◇5.シロツメクサの花冠


 夕日が落ちた空は深く濃い紫色。珍しく通常より忙しかったため、シフトの定刻時間を過ぎて尚、杏鈴あんずは“cafe greenhouse sea海の温室”で、黒のエプロンに水色のネームプレートを輝かせながらせかせか身体を動かしていた。


「本当にごめんねー、杏鈴ちゃん。今日大分過ぎちゃって」

「いえ、全然ですよ。気にしないで下さい」


 店長に穏やかな表情を見せてから、杏鈴はトレンチ片手にテラス席のテーブルに乗っているグラスを片づけに向かう。少し前屈みになりそれらを手に取ると、シャツの中に隠しているネックレスのハート型のトップが首元から飛び出てきた。


 そのトップが視界に入ると同時、別の何かに気がつき杏鈴はふと、顔を上げる。


「あっ……」


 視線の先に見えた姿に杏鈴の潤んだ瞳は大きくなった。お決まりの笑顔を浮かべ、ゆるゆると手を振っている賢成まさなりが立っていたのだ。


「おーさげちゃんっ♪ 今日はちゃーんとおさげにしてる~。可愛いね」


 近づいてき、ぐいっと顔を覗き込んでくる賢成に、杏鈴の身体は意思に反し少しばかり熱を持つ。


 どうしてだろうか。


 仁子ひとこつばさが指摘するように、目の前にいるは自身のリアルなストーカーであるかもしれないのだ。


 会ったことはないはずなのに、自身がおさげに髪の毛を結うと知っていた。教えてなんていないはずなのに、ここで働いていることも知っていた。



 あなたのことなんて、知らないはずなのに。



 込み上がる気持ちを堪えるため、徐にネックレストップを握った杏鈴。見つめてくる賢成の瞳は全てを見透かしているようで、胸の鼓動は早さを増すばかりだ。


「そんな新堂しんどうちゃんみたいに怖い顔しないでよ~。お話ししたいからきただけなのに~」

「えっ。あ、ご、ごめんね」

「お仕事何時まで~?」

「えっと、今日忙しかったから、元の上がり時間から結構過ぎてるんだよね」

「そうだったんだ~。じゃあ帰ろうかな。何だか悪いし」

「えっ?」


 引きの早い賢成に、無意識に漏れた杏鈴の戸惑いの声。嬉しくなったのか、にやにやと賢成は口角を上げた。


「えっ? って~、帰って欲しくないの?」

「ち、違うよっ。そんなんじゃ……っ!」


 瞬間、賢成が殺気立って斜めのほうを見上げたのに、杏鈴はビクッ、と肩を揺らした。


「ごめん、驚かせちゃって。蝶かと思っちゃった」

「蝶?」


 釣り下がっているお洒落なランプの周囲で羽をはためかせているのはよく見る茶色の蛾。杏鈴が首を傾げていると、背中に店長の声が届いた。


「杏鈴ちゃんっ! もしよかったら、少し休憩してきて!」

「すみません、すっかり手止めちゃってて。やります!」

「いいの。その、休憩して、もー少し頑張ってくれたら、本当に助かります……」


 語尾を濁し苦笑いで頭を下げてきた店長に、杏鈴は微笑して深く頷いた。


 片づけかけていたテーブル席のみ素早くリセットし終えると、杏鈴は賢成とすぐ目の前に広がる海へ向かって歩き始めた。


「店長さんに気い遣わせちゃったかね~。まぁ正直嬉しいんだけどね。あんちゃんと話せるの」


 はっきりと感情を露呈してくる賢成。杏鈴は恥ずかしさから砂浜に残っていく足跡を見つめる。


 賢成が誠也せいやから話があったと言う“青い蝶”についての説明をする中、二人は適当なところで砂の上に腰を下ろした。


「ってことだからさ、気をつけようね~」


 押し引きを繰り返す波。賢成のほうはツン、として見ず、その波に杏鈴は視線を置いたままにする。


「杏ちゃん?」

「……あなたこそ、気をつけないと……W武器、ないよね」


 剣、銃、槍、斧いずれかのWをMemberメンバー各々が所持する中でgameゲームの設定上賢成だけWが与えられていない。第一の物語で真也しんや扮するDark Aダークエーが隠し持っているのではないかとも考えたが予測は外れ、賢成のWは結局見つからぬままだ。


「心配してくれてありがと~。でも、この前Crystalクリスタル覚醒させれたし。せい曰く覚醒させた人にはいいことあるみたいなんだ~。だから何とかなりそ~」


 ACアダプトクロックの表面を見せるために賢成は杏鈴へ自身の左腕を伸ばした。表記されている“NARIナリ=EARNESTアーネスト”の文字。“一途な”と言う賢成のCrystalに宿っている意味に、杏鈴の鼓動はトクントクン、と音を立てる。


「そういやさ~」


 緩さを保ちながら放たれた賢成の言葉に、杏鈴の鼓動は一際大きく、ドクン、と音を立てることとなった。



「 “あなた”じゃなくて、“なりくん”だよ?」



 言葉を返せぬまま、杏鈴は波を見つめ続ける。


「誠やしんと同じで、杏ちゃんは俺のこと、“なりくん”って呼んでくれてたよ」


 締めつけられる感覚。堪らなくなり杏鈴は胸の辺りの服を両手で握る。


「まあ、覚えてないよね~。でも、“なりくん”って呼んでくれたら嬉しいな」


 賢成のふんわりとした笑みが向けられているのを感じるが、杏鈴はそちらを向こうとはしない。その笑顔を目にしたくないと感じていた。


 自身の覚えていぬことを賢成は覚えている。自身の記憶の中に賢成はいないが、賢成の中にはやはり自身がいる。


 巡る思考に小刻みに身体が震え出していることが賢成にばれぬよう、杏鈴は胸元の両手に力をさらに込めた。


「杏ちゃん」


 賢成が自身の名を呼ぶ声に杏鈴は反応してしまい、その勢いで賢成のほうを思わず見やってしまった。伸びてきた賢成の両手は杏鈴の目線より上へと上がっていく。賢成両手が引いていくと同時、頭に感じた重量感に杏鈴の両目は上向いた。


「わっ……」


 そっとそれを手に取り、杏鈴は膝の上へと下ろす。小さな白いコロンとした花の蕾。丁寧に編まれた緑色の茎。賢成が杏鈴の頭へ乗せたのはシロツメクサの花冠だった。


「これ、どうしたの?」

「作った~」

「えっ、凄い! 上手だね! 小さい時、よく作ったよね、こう言うの」

「うん……そうだよね~」


 賢成は軽く伏し目がちになりつつ杏鈴の膝から花冠を手に取ると、再度その頭上へ優しく乗せた。その賢成の表情と行動に杏鈴はこくん、と息を呑み込むと、意を決したように言葉を口にした。


「……もしかして、わたし……と、この花冠、作ったことあるのかな?」

「……うん~、そうだな~。作ったと言うよりは~……ってか、思い出してくれた?」


 眉を潜めて首を横に振る杏鈴。賢成は杏鈴を見つめたまま笑みを浮かべて続けた。


「シロツメクサの花冠、その時流行っててさ。女の子みんな頭につけて遊んでた時期があって。みんなは綺麗に作れるんだけど、杏ちゃんだけ何回やっても上手く作れなくてさ。周りの子に置いてきぼりにされちゃってぐすぐす泣いてたんだよ。俺、作りかた知らなかったんだけど、杏ちゃんに喜んで欲しくていっぱい練習した。それで作ってプレゼントしたら、涙擦って今みたいに頭に乗せて笑ってくれたよ」


 杏鈴はぎこちなく片手を頭に伸ばし、そっと蕾のひとつに触れる。顔が熱を持っていることはもうばれてしまっているだろう。逸らすことなく、杏鈴も賢成の瞳を見つめ返した。


「俺がいっぱい練習した理由は喜んで欲しかったのももちろんだったけど、幼いながらに知ったシロツメクサの花言葉の意味にもあったんだよね」

「花言葉?」

「そう。知ってる? シロツメクサの花言葉」


 杏鈴はふるふると、首を再び横に振ってみせた。


「 “私のものになって”だよ」


 はっと杏鈴の潤んだ瞳は開き、胸は先刻と同じように締めつけられ始めた。苦しさに顎が上がってしまう。薄っすらとだが、賢成の頬も染まっているように感じられる。


「俺、ほんと恥ずかしいんだけどさ、ませガキだったんだよね~」

「……その、幼い頃ってどのくらいの時?」

「ん?」

「保育園? 小学校? それとも……」


 杏鈴の苦し紛れな問いかけに、賢成の瞳の奥が深くなった刹那。


「杏鈴ちゃーん! ごめんねー! そろそろお願いしまーす!」


 店長がテラスから身を乗り出し、手を大きく振っている姿が見えた。


「あ、すみませんっ! 今戻ります!」


 杏鈴が砂浜から腰を浮かせ立ち上がると、パンパンッと両手で砂を掃っていく。


「なりくん、ごめんね。わたし戻るね。冠……ありがと」


 頭から花冠を下ろし両手で持つと、杏鈴は一歩を踏み出した。


「杏ちゃん」


 振り返ると、賢成は普段とは違う真面目な顔をしていた。


「俺、今もだから」


 半開きになっていた口元を杏鈴はキュッ、と締める。


「今も、俺のものになって欲しいって、思ってる……」


 波の音も風の音も、わずかな音さえも耳に入らぬまま、少しの間、二人は見つめ合っていた。


 どう返答するのが正解なのか判断するのは難しかった。杏鈴は無言でぺこっ、と頭を下げると、カフェのほうへ小走りで戻り始めた。



 その背中を痛んだ心を滲ませたような顔つきで、賢成は見送っていた。





 〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜


 ◇Link◇

 https://kakuyomu.jp/works/1177354054881417051

 ・EP1:※◇16

 ・EP1:◇19

 ・EP1:◇29

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