9:結末

 気付けば煙草の灰が伸びすぎて自重で落ちていた。公園内には但馬一人だけだった。幾本かの街灯の光は、そのほとんどが設置された雑木林の木々に遮断され、隙間から申し訳程度に但馬の足下を照らす。

 あの後、美代子から全てを聞き、但馬は全てを受け入れた。そして一年後、待ち望んだ子供を授かった二人は失いかけた幸せを取り戻し始めた。そんな但馬とは裏腹に、相澤照美は悲しい生活を強いられてきた。逆恨みとはいえ、相澤照美の気持ちを察すれば、致し方の無いことなのかもしれない。

 相沢照美に対し、自分が出来ることは今あるのだろうか。それも思い上がりなのだろうが、果たして何もせず、犯人に仕立てあげられることが最善とは思えない。あの男――神倉の口調から察するにその手のプロがいるのだろう。但馬の想像をはるかに凌駕する得体のしれない何かが、但馬の背後にまで迫っている。

 原因はただ一つ。相澤照美の娘、相澤恭香。

 しかも何の因果か、あの居酒屋でバイトをしているらしい。神倉に言われるまで何一つ気付かなかったが、子供が生まれたことすら知らなかった但馬にとってはやむを得ないことだ。しかし、昔の不倫相手が自分の娘の通う店で酒を喉に通していることが、幸せそうに酌を注いでいることが夫婦のどちらかの目に留まったのだろう。

 そして、あらぬ疑いをこちらに寄せている。

 そして、それが疑いから脱しない、勘違いであること。

 勘違いを正してやるべきか。正したところで、恨みの気持ちは晴れるのか。様々な想いが複雑に交錯する。

 どれが正解か。いや、正解なんてありはしない。なぜならば、あの時点で但馬も、相澤照美も間違いを犯しているのだから。

 煙草を踏み消し、ベンチから立ち上がる。その時、ベンチ後方の林の奥からぱきっと枝を踏み折る音が聞こえた。但馬はびくっと反応し、振り返る。気配は感じない。目を凝らすが、暗闇に覆われて何一つ視認することは出来ない。

 ――どうせ犬かなんかだろう。

 但馬はそう言い聞かせ、来た道を戻ろうと、振り返った身体を戻した。


 警察に通報があったのは翌日の明け方五時頃だった。犬の散歩をしていた老夫婦が、マンションの下に倒れているスーツ姿で倒れている人を見つけ、駆け寄ってみると、頭が完全に潰れた死体だった。死体の身元は、散乱していた遺品の中から、近くの会社員――但馬善吉であることが判明した。但馬善吉の自宅はマンションから数キロ程離れた場所にあり、ここへ訪れた理由は、当マンションの四階に住む相澤照美に会っていたと思われる。部屋では刺殺された相澤照美が死体として横たわっていた。部屋は争った形跡からか、あらゆるものが散乱しており、ベランダには、但馬善吉のものと思われる靴と遺書が置いてあった。

 調べを進めると、二人は以前に不倫関係となっていたことが判明した。相澤照美は男性と二年ほど前に別れ、娘の相澤恭香も独り暮らしをしており、このマンションには相澤照美独りで暮らしていた。更に遺書によると、相澤照美が結婚した男性との間に生まれた子供が、但馬善吉の子供であることの疑惑がきっかけで離婚しており、それがきっかけで相澤照美は但馬善吉から金銭の要求をしていたらしい。それが堪えられなくなった但馬善吉は、相澤照美を殺害。但馬善吉自身も、妻への自責の念を綴り、自殺を図った。

 これが現在の警察の見解である。

 相澤照美の元夫は離婚して一年後、交通事故により他界。相澤恭香はストーカー被害により、この数日後に焼却炉に身を投げ、自殺。

 真相へ近づくための手がかりは全てなくなってしまった。


 本当に伝えたい言葉は口に出すのが難しい。

 しかし、言葉にしなければ伝わらない時がある。

 但馬は死しても尚、後悔の直面に立たされる。

「本当にすまない。俺も美代子を愛している。誰よりも何よりも――」

 この言葉が美代子に届くことはもう叶わない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る