四章:美女ノジェラシー

◇13.ただ単純に、心地よい。

 

 賢成まさなりと協力することとなってしまったガンバトルから一夜明け、つばさはさらに思いごとが増えたのを感じていた。


 賢成と杏鈴あんずの間に存在している深い何か。


 あそこまで強く言い続ける賢成の言動からして、杏鈴が賢成を知らないと言うことは、やはりありえないように思うのだ。


 Crystalクリスタルと繋がる因果が噛んでいる。冷静に分析にあたりたいところだったが、賢成から浴びせられた数々の言葉を思い返すと、翼はいつもの冷静さを保つことが難しかった。


「…………いっ」


 掠った包丁の刃。左親指からぷくっと盛り上がった血液に、ぼんやりとしていた意識は覚醒する。


「おー、大丈夫か?」

「……すみません」


 バイト中にも関わらず余計なことばかり考えてしまう切り替えのつかない自身に嫌気を感じる。バックヤードで止血をし、水仕事にも耐久性のある透明な絆創膏を巻きビニール手袋にその手を通すと、翼は再び表へ戻った。


「……お」


 この間にご来店。自身の作業場の向かいのカウンター席に杏鈴が座っていた。話したいことを話せず仕舞いだったため、翼は可能であればここに顔を出して欲しいと伝えていたのだ。


 昨日の今日だが杏鈴の体調は回復しているように感じられる。ふんわりと巻き下ろした毛先を弄りながら杏鈴は俯いていたが、翼に気がつくと心配そうに眉を潜めた。


「翼くん、指切っちゃったの? 大丈夫?」

「……ああ、問題ない。と、言うよりお前のほうこそ、大丈夫なのか」

「うん。もう平気。ごめんね。急にあんな……」


 発生した頭痛の原因。自覚はあるだろう。本題を杏鈴へ伝える前に、翼は再度問いたいことをひとつ胸に固める。カウンターテーブルに立ててある紺色をしたメニュー表を取ると、広げて杏鈴に渡した。


「……腹、減っているか?」

「え? う、うん。空いてる……」

「……呼んだのは俺だ。出してやるからよかったら」


 タンタンと包丁を動かし始める翼。杏鈴の顔はパア、と明るくなった。パラパラと捲ると前菜・パスタ・デザートなど、イタリアンの美味しそうなメニューがずらり。


「え~、凄い、いっぱいあって迷っちゃうなあ。とりあえず……白ワイン」

「……酒かよ。まあいいが。白ならトマト系のパスタが合うと思うぞ」

「そうなんだ~! じゃあそうする。翼くんのオススメにする」

「翼、あれ作ってあげたら?」


 間に入ってきたのは、隣で別の作業をしているオーナーの声。


「……あれ?」

「賄いでよく作ってくれるやつ」

「……いや、あれ、メニューじゃないですし、そもそもパスタはオーナーが……」

「今日は特別。折角だから美味しいって言って貰えるか力試ししてみなよー、ちょっとだけ手伝うからさっ」


 戸惑いながらもオーナーのあっけらかんとした笑顔に渋々翼は頷くと準備を始めた。


「てか、いつの間にこんな可愛い新しい彼女作ってたわけよ。ぶっちゃけオーナーね、めっちゃタイプなんだけどこの子、どっから見つけてきたの」


 グラスに注いだ白ワインを置き、ずいっと顔を近づけてくるオーナーに驚くと共に、頬を少し赤らめながら慌てて否定しようと口を動かしかけたが杏鈴を、翼は抑えていた。


「……人の口説こうとするのやめてもらえますか?」

「名前、何て言うの?」

「……聞いてます?」

「さ、笹原ささはら、杏鈴です」

「……お前も素直に答えるなよ……」

「これ以上ふざけると怒られるからやーめよっ。杏鈴ちゃん、前菜はサービスするね」

「あっ、ありがとうございます」


 少ししたのち、オーナーがお洒落に仕上げてくれた数種類の前菜が盛られたプレートが目の前に提供されると、杏鈴はフォークを手に取りパクパクと次々口へ運んだ。作業をしながらその杏鈴の様子をちらりと翼は窺う。


「……そういや、オリーブ平気だよな?」

「うん! むしろ大好きだよ」


 その微笑みに少し鼓動が速くなったのを嫌でも翼は感じる。杏鈴から視線を逸らすように屈むと、パスタに使う食材を選定し始めた。


「……なあ」

「ん?」


 もぐもぐと口を動かしながら、杏鈴が首をちょこんと傾げる。



「……お前、本当は知ってるだろ。白草しらくさのこと」



 口の中を空っぽにした杏鈴は、黙ったまま食材をまな板に乗せ始めた翼を潤んだ瞳で静かに見つめている。


「……昨日のあんな様子を見せられて、知らぬとはもう正直思えん。過去に交際していたとかそんなところか」

「ううん。違うよ。わたしは、本当になりくんのことは分からないの」


 堂々とシラを切っていると翼は思ったが、続いた杏鈴の言葉に、自身の疑いに混乱が介入してくるのを微弱に感じた。


「ただ、成くんは、わたしのこと、みたい……」

「……はっきり?」

「シロツメクサの花冠」


 杏鈴に背を向け、フライパンにオリーブオイルを敷いたところにニンニクを放り込み、パスタを茹で始めた翼。しっかり耳は杏鈴の言葉に貸す。


「……ああ、あのよく見る白い花だろう?」

「そう。この前、成くんがくれたの」

「……何故急にそれを」


 翼の声色には怪訝さが混じる。白ワインを口に含み、杏鈴は小さく息をついた。


「わたしが、いくら言われても分からないからかな……小さな頃に、わたしが上手く作れなくて泣きべそかいてたから、成くんが作ってくれたことがあるみたい」

「……小さな頃って、いつだ」

「それが分からないの。聞きそびれちゃった」

「……仮にそのエピソードが本当なんだとしたら、覚えてないってお前、やばくないか? いや、やつが信用出来んから、お前を手に入れたいがために嘘をついてる可能性はもなくはないとも思うがな……」

「……翼くん」


 フレッシュな完熟トマト、黄緑色と黒色の刻んだオリーブを順に投入しながら杏鈴のトーンの落ちた声に違和感を覚え、横見ながらに翼は振り向く。


「あのね、わたし……っ!」


 その声を遮ったのは、勢いよく開いた店の扉だった。


「いらっしゃい、おー! 久しぶり!」


 オーナーが揚げものをしながら現れたその姿にキラリと輝く笑顔を見せた。派手に染まった銀色の目立つ髪をした少年。チャラチャラと光る耳のピアスに、背負っている黒のギターケース。いかにも音楽やってますと言わんばかりの風貌。


 少年は意気揚々と近づいてくる。隣に座られ杏鈴は肩を大きく揺らし身体を強張らせた。そんな杏鈴の前に、翼は完成したパスタを動じることなく差し出した。


「うっわー、まじうまそ。それ、俺にも作ってよ、


 少年の言葉に杏鈴の強張った身体はそのまま硬直する。杏鈴が、じっと見つめると、少年は「チッス」と短く挨拶をした。


「……兄、貴?」


 杏鈴の視線は無論、翼のほうへと移りいく。


「……おまけが乗るから少し待ってくれ」

「え、あ、うん。てか、え!?」


 杏鈴が翼と少年をパタパタと交互に何度も見返すのも無理はない。兄弟と認識するのに二人はあまりにも違いすぎているのだ。


「初めまして。夏川司なつかわつかさっす」

「……え? あ、え?」


新堂しんどう”と“夏川”、二つの苗字がしきりに渦巻くのに杏鈴の脳内はごちゃまぜ状態だろう。翼が示したおまけであるまん丸のブラックの揚げオリーブを二つ、オーナーが乗せてくれたことでパスタの仕上げは完了した。


「……“二種のオリーブとフレッシュトマトのパスタ、揚げオリーブを添えて”だ。」


 微塵も表情を変動させずにサラッ、と自作パスタの名称を述べた翼を、口を半開きにして頷きながら杏鈴は見つめた。


「……久しぶりだな」

「そうだよな。半年くらい会ってねえよな。てか、彼女さん? だよな? 大分テンパってね?」

「……大丈夫だ、気にするな」


 今こここそ気にかけて欲しい場面だ、とでも言いたげな顔をしていたが、杏鈴は翼の促しを承知し、フォークの先をパスタに通し始めた。


「……急にどうしたんだ。こっちまでわざわざ。何かあるのか?」

「今日さ、かなでん家泊めてもらうんだ。他のメンツも含めてバンドの練習すんの。だからその前にちょいっと顔見にきたってわけ」

「……なるほどな。いいな。充実してそうじゃないか」

「そうそう! 今度ライブやるからきてくれよ。あ、彼女さんもぜひ俺らの聴きにきてください!」

「ん! えとー……」


 急に話を振られパスタを喉に詰めかけた杏鈴。胸元をトントンと叩きながら困ったような表情を浮かべている。


「……こいつは残念ながら無理だ。反吐が出るほどのだからな」

「うえっ! まじっすか! 音楽嫌いとかちょっと! 人生損だらけっすよそれ! ノ―ミュージック、ノーライフっす! 騙されたと思って一回きません? 俺らが音楽好きにしてやるっすよ! ガチで!」

「……司、ガチでうるさい。黙れ」


 一組であるが店内には別の客がいる。バッサリ注意をした翼に、声の大きさは控えつつも司は文句を言い続ける。何度かじわじわと笑いが込み上げかかったようだが、杏鈴はパスタを無事完食した。


 司の滞在時間は非常に短く、杏鈴が白ワインを飲み終わらぬうちにバンド仲間と合流するため、嵐のように店から去っていった。


 食事を終えた杏鈴が店をあとにするのと同時に、オーナーからのいらない気遣いをまたもや渋々受け入れるかたちで、翼も休憩に入ることになった。


「……色々、すまなかったな。突如の来訪もあり……」

「ううんっ。全然。パスタ、美味しかった。翼くん凄いね。手際もいいし」

「……まあ、もう丸四年はバイトしてるからな、この店で。シフトも結構入ってるし」

「そうなの? じゃぁ高校生の時からだよね? さらに凄いよ」


 地上へと続く階段を上がり終えると、杏鈴はぐーっと伸びをする。



「……悪かったな、勝手に彼女とか言って」



 杏鈴はくるりと翼を振り返った。


「……その、男、苦手なんじゃないかと思っていてな。フリーと言えばオーナーの絡みがひどくなるかと思って、咄嗟に……」


 杏鈴は何も言わず切な気に微笑んだ。二人は肩を並べ、少しばかり店から離れ出す。


「……気にしているぞ、五十嵐いがらし

「え? ゆう、くん?」

「……あれから、お前がS応援要請をスルーしているから。自分が身体に触れてしまったことが一番の原因なんじゃないかとウジウジ虫化しているんだ。全くリーダーのくせに。やつの取り得はやたらにハツラツなところであると思っていたのに」

「リーダーのくせにって……そうだったんだ。まさか優くんを思い悩ませてしまっているなんて、想像してなかったな……」

「……まあそれが真意であるなら、五十嵐は単純に謝罪したいと所望するだろうがな」

「ううん。謝るのはわたし……っ!」


 キッパリと否定をした杏鈴。しかし、続けようとした言葉は視界にひらりと舞い込んできたブルーカラーの羽に遮られた。翼は思わず杏鈴の腕を引き抱き寄せる。


「ん……? 違う……?」


 蝶はかたちを変化させる様子はなく、ひらひらと遠くへ大人しく飛んでいってしまった。


「……何だ、フェイントか? いやらしいにもほどがあるな」

「びっくりした。ホッとしたけど、逆に不気味だね……」


 引き寄せた杏鈴の顔が思いの外近距離にあることを自覚すると、早まる鼓動がばれぬようその身体を翼は引き離そうとしたが、杏鈴は離れようとはせず、翼の胸板に頬を寄せてくる。


 より伝わり合う互いの身体の温もり。杏鈴を包み込む翼の手先にも少しずつ力が籠る。




 鼓動の早さがバレてしまうことなんて一瞬でどうでもよくなって――ただ単純に、心地よい。




「……なあ」

「ん?」

「……飛んでしまった話を繋げるが、結局五十嵐の気にしていることと、Sを取らないことは無関係と言う認識でいいんだな?」

「あ……うん。もちろん。優くんのせいなわけないよ。助けてくれたのに……」

「……なら、俺がお前に頼みたいことはたったひとつなんだが、分かるか?」


 向かいから手を繋いだ親子が歩いてくるのに気がつきパッ、と互いの身体を離す。杏鈴は少しばかり考えていたが、翼の瞳を見つめると、深く頷いた。


「……じゃあ、あとで場所の住所を送る。今日は店、きてくれてサンキューな。気をつけて帰れよ」

「翼くんっ」


 背中を向けながら左手を振った翼に、杏鈴は呼びかける。


「こちらこそ、いつもありがとう」


 振り向き見えた杏鈴の笑顔。小さく口角を上げ返すと、翼はゆっくり、きた道を戻り始めた。



 〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜


 ◇Link◇

 https://kakuyomu.jp/works/1177354054881417051

 

 ・EP1:◇19

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