3:踏み出した一歩

「大丈夫か、山代」

 卜部の一言で我に返った黒谷正一――改め、山代忠和は、「大丈夫です」と精一杯の取り繕いをしてみせた。

 やはり、捕まるとすればこの人なのだろうな。

 警察官となり、卜部哲二と出会った時からずっとこの想いを抱いていた。


 警察官としての能力は高く、様々な事件の解決に寄与していた。しかし、口が悪く、現場主体の捜査が基本、捜査は常に全力で鬼気迫っていた彼に寄り添う同僚はもちろん、後輩、上司は少なかった。昔ながらの一匹狼、という言葉がしっくりきた。

 山代は、積極的に卜部と接触し、事件の捜査を行った。初めこそ叱られることばかりだったが、めげずに自分についてくる山代を認めはじめたのか、卜部の方から現場捜査に誘われるようになった。

 卜部と一緒に仕事をして、一番強く感じていることは、彼の度を超えた正義心だった。

 犯人を追い求めるためにやれることは何でもやる。どんな手を使ってでも、絶対に捕まえてみせる。その意思が異常なまでに強かった。犯罪すれすれなものはもちろん、証拠にすら上げづらい調べ方をした卜部は何度も上司と揉めていた。これが周囲を寄せつけない原因であるが、成果をあげている以上、上司も強くは言えない状況だった。

 ただそれは山代にとっては卜部に気兼ねなく接することができるため、かなり好都合なものだった。

 そしてついに好機はやってきた。

 父の書斎を覗いていると、但馬善吉と相澤照美の不倫調査に関する資料を発見したのだ。

 山代は、この資料に違和感を覚えた。依頼者は相澤照美本人。つまり、相澤照美本人が自身の不倫現場を調査してくれと父に依頼しているのだ。正確には、依頼者の横に『渡』の字を丸で囲んでいるため、『渡し舟』からだろう。ただ、この対象者はどちらもただの一般市民だ。そして内容もよくある痴情のもつれのもので、とても父が携わるような案件には思えなかった。同業者の資料が混じっているのか。そうも考えたが、記録者の名前も荒井正之と間違いなかった。

 しかし、それよりも注目すべき点は、調査資料が完成した日と、父が交通事故で死んだ日が半年にも満たない。母が言っていた『失敗』とは、この案件だろうか。見る限り、正確に書かれており、矛盾や不審な点は見当たらない。

 胸に引っ掛かりを覚えながらも、資料を戻した山代だったが、警察で見つけた父の資料を見た時、一本の線が繋がった。

 事故死した場所が相澤照美の自宅付近であるということ。

 そして、この事故の第一発見者こそ相澤照美だったということ。

 これは偶然か――?

 いや、これは必然だ。

 相澤照美。山代はその名を心に刻み込んだ。


「ウラさんは外に『情報屋』を持っているんですか」

 山代は情報を収集するため、卜部から紹介を願うと、渋られた。

「まあ、いるにはいるが……。どうした。何か調べたい情報があるのか?」

 卜部は訝しげな表情で問い返す。

「まあ今後のことも考えて、って感じですよ」

「まあいいが。昔はいい情報屋がいたんだがな。今はからっきしだ。それでも骨のあるやつを何人か教えてやるよ。何に使うかは知らんが、ヘマをするなよ」

「その昔の情報屋って……?」

「いや、それはいいんだ。忘れてくれ」

 遠くを見ながら、卜部はそれ以上聞くな、とサインを送る。悲しげなその表情には憂いさが垣間見え、老人が若き日の過ちを懐古しているようでもあった。

 山代も皆までは聞かず、連絡先のメモをし、足早にその場を去った。

 翌日から情報屋を使って、相澤照美の情報を集めると、相澤照美には一人娘の恭香がいることがわかった。入手した写真を確認すると、細身で女性らしさを持ち合わせた、十分に美人と呼ばれる部類だった。

 この女は父を殺した親のもとから産まれ、この父のいない世界でのうのうと暮らしているのか。そう思うと歯痒くてしかたがなかった。握る拳が強くなるのを感じたが、緩めることができない。もちろん憎きは母親だ。だがしかし、それを知らずに平然と平穏に暮らしている娘にも別の憎しみがこみ上げてくる。

 山代は早速、自らの足で二人の尾行を開始した。気づかれないように、執拗に、粘り強く尾行するのは警察の真骨頂だ。そして、彼女らの生活パターンを把握したところで、彼の復讐は幕を開けた――。

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