6:結末、そして
部屋のチャイムが鳴る。久々に聞いた外界からの呼び出し音だ。暗闇の中、ゴッドブルーはむくっと起き上がり、手探りで眼鏡を探す。パソコンの稼働する音のみが充満する部屋の床に散乱したゴミをパソコンの液晶画面の灯りだけを頼りに左右へ掻き分け、人一人がやっと通れるほどの道を空ける。
結局、何も変われないまま、一年の月日は簡単に流れていった。初めこそ、職を見つけて懸命に働いた。しかし、生まれ変わったとはいえ、元々のスペックは何一つとして変わっていない。他人に虐げられることも少なくなかったが、それでも生きようと踏ん張った。それでも、ちっぽけな人間が些細なきっかけ一つで、人生全てうまく行くことなど、ドラマや小説の世界にしか存在はしないことを思い知った。
後はいつもと同じ転落人生だった。
どうせ何も変わらないのであれば、なにもしない方が、気が楽でいい。一所懸命に生きようが、死んだように生きようが、生きていることには変わりない。前回の反省とこの経験を活かし、生きていけるだけの少しの蓄えを、無理のしない範囲での株で賄い、ゴッドブルーはネット世界に舞い戻ったのだ。
ドアスコープを覗くと、背広を来た男が二人立っていた。若い男と初老をとうに越えた男だ。背筋はぴんと伸び、部屋の空気を読もうとしているのか、ぴくりとも動かない。視線は鋭く、周囲へ緊張を張り巡らせている。いかにも普通でないことは火を見るより明らかだった。どうしたものか、と逡巡していると、もう一度チャイムが鳴った。さらに、チャイムの後にはノックまでしてきた。
「すいません、警察ですけど」
ゴッドブルーの名前を呼びながら、拳で叩くノックの音は次第に大きくなっていく。男はふうっと息を漏らし、ドアのキーロックを解除した。
「なんですか、いきなり」
ドアスコープでは気づかなかったが、一人はまだ二十代にみえるが、かなり図体がでかく、妖怪のぬりかべのようにどっしりと構えて、男をずっと睨んでいる。
もう一人の男は五十代といったところか、白髪が大半を占め、仕事や家庭に気苦労の絶えない生活をしていたことが窺える。目は笑っており、温厚そうに見えるが、隠し事や嘘など簡単に見破れさそうな奥底に光る眼光は、老練の賜物であるとわかる。
「すいませんね、急に」
五十代の警察官は、警察手帳を見せながら頭を下げた。うらべ、って、読むんですけど、珍しい名字でしょう、とこちらの緊張を解すためか、フランクに接する。
卜部と自己紹介した警察は、簡単に事情を説明した。どうやら女子大生の自殺に関して捜査しているなかで、女子大生の恋人も同時に行方をくらましてしまったらしい。そこで警察は恋人も事件に巻き込まれたのか、女子大生の自殺に何らかの形で関与しているのかを調べるために、恋人の行方を探している、とのことだった。
ゴッドブルーは一年前にニュースでその事件がネットでも、現実世界でも、騒がれていることは知っていた。しかし、事件の概要ばかりに気をとられ、細かい情報までは記憶していない。まさかこんな近くの事件だったのか、と好奇心に近い感情が芽生える。
「そうなんですか。でも僕はあまり外を出歩かないので、全くお力になれませんね」
「じゃあ、やっぱり我々の勘違いなわけだ」
卜部はゴッドブルーの顔をじろじろと睨むように見つめる。
「どういうことですか?」
「あなたのお名前……伺ってもよろしいですか?」
卜部の問いにゴッドブルーは一瞬間を空けた。
「高崎……陽翔ですけど」
人に名を尋ねられるのはずいぶん久しぶりのことだった。
「いやあ、実は今行方を追っている恋人こそが、あなたと同姓同名の方なんですよね」
事実確認のため、高崎陽翔の所在を確かめている、と語っている時、卜部の後ろに立つ男が、ゴッドブルーの反応を窺っていた。ゴッドブルーはそこでようやく合点がいった。卜部の語る男こそが『ダイ』から手渡された新しい人生の前任者であることに。
「多分なんですけど」
ゴッドブルーは正直に伝えてみることにした。決して正義感に駆られて、などの類いではない。死んだように生きると決めたゴッドブルーにとって、名前などあってもなくても大差はなかったからだ。
「高崎陽翔は僕で間違いないです。だけど」
相手の反応を確かめながら、ゆっくりと言葉を絞り出す。
「刑事さんが言っている高崎って人は、前の高崎陽翔であって、今の高崎陽翔ではないですよ」
卜部の動揺がゴッドブルーにも見てとれた。
「じゃあ、あなたは一体誰なんですか?」
ゴッドブルーはまた少し間を空けた。
「本名ですか? 神倉……蒼汰です。まあ、もう死んでしまいましたけどね」
卜部は目を見開いて、ゴッドブルー改め、神倉蒼汰をじっと見つめた。そして、驚いた卜部が口にした一言は神倉をも驚かせることとなる。
「……君が、あの神倉蒼汰?」
卜部の表情は、驚きとも不信ともつかないものへと変わり、持っていたペンとメモ帳を落としても拾うことすらせずに立ち尽くしていた。
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