第7話 蓮華

人とアンドロイドの違いはなんだろう?

そう声に出すと、視線の先にいた蓮華が振り向いた。


***

まずは僕のこれまでの生い立ちの話をしよう。

僕は生まれたときから病気を持った子どもだった。

生まれたときは普通の子どもと同じなのだけど、やがて体の自由が利かなくなるような病気。

脳は障害されないから、いずれ全身が動かなくなって呼吸すらできなくなってなくなるという病気。余命は5年あるかないか………だった。


『ご両親のことは残念だ。…こんな状態の君に聞くのは申し訳ないと思っている』

『久遠君、君はこの先どんな苦痛が待っていたとしても、もし生きられるのなら。かつてと同じように走り回ることができるとしたら、どちらを選ぶ』


そう言われたのが今までの事例の中で比較的ましな状態を保っていた6歳の頃。3歳ごろまでは走り回れていたけれど、その頃はもう両足が動かなくなっていて、腕がぎりぎり動かせるかどうかという時だった。

その時に親がどっちも流行り病で亡くなった頃で、僕をどうするか親戚や市の職員の人たちが話し合っていた。けれど僕にかけられる言葉は、かわいそうにとか心配しないで安心しなさいという言葉だけだった。

その中で僕に直接話しかけてきた人は、アンドロイド研究の偉い人だった。


『チャンスがあるなら、やらなきゃ。僕には、あとがない』


僕は願ってもいない申し出にそう答えた…らしい。

その時の汚い僕の署名は貴重品の引き出しの中に今も入っている。


当時アンドロイドは実際の家庭に導入され始めた、という時期だった。

アンドロイド研究の機関では不備の解消や性能強化の研究を行っていたが、それと並行して部品の生体への運用も研究されていた。わかりやすいのだと人間の神経で動く義肢など。

だが研究されていたのはその先、人工的に作られた人間の神経、そして筋肉だった。

事故で腕や足を失った人に代用するところまではできていたそうだ。しかしいまだにテスト段階だったそれを通常の人間に使用するには…倫理的問題が多い。

そんな中で比較的病気の進行も遅い、そして会話ができる、あんまり言いたくないけど反対する親がいなかった僕が選ばれた。


流行り病で親を失った僕は研究所付きの医療介護施設に入所し、そこで暮らすことになった。そこで驚いたのが、僕にもアンドロイド法が適応されることだった。

名前は蓮華と言って、研究直属のアンドロイドで機械のメンテナンスもできるという機体だった。


『身の回りの世話は任せてください。坊ちゃんの楽しいときも、悲しいときも、私がそばにいますよ』


彼女の言葉は、絶望を通り越して鈍くなっていた僕の心に射した光だった。


それから僕は順を追ってまず動かなくなった自分の足を捨て、神経が病的変化をしていた上肢の神経を入れ替えた。

神経を入れ替えているので組織が生着するか、感覚が前と同じように戻ってくるのか、再び歩けるようになるのか。前例はあっても自分が同じようになるとは限らない。何度もそう説明されていた。

だけど、病気のことを考えれば結局変わらないものだと思っていた。

手術の痛みや神経の痛み、不安からくる何とも言えない気持ちもあって決して楽だったとは言えなかった。


だからこそだ。蓮華の力を借りて、地面に立った時の気持ちは決して忘れない。

足の裏に感じる土の感触、足に体重をかけても耐えうる骨、筋肉。転ばないように踏ん張ってみたけれどバランスがうまく取れなくて二人で転んだ。


生まれて10数年の僕が語れることなんてあんまりないけれど、生い立ちはこんな感じだ。


***

結果的には僕の体を使った研究は成功したということらしい。とは研究員の人の話。

定期的な調整と、研究のための検査、治療の継続、経過を観察するために僕は同じ施設で蓮華と暮らしている。

僕は普通の人と大差ない生活を今は送っているけれど、病気の進行が止まったわけではない。今機械の部分を入れ替えながら、もし交換が必要な部位が出てきたら交換をしていかなければならない。


「人とアンドロイドの違い、ですか?」


点検に使用した工具を片づけながら、蓮華は首を傾げた。


「………僕はだいぶ蓮華に近づいているんじゃないかってこと。この先体がどんどん機械になっても、僕は人間なのかな」


得心がいったという顔で蓮華はうなづきながら、僕の足を取りつけにかかる。

機械のメンテナンス中は特にすることもない、強いて言うならじっとしていることだろう。

取りつけの際に振動と、ガチャガチャという音がする。


「できましたよ、坊ちゃん」


足を動かす。―――問題なく動く。


「立ってもいい?」


返事を聞く前に腕だけを使って体を起こし、足を床に下した。


「問題ないですよ」


そういいながら、部屋の隅の洗面台で蓮華は手を洗っている。

横目でそれを見ながら、僕は立ちあがり大きく伸びをした。こわばっていた筋肉が伸びる感じ、血流が下へさっと流れていく感覚がする。


「あ、それで坊ちゃんは人間かって話ですよね」

「………?」

「人間とアンドロイドは違いますよ。そして坊ちゃんは人間で、私はアンドロイド」


アンドロイドの指先の素材は人間の皮膚に非常に近い素材にされている。そのため人と同じようにケアをする必要がある。

丁寧にタオルで手を拭いてから、保湿クリームを指先まで塗り、爪先の荒れ具合を細かく確認してようやくこっちを見た。

僕がこれまで普通の人と生活する機会が無かったせいもあると思うが、彼女の仕草を見ていると分からなくなる。

この作業部屋にいる必要もないため、僕たちは部屋の外へ出た。


「死のお話をしても?」

「うん、いいよ」


廊下の数区画先に僕の部屋があり、その途中に庭に出る大きな窓と休憩所がある。

歩きながら発せられた突然の単語に少し驚きながら先を促した。


「坊ちゃんは、体を機械で補っています。…だた、それには果てがないです」

「例えば心臓が止まれば死んでしまうとしても、心臓が代替のきくものであるなら交換すればそれで死ぬことにはならない。内臓に病気が見つかって、摘出したとしてもほかの機能や機械で代替できるなら死ぬ直接の原因にはならない」


僕の体での研究をできるということ、成果が出ているということからもわかるだろうけど、現代の医療技術は進歩している。昔だったら助けられない命が助かったり、寿命が延びたり。人の助けがなければ生きられなかった人が助けなしに生活できたり。


「死なない人間なんていない。僕だってさすがに脳みそも交換して生きてやろうとかは思っていないし。そこまで生きることに執着はしないよ」


また歩くことができて、生活できているという事実だけでもう僕は十分だ。無駄に寿命を延ばしたとしてもやりたいことはない。


「アンドロイドに定義としての死はありますが、本当の死はありません。逆に生きているということも定義上にしかない。私たちの脳に相当するところには人工知能があって、学習機能に応じた思考や仕草を行っているだけです。このデータをほかのアンドロイドに移してしまえば、私になるでしょう。でも、坊ちゃんはここにいる坊ちゃんしかいない。同じ人間などどこにもいないんです」


休憩所に着くと、蓮華はコーヒーを一杯分作り僕に手渡した。近くのソファーに座る。

「人間とアンドロイドの違いはそこなのかな」

「おそらくそうはないかと」


蓮華が言うには、アンドロイドは人間の模倣をしているようなものだそうだ。

ただ、模倣にも限界があって、繊細なところまでカバーできない。もっとも人間の体のすべてなんて解明されきっていないんだから、模倣の仕様がないとも言った。

人間の体は人間が模倣しようと思ってもできないほど複雑なのだ。

だから限りなく近づいたとしても結局アンドロイドと人間はどこまでも違うのだ。


アンドロイドに近い人間、人間に近いアンドロイド。

越えられない境界は、目に見えないものであっても確かにあるんだ。


「機械で蓮華は動いていて、思考しているのは知ってるよ。でも、」


数年一緒に暮らしていて機械だなって思う瞬間はいくらでもあったけれど、やはり僕は彼女が生きているようにしか見えない。

そう伝えても否定されることはわかりきっていたので口を閉じる。

そのまま黙っていると、視線から何かを汲んだのか彼女は目を細めた。

機械でできた瞳孔が少し広がっているのが見える。


「……では、もう一つお話ししましょうか。これは、私の主観なんですけど」

「うん…?」


瞳孔を確認してから視線を外さずに見ていると、彼女の口角が上がった。

そのまま目を見つめる。


「私はあなたと暮らしていて思ったことがあるんですね。

例えば、あなたが歩けるようになったこと、前よりも笑うようになったこと、あちこち駆け回っている姿を見ること。

この姿をみて私はとても嬉しいと思いました」

「例えば、この先の不安におびえている時、換装直後の神経の痛みに苦しんでいる時、…今みたいに悲しい顔をしている時。私はあなたの助けになりたいと思いました」


あくまで主観だと彼女は語る。その目はまっすぐに僕の目を、その奥の僕の心を見透かすようだった。


「私たちは人間のように生きることも、死ぬこともないです。でも、そんな私でもできることがある。そう私を作った人は言いました」

「『坊ちゃんの楽しいときも、悲しいときも、私がそばにいますよ』」


一言一句違わず述べると、蓮華は驚いた顔をした後にゆっくりと微笑んだ。


「人間ではないんです。私たち。けれど、あなたの傍にいて一緒に過ごすことはできるんです」

「うん。………そうだね」


あの時僕の周りにはたくさんの人間がいた。

優しい言葉をかけてくれる人もいた。けれども、それは僕の欲しい言葉じゃなかった。僕を救う言葉ではなかった。

誰も助けてはくれなかった。その中で、僕を支えてくれたのは蓮華だった。

彼女は僕の光だったというのはそういうこと。


「ぼ、坊ちゃん?どうしたんですか?なんで泣いてるんですか?」

「………え、泣いてた?」


こくこくと蓮華はうなづいてから、棚の上のティッシュ箱を渡してくれた。それで顔をぬぐうと、確かに濡れていた。


「なんか、安心したのかも」


心配げに見守る蓮華に対してそう声をかけて、鼻をかむ。

この話をして確信したけれど、僕にとっては周囲の人間よりも蓮華のほうがはるかに意味のある存在だ。

知り合いにも一応人はいる。友人と呼べる存在だっている。けれど、彼女は僕にとって一線を画す存在なんだ。


アンドロイドと人間は違う、同じものではない。

そんなことは蓮華と話す前からわかりきっている。けれど、彼女と過ごした数年間は僕のものであり、彼女のものなんだ。他の人と共有できるものではない。


「怖いことを言いましたけど、私から言えることはですね。アン…蓮華は、あなたの傍にいることはできますから。ええ、安心してください」


坊ちゃん。と言って彼女は僕の頭を撫でた。それから、坊ちゃんは年齢の割に頭が良くて困ると愚痴のように言われた。


人とアンドロイドの違いは何だろう。挙げられる点はいくらでもある。

そうして二つの存在が違うものであると確認できる。

でも大事なのはそこじゃないんだ。僕が答えを求めていたのはそこじゃない。

君がずっと傍にいて、一緒に暮らしていけることが僕にとっての大事なことなんだ。



おわり


蓮華―レンゲ

花言葉は「あなたと一緒なら苦痛がやわらぐ」「心がやわらぐ」

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Android Children ササラヤ @clenast

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