第一章1  『迫り来る世界』

 



 ――太陽が眩しい。

 とにかく、眩しい。


 まだ目が慣れずに、うっすら細めながら鋭い双眸をぎょろぎょろと動かす。周りでこちらを白い目で見つめる人間達が、イツキの神経を微妙に逆撫でしていた。まあ、いくらイツキと言えどこんな大衆の前で暴れることはしない。

 いや、それよりも、


「……人間?」


 イツキを不躾に見やる人間の中には、まるで獣のような耳を生やした者、暑苦しそうな茶色の毛皮に包まれた者、桃色の鼻先を尖らせた者など、一概に人間とは形容しがたい二足歩行の生物も紛れている。

 しかも、何ら違和感なく周囲の群衆に溶け込んでいるのだ。


「ケモミミって……亜人、って奴なのかな」


 と、長年培ったゲーム知識によって仮説を立てる。

 まじまじと周囲を観察していると、当事者である亜人達は変質者でも見るかのように舌打ち、早歩きなど、実に動きは人間らしい。


「馬車に石畳……古代ローマ風、か? いや、でも服装は日本人的だったりと……いや、そもそも」


 道のど真ん中で、ぶつぶつと独り言を繰り返す青年――長めの黒髪にたれ目気味の吊り目。高校一年においては平均的な百七十五センチ、そしてサンダル、Tシャツと締まらない格好に身を包んだ男―――イツキは、眠たそうに息を付き、


「ここは、どこなんだろうか」


 と、三度目になる、結論にもならない結論を出したのだった。



 _______________________




「普通に考えて異世界召喚……だけど、そんな事はまずないしなあ」


 流石に変に目立ちたくは無いなと思い、路地裏に入り込んだイツキ。

 それでも続行する独り言は、ゆらゆらと顔の横で振られる人差し指と共に行われる。


「徹夜しようと意気込んで、コンビニにiTunesカードを買いに行こうとドアを開けたのが最後の……元いた所での、記憶だけど」


 しかし、記憶が絶たれているわけではない。

 眠い目を擦りながら扉を開けたら、ふいに真っ白な光に包まれ――目を開けたら、ここに立っていたという訳で。


「そうか! 我が家の扉はどこでもドアだったのか! なんてこったい!」


 野球野球うるさい猿人にいじめられた覚えもないし、おフランスを自慢してくる出っ歯とも会った覚えもないし、学力最底辺な自覚もないのだが。


「いそのー! 野球しようぜー! みたいな誘われ方すらされたことないしなあ……そもそも野球未経験だし」


 と、そこはいいとして。


「仮にこれが異世界召喚だとしても、んー……いや、別にいいんだけど」


 意外にも、現実への受け止めが早いイツキ。

 そもそも、ここに来るまでは睡魔との世界大戦に勤しんでいたのだ。朧気な脳で、ここまで詳しく分析をしたことを評価して欲しい。

 それよりも、


「とにかく、帰して欲しい」


 ――まずは、家に帰りたかった。


 イツキが家を出たのは、夜――正確には、日付が変わる直前に突然発表された、新しい有償アイテム実装の知らせがあったからだ。

 取り敢えず奮発して、一万円を財布に突っ込んだのは記憶に新しいのだが、


「これ、使えんのかなあ……」


 と、皺くちゃになった日本紙幣を見つめる。ぐちゃぐちゃになった諭吉さんが、変な顔でこっちをじっと見つめていた。

 仮にここが異世界だとしたら、それはお決まりのこと――日本の金銭の類は、決して使用出来ない。

 つまり今、無一文の可能性があるという訳で。


「異世界なら、チート能力とハーレムできる女の子が付き物でしょ。それはどこだよ、えぇ? 世界を脅かす敵は、どこだよ?」


 ホノヤ・イツキは、特に争いもない平和な現代平成で生を受けた。焔矢とかいうチート勇者にいそうな苗字だが、十五年という人生にも特に変化は無い。まさに平々凡々。実に淡々と、のほほんとした生活を送ってきた。


 運動も普通。勉強は一応中高一貫校に通ってはいたが、学力も中盤。足の速さもまあまあで、少し秀でていることと言えば、父親の仕事の影響で興味を持った海外くらいだろうか。それ以外では文才も無い。まさにないない尽くしだ。

 恋愛関係と言えば、まあ無いわけではないが、色々と黒歴史。あまり触れないで欲しいものだ。


 ――なんと言うことでしょう。

 そんなイツキくんも今や不登校児。健康的な体で、しかし学力は高一の最初らへん止まりだ。

 きっかけと言われるきっかけは――無いことはない。本当に、小さなイザコザだった。たまたま父親が事故に遭い、それによる相手の言い分なりなんやらで、イツキは不登校へとまっしぐら。


 そして二次元の存在へ深入りし、今へ至るのだ。

 もちろん、様々なアニメやライトノベルは見漁った。

 しかし、イツキは根っからの現実主義。異世界に憧れはしても、入りたいとは心から願わないし、実際にあるとも思っていない。

 亜人が目の前にいるのでそれを指摘されたらどうしようもないが。


 とりま、家に帰ってゲームしたい。


「変な悪戯か俺の幻覚か……何にせよ末恐ろしい。けど、取り敢えず帰る方法を……」


 と、何とか整理がついたイツキは、背を預けていた壁から離れ、路地裏から出ようと首を出す。そのまま、きょろきょろと首だけを左右に動かした。

 変に怪しまれては困る。もっとも、その警戒も既に手遅れだとは思うが――、


「――――づぁッ!?」


 ――脳に爆発的な刺激が走るのは、それと同時だった。


「――だ……ッぁ……ッ!?」


 ふいに襲い来る、蟀谷と脳髄の辺りを電撃のように流れる激痛。それは断続的に訪れ、まるで雷に打たれ続けているような感覚すら覚えた。


 何かに、強制的に頭蓋を開けられ、素手で脳液と脳味噌をぐちゃぐちゃにかき混ぜられている。嫌な破裂音が耳道の中で響き渡り、鼻水と涎を垂らして、イツキは喘いだ。

 ――実際、何かがイツキの脳内に送り込まれているのだから。


「――これ、は……ぁッ!?」


 痛みは止まない。

 体は拒絶反応を示しているのに、流れくるそれはお構い無しで留まることを止めない。




 女、女だ。黒い髪を伸ばした、震えるほど美しい女がそこには立っていた。

 が、その美貌も壊れるほど、怒りに顔を歪ませていた。

 その先には、男もいた。制服のような衣装に身を包んだ、髪の長い若い青年だった。しかし清潔で、彼も何かに抵抗するかのように、口元を歪ませている。

 男は、髪の色だけが分からなかった。当然だ。その映像は、赤や緑などない白黒映像なのだから。


 何かが走る。閃光のような煌めきがそこには連鎖していて、その端の方で必死に何かを叫ぶ、また別の男の姿が――、




「―――ぁあッ!!」


 まるで古い無声映画のような映像を、断続的に脳が受信している。一斉に流れてくる情報量が莫大過ぎて、今にも脳がパンクしてしまいそうだった。

 それが終わるのと、頭の鈍痛が止まるのは同時だ。

 訳の分からない解放感と虚無感を得、ふらついた足取りで路地裏から中央の広い道へ体が投げ出される。


 冷や汗が止まらず、意識が朦朧とし始める。自分の不格好な姿などどうでもいい。今は、ただこの疲労感から抜け出したかった。

 周囲からの目線も気にならない。この訳の分からない痛みに、イツキは倒れるしかなかった。白目を向き、前のめりになって石畳の上に寝転がる。

 ざわつく群集達の声が、だんだんと遠のいていく。


 ――女、美しい女、黒髪、美しい、男、閃光、白黒、映像、清潔、青年、煌めき、走る、走る、走る。


 死にたくなるほど気持ちの悪い不快感を最後に覚え、イツキの意識は――ここで途絶える。

 今残せるのは、脳内を巡る数々のワード。それが何を意味するのか、今のイツキには分からない。


 異世界での、一日目の朝が始まろうとしていた。

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