三章:ゴッドブルー改め、◼◼◼◼

1:ゴッドブルーの人生観

 ゴッドブルーは、ハンドルネームである。

 ゴッドブルーは、子供の頃から自己主張のしない人間だった。自分の想いを述べたところで、その通りになることなんて、想像できなかったからだ。

 子供の頃は両親に従い、学生の頃は教師に従い、友達同士では、腕っぷしの強い者や誰からも好かれる賢いものに従った。従わなければ怪訝な顔をされ、場合によっては叱られることは、両親から経験済みだった。

「何であなたは、我儘ばかり言うの」

 両親からことある度に言われたことだ。

 両親にとって、質問には模範解答が存在し、その解答以外は不正解、にカテゴライズされる。すなわち、我儘な発言である。

 ゴッドブルーはいつも両親からの質問が怖かった。どの解答が正解なのか相手の顔や挙動、その日の言動一つ一つから、ゴッドブルーが答えるべき、その一つを探し出す。

 しかし、それは大抵失敗に終わる。例えば「何を食べたい?」と聞かれたとしても、答えはごまんと存在する。肉料理から魚料理、和風に洋食、はたまたバイキングなど、種類ですら豊富な解答なのに正解の一つを絞りだすことは、水面に映る月を掬いとる作業に近い。

 そんな肉親から生まれながらに教育されたこの主従関係は、家を離れても尚、誰に従わなければならないのか、をまず初めに考えるようになったきっかけとなった。

 そんな努力の甲斐無しに、楽しい一時なんてわずかしか得られることは無かった。何かをすれば嬉しそうな顔をしなければならない。ありがとうをどのタイミングで言わなければならない。そんなことばかり頭を駆け巡る。唯一といっていい楽しみのひとつといえば、タイミングを間違え、勝手な態度をとり、怒られる他人を見ることで、それを横目にゴッドブルーはいつもほくそえんだ。しかし、そんなゴッドブルーを教師や友人は「何を考えているかわからない」と評することが多かった。心外もいいところだった。僕ほどに従順で、素直な人間はいない、と思っているのに。

 進学や就職先も所謂正解、と呼べるべき場所を選んだ。幸い勉強や能力には自信があり、行け、と言われたところへ行けるだけの才能は持ち合わせていた。最もその正解とはなんなのかまでは、ゴッドブルー本人には今でもわからない。両親が差す方位磁石には矢印は書いてあっても、文字盤までは刻まれていなかった。

 大人になっても、この主従関係は変わらなかった。社会人になれば上司に従い、声の大きい政治家に従う。子供の頃から何一つ変化の無い毎日。ゴッドブルーが安らげる唯一の場所は、自室のネットワークの中だけだった。ネットゲームと呼ばれる現実とは違う仮想空間で生活する類いのものをゴッドブルーは好んだ。そこに限っていえば、ゴッドブルー自身が主人公であり、初めから従える立場にある。更には、やり込めばやり込むほど、強さを手に入れ、支配する領域が増える。そこには快感しか存在しないオアシスだった。

 しかし、この快感は現実とのギャップを実感するストレスにも繋がる。

 生まれて間もなく溜まりはじめたストレス、鬱憤は、ネットゲームとの迎合により、スピードを増し、爆発するのは時間の問題だった。逆に良く今まで爆発しなかったものだと褒めてやりたいくらいだ。

 ゴッドブルーはこの世界に生まれて、三十年。ようやく周囲のストレスから解放された。

 まず始めたのは、会社への辞表の提出だった。前日に辞表を書き、朝一で上司の前に立ち、それを差し出した。

 上司や同僚からは、「何故辞めるんだ?」「何かあったのか?」と質問を受けたが、「辞めるなよ」「寂しくなるな」とゴッドブルーの辞職を止める者は一人もいなかった。別にゴッドブルーはそれを寂しいとは思わなかった。彼らにとってゴッドブルーの存在は職場における同僚の一人に過ぎなかったかもしれないが、ゴッドブルーにとって彼らの存在もまた従うべき対象に過ぎず、そこから逃れるのに寂しさなど不要な感情だ。

 会社を辞めたことを両親に告げると、案の定叱ってきた。お前は間違っている、と罵詈雑言を浴びせてきた。しかし、ゴッドブルーは一貫して無視を決め込んだ。一度解放されてしまえば、ゴッドブルーを一番に従えていた両親の言葉ですら響くことはない。ゴッドブルーにとって両親は従うべき対象では無くなったからだ。

 その日のうちに不動産屋へ出向き、アパートを契約した。とにかく生活でき、ネット環境が整っている居住空間さえあれば良かったので、どんな部屋でも困らなかった。店員から勧められた部屋を即断した。生活に必要な家電も買い揃えた。今まで誰かの正解に従っていたが、自分で正解を導くことは、こんなにも難しいことだったのか、と新鮮な気持ちになった。

 仕事を辞めたが、収入には困らなかった。ネットゲームからの派生で行っていた株の投資により食うには困らない金額が入るようになっていたからだ。

 簡単な日用品をまとめ、家を出る準備をする。後悔はない。後悔するならば、この発想に辿り着くまでの無駄な時間を過ごしたことにだろう。

「今までお世話になりました」

 出る直前、両親に深々と頭を下げた。理由はわからない。もう帰ってこない、そう漠然と思ったからだ。

 玄関を開け、外に出る。玄関の扉が閉まった瞬間、ゴッドブルーは本当の自由を手に入れた。

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