◇3.花火の約束と透き通った歌声
「なあ、
名刺を手に取った
「えーと、何で?」
「や、何でと言われるとあれなんだけどよ。単純に気になったっつーか。ひとりだけ事情不明じゃね?」
疑惑の
ただ、引っかかるのだ。賢成の腹の奥底に潜んでいるであろう謎が。
「えーと……」
単純に誠也は困り果てているように見える。その様子に
「誠也くん、もしかして、知らないのかい?」
「へ?」
優から気の抜けた声が漏れたのも仕方ない。誠也と賢成は長年の親友、互いが現在何をしているかは当たり前に把握しているものだと思っていた。
「先輩、それはないんじゃないっすか」
「そう、なんですよね……」
重なり合った優と誠也の声。優の両目はじわじわと拡大していく。
「学生ではないって言うことだけは分かるんですけどね」
「どうして? 聞けばいいじゃない」
仁子の言うことはごもっともだ。しかし、誠也は微妙そうな表情を浮かべ頭を軽く掻く。
「
「学生じゃないって言うのは本人から聞いてることなの?」
「いや、会話の流れでって言うか……」
「会話の流れって何だよ」
「高三の時、進路の話をしていてその流れで進学しないって言ってたから」
「そこから会話、広がらなかったの? 不自然に感じるわ」
「広がらなかったと言うよりは、広げなかったが正しいかもしれない。僕は
「白草くんって転入してきたのよね。どこから越してきたの?」
「都会を越えた反対側の海の地域から。お父さんの転勤とは言ってた」
「そうなの? 私と同じだわ」
「
「そうよ。大学でこっちに出て来たの」
「白草は今も実家に住んでんのか?」
再び誠也が口籠る。優は息を漏らしつつ苦笑いをした。
「それも知らねぇのか……」
「実家だとしても、もしかしたらまた、引っ越してるかもしれない」
「どうしてそう思うんだい」
静かに話に耳を傾けていた輝紀が口を開くと、誠也はそちらを見向きひとつの単語を言い放った。
「傘」
輝紀の眉がピクッと動く。
「先輩、覚えてますよね? みんながブラックホールに吸い込まれたあと、成くんがきて……」
誠也は優と仁子にも分かるようにその時の状況を説明し始めた。
優達がブラックホールに吸い込まれていったのち、その穴が小さくなり閉じようとした瞬間に賢成が到着したこと。誠也にくるなと強い口調で言い、手にしていたビニール傘を広げ手に持たせてきたこと。そして、その傘は、どうしてか濡れていたこと。
「あの日は雨なんて降ってなかった。一日中晴れだったでしょ? それを思うと、どこか、違う地域からきたのかなって……」
三人の顔を順々に見ると、誠也は眉尻を下げながら微笑んだ。
「成くんは本当に大切な友達。成くんも僕のことをそう思ってくれてるけど、互いに知らないこともあるし、むしろ、知らなくていいこともあるって僕は思ってるんだ」
その誠也の表情を窺い、紙コップに入ったぬるいお茶を、優は考えを巡らせながら啜っていた。
◇◇◇
黄色いラインの入った電車の扉が開くと、
『取るのがおせえんだよっ!』
「ごめん~、今電車から降りたとこでさぁ」
“もしもし”できてくれるかと思いきや罵声だ。電話の相手は
航と梨紗は黄色の光を放つ
『電話何、用件十秒で』
「えっ、えっ、ちょっと待って、十秒は絶対無理! 梨紗ちゃん予定あるの?」
『もう十秒経ったな』
「うえっ、もう少しだけ時間頂戴っ。まだ、何も話せてないんだよ」
階段を下り、駅構内にあるカフェの壁へ背中をつけ、航は途切れている呼吸を整え始める。受話部を通して梨紗が鼻から息を漏らす音が聞こえた。
『しゃあねえな、ってか、あれだろ? 次の
「そう! 今日さっきね。【
『言われなくても分かるっての。おかしいんだよ。店の中いきなり暑くなってさ。気がついたらあたし以外のスタッフみんな夏服に変わってるし。それ以外考えられないだろ』
「察しがよくて助かるよ。それで……」
『あ、詳しい説明いいよ。めんどくせえだろ? あたし、何でもいいからさ。またあの
「あ、うん。まあそうだね……」
梨紗のこの基本スタイルである“何でもいい”は非常に楽な姿勢だ。説明の手間も省けるし電話代だって浮く。しかし、彼女の“何でもよい”は航からすると“何でもよすぎる”のだ。
航は梨紗のしているいくつかの発言に引っかかりを感じていた。彼女の口から度々漏れる生きることへの執着を感じさせないワードの数々は、航の胸の中の違和感を掻き立てるのだ。
冒頭の梨紗の言葉へと意識が戻ったのか、航は慌てて口を開いた。
「って、梨紗ちゃん、今日用事ってどこいくの」
『逆に今、航はどこだと思ってんの?』
意味有り気にからかってくる梨紗に、航の顔は知らずと熱を持ってしまう。以前、梨紗には似合わぬカフェを選んでしまったために起こしてしまった赤っ恥事件が嫌でも蘇ってくる。
『まあ、チェリーくんの航には刺激が強いから控えるわ』
「もう! 梨紗ちゃんまたそれっ、もう~~!」
『何だよ。別に誰にも迷惑かけてないじゃん。ヤりたいからヤってるだけでさ』
「ねえ結局言ってるからね! オブラートに包んでるつもりかもだけどダダ漏れだからね!?」
『航、童貞捨てたくなったらその時はいつでも呼べよ。大歓迎』
「捨てません! ってか……っ」
完敗だ。航は言葉を失ってしまった。電話の向こうからケラケラと笑う梨紗の声。
『わりい、もう待ち合わせの場所着いちゃうから切るよ』
言わずとも、梨紗が約束しているのは男であろう。彼女は性に関してだけは非常に貪欲なのだ。それが唯一の執着であるのかもしれないが、航は他人であるにも関わらず梨紗のその行動をどうしてもいいと割り切ることが出来ないでいた。
「り、梨紗ちゃん!」
『ん?』
右手を火照った顔に押し当てながら、航は肺いっぱいに空気を吸い込んだ。
「こ、今度はさ、焼鳥屋さん、いこう」
航はきょとん、と首を傾げる。梨紗の声が返ってこない。
「あ、あれ もしもし。梨紗ちゃん?」
『……航ってさー』
いつものトーンとは少し違う色っぽさを感じる梨紗の声に、航の心臓はトクンと音を立てる。
『ぶっちゃけ、あたしのこと好きだよな』
「…………はああああぁ!?」
一瞬でも跳ねた鼓動を航は呪った。駅構内に響き渡った声にちらちらと人々が振り返る。
『まーまー照れんなって』
「照れてません!」
『いーよっ』
「へ?」
『焼鳥、楽しみしてる』
「……そう、ですか……」
梨紗がにこっと笑みを浮かべているのが声の調子から伝わってくる。航は口を窄めて頷いた。梨紗との通話を終えたのち、航はしばらくの間、気持ちが落ち着くまでズルリと壁に凭れたままでいた。
◇◇◇
屋根の低い軒並み。薄めの青や柔い紫色の紫陽花が咲いている細い道。そこに肩を並べて歩く一組の男女の影。
左手首につくACを口元に近づけ会話をしている男、
「……じゃあ、そう言う感じで。よろしく」
「航くんどうかしたの」
ちらっと杏鈴を横目で見ると、翼は肩を竦めた。
「……あー、ある意味、病んでるのかもしれん」
「えっ、大丈夫なの?」
「……お前の友人のせいなんだがな」
「友人?」
杏鈴の語尾に疑問符がつくこと。翼はそれがわざとつけられているものではないかと勘繰りながらも、何も思っていない振りを遂行する。
「……如月」
「あぁ、梨紗ちゃんか」
「……高校の時からだったと言っていたよな。当時からそう言う感じか?」
「そう言う感じ?」
「……まあ、はっきり言ってしまうとビッチと言うのか」
「翼くん。はっきりしすぎだね」
「……他に適切な表現あるか」
「んー、どうだろうな。高校生の時だし、あんまりそう言う話はしなかったかな。ちょっと、恥ずかしいしね」
「……そうか」
杏鈴はパタパタと仰ぐように手を動かすと、鞄からタオルハンカチを取り出し、首元に滲んだ汗を拭き取り始める。その汗がただ単にAdaptされた夏のせいであるのか、はたまたそうではないのか、翼の焦点はその首元に下がるハートクォーツのかたちをしたネックレストップに留まる。
「あっ!」
高めの声を上げ、杏鈴は足を止めた。翼も立ち止り彼女が指しているものを見る。町内掲示板の緑色のマットに貼りつけられている一枚の広告。そこには海沿いで開催される花火大会のお知らせがこと細かに記載されていた。
「花火だっ。ねえ翼くん、この日シフト空けられる?」
「……ああ、恐らく。仮に入らないといけないとしても、時間の調整は出来るぞ」
「ほんとにっ? じゃあ一緒に見ようよっ」
アッシュベージュのふわふわとした緩い巻き髪を跳ねさせながら振り返った杏鈴の笑顔と潤いを持った瞳。翼の脳裏には賢成の顔が一瞬過ったが、その次には表情を緩めて頷いていた。
「……俺の家、特等席だぞ。よく見えるんだ」
「じゃあ翼くん家で決まり。お酒買って花火晩酌だねっ」
「……最高だな、そうしよう」
軽くスキップをしながら杏鈴は先に進んでいく。次の瞬間、翼は耳に流れ込んできた衝撃に、一歩を踏み出せなくなった。
透き通った歌声。
今までに聞いたことがないほど澄み切った音色。
音源は紛れもなく、今目の前を楽しそうに進んでいく少女だ。
「……おい」
ようやく翼と大分距離が空いていたことを知った杏鈴。パタパタと小走りで駆け戻ってきた。
「ごめんねっ、いつの間にかこんなに離れちゃってたんだね」
「……お前、歌、半端ないな」
「……え」
杏鈴の潤んだ瞳孔は開いていく。どうやら歌声は彼女の意識のないところで漏れ出していたようだ。
「き、気のせいじゃないかな。空耳みたいなっ」
「……いや、お前の声だ」
翼から視線を外すと、杏鈴は両手を胸の前で組み、揺れのある声を発した。
「き……聴かなかったことにして」
新たなヒントを発見したと翼は強く認識する。伏し目がちな杏鈴の眉間に出来た深い皺。それは歌声を耳にした翼に対する怒りや八つ当たりの感情からでは恐らくない。歌をうっかり口ずさんでしまった自身に対する嫌悪感、そしてそれを聴かれてしまったと言う点に何かまずいことが潜んでいるに違いない。
杏鈴の抱えている闇。それは慮外に深い。翼の中を第一の物語で感じ取った様々な事柄は巡る。
「……嫌だ」
「へっ!?」
両手を頭の後ろで組みながら、翼は杏鈴の横をすり抜けた、杏鈴は大慌てで追い駆けてくる。
「翼くんっ」
「……何故? 忘れられるわけないだろう」
ピタッ、と急に翼が再び停止したため、杏鈴はその背中に鼻をぶつけた。きゅっ、と目を閉じスリスリと鼻を擦り痛みを和らげようと試みている杏鈴へ、翼は視線だけを向けた。
「……そんな綺麗すぎる声、これまでに聴いたことないぞ」
潮の香が風に運ばれてくる。沈黙の中、杏鈴は背中から翼の服をギュッ、と両手で掴むと、その顔を上げた。
「じゃあ、知らないことにして欲しいの。わたしが、歌を歌うってこと……」
翼は再び杏鈴のネックレスに視線を落とした。ハートの中に浮かんでいる二種類の青色の花びら。
「……承知」
再浮上してきた賢成の顔を掻き消すように、翼はゆっくりと杏鈴のほうへ向きその頭を撫でるとスピードを速めて歩き出した。不安そうな表情をしながらも、杏鈴は翼の背中についてくる。
その後背で、ふわり、ふわりと遊ぶように舞うもの。大きなサファイアブルーの色素を漆黒の縁の中に埋め込んだ羽を持つ蝶。
その蝶は紫陽花へと留り一休みする振りをして、翼と杏鈴を見つめていた。
◇Next Start◇二章:
〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜
◇Link◇
https://kakuyomu.jp/works/1177354054881417051
・EP1:※◇20
・EP1:※◇22
・EP1:※◇23
・EP1:七章全体
・EP1:◇31
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