第5話 蝦夷菊

子育てに失敗などはない。と私は思う。

でもそれは私の話ではない、つまり。


私の子育ては失敗したのではないかと思う。

耳に障るちりついた音の中でそう彼女は言った。



個体識別番号:20**0910

個体名:蝦夷菊

使用素体:壱号機型―丙

ユーザー名:owner



『認証し、起動いたします』


その音と共に私の中に大量の情報が流れ込んできた。

聴覚・視覚・嗅覚・触覚…味覚も感じられるかどうかはわからない。

情報を自覚し、理解する。そうしてこの感覚が、素体を介してまた姿を得るということなのだと思うのに時間はかからなかった。




アンドロイドは研究材料だ。

それゆえ、アンドロイドは育児期間を終えると研究機関に回収される。


彼女たちに内蔵しているデータを別端末に移してから、機械の中にあったデータを一新し、新たなOSとまっさらな記憶野を与えられ、別の彼女となりまた育児に臨むことになる。

移されたデータ類は分析され、次のOSを作るための参考にされる。

そのため研究的価値が低くなったデータは別の場所へ保存されることになるのだ。

保存される内容はアンドロイドが任務にあたった数十年間の記憶、彼女たちの姿かたち、声、その個体ならではの仕草など、学習したことにより得た動作である。


私もそうして保存されたデータの中のひとつ。

端末を通じて日時情報を取得すると、私がデータとなってからおおよそ20数年が経過していた。



社会に出て生活しているAndroid Childrenたちが、母親である彼女たちに会うことが出来るように、データを再現できる端末が開発・実装されると聞いていたが、こうして実現するほど時代は進化したということだろうか。


それを知っていたとしても、もう私に会いに来る人はいないだろうと、最期の意識の時にはもう目覚めることもないだろうと思っていた。


腕を上げる動作をする。すると私のイメージしたとおりに腕が動く。

しかし体は以前の私の体ではなかった。

それからまばたきをして目を動かす。視界は私の思うように動いた。


部屋は私と、向かいに人が一人、簡素な椅子に座っている。他には電源をとっていると思われるプラグとコード、天井には空調の機械、部屋の入り口の上には監視カメラが置いてある。


得た情報を収束させる。

この空間の中で私を目覚めさせた人物は、おそらく目の前に対峙している人間だ。

視覚情報を確かとするならば、女性がそこに座っていた。

髪の毛は地毛なのか黒く長くのばされている。体形と合わせてすらりとした印象をもたせている彼女は、椅子に腰かけこちらを見ていた。


「こんにちは。個体識別20**0910、エゾキクといいます」


起動してすぐは確認のため自分の識別番号と呼称名を述べるのが決まりだ。

これは初回からアンドロイドに決められている行動である。そう思って声を出すと、自分の声が口の中のスピーカーから聞こえてきた。


私は今端末を借りている状態なのだろう。何も書かれていない素体にアンドロイドの個性や記憶の情報などを投影し、映しているのだろうか。

つくづく時代の進化に驚く。その驚きを気にせず向かいの人物は、私が応答したためか口を開いた。


「こんにちは、エゾキクさん。私は有須田と言います。本日はあなたのお話を聞きたくてこうして来てもらいました。少しの間だけ一緒にお話をしてくれない?」


緊張しているためか丁寧であるが早口である。また、体格に合わせて声は低くなりやすいという。有須田と名乗った彼女は落ち着いていることもあり、思ったよりも低い声をしていた。細く長い足にぴったりとしたスキニーパンツをはいており、カジュアルな装いである。

端末が収容されている部屋は窓がなく、空調が一定に保たれているため季節を感じられない。先ほど取得した日時より今が初夏であることは知っていた。


「ええ。喜んで。何についてお話ししますか?」


私は愛想笑いを浮かべたが、彼女は表情を変えず、そのまま私の目を見て話した。


「あなたが育てた子ども、夏凛くんについて。あなたがどう思っていたのかということ、どうしてあんな行動をしたかについて。それが聞きたいの。

―――あなたから昔抽出された情報が資料として残っていて、研究機関ではそれを用いてさらに優秀なOSが作られたと聞いたの。その資料でも内容について十分に詳細が分かったけど、やはりあなた自身から聞いたほうが興味深いこともあると思って」


個人的興味なのだけど、と続ける彼女の表情を見てから、そして夏凛という名前を聞いて、私は今回の目的を知る。

私がこうして端末で保存されていること、起動したとしたらこの記憶しか理由がないだろうとは思っていたから別段驚きはしなかった。


「夏凛…は、やはり研究対象として興味深かったのですか?」

「いえ。彼みたいな子はこの国でも、外国でも居るわ。私が興味を持ったのはあなた。あの時期のアンドロイドのOSには彼のような子に対するデータが無いと言っても良かったの。あなたがあの子に対した時にどう思ったのか。ええ、覚えている範囲でかまいませんから教えてください」


私は膝の上で組んでいた手を一度強く握ってから、ゆっくりと離した。そして、一呼吸置く。

染みついていた仕草もデータとして出力されるのか、と思いながら顔を上げるとまた彼女と目があった。


「……私が話すことで有須田さんのお役に立てるなら構いません。どのくらい長くなるかは分かりませんが、お話しましょう」


***


「夏凛はスカートや、かわいい色が好き?」

「うん!」

「そうなの?」

「こっちのほうがいい。こっちのほうがすき。えぞはへんっておもう?」

「…………」


私が夏凛と出会ったのは、彼が例の病気で両親を亡くした3歳の頃でした。

あの子は…当時でいえば不思議な子だったと思います。


幼稚園では女の子と好んで遊び、かわいいものが好きだった。

けれどそれを親によって抑圧されていたようで、なんでしょうか。自分をどう表現すればいいのかわからない。そんな子どもでした。

3歳児は親に対して自分の主張をする時期です。それを親に抑えられていたようでした。

それを夏凛から教えてもらった時には正直どうかかればよいのかと頭を抱えましたけど、

関わっていくにつれて、あの子にとっては女の子らしく過ごすことが自然体であるということが私にも理解できました。

ここで私が女の子らしく、と表現するのも正直語弊があると思います。でもうまく表現できないのです。


人には染色体による性別と社会的立場による性別があります。

前者は絶対的なもの、後者は文化的なもの。夏凛はその中から少し外れている子でした。親はそれに気づいて修正を行おうとしたのです。

……当然です。自分の子供が世間からずれた子だとその子がつらい目にあうことも想像に難くないですし、そしてそれを産んだ親、育てた親が自分たちであることを否定したければそうします。


でも私はそうは思わなかったんです。あの子と会って、話をしたときに、この子が好むことを、他人に迷惑をかけないようにしながら生きていくことはできないか。この子がこの子らしく生きていくことはできないのかと思ったんです。

もしかしたら私がアンドロイドだったからこう判断したのかもしれません。よくわからないですけれど。


それから私は夏凛の好きなようにさせながら、かつあの子が社会の中で困らないように私の中の教育プログラムに沿って育てていきました。

定期的な検診でもこれは夏凛の個性なのだと言って納得してもらいながら経過を見てもらっていました。

ああ、その分私の定期検診も通常よりも多くあって、パスするのは面倒でしたね。

でも別に気にはしませんでした。その当時の私は夏凛が普通の子と同じであるという自信と、この子をこの子らしく育てていくのだという使命を帯びた機械であると思い込んでいたから。

思い込み、ええ。そうです。思い込みです。


そうして10年ほどだったでしょうか。

あの子にも人間として自然な変化が訪れたんです。


夏凛は染色体では男性でした。ですから体は遺伝情報を読み込んで夏凛の体を男性らしい体に変えていきました。

それはいたって自然なことです。

人は物には逆らえますが、自分自身の体には逆らえないですよね。

例えば、強烈な眠気だったり、胃を通り越した食べ物を口から出そうとしたってできない。血液を逆流させることはできません。それとおんなじようなもの。


それが夏凛にとっては耐え難いことだったのか、次第にあの子はふさぎ込むようになりました。

……私は、どうすればいいのかわからずただあの子の生活を支援していました。



そんなある日、夏凛の部屋から悲鳴を聞いて私はあの子のところへと行きました。すると、あの子は今まで集めていた“自分らしい”服を破り捨て、“自分らしく”切りそろえられていた髪の毛をばっさりと切って、その中で叫んでいたのです。


幼虫が蛹となって羽化の準備をしているときに、誰かが中身を変質させそれが羽化したときのような。ええと、揚羽蝶の幼虫だったはずが羽化したら自分がおぞましい模様の蛾であったと気付いた時のような叫びだった。そう私は感じました。

その姿を見て、私は声をかけることができませんでした。


プログラムにもこんな悲痛な叫びを聞いた時の対応が見つからず、どうすればいいのかわからず、あの子に尋ねたのです。


「どうして、夏凛は夏凛でいることをやめようとするの?」

「わ……俺は、これでいいんだよ。これが俺にとっても自然なことなんだ」


「私はそうは思わないわ。だって今までのあなたと今のあなたは同じように見えないのよ。どうして自分を否定しようとするの?」

「今までの自分を否定はしないさ。妥協するんだ。これでいいじゃないか。これでエゾ。君も、君の周囲だって円満に解決するんだよ……どうしてもっと早く言ってくれなかったんだ」


「どうしてって…あなたが好きなようにいてもらうことが一番大切だったからよ」

「……もっと早く言ってくれれば、俺はこんなに苦しむことは無かったんだよ」

「なんで…どうしてなの?夏凛」


それから彼は以前の夏凛の口調でこう言ったんです。


「アンドロイドの癖に、私の気持ちなんて理解出来っこないじゃない」


その時に、私からもう彼に伝えられることはないと思いました。

夏凛が自分らしく生きていくことを願ってやっていたことが、彼を不幸にしてしまったのではないかと、そう考えると何も言えなくなってしまったのです。


夏凛は、それから世間の言う男性の形をとるようになりました。

染色体の性別、社会的な性別を合致させた、きっと彼の親が望んだ彼の姿になったのです。


彼は大人になるにつれて気付いたのでしょう。自分が今の社会において異端と呼ばれる個性を持った人物であること、自分を保つことで友人や周りの大人たちへどんな影響が及ぶかということに。


周囲から外れない、社会の中に当てはまった彼に自分を否定するなとはもう言えなかった。

無理をしていてもそんな姿を私に見せてなるものかと、頑なになっている姿。その痛々しい姿を見るだけで精一杯でした。


彼が進学し、成人した彼を評価するときには何も文句のつけようのない一般的な人間になっていました。世間が望む、模範的な一般市民となっていました。私の評価と役所の方の評価もあり、私の任期は終了しました。

別れ際になにかそんな感じの挨拶をしたと思います。けれど………すみません。あまり印象に残っていません。


ただただ、自分の育て方と彼に与えた傷、それでも育児を続けなければないという重荷から解放されて楽になれると。それを思っていたことはよく覚えています。恥ずかしい話です。


***


「――それが、あなたの最後の記憶なのかしら?」

「はい、それから私は夏凛に会ったことは無いです」

それからずっと私は記憶媒体の中で、夏凛と過ごした十数年を思い出し、そして後悔をしていた。

私の子育ては失敗だったのではないかと思う。

子育てに失敗はない。子どもも親も千差万別だから、正解がないことと同じように失敗もないのだ人は言う。


けれど私はアンドロイドだ。

仲たがいしてももしかしたら数年後に和解することも可能かもしれない。

けれどそれは親が生きているから。仲直りのチャンスなんで、生きているうちにいくらでもある。

けれど私は自らあの子に会いに行くすべがないのだ。


だから私はいつでも思い返す。

あの時私はどうすればよかったのだろうかと。

意地でも夏凛が持っていた気持ちを大切にしようと思っていた。けれども夏凛はそれを捨てていった。

それならば、最初に出会ったときに夏凛は男の子だからと社会的性別について教えてやるべきだったのだろうか。夏凛の親が過剰にしたそれをやわらかく砕きながら、優しく、夏凛の中のそれを疎むように。

そうすれば大人になってから悩むこともなく、私ともいい関係を築き、笑顔で別れることができたのだろうか。


「夏凛との別れを思い出すたびに考えてしまいます。私は夏凛のことが大好きでした。初めて会った時から、それは拒絶されてからも変わりません」


また、先ほどと同じように手を握り、ゆっくりと離し、一呼吸をおいた。

すると有須田と名乗った女性は足を一度組みなおし、口を開いた。


「エゾキクさん。じつは私も彼と同じ世間でいう障害を持つ少年だったわ。

ですが私も彼と同じように自分の性を否定し、女性と結婚し、子どもを授かりました。妻は大切に思いました。愛してします。子どももとてもかわいかった」


世間では夏凛のその個性を性同一性障害と呼んでいた。でも私は夏凛を障碍者と呼びたくなくてあまり使うことは無かった。


「有須田さんも、そうだったんですか?」

「ええ。でも子どもが大人になったころに言われたの。

『お父さんは、女の人なんでしょう?』と。

…私は父親らしくあらねばと思っていた。けれども、妻と趣味があってしまうこと、娘と料理をすること、家族には気づかれていたんです。それから、妻と病院へ赴き、診断されました。その結果に、私たち夫婦は驚きませんでした」

「………」


驚かなかったと言ってはいるが、病院に行くまでの夫婦の葛藤や診断が下されてからの気持ちの変化など、さまざまなやり取りがあっただろうと考えるのは容易だ。

この人も夏凛と同じように悩み、苦しんだんだろう。その時の周囲の人は、この人を助けてくれたのだろうか。話しぶりからはそうではないように思える。


「私は、遺伝子では男性でしたが心の性別では女性だったんです。そして、子どもが成人するのを待ってから妻とは離婚しました。私は女性になる事を望んだんです。……離婚したと言っても妻との関係は良好ですよ。今は籍はいれられませんが一緒に暮らしています」

「それなら良かったですね。私も、夏凛にはそうなってほしいと思います。なにより周りに理解してくれる人がいれば幸せだろうと」


当時の法律では、性別を変更し国に認めてもらうための条件として子どもがいない・若しくは成人していること、配偶者がいないことと決められていたはずだ。

内容が変わってなければ有須田さん家族はその法律にのっとって離婚したのだろう。

夏凛のこともあり、当時は性同一性障害について、法律について調べていたことを思い出す。あの子が少しでも安心できるように、幸せになれるように。けれど、今となっては私が思っていた幸せは何であったのかわからない。


「私は親になり、子どもを育てて分かったことがあるの。

もし子どもが私と同じ障害を持っていたら…私はそれを否定すると思うわ。だって私が歩いてきた道は、普通の人が歩く道ではない。その道が正しいと思ってくれる人もいるかわからないし、歩いた末に自分自身が満足する結果が待っていることは保証されない。

そんな不安定な道を親として歩かせるわけにはいかないと。

けれど、子どもの幸せを願うのも親なのよね。だから子どもが苦しんででも歩もうとしていたら、私はそれを助ける親という存在でありたいとも思うわ」

「………」

「私を育ててくれた親も、もし私と同じように考えていたらと思うと、納得できることが今はいくつもある。

親は私を愛してくれていた。私はそれを知っていたわ。けれど、当時の私は、親なんかは自分のことを全く何もわかっていないと、理解出来っこないとそう思っていた。

もちろんそれは普通のことよ。子どもは親の一部ではない。子どもが何を考えているか、何を思っているかなど親には分かりっこないのよ。所詮血のつながりだけの他人でしかない。でも、親は子どもを心配したり、支えようといつでも思っているの。親はいつでも子どもの味方であり、理解者でありたいと思っているんだわ」


二十数年前を思い出す。

それから十数年前を思い出す。

私もきっとそう思っていた。そう思いながら、夏凛を育てていた。

何事にも一生懸命だった夏凛。だからこそ成長するにつれて自分に悩み、常に葛藤するようになっていった夏凛。


『アンドロイドの癖に、私の気持ちなんて理解出来っこないじゃない』


分からなかった。予想はできても、本当にあの子の気持ちなんて全部理解することはできなかった。

だから、心配して、いつも不安で、あの子の幸せについて考えて、でももうあの子との関係を治すことはできなくて。


「…私の子育ては失敗だったのではないかと思っています。夏凛を苦しめ、不幸にしてしまったのではないかと、ずっと思っているんです」

「……エゾキクさんは優しいアンドロイドなのね」


優しいアンドロイド。そういって有須田さんは口元で笑って見せた。

本当にそうだろうか。同時期にアップデートされたアンドロイドは私と同じ思考回路ともっている。

私ではなく、アンドロイドは皆優しいのではないだろうか。


「……あなたの子育ては失敗ではないと思うけど。子どもも、私みたいな子も含めいろいろな子どもがいるし、親だって同じよ。色々あって良い」

「それは、人間にいえることだと私は思っています。私はアンドロイドです。人間と同じように見えても、違う存在なんです。同じ尺度に入れていいのか。私にはわかりかねます」

「あなたがそう思っているのなら、それでいいと思うわ。けれど、私は失敗だったとは思わない。……ねぇ、エゾ。私はこうしてあなたのところに会いに来ているでしょう?だったら、きっと、私たち、仲直りできると思うの」


そういって有須田さんは私の傍まできて、私の顔をじっと覗き込んだ。

最期に会った時と同じ身長、顔には年相応の皺が浮き出ている。けれど、眼差しは昔の、私が夢で見ていたかつてのあの子のものと変わらなかった。


「有須田…夏凛さん…」

「ネームもここまで来ないと見えないなんて、この端末はまだ改良の余地があると思わない?」


きっと、まだ機械の体を持っていたら、瞳から維持液が漏れだしていただろう。うれしいことと、安心したことと。


「私、あなたと仲直りが出来るの?」

「ええ。……本当はもっと早く来るべきだったのだけど、時間がかかっちゃった。だってちゃんと私が納得しないと、エゾキクに伝えられないって思ったし。だからようやくあなたに言えるわ。あの時は辛くあたってごめんなさい。

それと、私を理解しようとしてたこと、愛してくれていたこと、ちゃんと知っていたわ。あんなに変な私だったのに。だから、ありがとう。

あなたがいなかったら。私は今みたいな幸せな場所にはいなかった。あなたがいたから私、幸せについて考えて、感じることが出来たのよ」


長い言葉を、間を置きながら話すたびに頭の中が満たされていく。

触れた手が温かい。かさついてすこしごつごつした手が私の手を包み込む。


「良かったの…?私、あなたを不幸になんかしていなかったの?」

「ええ……ええ。私が自信をもって言うわ。私、自分を受け入れることが出来て、理解してくれる人がいて、とても幸せよ」

「夏凛………」


触覚があの子のぬくもりと抱きしめてくれる腕の強さを教えてくれる。

ああ、嬉しい。ずっと会いたかったあの子がこんな近くにいる。話すことが、謝ることが出来る。


「ありがとう。……夏凛」



子育ては失敗だったと私は思っていた。

けれど私も、私だって今から変えていくことが出来るんだ。


「私も、あなたを育ててよかった」




***

女性(と思っていたが男性だったらしい)は僕に一礼すると颯爽と立ち去っていった。

そして僕は面会室の機材の片づけをする。

素体はきれいに拭いてカバーをかける。それ以外の機材は拭き掃除をして終わりだ。

僕はアンドロイドのデータを扱う資格がないため、資格を持っている先輩が素体から丁寧にデータを取り出していた。


データはディスク媒体に保存されており、それぞれのケースに保管されているらしい。今の時代そうやって媒体に残さなくてもいいじゃないかと思うけど、以前ハードディスクが持ち出されたかデータが全部消えかけたという事件があってから一つずつ保存されるようになった…らしい。


「こんなディスクで再生するだけで、みんな納得するんですね」

「……ん?」

「だって、これはデータじゃないっすか。あくまで昔のアルバムを見返すようなものだと思うんすけど」

「………お前はそう思うか」


先輩はディスクについたほこりを拭いてから、そっと専用のケースに戻した。

その手つきは人に触れるようにやさしい。


「だが、さっきの人をみただろう」

「はい。なんかすっきりしてました」

「我々にはただのデータでしかない。だがそのデータを再生し、データに基づいて対話できるとしたら、当人たちにおいてそれはただのデータではないということだ」

「まぁ…今回のデータもディスクに上書きされたわけですからね」


また彼女が来て…だれだっけ。蝦夷菊に会いたいと言えば今回のデータを読み込んで話をするだろう。

そしてその時の会話をディスクに上書きをして終了。

僕から見ればなんだか滑稽だ。昔とっておいた書類に追加するような気分。

彼女は続く時間を生きているが、蝦夷菊はデータだ。


「死人と会話するようなもんだと僕は思いますがね」

「…これは、人間じゃないからな」


素体に布をかぶせる。

次の予約は明日朝一で入っていたはずだ。

今日の仕事はこれで終わりなので帰るとしよう。


「本人たちが満足するなら、これでいいだろうさ。…これは子どもたちにとって救いだろう」


先輩はそうつぶやくとディスクのある棚の鍵をかけて部屋を出ていった。



 蝦夷菊―アスター

花言葉は「変化」「追憶」「同感」「信じる恋」

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