12:卜部の推理

「ウラさん、大丈夫ですか」

 我に返ると、山代と部屋の主が心配そうに卜部の顔を覗き込んでいた。

「ああ、すまない。大丈夫だ」

 目の前にいる男――高崎陽翔から発せられた『神倉蒼汰』。これらが結びつける答えは恐らく、あの『渡し舟』が提唱する四つのシステムに当て嵌めれば、答えは簡単だ。

「高崎陽翔さん、あなたは元々神倉蒼汰という男の名前だったのですね。その名前が今どうなっているのかわかりますか」

「どうなっている、って言われてもねえ。死んだことになっているんじゃないですか」

どうやら、自分の名前が他人に使われていることなど考えもしていないようだ。卜部は高崎にはそのことは伏せることにし、『神倉蒼汰』の名前を買い取った人物について質問を投げる。

「あなたに近づいた『ダイ』という人物について教えていただけますか」

「二回しか会ったことのない人ですが、雰囲気は異質な男でしたね。全身を真っ黒にコーディネートしていて、顔に張り付いた笑顔は自然なようにも見えますけど、目の奥は全く笑っていない。どこか僕という人物を査定しているような印象を受けました」

「年齢はどれくらいですか。それに背格好とかは」

「三十代と言われれば、そうとも見えるし、二十代でも十分通用する顔つきでしたが、自信はありません。髪もボサボサに跳ねてて無精髭も生えてて、年齢の判断は難しいです。背格好は細身で長身でした。一八〇くらいだと思います」

自称高崎はポツポツと記憶を辿りながら卜部らの質問に答える。

彼の記憶にある『ダイ』の姿は、以前に秋永から聞いた『神倉蒼汰』とほぼ一致する。

 しかし、それは時系列的に矛盾が生じる結果にも繋がった。

但馬善吉と相澤照美の事件当時はまだ、相澤恭香は自殺をしておらず、その自殺後に行方を眩ます高崎陽翔もまた、必然的にまだ高崎陽翔として生きているはずである。そうなると、『神倉蒼汰』の名前を捨てる時系列が相澤恭香の自殺後となり、辻褄が合わない。

これが求める答えは高崎陽翔が二人存在しないと成し得ない事象となってしまった。

 卜部は混乱する頭の中をこじ開けて綺麗に通してあげたいほどに、髪の毛をわしゃわしゃと振り乱す。

 導き出されたその解は、推理と呼ぶには余りにも馬鹿げていて、解いた本人すらも滑稽に思えるほど荒唐無稽なものだった。

「山代、行くぞ。高崎さん、ご協力ありがとうございました。くれぐれも今の人生を全うに生きてください。みんな生まれ変わったら……なんて妄想を毎日のように繰り返しては生きているんです。それだけ世の中は苦痛と辛抱に苛まれています。だけど、それでもみんな生きてます。何故だかわかりますか。一度きりだからですよ。簡単に生まれ変わるなんて出来やしません。あなた自身が変わらなければ、名前が変わったところで同じことです。それよりも、今としっかり向き合って、精一杯生きてください。よろしくお願いします」

 卜部は深々と頭を下げた。

 言葉とは所詮記号のようなものだ。伝わるものには伝わるし、伝わらないものには、どれだけ言葉を重ねても伝わらない。卜部の恩師から教えられた言葉である。卜部はこの言葉をまだ記号としか捉えられていないのかもしれない。だからこそ、自分の言葉を買い被りしないように心がけている。自分の思いは、高崎陽翔に伝えた。それをどう感じるかは彼次第でしかない。伝われば良し。伝わなければ、それまで。そう考えると、少し気持ちが楽になる。裏切りに心を曇らせることもないし、本気で伝えたという自負は残る。ただ、伝わっていてほしいと切に祈るばかりだ。

高崎の部屋を後にした卜部は、何本か電話をしながら、山代と共に重い足取りで署へと戻った。

「ウラさん、大丈夫ですか」

戻るなり、山代は心配そうな声で卜部に問いかける。

「何がだ」

「いや、なんかさっきから思い詰めたような顔をしているから」

「すまん、心配するな。少し頭が混乱しているがな。気持ちを落ち着かせるために一旦署に戻っただけだよ」

「それならいいんですけど」

山代は渋々といった表情だが納得する。

「何か分かりそうなんですか」

「ああ」

卜部は短く答えると、煙草に火をつけた。気付けば、今日はまだ煙草を外に出てから吸っていない。

口にくわえ、肺に思いっきり吸い込むことで脳にまでニコチンとタールを流し込む。そうすることで、心と頭をリフレッシュさせる。

天井に向けて煙を吐き出すと、ゆらゆらと漂いながら天井にぶつかる前に消える。それを二、三度繰り返す。

「よし」

卜部は、腕を組む。

「まずわかったことをいくつか整理しよう」

鞄から年季の入ったメモ帳を取り出し、ぱらぱらと捲る。

「この事件は但馬善吉と相澤照美、二人の死から始まったとされるが、恐らくそれは間違いだ」

「え、でも他には事件なんて存在していませんよ」

「ああ、確かに存在していない。ただそれは、未遂に終わったからだ」

「未遂……ですか?」

卜部は静かに頷いた。

「但馬善吉は本来、あの事件よりも前に殺されるはずだった。但馬美代子に浮気がばれたあの時にな。だが、実際はうまくいかなかった。殺されると言っても、文字通りの死という意味なのか、社会的に抹殺という意味なのかはさすがにわからんが」

山代は首を傾げながら、「どういう意味ですか?」と問い返す。

「浮気を知った但馬美代子に殺されるか、浮気を知られた但馬美代子を殺して、逮捕されることで社会的地位を抹殺されるかのどちらか、という意味だよ」

「なるほど」

「ただ犯人の誤算は、但馬夫妻は冷めきった生活のなかでも心の奥底では愛し合っていたこと。ただのボタンの掛け違いなら、それを外して留め直せばいい。奇しくもそれのきっかけとなったのが、但馬美代子が浮気を知ることになった荒井探偵事務所の調査資料だ」

但馬美代子からもらった資料を山代の前に差し出す。

山代はそれを手に取り、ぱらぱらと捲って中身を確認した。

「犯人は『渡し舟』という自殺斡旋業者にある『自殺』を依頼した。とは言っても、依頼内容は単なる『殺人』だけどな」

「でも『渡し舟』は、自殺を幇助する会社の筈じゃ」

秋永も確かにそう言っていた。自殺できない自殺志願者の手助けをする悍ましき犯罪集団だ。

「それは裏の世界の表の顔だよ。『渡し舟』の斡旋内容に『模倣』があったろう」

山代はメモの束の中から『模倣』を探すが、見当たらないのか、同じところをただいったりきたりしているだけだった。

他の人には無い鋭い感性が彼の持ち味だが、いかんせんそれを処理し、管理する能力がどうにも欠けていることが卜部にはもどかしかった。

「これだよ」

自分のメモを山代に差し出す。


『模倣』:自殺を殺人事件に模倣する手立てをうつ役割


「この『模倣』が一つのキーだ。『渡し舟』が携わる『模倣』はあくまでも自殺斡旋業者の表の顔だ。だが、自殺を殺人に見立てることが出来るなら、その逆もまた然りだろう」

「逆ってまさか、殺人を自殺に見立てるってことですか」

卜部は黙って頷いた。

「でもそれはあくまでも想像の域を越えてませんよね」

「確かにな。だから今確認している。それにもし『渡し舟』が、純粋な自殺斡旋業だったとしても、その特性を利用した可能性が高い」

「確認ってどうやって?」

山代が質問するのとほぼ同時に卜部の携帯の着信音が鳴り響いた。

「ほら、噂をすればなんとやらだ」

携帯には署長の名前が表示されている。

その名前を視認したときの、山代の表情の微妙な変化を卜部は見逃さなかった。

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