2:招かざる客
仕事が終わり、竹田の席を覗く。ノートパソコンは閉じてあり、席にはいない。竹田はどうやらもう店に向かったようだった。但馬は携帯を開くと、竹田からメールの着信が届いていた。
「いつもの店で待っています」
恋愛経験豊富な、気取った女が手玉にとっている男に向けるような図々しさがあったが、いつものことなので、気にしない。しかしながら、大の大人が先輩に使っているのだが、第三者に見られたら勘違いされることこの上ない文面のため、すぐに携帯を閉じ、荷物を整えて、外へ出た。
向かった先は駅の端に追いやられたかのように、ひっそりと開いている居酒屋だった。そのため、客足は芳しくないが、個室も完備されており、静かに酒を飲みたい但馬にはうってつけの場所だ。このままつぶれない程度に賑わってくれればと思うほどに但馬はこの店の虜になっていた。
元々は、竹田が見つけて誘ってくれたのがきっかけだった。僕の自慢は、ハムカツと野菜の串焼きですね、と自分が作っているかのような口ぶりで、但馬の希望を聞く間もなく、次々と注文した料理は、竹田が自慢するだけのことはあるほどに旨かった。箸が進むのはもちろん、酒もぐいぐい進ませる料理は初めて出会った。酒も品揃えが豊富で但馬の好きな果実酒も多く取り寄せているのも好印象だった。
店内に入ると、アルバイトと思われる若い男が「っしゃーせ」と景気のよい声をあげた。いつもなら店長がいる時間なのだが、どこに出掛けているのか、今日は不在らしい。店員にビールを注文して、竹田のいる店の最奥の個室へと向かう。
個室の前に立ち、引き戸を開けようと、手を添えたところで、但馬はピタリと止まった。何やら声が聞こえたからだ。耳を澄ますと、微かだが確かに話し声が聞こえる。子供たちがいたずらを画策するような好奇心に満ちた様子はなく、どちらかと言えば大人たちが隠蔽工作に勤しむような薄暗い空気を察した。竹田は特に誰かを呼ぶとは言っていなかった。それにこの店は竹田と但馬が二人で飲む時に使用するもので、第三者が介入したことは今までなかった。
「竹田、入るぞ」
わざと少し大きめの声で、引き戸の向こうにいる竹田に声をかける。
「あ、はい。待ってました」
引き戸を開けると、竹田が手前の席に座っていた。畳が敷かれた六畳程の和室の中央には木目のテーブルがあり、それを挟んだ向こう側に二人の男が座っていた。一人は良く見知った顔だった。店長、と声をかける。
「どうかしたんですか」
店長――秋永英二は、但馬の顔を見ると、はは、と笑うだけで質問に答えようとはしなかった。いつもはもっと底抜けに明るい男のはずだが、昔の自分を失念したかのような、変貌ぶりだった。
もう一人の男は但馬にとっては初対面だ。なのに、但馬の顔を見て、「どうも」と気軽に話しかけるあたり、但馬の苦手な人種であることは理解できる。膝をたて煙草を燻らせながら、但馬の動揺や秋永の不審な動きを見ても何にも感じていない印象だった。全身を影から掬いとったような黒で統一された服装。だらしなく伸びた髪は寝癖なのか一本一本が反発しあうように四方八方へ捩じれている。
「あの……あなたは?」
但馬の問い掛けで、男はようやく状況を理解したと思ったが、俺は大丈夫ですよ、と答えるだけだった。
「いや、大丈夫とかじゃなくて」
「だって、俺ビール持ってますけど」
平然と答える男に但馬は絶句する。自己紹介を促したつもりが、お酒の催促だと勘違いされていたとは。思わず、ああ、そうですか、と答えてしまいそうなほどに自然な返しだった。
「あなたが誰か、と聞いているんですが」
「ああ、そういうことね」
勘違いを恥じるわけでも無く、そっちの方ね、とぼやきながら一枚の名刺を取り出した。
「人生相談センター~渡し舟~ 営業 神倉蒼汰」
よくある詐欺まがいの勧誘じゃないのかと訝しげに男――神倉を睨む。
「二人に何か用ですか?」
「その前に言うことありませんか?」
神倉も但馬を睨み返す。声色は低く、腹を殴るような声で但馬に訴えた。
え、と但馬は少し狼狽する。何を問われているのかわからなかった。優勢劣勢など深くは考えていなかったが、立場が逆転したことを肌で感じた。
「あなたの名前――聞いてませんけど」
「あ……すいません。但馬です。但馬善吉」
「善吉」
忘れないように繰り返しているようでも、古くさい名前に珍しがっているようでもあった。
くしゃくしゃの髪から覗く、不穏な香りは但馬の心をどんよりと重くする。声からして二十代だと認識は出来るが、独特な雰囲気から判別は難しい。
「よろしくお願いします」
差し出してきた右手を拒む理由も無いため、但馬も右手を差し出し、握手を交わす。
ところで、と但馬は話を切り替えた。彼のペースに呑まれてはいけない、と本能的に察する。
「竹田、状況を説明してくれ」
竹田は部屋の隅でちょこんと座って、こちらの様子を眺めていた。こちらがテレビの向こう側であるかような観賞に近い。
「いやあ、説明したいのはやまやまなんですけど。何をどう説明したら良いやら」
頬を掻きながら困ったように返す。何を説明すればいいでしょう? と、こちらが困ることを言うのは目に見えていた。
「何を説明すればいいでしょう?」
「いいから、わかる範囲で説明しろ。何故、店長がいる? この男――神倉さんは何しに来た? 今日、お前はなんのために俺を呼んだ? この二人はその用件に関係しているのか?」
「いっぺんに聞かれても困りますよお」
「駄々をこねるな。なら、俺は帰るぞ」
「いや、それはダメです。まだ話が前に進んでいません」
即答だった。当たり前じゃないですか、とこちらが我儘を通そうとしているような口振りで、但馬を諭そうとする。
「わかりました。順を追って、説明しましょう」
はじめからそれを望んでいるのに、と出かかった言葉を無理やり飲み込んだ。
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