4:山代忠和の結論

「山代、お前が犯人なのか?」

 卜部は悲しげな視線を山代へ送る。それは祖父が幼い孫を優しく嗜めるそれに似ていた。

「卜部さんは本気で俺が犯人だと思ってるんですか」

「いや、俺だって信じたくはない。だが、調べた情報の全てがお前を犯人だと指している。……なあ、山代。できればお前の口から真実を伝えてくれないか。俺が語るのはあくまでも推理であって推測に過ぎない。俺も事実が知りたいんだ」

 卜部の言葉は真に迫っていて、山代は一瞬気圧される。

「まず、卜部さんの考えを聞かせてください」

 山代は声を絞りだし、頭を下げた。自分の尊敬している師匠が真相にどこまで迫っているのか、正直なところ聞いてみたいというのが本音だった。

「俺がどうして荒井正之――いや、黒谷正之の息子だと気付いたんですか」

「……そうだな、そこから話をするか。山代を荒井の息子だと気付いたきっかけは、但馬美代子の発言だった。そして確信を得たのは、荒井正之が但馬美代子ら夫婦の色恋沙汰に一枚噛んでいたあの事件からだ。まず荒井正之は、言い方は悪いが一般市民の色恋沙汰に首を突っ込むほどのちっぽけな情報屋ではなかったはずだ。なのに、荒井正之はそれを調査した。それはいったいどんな理由があったのか」

「理由……?」

 問い返す山代には答えず、代わりに煙草に火を付けた。

「先程も言ったように、今回の事件には『渡し舟』が大きく絡んでいる。そして、この但馬夫婦の事件にも『渡し舟』が関わっていると考えれば、荒井正之が調査に関わっているのも頷けるはずだ。しかし、この事件は失敗に終わっている。それも不可解なんだ。あの荒井が関わっていて失敗するなんて……。そこで俺はこう考えた。わざと失敗に導いたんじゃないか、と」

「わざとって……そんなことをする理由は何だっていうんですか」

「そんなことは俺にもわからない」

 卜部は続けて、死人に口なしだからな、と呟いた。

 死んだ人の気持ちを想像して語るのは簡単だが、それはあくまでも想像であって真実ではない。真実を知る術はもう残されておらず、死ぬ前にその真実の言葉に耳を傾けることが出来なかった無念さから、いつしか卜部の口癖になったと山代は卜部の同僚から聞いたことがある。

「でも、それは息子の君ならわかるんじゃないか」

「だから、どうして俺が息子だと気付いたのか、全然答えてくれないじゃないですか」

「俺は出来れば山代の口から聞きたいんだがな」

 苦笑いを浮かべながら、卜部はため息を吐く。

「まあ良いだろう。気付いたのは、俺が荒井正之の事故死した案件を調べにいった時のことだ。荒井正之の資料の閲覧履歴にお前の名前があった。但馬美代子の証言も合わせると、もしかしたら……と考えた俺は、山代と荒井正之のつながりはないのか、調べることにした。そして先程、署長から連絡が来た」

 卜部にかかってきた署長の電話を思い出す。

「荒井正之――黒谷正之には一人息子がいる。名前は、黒谷正一。そして現在行方不明となっている。おそらく『渡し舟』の『転換』を使用したのだろう。神倉蒼汰がそうしたように――。だが、戸籍は変えられても、人のDNAまでは変えることは出来ない。今、黒谷正之の自宅に残っている黒谷正一の部屋から採取した髪の毛と、お前の髪の毛から検査をしてもらっている。その答えが出る前にお前の口から真実を語ってくれ」

 山代は天を仰いだ。

 これで詰みか――。こうなることは予想できた。もしかしたら、そうなることを望んでいたのかもしれない。

「今思えば、お前なりにヒントも寄越してくれていたんだよな」

 そう言うと、メモ帳を取り出し、何やら書き込んでいる。

「黒谷に山代は、黒と『しろ』、谷に『やま』を掛けていたんだろう。それに名前も同音異字語だ」

「人を駄洒落好きみたいに言わないでください」

 せめてもの強がりだったが、何とか笑うことはできた。

「一つ聞いてもいいか」

「何でしょう」

「相澤恭香は、生きているんじゃないのか」

「どういうことですか?」

 卜部の不可思議な質問に山代は首を傾げた。

「俺の推理の中で一番ネックだったのは、相澤恭香の遺書だ。犯人が書かせたとしても、あの文面がどうしても引っ掛かる。俺はこれも『渡し舟』の『転換』をつかったんじゃないか、と思っている。息子の自分が苦しんで、娘の相澤恭香が平然と暮らしている実情を知ったとき、俺だったら、自分の手で殺したいと思うのだが」

「違いますよ、卜部さん」

 山代は両手を前に突きだし、卜部の顔の前で振ってみせた。

「あれは『模倣』です。俺はそんな勇気はありませんでした。自殺に見せかけた殺人です。まあ俺が直接手を下したわけではないんですけどね。確かにあの遺書には驚きました。だから、その文章から、三田優の殺害をすぐに企てました」

「そうか……」

 卜部は釈然としないまでも、無理矢理納得したようだった。

「卜部さん、一日だけ待ってもらえませんか。明日自分の口で真実を語ります。自分の罪についてちゃんと考えたい。後悔しても遅いですし、犯罪者が何を言ってるんだって話なんですけど、逃げるつもりはありません。卜部さん相手に逃げ切れるとも思ってませんよ」

「……わかった。俺はとりあえず署で待っている。好きな時に来てくれればいい。その時に俺が手錠をはめてやろう」

 卜部はゆっくりと頷き、目を瞑ると、手で露を払うようにひらひらと振った。

「ありがとうございます」


 卜部のもとを後にした山代は一人、駅に向かって歩を進めていた。歩きながら手を組み、右手で口元を押さえながら、ぶつぶつと呟く。

 どうしても卜部が指摘した疑問点に言い様のない気持ち悪さを山代も感じていた。

 元はといえば、だ。

 あの相澤恭香の遺書が無ければ、自分は三田優の殺害を企てることはなかった。そして、三田優の殺害によって卜部に事件の真相を暴かれることもなかったはずだ。さらに言えば、山代のプランでは相澤恭香の自殺理由は相澤照美が但馬善吉に殺された、という失意の念によるもののはずだった。それが彼女の遺書によって、ストーカー被害に悩まされている、という別の事件性を疑わせてしまったのだ。完全に疑いを晴らすためには、ああするしかなかったとはいえ、何もしなければ……と後悔する。

 定期を通し、改札を抜け、ホームで電車を待つ。時間はちょうどサラリーマンの帰宅時刻と重なったようで、ホームは人で溢れていた。体を傾け、奥を覗きこむと、電車はカーブを曲がりながら、ホームへ向かっている。

 この混雑なら座れないな。

 そんなことを考えていると、後ろから女性の声で「黒谷さん」と声を掛けられた。

 自分の本名を知っている人は限られている。

 その女は一言、山代に耳元で囁く。

 振り返った山代の目に映ったものは、声を掛けた相手の人相ではなく、夕暮れ時の沈んだ空だった。

 ホームに突き飛ばされた山代は、先程の女の一言を筆頭に、走馬灯が駆け巡る。しかしそれは、この事件に関連するものばかりだった。

『渡し舟』に相澤恭香の殺害を依頼した日のこと。担当した男は、真っ黒な衣装を身に纏い、繕った笑顔を貼り付けながら、出来るだけ苦しませながら殺したいと相談した山代に、焼身自殺を薦めた。身元がわからなくなるまで丸焦げにすることは確かに復讐にはうってつけだ。

 ――しかし。

 それが端から計画されていたことだとしたら。

 そこで、『渡し舟』の四つのスタイルを思い出す。

『転換』――。たしか卜部も似たようなことを言っていた。相澤恭香は、本当は生きてるんじゃないか、と。確かに自分は相澤恭香を殺した。殺したが、それは本当の相澤恭香だったか――?

 電車がブレーキを踏み、レールと車輪が火花を散らす金属音が近づくなか、目を閉じ、考えることをやめた。

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