の中から適当なリンクをクリックして表示されたその意味に、眉がギュッと中心に寄ったのは言うまでもない。


「……すみませーん、。もやっとが増加したんで、一杯サービス願います」


 棒読みのくせにやたらと響いた翼の声に、真也だけでなく常連の女性客までもが振り向いた。


「えーっ、気に入らなかったの? ちょっと待ってて、順番」

「……もう少しこれ、借りててもいいか?」

「どうぞ」


 気に入らなかったとは言え、味は満点だ。吸い終えたタバコを灰皿で潰し、ブルームーンを少しずつ口に含みながら、翼は思い出したあるワードを検索欄に入力した。



“シロツメクサ”



 杏鈴あんずから得た賢成まさなりとの関係が垣間見えるエピソードは案の定、翼の心に引っかかっていた。わざわざ手間をかけて花冠を作って渡すなど、あの賢成が、何の意味もなさないのにするはずがないのだ。



“私のものになって”



 調べてしまった花言葉に溜息が漏れた。その意は賢成の宿しているEARNESTアーネストCrystalクリスタルと深い縁があるように思える。


 しかし、そのまま画面をスクロールした先に書かれていたもうひとつの意味に、翼は目を見張って息を呑み込んだ。



「お待たせーっ、ごめんね」



 女性客との会話を終え、目の前に戻ってきてくれた真也の姿に、翼はビクッ、と肩を揺らしてしまった。


「んっ? どうしたの? あーっ、さてはエッチな動画でも調べてたんでしょー」

「……公共の場でそんなことするわけがないだろう。返す。どうもありがとうございました」

「いいえー。もう一杯、何がいいのー?」

「……これを飲み終わってからで構わん」

「結局それ飲むのね」


 真也は鼻から息を漏らして笑うと、受け取ったスマートフォンをポケットに仕舞ってから、シンクに溜まっている洗いものに手をつけ始めた。



「……なあ、お前に聞くのはあまりよろしくないとは思うが、白草しらくさって、お前から見てどういうやつだ」



 真也は一瞬きょとん顔になったが、手元は休めないままで、悩んだように声を漏らした。


「そー……だねえ。変わってる」

「……変わってるなんて可愛いレベルか?」

「あ、ごめん間違えたね。変態だった」

「……正解」

「ねえ何このクイズ。まあ個性強いのは事実だし、ちょっと人からかいたがる癖はあるように思うけど、基本は面白くていいやつだよ」

「……Dark Aダークエー上がりのお前がそれを言えるのは素晴らしいな」


 あんなにも強く抱いていた賢成に対する嫌悪感を完全に消し去っている真也に対し、翼は感心の念を送った。


「まーあれは、デッド様の砂飲んだせいも若干あったしね」

「……あいつの口から杏鈴の名を聞いた覚えなどはないか?」

「俺はないね。せいはどうか知らないけど。ああ、ストーカーの件?」

「……ストーカーの域ではないぞ」

「また間違えた。変態ストーカーか」

「……正解」

「だから何なのこのノリ。あれ? 知ってるって言ってんだっけ? なりくんは」

「……ああ、でも杏鈴は知らないと言っているんだ。だが、知らぬふりをしていると俺は思っている」

「知らないふりねー。何でそんなことする必要があるんだろかね」

「……あいつの発言で杏鈴は翻弄される。あいつは知っていることが人より何かと多いんだ」

「んー、俺から一個言えるなら、成くん、あんなんだけど、嘘はつかないと思う」


 自身の眉がピクッと反射的に嫌な動きをしたのを感じつつ、翼は流し目に真也を見つめる。


「だから翻弄したくてしてるわけじゃないかも。ただ単に、成くんが杏鈴ちゃんを好きなんだったら、バカみたいに真っ直ぐアタックしてるだけなんじゃないかと思うけどね。二人が過去に何か関係を持ってる云々は別としてさっ。もしよかったら誠に聞けばいいよ。誠のが成くんのことは詳しいし」

「……いや、十分だ。サンキュ」

「いいえー。あ、どうも、ありがとうございますっ」


 翼の背後を会計レジへと向かう客が通り過ぎていく。パタパタと真也がカウンター内から出て笑顔で対応し始めた。


 翼は思考を巡らせる。


 嘘はつかない、


 その言葉が知ってしまったシロツメクサのもうひとつの意味へと刃を立てて食い込んでいく。むしろ、嘘つきなやつだと断言してもらいたかった。


 真也に見えぬところで険しい顔をしたまま、翼はカクテルグラスを透明に戻した。




 ◇◇◇




 黄緑色のラインが入った外回りの電車がピタリと停止したと同時、個性的でカラフルなファッションをした若者、スーツのサラリーマンからお年寄りまで多種多様な人々が、狭いホームをギュウギュウになりながら階段に向かっていく。身体を思い切り押されて、アスファルトに躓いてしまった仁子ひとこは、その波から外れて体勢を立て直した。


 少し時間をおいてから何とか改札を通り抜けたが、ホッと一息ついてしまったそのせいで、憂鬱な感情の心への再侵入を許してしまった。


 初めて訪れる若者に人気の非常に高い有名な通りであるのに、仁子の表情は浮かない。その理由は待ち合わせをしている人物にある。先日連絡を受けた瞬間は、決闘を申し込まれているのだとACアダプトクロックの向かいで震えた。いわゆる、タイマンだ。


 擦れ違う人とぶつかっては頭を下げを繰り返しながらではあったが、その人物が指定してきた待ち合わせ場所である有名通りの入口に辿り着くことが出来た。しかし、その人物の姿は見当たらない。


「すみません」


 スーツを着用している男性にいきなり声をかけられ、仁子は肩を跳ね上がらせた。


「私、芸能プロダクションのスカウトの者なんですが、今、事務所とか所属されていらっしゃいますか?」

「えっとー、あの……あの……」


 ただでさえ、これから会う人物へ抱く恐怖と初めて訪れた街への戸惑いでいっぱいいっぱいなのだ。普段なら易々とあしらえるに違いないが、今の仁子にそんな余裕はない。


 しつこく話しかけてくるスカウトマンから逃げ出したいが、離れてしまえば待ち合わせ場所から遠ざかるだけでなく、道に迷って二度と戻ってことられないかもしれない。困り果て、両目をギュッ、と瞑ってしまったその時だった。


「おーい、ごめんごめん。ちょっと電車遅れててさ」


 救世主、否、決闘相手がやってきた。オレンジブラウンのストレートロングヘアをサラサラと靡かせ、アニマル柄のTシャツと白のスキニーパンツに黒のサンダルを合わせている梨紗りさが、こちらに向かって大きく手を振っている。


「っつか、こんな人にびびってんの? 兄ちゃんごめんね。あたしが先約なんで今度にしてよ。ほら、いこうぜ」


 スカウトマンにさらりと片手ひとつで断りを入れた梨紗に腕を引かれ、仁子は有名通りのアーケードを潜った。


「あ、あの、如月きさらぎさん、私、ささ……」

「仁子の今日の格好、めっちゃ可愛いな。ワンピースとか女らしすぎて、とてもじゃないけど着れねーや。羨ましい~」

「えっ? あ、ありがとう」


 仁子が発しようとした謝罪の言葉は、梨紗からの想定外の褒め言葉により掻き消された。


「仁子、ここくるの初めて?」

「ええ、そうね。初めてよ」

「まあじ! よかった! 甘いもん好き?」

「とても好きよ」

「じゃぁクレープ食べようぜ! わざわざきてくれたから奢るよ」

「えっ? いいわよそんな。自分で出すわよ」

「遠慮すんなって、なっ!」


 後悔したままである、から、まだあまり時間は経過していない。恐らく梨紗はどこかからそれを聞きつけ、大切な友人である杏鈴を傷つけた仁子に戦いを挑んでくるものだとばかり思い込んでいた。だが、このプチ女子会のようなテンション、普通に一緒に遊ぶかのようなノリ。深く考えすぎたのだろうか。


 気がつけば女だらけの列へと並び、苺がたっぷり入ったクレープを梨紗からご馳走になっていた。


「ん~、うまっ! この通りよくくるんだけどさ、中々ひとりで食べることってなくて。二人で食べたほうが楽しいし、美味しいよなっ」


 りんごカスタードのクレープを齧りながら、梨紗はにっ、と笑いかけてきた。仁子はひたすらに頷き返すばかりだ。


「そっか。人ゴミ慣れないよな。どっかその辺でいいなら、座って食べる?」

「あ……これ、食べてからどこか、カフェでも入る、とか?」

「お、それいいな! 仁子パンケーキ好き? オススメのとこあってさ。土日だと超朝早くから並ばないといけないんだけど、平日のこの時間だからすんなり入れると思う」

「そうなのね。じゃぁ、ぜひそこで」

「おっけー!」


 クレープを食し終え、たくさんの洋服屋や雑貨店を眺し見しながら、スタスタと横道へと入る梨紗に、仁子はただただついていく。


 梨紗がセレクトしたのは仁子もテレビで目にしたことのある、生クリームがてんこ盛りの有名なハワイアンパンケーキの店だった。梨紗の予想通り、店内へは待たずにすんなりと入ることが出来た。


 案内されたのは二階席で、木製の椅子に向かい合って腰かけると、梨紗がメニューを広げてくれた。


「仁子好きなの選べよ。あたしどれでも好きだから」

「すごーい。美味しそう、迷っちゃう」

「迷え迷え。あ、ヨーグルトドリンクのこれ、アサイーバナナ超うまいぜ」


 仁子は迷った挙句、無難に人気ナンバーワンのパンケーキを選び、それと合わせて梨紗オススメのドリンクを二つ注文した。



「何かさ、さっきからびびってる? 緊張してるだけ?」



 パンケーキの魅力に少しばかり気を緩めてしまっていた。梨紗の問いかけに全てを心に取り戻した仁子は、その反動のままに言葉を発した。


「あの! 如月さん、今日、決闘よね?」


 しばしの間。梨紗が小首を傾げる。


「けっとう? ああ、血糖値気にしてんの? ごめん、甘いもの続きにしちゃって」

「違うわよ! 決闘よ! 戦い! 笹原ささはらさんのこと、怒ってるでしょ?」


 仁子が言う“けっとう”の意味を理解し大笑いを始めた梨紗は、中々止まらない。頬が熱くなってくるのを感じながらも、仁子はキュッ、と口元を締めた。


「仁子おもろすぎでしょっ。あたしが杏鈴の敵討ちにくると思ってたのかよ」


 目元に滲んだ涙を梨紗は指で絡め取ると、口に水を含んで呼吸を整えた。


「今時タイマンなんて、いつの時代だよ」

「だ、だって……」

「あたしのビジュアル的に? 悪いね」

「か、勘違いだったならごめんなさい」

「まー、あながち勘違いではないかもしんねーけど」

「えっ!?」

「仁子大丈夫かな? って思ったから、今日呼んでみた」


 可愛らしいアロハシャツの店員が運んできてくれたドリンクを各々受け取る。


「笹原さん、何か、言ってた?」

「そっから食い違ってんのか。あたし、杏鈴からは何も聞いてないよ」

「えっ……」

「たまたまその日わたると飲んでてさ。したら五十嵐いがらしからCコール入って聞いちゃって」

「……そう」

「あいつらがさ、ちょっとバカすぎっからあたしが遠慮なく聞かせてもらうんだけど、仁子さ」



 次の瞬間、


 仁子は梨紗からの問いの衝撃に、ストローで吸い上げたヨーグルトドリンクを口から零しかけてしまった。




「五十嵐のこと、好きだよな?」


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