第6話 豌豆
Android Children05
幾年先の未来。
この国において未知のウイルスが流行する。
風邪に似た症状が徐々に悪化し治療を行わなければ1週間の内に死ぬという
鑑別が困難であることや、罹患者は20歳前後から上の成熟した肉体を持つ大人が中心であったこと、政府の発表が遅れたこと、また確固たる治療法がなかったため瞬く間に感染は広がっていった。
特効薬、ワクチンが開発されたためそのウイルスの流行には終止符が打たれたものの、様々な問題が残された。その中で最も深刻であったのは今回の流行により親を亡くした未成年の急増である。
大人のいる家庭にはたいてい子どもがいる。また、政府も既存の児童福祉施設へと保護していたが、施設の管理や子どもの世話をするもの大人たちである。人員と施設が不足していくことは明らかであった。
そこで政府は18歳以上の比較的自力で生活可能な家庭には助成金を与え、該当しない家庭には特別政策として、実験が終了したばかりのある装置が贈られた。
その特別政策により彼らに育てられた子供たちは後にAndroid Childrenと呼ばれるようになる。
「……ええ、はい。………ええ」
電話の相手から今回提出した書類の顛末を私は聞く。淡々と。
その私を傍らにいる豌豆が心配そうに見ていた。
「……はい。では」
通話終了のボタンを押し、震える手のままゆっくりと端末をおろす。
歓喜でも落胆でもなく、単なる緊張によるものだ。
予想していた結果が確定される直前のあの緊張はいつまでたっても慣れない。
「…………あの、莢香さん。どうでしたか?」
豌豆からされたその質問に対し私はゆるゆると首を振った。
力の入っていた肩をほぐす動作をわざとらしくしながら、近くの椅子に深く腰掛ける。
勢いのままに座ると最近遠近両用へと変えた眼鏡がずり落ちた。
「“結果は表沙汰にはしないが、今後も運用は継続する”だそうよ。虫がいいにもほどがあるわ」
「そうですか」
そう言った豌豆の表情は驚きも大きな落胆もない。豌豆にとっても予想していた選択肢の一つが選ばれたせいだろう。
***
数年前、私も研究員の端くれだった時代があった。
当時かかわっていたプロジェクトが学習機能を兼ね備えた人型の機械の開発であり、開発の際にバイオ方面とも連携して、人間に限りなく近い、人間にも応用できてしまえる機械を開発した。子どもの面倒から老人の介護まで対応できるよう、知能については各方面の専門家の意見を基にプログラムを組み上げて。
私には夢があった。それは、おおざっぱに言うと人が幸せに暮らせる社会。一点でいうなら、人とそうでないモノが共存して暮らせる社会を作る一助になるということ。もう一つは後で語ることにする。
QOL、クオリティ・オブ・ライフという概念がある。それは一般に、ひとりひとりの人生の内容の質や社会的にみた生活の質のことだ。
障害者をみた“そうではない普通のひと”は彼らを見てああ大変だな、かわいそうに。と多かれ少なかれ感じる。これについては恥じることはない。その人のただの価値観でしかないのだから。肝心なのはそう見られたその人自身が生活をしていて不自由なことはないか、自分らしく生活しているか、楽しいかということだ。
その人がどれだけ人間らしい生活や自分らしい生活を送り、人生に幸福を見出しているか、それを尺度としてとらえる概念がQOLだ。
誰かのそれを満たしてあげる何かを作り上げることが、とても楽しかった。その一助になれるならと思うとさらなる努力も惜しまなかった。
―――誰かが言った。“これ”は近年の我が国における社会的問題の打開策になるだろうと。
―――続いて誰かが言った。これは運用を間違えれば更なる社会問題を引き起こすだろうと。
社会問題というものは、項目別に上げると様々なものがあるがすべてどこかで繋がっている。孤立している問題などなく、互いに影響しあいながら現在を形作っている故に革新がなければ揺らぐことはない。しかし、革新的な要素が社会全体に起こす影響は良いものなのか、悪いものなのか見誤ってはいけない。それは国家の破滅へと繋がってしまうからだ。
―――だからこそ我々が綿密に、先の先を見ながら計画をしなければならない。私たちではなく、“これ”の幸せを願うのならば。
練られた計画は着実に進行し、国の許可の下近々どこかの施設での試験運用を計画していた、そんな時。
件の感染症が流行したのだった。
スペイン風邪というのを知っているだろうか。要するにインフルエンザである。流行当時は検出方法がわからず、原因が何であるかさえもわからなかったという。そのため医療従事者の感染、医療体制の崩壊、さらなる被害拡大へとつながっていったのだ。
人類において未知の病気とはいつの時代でも脅威である。人類が対抗策を出し、確立したとしても多くの犠牲が生まれていることが多い。
その20年ほど前の感染症も同じく猛威を振るったのだが、なぜか小児には感染することはなかった。新陳代謝レベルとも関連性があるとも考えられているが、いまだに謎が多い感染症である。
幸か不幸かこの国は島国のため爆発的に世界へ流行することはなかったが、国内人口の数パーセントは減少したのだ。たくさんの人が亡くなった。
「18年か。開発も含めれば20余年。……年も取るわ」
「そうですね。莢香博士もずいぶん年をとりました」
そう言って隣に座った豌豆は開発初期の頃に作られたアンドロイドである。豌豆の体は筋肉様組織、ミネラルでできた人口骨、その他繊維で構成されている。
内臓記憶こそ20数年あるが、外装はその都度最新型へ変えているため機能性に劣るということはない。昔から私の研究の助手として働いてもらっている。
「あなたは…そうね。記憶の部分だけが年をとっていくものね」
「体自体も私にとっては消耗品ですから」
そうはいっても最近の素体は人間にかなり近いため、交換の必要性はない。彼女の素体も交換して5,6年経とうとしている。
アンドロイド法の制定、施行。
運用が開始してから18年がたち、当時0歳だった子どもも18歳。早い子はアンドロイドの承認を得て独り立ちをし始める時期だ。18歳の頃にアンドロイドが導入された子は36歳。
なるほど、私も年を取るわけだ。
アンドロイドが家庭に導入された時から続けられていた研究。それは、アンドロイドと人間それぞれが子育てを行った場合、育てられた子ども達に有意な差があるかどうかということだった。
身体的、性的、心理的虐待、ネグレクト、それを包括して児童虐待と呼ばれるものはなぜ起こり得るのか。育てる親の育った環境からくるもの、その児の周囲の環境などが考えられる。
社会的に適合できない児。なぜそうなってしまうのか、の理由として育児環境が良くなかったという。
親は子どもを選べないが、子どもも親を選べない。
では、児童虐待の可能性のある親から子どもを引き離して育てることができたら、その子どもは健やかに育つことができるのではないか。と思うが、法律や倫理的に何も危害を加えられていない児を本当の親から引き離すことはできない。
そうだとしても、もしも人がつくったアンドロイドが子育てをして、もし育った児が人間に育てられた児と同じか、社会的に優れた人間に育ってしまうことがあったら。
空想でしかないそれを試す時が来るとは思わなかかった。
経過した年月に対しこれまでの研究、および子どもたちの記録データより算出された資料をしかるべき研究機関へ提出したことに対する返事が、先ほどの電話だ。
“結果は公表されないが事業は継続させていただく。”
私たちの計画があったからこそ安定して運営できた機構を手放したくはないのだと、自分の功績にしていたいという意図がありありと伝わってきた。
ここでひとつ問題でも起こさせようかと後ろ暗い気持ちになるが、彼女たちにそんな汚名は背負ってほしくないので何もしない。強いて言うならフォローアップと更なる改良だ。彼女たちも稼働中は生きている人と変わりない部分が多い。
私がこの数十年の研究で得た結果は、ほぼ同等だった。
人の手で育てられた児、人工知能によって育てられた児の成長に有意差はなかった。
Android childrenの数がそう多くなかったということと、0歳児の頃から養育されていた児が社会に進出し始める時期のため、おそらく結果は今後もっと明らかになるだろう。
ただ、この結果を国が公表する可能性は低いだろう。公表後育児放棄をする親の急増や、アンドロイドおよびAndroid childrenへの差別などの影響がどう考えても起こり得るからだ。人は自分が楽になるために受け入れることは容易にできるが、自分の立場を脅かすものには容赦ない。それは生き物において当然のことだ。
「…今だからいうけどね、豌豆。私はアンドロイド自体を開発、社会協力するために一応頑張ってきたけれど、この研究自体はあまり好きじゃないの」
「え………!?」
豌豆が目を見張る。
研究にひと段落着いた今だから彼女に話せた本音の一つだ。
「“親のいない子どもの代わりにアンドロイドに子育てをさせる”
“だから研究所のアンドロイドを調整してください”
“研究にかかる諸費用はこちらで出します”
そのときの私と、プロジェクトのメンバーはとても喜んだわ。評価されたと、結果を出せたと思えたから」
「でもね、私がもしその亡くなった親だったらどう思うかしらと思ってみて。とても怖いことだわ」
私に子どもはいない。けれどこの数十年間で私の全てを注いだアンドロイドが製造、そして外で稼働していくのを見送ってきた。
彼女たちが外で使命を果たしているか、人間から不当な扱いを受けてはいないか、ずっと気にかけていた。だから自分の手の届かないところへ子どもを遺していく親の気持ちは少しは理解しているつもりだ。
自分の子どもが機械に育てられるということを、亡くなった彼らが喜ぶとは思えない。
だからこそ私たちは彼らに恥じぬように努力を重ねてきた。……まだどんな風に影響を出したのかの結果は出ていないが。
使命を終えて帰ってきた彼女たちから話を聞くと、彼女たちはそれぞれ奮闘しており、脅威については自己回避や周囲の助力を得ながら乗り越え、ここへ帰ってきていた。
様々な思いはあるにせよ、私が彼女達に注いだそれと同じように彼女たちは人へ大切な何かを伝えてきたと。
「その親の代わりになったあの子たちが、親が伝えきれなかった色々なものを伝えることができていたらと願わずにはいられない」
私は、アンドロイド製作のプロジェクトに心血を注いだ。それは社会への貢献と、私のもう一つの夢のため。
アンドロイドという機械がいかに人間に近づけるのか、人間になることはできるのかという理想を追い求めるためのものだった。
「あの…博士」
「なに?」
「アンドロイドは人間になれたのでしょうか?」
かつて私が興奮しながら豌豆に話したことを彼女は覚えていたのだろう。
電話が終了してから静かに考え込んでいる私をみて調子が悪いのだろうかと疑問に思ったのだろう。顔を覗き込みながら彼女は聞いてきた。
「……アンドロイドは人間ではない、アンドロイドは人間になれない。と、もう言い切っていいと思う」
長年の研究とアンドロイド開発でもう十分な答えは出ていた。その結果を私は豌豆に言い切った。
アンドロイドは、機械だ。どこかにスイッチがあり、人の手で作られたAIがある。人間にはなれない。それは作った私が十分に分かっている。
「でも、もう一つ分かったことがある。アンドロイドは人間と一緒に暮らせることだ」
けれど、そんな“もの”達にもできることがあるだろう?と私は信じてひたすらに進んできた。
研究で有意差がでなかったことから言えること。
アンドロイドは人とともに暮らしていける。人が生きる過程において足りないものを補うことができる。
それは一緒に暮らしていた子どもたちもそうだが、豌豆と助手として一緒に暮らしていた私も感じているのだ。
人間と一緒に学び、感情を共有すること。
人間と関わり時には傷つき、傷つけ、和解していった彼女たちと人間の隙間はおそらく限りなく薄くなっていった。これは人間と暮らす彼女達。彼女たちに育てられた児の姿を見て思った私の所感だ。データや統計では安易に出せない結果。例えるなら…そう、親の子育てについての評価を5段階評価で評価できるかということだ。
評価結果は今後まとめて公表しますなんて言われたら困らないか?
「それがわかっただけで、今の私には十分満足だよ」
そう言って瞳を閉じる。緊張の反動か睡魔が唐突に襲い掛かってきた。
一旦ここで休憩して、起きたら今後の計画についてメンバーと相談しあおう。
彼女たちが幸せでいられるようにするための計画、子どもたちが、人が幸せでいられるような。
彼女とそれに関わった人たちが前よりも幸せになれるような。そんな計画を。
おわり
補佐アンドロイドの名前はえんどう、スイートピー(香豌豆)、
花言葉は「門出」「別離」「ほのかな喜び」「優しい思い出」
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