8:『渡し舟』

「なるほど、但馬善吉さんの事件でも秋永さんは関わっていたんですか」

「そうなんです。但馬さんの件は、今回と関係ないと思っていたのですが、ちょっと気になることがあって」

 秋永は卜部に但馬善吉の事件について語った。

 卜部はここで但馬善吉の事件と関係が繋がったことに驚きを隠せなかったが、まずは話を聞くことに努めた。

「それで、気になることというのは?」

「あの、但馬さんが亡くなる直前に実は私、本人とお会いしていたんです」

「本人と?」

 山代と卜部は思わず声を揃えた。

「何で当時言わなかったんですか」

「いやあ、こちらとしても恥ずかしい話だったということもありますし、関係ない話をして、こちらに火の粉が降りかかるのは嫌だったので」

「まあ、事情はわかりました。本題に入りましょう」

「はい、但馬さんとその日お会いしたのは、この店の資金繰りの関係でお話をするためです。ちょっと一年ほど前は傾きがひどい時期で。今はもう何とか持ちこたえながら傾きつつ、といった感じでギリギリの状態です。なので、三田くんには本当に支えてもらっていたんです」

 秋永はしみじみと語りながら時折、目頭を押さえた。

「まあ、それはさておきですね。その資金繰りの話に参加したのは、但馬さんとこの店の常連さんで但馬さんの部下の竹田くん、そして、彼らを紹介してくれた神倉蒼汰という男の人でした」

 秋永の語る人物の中で、竹田の存在は警察も把握していた。当時の但馬の様子について話を聞いていたが、この話は伏せられていたということか。恐らく店主の秋永のことを慮ってのことだろう。

 しかし、もう一人の男――神倉蒼汰の存在は初めて聞いた。

「神倉蒼汰というのはどういった方なんですか」

「いやあ、私も深い関わりがあるわけでないので、詳しいことはわかりませんが、多分ヤバい人だったのかな。そう思うと恐ろしくなっちゃって」

 秋永は興奮しているのか、話の要領を得ない。

「ヤバい人?」

「当時、この店には目も当てられない借金がありまして――」

 秋永はぽつぽつと当時の状況をかいつまんで話す。

 借金取りに追われ、資金繰りに苦労していたところに神倉蒼汰がその借金をチャラにしてくれたこと。

 その彼から但馬の後輩に当たる常連の竹田に相談すれば、きっと助けてもらえるとの金言を授かったこと。

 そして、望み通り経営コンサルタントの紹介を約束した当日に殺人を犯して自殺を図ったこと――。

「おかげで経営をどうしたらいいのか、すごく大変だったんです」

 何とか持ちこたえられましたけどね、と秋永は胸を張った。

「でも、その時の但馬さんを見てましたけど、殺人を犯すような人には見えなかったんだけどなあ。ただその時、神倉さんと但馬さんが握手を交わしたとき、何かを握らせているのがちらっと見えたんですよ」

「何か、というと」

「断定は出来ませんが、紙切れのようなものに私は見えましたが、何が書いてあったかまではわかりません」

「あなたと、神倉蒼汰さんは、どういった関係なんですか」

「いや、本当に知らない人なんです。その時は本当に参っていて、藁にも縋る思いで、たまたま来たいたずらメールっぽいものに返信しました。そうしたら、神倉さんと繋がったんです」

 秋永はポケットから携帯を取り出し、画面をいじると、一通のメールを卜部と山代の前につきだした。

「これが、その時のメールになります」

 メールには、『あなたの心の休息に協力します』と一緒にURLが添えられている。

「山代」

「わかりました」

 山代は卜部から秋永の携帯を受けとると、鞄からパソコンを取り出し、記入されているURLを丁寧に打ち込む。

 写し出された画面には、『渡し舟』と草書体で書かれた会社名と思しき文字がでかでかと綴られている。内容は至ってシンプルで、素人目に見れば、カウンセリング専門の会社のようだ。怪しさはあるが、尻尾はさすがに出さないように巧妙に細工が施されているに違いない。機械に疎い卜部は山代の反応を待つが、「これじゃあなんとも言えないですね」の言葉にがっくりと項垂れた。

「あ、そういえば」

 秋永は「ちょっと待ってください」と言い残し、ずたずたと廊下を駆けていった。戻ってくると、手には名刺を持っている。

「これ――神倉蒼汰の名刺です」

 どこにでもある名刺には会社名の『渡し舟』に『営業 神倉蒼汰』と淡々と印字されている。

「お預かりしていいですか」

「どうぞ。もらってください。うちにはもう必要ありませんので」

 卜部は名刺を手帳に挟み、話を神倉との出会った時に戻す。

「その神倉蒼汰という男とは、どんな話をしたんですか」

「会社を建て直したいかって話や、今生きてて楽しいのかって話などしました」

「今生きてて楽しいのか?」

「はい。死ぬなら助けてやることも可能だと言われました。僕は死ぬ勇気すらも無かったので、丁重にお断りしましたけど」

「その話、詳しく聞かせてください」

 卜部と山代は、秋永の話を細かくメモした。

『渡し舟』という自殺斡旋業者という裏の顔を持つ会社の存在から、その手口まで。秋永の記憶を頼りにした証言のため裏取りは必要だが、四つの選択肢は、卜部の好奇心を煽った。


『傍観』:自殺志願者を見守る役割

『幇助』:自殺志願者の行為を補助する役割

『模倣』:自殺を殺人事件に模倣する手立てを打つ役割

『転換』:自殺に見立て、別の新しい人生を歩ませる役割


「……これならいけるか」

 卜部は自分の推理に一つの確信を得た。

 自殺斡旋業者に四つの手法のうち、ある一つを利用すれば、相澤恭香の事件の真相が見えてくる。

 しかし、今回の但馬善吉の事件のように、この事件はもっと深いところで繋がっている可能性が高い。まだまだ繋がりを捜査する必要がありそうだ。

 まずは、但馬善吉の妻――但馬美代子へ話を聞こう。事件当時、彼女はずっと但馬善吉の殺人を否定していたはずだ。今更ではあるが、但馬善吉が犯人ではなかったことを仮定して、彼女の話を改めて聞けば、今回の秋永ように新しい情報が手に入るかもしれない。

 卜部と山代は、秋永に礼を告げ、店を後にした。

 店を出ると、ねっとりとした生暖かい風が卜部を包み込んだ瞬間、卜部の脳裏に一抹の不安が過った。前には進んでいる。進んでいるはずなのに、進まされているような気持ち悪さに近く、まだ先の見えない岐路に立たされている感覚だった。

「卜部さん」

 卜部の険しい表情を見た山代が心配そうに話し掛ける。

「大丈夫ですか」

「ああ、大丈夫だ。明日は但馬美代子に会いに行って話を聞いてくる。山代は『渡し舟』や自殺斡旋業者について調べてもらいたいがいいか?」

「僕も聞き込みに行かせてください」

 山代の目は真っ直ぐに鋭く、真剣そのものだった。彼も今回の事件で少なからず触発されたのだろう。

「わかった。だが、『渡し舟』の件も調査を頼むぞ。ああいうのは俺には難しいからな」

 山代は「了解です!」と場違いな大声で叫び敬礼をして見せた。

 なるほど、ただの酔っ払いらしい。

 山代の自宅の方向を探しながら、卜部は空車のタクシーに手をあげた。

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