10:接点

 荒井正之は探偵であり、情報屋という二つの顔を持っていた。

 探偵業で得た情報を警察やヤクザ、口には出せないような組織へ高値で売り捌く金額は数十万から数千万まで変動し、当たり前の話だが、高くなればなるほど、難易度は跳ね上がる。それを幾度もクリアしている荒井正之は優秀な情報屋として、その界隈では、かなり名も知られていた。

 当時の卜部もまた荒井の情報屋としての力量を見込んで時折、事件の裏をとるために利用していた。

「ウラさんが知りたい情報は毎回毎回、危険が付き物だからなあ」と、渋々引き受けることが多かったが、それでも完璧に近い情報を提供してくれた。

 そんな荒井との最期の連絡は簡単な文面だった。

 署にいた卜部の携帯に着信が鳴り、メール画面を開く。相手は荒井からだった。

『仕事でヘマをした。今後この連絡先には一切繋がらない。落ち着いたらこちらから連絡をする。至急、お得意様には連絡のみ。荒井正之』

 勢いよく椅子から立ち上がり、携帯の画面を何度も見直す。アドレスも間違いなく荒井正之のもので、文面を何度見返しても等しく同じだった。

『大丈夫か? 私で良ければ力になる。連絡求む』

 すぐに返信を試みたが、荒井の宣言通り、返信は来なかった。その数日後、変わりに届いたのが、荒井の訃報であった。同じく情報屋の仲間からその報せが聞いた卜部は、意外にもその事実を素直に受け入れている自分に驚いた。

 トラックとの交通事故で即死だったらしい。深夜にふらふらと千鳥足の酔っ払った荒井正之が、道路へ急に飛び出してきたところにトラックが避けきることができず、正面衝突した。

 消されたのか……。

 直感でそう感じた。確定ではないが、恐らく事実だろう。荒井正之はそういう人生を歩んできたのだから。

 同僚から事故の調書を借り、荒井正之についての情報を調べてみた。

 荒井正之の本名は黒谷雅幸と言うらしい。年齢は卜部と同い年だった。髪は長く、無精髭を蓄え、写真の中では笑顔を保ってはいたが、奥の深く沈んだ黒色の眼が、どこか暗い影を落としていた。

「こんな顔をしていたんだな」

 卜部はため息と同時に言葉を漏らす。

 どれもこれも、全て荒井正之が死んだことで初めて明らかになった。そもそも、連絡はメールか電話のみの応対で、顔も拝見したことがなければ、素性を知るよしもなかった。

 それも考えてみれば当たり前の話である。 

 情報屋は情報が命であり、それを管理する自分の命も狙われて然るべきだ。自分の個人情報が他人に渡るということは、情報屋の持つ情報も同じように漏れでる可能性がある、ということである。

『ヘマをした』

 荒井は確かにそうメールで卜部に伝えた。あれだけの男がどんなヘマをしたのか、とても想像はできない。そして、それを知る術も当時の卜部にはありもしなかった。


 二十年近くの時を経て、こんなところでまた荒井の名を聞くとは。

 小学校の時の初恋の女性と久方ぶりにばったり出会ったような衝撃だった。

「この封筒はいつ頃、送られてきたものでしょうか」

「結婚して五年目の時だったので、二十年ほど前ですね」

 つまり、これが荒井の探偵としての最期の調査だったのかもしれない。

 卜部はそこでふと考えを改めた。

 これは、本当に探偵業としての調査だったのだろうか?

 これがもしかしたら情報屋としての最期の調査だった、ということは無いだろうか。

 いや、それはありえない。但馬夫婦は一般市民だ。荒井正之は情報屋だが、表の顔として出しているのは探偵業としてのみ。すなわち、一般市民が情報屋としての荒井正之を頼る必要性などない。ましてや、一般市民の色恋沙汰の調査をある程度の地位を築いた男が、引き受ける余裕があるとは思えない。

 そう思い質すが、疑惑は頭から一向に離れようとしない。どこまでもねばっこく、しがみついてくる。

「顔色がよろしくないようですが、大丈夫ですか」

 気付けば、テーブルに両肘をつけて、掌を組み、考え込んでしまっていた。

「あ、すいません。この資料はお預かりしてもよろしいでしょうか」

 但馬美代子は、構いませんよ、と右手で差し出す仕草をしてみせた。

「これを見た時、但馬善吉さんはどんな雰囲気でしたか?」

「あの頃はずっと殺伐としていましたから……。あれを見せた時は、どうなることやら、と不安でいっぱいでした。実際、善吉さんもギリギリの状態だったのではないでしょうか。だから正直なところ、私が殺されてもおかしくはなかったのかもしれません」

「わかました。ありがとうございます」

 卜部は、テーブルから立ち上がり、但馬美代子へ頭を下げた。

「そういえば、何故今になって、この情報を?」

「一つはすっかり忘れてしまっていたこと。そしてもう一つが、刑事さんを見て思い出したからです」

「私を……ですか?」

「いえ、正確には刑事さんの隣にいたもう一人の刑事さんです」

 山代? 何故山代の話になるのだろうか。しかし、午前中の聞き込みの際も、山代に妙なことを聞いていたことを卜部は思い出した。

「午前中も言ったと思うんですけど、すごく似ていたんです」

 但馬美代子は、目頭を押さえた。

「あの時、この封筒を渡してきた男性――荒井正之さんに」

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