13:卜部の結論

「……そうですか、ありがとうございます。それでは」

 電話を終えた卜部は吐息をふうっと漏らした。

「署長からは何て……?」

「何、たいしたことはない。ただの確認の電話だ。今考えれば、おかしなことだらけだったんだ。この事件は初めからな」

卜部は煙草の灰を落とす。

「但馬善吉と相澤照美の事件から三田優の事件まで、どれも一貫性があるのにも関わらず、俺たち以外はそれに疑問符すらつけることはしなかった」

「でもそれは仕方のない話ですよ。上が無関係と決めた話をひっくり返そうとするのは、普通に考えて簡単に出来るものではありません」

「そこだ」

火のついた煙草を山代に向ける。

「そこ?」

「上が簡単に無関係と判断するのが違和感を与えた原因だったんだ。恐らく、この上層部は『渡し舟』かは別にしてもこの自殺斡旋業者の存在を黙認している」

「黙認って……」

「上層部はこの事件を自殺斡旋業者の仕事である情報を入手し、早々に切り上げることに努めた」

卜部は語りながら、署長の言っていた言葉を思い出す。

あの時、あの男は明らかに卜部の捜査を目障りに感じていた。だからこそ、定年退職の言葉を出汁に、捜査から引くように手綱を取ろうとしていたのだ。

「ということは、警察の上層部に今回の犯人がいる、ということですか」

「その考えは安直だし、早計だろう」

答えを急ぐ山代を卜部は優しく嗜める。

「まず、初めの事件となるはずだった但馬美代子と但馬善吉の痴情の縺れだが、犯人は相澤照美だ」


相澤照美も同様の時期に夫婦間は冷めきっており、いっそのこと但馬善吉と一緒になることを選択しようと目論んだ。しかし、それを選択するのに不要な因子が存在する。

――それが但馬美代子だった。

相澤照美は但馬美代子をどうやって消すか模索しているときに、自殺斡旋業者の存在にばったりと出くわした。自殺に一歩踏み出せない弱者のための善意ある犯罪集団。それは、相澤照美にとっては関係のない集団に思われた。何故ならば但馬美代子は自殺の意思を見せない一人の強者だった。しかし、誰の入れ知恵か、発想の転換か、そこまでは検討がつかないが、一つの発想に辿り着く。

――そうだ、但馬美代子が自殺すれば、すべてが丸く収まる。それだけの衝撃を与え、自殺の足掛かりを作ってやろうではないか。自殺に見せかけた殺人。善意があろうがなかろうが、犯罪集団には変わりない。それに自殺を殺人に模倣することが可能なら、その逆もまた然りだろう。それくらいしなければ、不安因子を取り除くことは叶わないのかもしれない。

 そんな醜い発想を相澤照美はひっそりと、ただ明確に浮かべた。結末までのシナリオはすぐに構築は出来た。

 元々不倫をしていたこと自体は事実なのだから、それを突きつけてやればいい。心の強い女とはいえ、但馬善吉とのすれ違いにより心は疲弊している。後は、その報告書を彼女に直接運び届けてもらうだけ。それをみた但馬美代子は、どう想い、何を感じるだろうか。

 業者から発注された荒井正之という探偵から寄越された資料をみて相澤照美はほくそ笑んだ。

 しかし、計画は失敗に終わる。しかも相澤照美が準備し、但馬美代子を自殺に追いやる決定打となるはずだったものが復縁のきっかけとなる、という残酷な仕打ちを添えて。

 相澤照美はこの鬱憤の捌け口を荒井正之に向けた。

 不要な因子がもう一つ増えた。

 そんな軽い感覚だった。

 自分が晒した醜態をなかったことにするために、荒井正之を消した。


「ここまでが一つの事件だ」

「まるで見たかのように話しますね」

「これが経験則ってやつだよ」

 卜部は胸を張っみせた。経験則と言えば聞こえはいいが、それだけ幾多の人の死に向き合ってきた結果とも言える。それは経験ではなく、辛い想い出といった表現の方がしっくりとくる。

「じゃあ第二の事件も、相澤照美が仕向けた事件ですか」

「いや、そうとも限らない。相澤照美は元々但馬善吉と一緒になることを望んでいたんだ。二人で心中ならともかく、但馬善吉に罪を被せて死ぬことは無いだろう」

「でもずっと欲しかったものが手に入らないのならいっそのこと捨ててしまおう、ってのも理には適っていると思うですが」

「まあな。それだけ相澤照美の精神状態は不安定だったと言える。どちらに転んでもおかしくはなかった。だけど、今回の事件は相澤照美の犯行と仮定すると、矛盾が生じる」

「矛盾?」

 山代は目を細めた。

「俺はこの事件の犯人は同一人物だと考えている。そしてきっかけは、第一の事件だ。それに相澤照美が犯人の場合、それ以降の事件に別の犯人がいることになる。しかし、それは事件の関連上、難しいだろう。たまたま別の犯人が相澤照美同様、自殺斡旋業者を利用して自殺に見せかけて殺したなんて偶然、起こると思うか? 仮に相澤照美の犯行に似せる必要があるのなら、相澤照美が死んでしまっては遅い。というより、第一に似せる必要が無い。確かに可能性という域は山代の言う通り超えてはいないが、それは後で確かめればいいことだ」

一息で話し終えると、コーヒーを一口、喉に流し込んだ。

「この一連に関する事件の共通点は相澤恭香に関係する点と、『渡し舟』という自殺斡旋業者の存在だ。第一の事件は、実の母親とその不倫相手。そして次は相澤恭香本人。最後に相澤恭香の恋人。全て相澤恭香を中心にして起こっている」

「相澤恭香の恋人は高崎陽翔だったのでは?」

「高崎陽翔は相澤恭香の恋人でもなんでもなかった」

「え」

山代は目を丸くした。

「どういうことですか。聞き込みから得た情報だったのに」

「その聞き込みから得た結果をもとに、当時高崎陽翔本人を確認できたか?」

「いえ、体調不良を理由に断られましたから、ましてや恋人があんなむごい自殺をしたんです。体を壊すのも無理はないでしょう」

「そうだったよなあ。そういうことになっていた。しかし実はそうではない。初めからこの事件に高崎陽翔なる登場人物は存在していないんだよ。つまり、ガセネタを掴まされたというわけだ。先程、警察が高崎陽翔の自宅に出向いたところ、ようやく白状したよ。本来の高崎陽翔は彼女なんてもちろん友人付き合いもない、生粋の引きこもりだ。そんな高崎家の貯蓄を食い潰したモンスター息子の両親は借金に追われ、一つの会社に出会う」

卜部は山代をまっすぐに見つめる。山代も、聞き逃すまいと上半身を乗り出すように卜部を見つめた。

「それが、『渡し舟』だ。『渡し舟』は、引きこもりの息子の戸籍を高額で買い取ることで、高崎家に借金と同時に多大な恩を売った。そして一つお願いをする」

卜部は人差し指を立てる。

「しばらくすると、警察が相澤恭香の恋人として高崎陽翔に事情聴取を求めてくる。絶対にそれに従わず、素性を晒すことなく、高崎陽翔は訳あって部屋には出られないと何でもいいから同情を買って会わせず帰らせろ、とでも言ったんだろう。できなければ、チャラにした借金を倍にして払わせる、といった脅しも添えてな」

「そんな……」

「つまり、三田優が殺された理由は、犯人に仕立て上げるために過ぎない」

 自然と拳に力が入る。あれだけ相澤恭香を想っていた三田優が不憫でならなかった。

 愛する人への想いを秘めたまま、犯罪者として死体を蹴る仕打ちを受ける三田優は今何を思うのだろうか。

 死人に口なし。

 しかし、死人にも生きるべく人生があったのだ。生きる意味があったのだ。それを奪った罪は大きく重い。

 卜部は沸々と煮え滾る怒りを押し殺して、話を続ける。

「三田優は相澤恭香が自殺したとされるあの日、相澤恭香へ告白をするつもりだった。自分の想いを打ち明ける予定だった。内気な性格からの脱却をするつもりだった。それが全て無に帰すこととなった。しかも自分の想いとは裏腹の結果となった。あれじゃあ三田優は浮かばれない。告白の結果はもう彼に届くことはないが、彼女の返事がどうだったのかは、関係者として興味はあるな」

「でも彼が相澤恭香のストーカーだったと我々警察は判断したじゃないですか」

「それこそが犯人の企みだったんだよ」

 犯人はあたかも三田優が相澤恭香のストーカーであるように情報を操作し、警察を欺き、それに模倣した。その造形された情報に踊らされた間抜けな警察官が今、ここにいる。

「模倣……」

「そう、自殺斡旋業者『渡し舟』の業務内容の一つだな。自殺を殺人に見立てる、というのは、言ってしまえば、情報を捻じ曲げ、虚偽を真実の形へ造形することだ。それこそが『模倣』という業務の真髄であり、真実だ。だからこそ、殺人を自殺に『模倣』することができ、無関係な一般人を犯人に『模倣』することができる」

「犯人は何故、この殺人を実行したのでしょうか」

「考えられる理由は一つだろう――復讐だよ」

 復讐、という言葉に山代は顔をしかめた。

「復讐って……誰の何の復讐ですか」

「殺された親父の復讐だ。犯人は『渡し舟』を利用して親父を殺した同じ方法での復讐を始めた」

 犯人はまず親父を殺した張本人、相澤照美と但馬善吉を手にかける。相澤照美と但馬善吉がいなければ犯人の親父が殺されることはなかったからだ。そして、もう一人、相澤照美の実娘に手をかける。

 それが相澤恭香だった。

 親父の情報から、相澤恭香が但馬善吉との息子だと睨んだ犯人は、そのように情報の流れを操作した。そして犯人役として、恋人関係に近かった三田優を利用した。

「ちょっと待ってください」

 山代は手で卜部を制する。

「卜部さんは犯人を誰だと思って言ってるんですか?」

「それは――」

 少し間をあけて、卜部は口を開けた。

「――荒井正之の息子だよ」

「でも、そんな証拠もありませんし、全てが卜部さんの想像ですよね」

「それは、これから本人に確かめればいいことだ」

 煙を灰皿で潰し、火を消す。そして、まっすぐに山代の顔を見つめ、息を吐くように言葉を絞り出した。


「山代……お前だろう。――荒井正之の息子は」

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