6:出会い

「事情は大体わかった」

 竹田の話を横やりも入れず、静かに聞いていた但馬は、ゆっくりと頷いた。

「ここがいい店だってことは、竹田がすごく熱弁をしているのを聞いています。なので、一応知り合いの経営コンサルタントに話をしてみましょう。それ以降は僕にも責任は持てませんが、いいですか?」

 正座をしながら但馬の言葉に頷いた秋永は、目を潤ませながら、ありがとうございます、と但馬に縋りつく。仕事で企業を相手に営業をしていた経験から、様々な業種の知り合いがいる但馬には、それくらいしか頭に浮かぶものはなかった。今は営業課の係長といった役職をもらい、対面する相手は企業から部下に変わった。それでも人との繋がりは妙なもので、簡単に切れるものもあれば、なかなか繋がりつづけるものも多い。まだまだ竹田らの若い世代には負けるつもりはなかった。

「じゃあ、僕はこれで失礼していいかな。子供と嫁が待っているので」

 並べられたつまみをいくつか口に運び、ビールで流し込むと、そそくさと席を立つ。竹田に、寝坊するなよ、とだけ告げ、店を後にした。

 店を出ると、もわっとした湿気を帯びた空気が但馬の顔に触れる。

 但馬は駅へは向かわず、少し離れた居酒屋に入った。カウンターのみの小さい店内に、客は一人しかいない。向かいの一番端に座り、ビールと牛スジを注文する。店主は黙って、手際よく冷えたジョッキにビールを注いで但馬の前に置いた。一口飲み、タバコを取り出す。禁煙中と家族には伝えているが、どうしても一日一本はやめられなかった。

 タバコに火を付けたところで、店内にもう一人客が入ってきた。辺りを見回し、但馬を確認すると、彼の隣に座り、同じようにビールを頼んだ。

「お疲れ様です」

 軽くジョッキを掲げ、乾杯をとった二人は一気にビールを腹に流し込んだ。

「えっと……神倉さん、で良かったですか?」

 先程まで同じ空間に顔を合わせた初対面の男と別の居酒屋で鉢合わせているのには、もちろん理由があった。

 神倉と握手を交わした但馬は右手に何か握らされたのを感じた。夢中になって話をしている竹田を尻目にそっと中身を確認すると、ここの住所が書かれていた。得体の知れない男からの謎のメッセージ。本来なら受け取るべきではない。しかし、それ以上に厄介な事象に巻き込まれる不安が溶けたチョコレートのように、ねっとりと心に絡みつく。

「神倉で合っていますよ。但馬さん」

「今回の件は、一体何が目的ですか。あんなどれだけお人好しでもしないような真似をして、他人を弄ぶ。本当にあの店を建て直そうなんて露にも思っていないでしょう」

「いやいや、それは私の気持ちなので、貴方にわかるはずもないのでは?」

「わかりますよ。何年営業という肩書きで人を見てきていると思っているんですか。それに借金がチャラにできるほどの力をお持ちなら、その力を彼の経営に貸してやるべきだし、貴方たちが、コンサルタントでも銀行でも紹介すればいいし、知っているはずでしょう。こんな一営業から又聞きしたところでいい結果が生まれるはずもない」

「まあ、確かにごもっともですね、はい」

 神倉はすんなりと認めた。もう少し粘るかと思ったため、肩透かしをくらった。

「いいんですよ、理由なんて。何でも良かったんです。貴方のいう通り、彼の借金苦はきっかけに過ぎません」

「竹田に貴方は何を――」

「但馬さんですよ。私は但馬さんに会いに来たわけです」

「俺と出会うために、こんなことをしでかしたんですか」

 但馬は驚きを通り越して呆れ返った。呑気にグラスのビールを口に運ぶ彼は一体人の人生を何だと思っているのか。店長は神倉を信じて疑わない様子だった。もし店長がこれを知ったら、どうなるのだろう。想像は難しくなかった。恐らく再建する話も口からの出任せなのだろう。神倉の口ぶりから察するに、彼はこれに何の躊躇いも感じてはいない。

「そうだ。但馬さん」

 持っていたグラスを起き、但馬の方に顔を向ける。

「コンサルタントの件、何も動く必要はありませんよ。動いたところで、結果は見えている。畳む時間が延びるかどうかも怪しい。私から適当にあしらっておきましょう」

「そんな……」

「それよりも貴方と大事な話をするためにこうやって会いに来たんです。今からは貴方自身のお話をしましょう」

 手を組み、真剣に但馬を見る。眼差しは真に訴えているとも思えるが、全てを真実として語っているとも思えない。気付けばグラスを持っている手が湿っていた。グラスの水滴か、滲んだ汗なのかは、定かではない。やはり紙切れ一枚に踊らされて、のこのことここまでやって来たのは間違いだったのかもしれない。それでもさっさと帰る気になれないのは神倉が持つ気味の悪さも影響している。

「俺にとって大事な話ですか」

「そうです。但馬さんの今後に繋がるお話になります。いきなりお話をしても、とてもではありませんが、信じられるものではないことなので、今回は私共の存在を信じていただくために、第三者の力を借りたということです」

 サンプル製品みたいなものです、と平然と言ってのけた神倉は店員にビールの追加を頼んだ。

 彼はこういうことを、日頃からしているのだろうか。店長と同じように誰かのサンプルに宛がわれ、仮初めの希望に魅せられた被害者はごまんといるかもしれない。そう考えると、但馬は自分も悪事の片棒を担いでいるような気がして、心が沈む。

 しかし、それも束の間だった。神倉から発せられた言葉が、自分の置かれている立場をはっきりと認識させ、秋永に向けられた仮初めの希望の方が何倍も良かったと思えるほどの内容だったからだ。

「但馬さん――貴方、もうすぐ犯罪者として騒がれることになりますよ」

 但馬が脳の思考が停止し、呆然としていたが、神倉が店員にビールのおかわりを頼んでいる言葉だけは耳に響いた。

「大丈夫ですか?」

 神倉の声ではっと我に返った但馬はビールを飲んで気持ちを落ち着かせようと、グラスに手を伸ばしたが空になっていることに気付いた。あ、とすぐに店員を呼ぼうとしたが、神倉がそれを制した。

「これ、どうぞ」

 先程の追加注文したビールを但馬の前に差し出し、頼んでおきました、と笑顔を見せる。

 すぃません、と告げ、一気に口に放った。ビールが喉をジェットコースターのように駆け抜け、喉と胃を潤していく。その分アルコールの回りは早いだろうが、今はそんなこと気にしていられなかった。

「あの……俺が犯罪者ってどういうことですか? 何も犯罪に手を染めたことなんか記憶にありませんが」

「この場合、但馬さんの犯罪が実際に行われたかどうかは関係ありません。但馬さんにとって、身に覚えの無い事件で、貴方が犯人である証拠が次々と現れ、貴方を逮捕に追い込みます。はっきり申し上げますと、これから逃れる術はございません。どこで何をしていても、どれだけ否定しても、貴方が犯人になってしまうのです」

「そんな……何故、そんなことに」

「この方にご存じありませんか?」

 神倉は胸ポケットから一枚の紙切れを但馬の前に置いた。それは現像された写真で、中央には一人の女性が立ち、笑顔でピースをしている。

 但馬は確かにこの女性に見覚えがあった。そして、それを認知したとき、過去の過ちを思い出した。

「この方が、貴方を犯人として断罪すると申している依頼者になります。名前は相澤照美。年齢は四十九歳」

「知っています。昔の知り合いです」

 もう一度写真に目を落とす。写真の女性――照美は笑ってこちらを見ている。

 彼女と共に過ごした時の記憶は、今でも鮮明に蘇る。初恋と呼ぶにはいささか年を重ねてはいたが、それに近いほどに、二人は愛し合っていた。そう思っているのは俺だけかもしれない。但馬は思わぬ過去の記憶を掘り起こされ、面食らったが、顔には出さないように努めた。

「彼女とはどんな関係ですか?」

「だから、昔の知り合いです」

「質問を変えましょう。どんな関係でしたか?」

 こちらの情報なんて既に知っているくせに。但馬は心の中で舌打ちをした。

「……友達以上の関係でしたね」

「彼女が今どうしているか、知っていますか?」

「知るはずがないでしょう。何年前の話をしているんですか」

「そうですか。それでは説明しましょう。彼女は但馬さんと別れたあと、別の男性とすぐに結婚されました。そして、しばらくしてから子供を産んでいますが、そんな幸せな生活も長くは続きませんでした」

「え?」

 但馬はずっと神倉から視線を反らし、興味が無い素振りに努める。そんなことが男の前で無意味なことは、薄々は感じていた。それでも、但馬を意地にさせるのは、安くても高いプライドが故だった。しかし、神倉から発された最後の言葉に思わず反応してしまった。

「気になりますか?」

「いや、別に……。そりゃあ、知人が辛い思いをしているなら、反応するのは可笑しいことではないでしょう」

「まあ、そういうことにしておきましょう。彼女の話を続けます。彼女は子供を生み、幸せの絶頂という言葉に相応しい一時を迎えました。しかし、絶頂ということは、その先は下り坂であることを暗喩しています。彼女もそれに違わぬ転落ぶりが待っていました」

 神倉は小説を朗読するかのように、はっきりとした口調で彼女の転落ぶりを但馬へ話し始めた。

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