150年目の邂逅 ~神戸港開港奇譚~

平 和泉

前編

慶応3年12月7日……私たちの国の暦では1868年1月1日。

この日、神戸港が開港した。


その開港の陰に、各国の思惑から端を発した事件があったのは、あまり知られていない。

後世の記録ではそれを“神戸開港要求事件”といった。

私…アントン・ポートマンが関わった初めての事件であったため、ここに記しておこうと思う。


そして、その時に出会った一人の少女のことも。







それは、私が神戸港に降り立った時のことだった。

神戸港と普通に言っているが、日本の通詞によれば、ここはもともと海軍操練所と呼ばれる施設があった場所だという。


「それにしても……」


辺りを見回していたのは、ディルク・デ・グラーフ・ファン・ポルスブルック殿……名前が長いのでディルクと略しておこう…であった。

彼はオランダの外交官で、私とは同郷の仲である。

そのディルク殿が、呆れた表情でこう漏らしたのだ。


「まるで辺境の地だな」


それは私も同感だった。

江戸と呼ばれる町並みと比べれば、ここは辺境と言っていいくらいの寒村だ。

山が目前に迫り、景色は美しいのだが……。


「これが東洋一の港か?」

「東洋一の港と言われているのは、あちらですよ」


と、私は左…西側を指し示した。

この辺りでは珍しい人工島が見えた。

そして多くの建造物があり、この周辺とは違って賑わっていそうだということは分かった。


「あの辺りが五百年以上も続く東洋一の港ですよ」


確か、経が島と呼ばれるところだと記憶している。


「話が違うではないか」


突如として、憤慨する声が上がった。

振り返ってみれば、ハリー・パークス殿……イギリスの公使であり、先ごろ着任したばかりである…が、日本の通詞に対して食ってかかっていた。


「我々が要求しているのは、このような辺鄙な場所にある港ではない!」

「パークス殿」


公使ともあろう人間が、ただの通詞に大人げない行為をするものではありませんよ。

そう言って止めたのはパークス殿より年嵩のレオン・ロッシュ殿……フランス公使であり、この中では一番の年長者である…であった。


「…………」

「我々は喧嘩を売りに来たのではありません。交渉をしに来たのです。あなたの態度は――――」


その言葉が途中で止まった。

ロッシュ殿の視線が私たちを向く。

いや……私たちではない。

その向こうだ。

私は彼の視線の先を辿る。

布を巻き付けたような民族衣装……この国では着物というらしい…をまとい、辮髪のような髪型……確か、彼らはちょんまげと言っていた…をした上流階級らしい男たちが、後ろに大勢の者たちを引き連れてやってくるのが見えた。


「あれが幕府の…」


通詞はこの港への案内役。

そして今到着したのは、交渉の席につく相手だ。

しかし、私はその男たちの中に、一人だけ異質な人間が混じっているのに気付いた。

男たちはみな髪が黒いのに対して、その者はライトブラウンの髪だ。

彼らが近づくにつれ、ライトブラウンの髪を持つ者の姿もはっきりと見えてきた。


「女……いや、少女か」


目立つのは髪だけではなかった。

少女は洋装を身に纏ってはいたが、それは今まで見た、どのような服でもない……最先端の先をゆく服だったのだ。

少女はなぜあの集団の中にいるのだろう。

様々な疑問が浮かんでは消えてゆく。


「何を見ている? アントン君」


私の様子がおかしいことに最初に気付いたのは、ディルク殿だった。

そして視線の先にいる少女の姿を認めて、納得する。


「ああ……彼女は噂の巫女姫様だ」

「…………巫女姫…?」


聞きなれない言葉が彼の口から飛び出てきた。

巫女といえば、神の言葉を人々に伝える役目を負う女性のことだ。

私は巫女から連想する姿を想像してみた。

白い小袖と呼ばれる着物に緋袴が一般的なものである。

しかし、あの少女と巫女が全く結びつかない。


「あの巫女姫は一般的な巫女姫ではないよ」


知らぬ間に私は眉を寄せていたのだろう。

ディルク殿が苦笑を漏らして、解説してくれた。


「彼女がどこからやってきたのかはわからないが、私たちの言語を的確に解し、また各国の文化にも精通している」

「言語はともかく文化や事情も……?」


それは驚きだった。

この国では、外国から入ってくる書物の流通はほぼない。

あまつさえ女性が諸外国の文化に詳しいのは全くないのだ。


ディルク殿は口を閉ざした。

一行が私たちの目の前で止まったからだ。

先頭にいた男が一人、歩み出てきた。

名乗りを上げたのは分かったが、いかんせん日本の言葉があまり理解できなかった為、名前がわからなかった。


「“私は老中・阿部正外(あべ まさとう)。異国の公使殿、お初にお目にかかる”と話しています」


澄んだ声音。

それは少女のものだった。


「お初にお目にかかります。私は鹿島美琴(かしまみこと)といいます。本日よりあなた方の通訳を仰せつかりました」


少女は流暢に喋り、にこりと笑みを浮かべる。

ともに来た男たちは、私たちを見るやガチガチに緊張しているというのに。

彼女は物怖じしない性格なのだろうか。

しかし笑みを浮かべると、周囲に花が咲いたような錯覚さえ覚える。

他の公使達が、それぞれ自己紹介をしている中、私はなぜか少女しか見ていなかったようだ。


「ポートマン公使」


パークス殿に何度か呼ばれて、ようやくそれに気付く始末。


「わ、私はアントン・ポートマン。アメリカの代理公使です」


少女に見惚れてしまっていた自分を恥じながら、取り繕うように名乗る。


「ポートマンさん、これからよろしくお願いしますね」


す、と差し出されたのは手。

驚きはしたが、彼女が我々の文化に精通していることから、握手というものを知っていることを再認識する。

その手を取った。


「こちらこそ。お嬢さん」





交渉は数日で終わったが、国内ではかなりもめたらしい。

交渉を担当した老中二人が、朝廷から官位を剥奪され、解任されたと伝え聞いた。

私たちは、その報を受けるとすぐに要求を再度提出した。

要求とはいうが、実際には脅しだ。

10日以内に回答がなければ、拒否とみなすとの警告だ。

彼らはその言葉に慄き、すぐさま天皇の説得に当たったようだ。

結論は10日を待たずに出された。







それから数か月。

彼女は交渉終了後も私たちと行動を共にした。

その中で、彼女の人となりをじっくりと観察することができた。

観察というよりも、好意的に見てしまっているといった方が正しいだろうか。

彼女を見ていると、故国にいる家族のことを思い出し、胸が熱くなる。


「美琴。どうかしましたか?」


ある夜のこと。

彼女が一人、甲板で月を見上げているところに出くわした。

その姿があまりにも儚くて、思わず声をかけてしまっていた。


「あ………ポートマンさん」


振り返った彼女の頬に一筋の光の筋があった。

涙を流していたようだ。

彼女が涙を流すほどの、よほどの事があったのだろうか。


「なにか……ありましたか?」


つい思ったことを口に出してしまっていた。


「いえ、なんでも―――」

「なんでもない、ということはありません。現にあなたは今、涙を流していたではありませんか」


言葉を遮る。


「私でよければ話してくれませんか?」

「…………」


彼女が小さく頷いた。


そうして話してくれたのは、私の想像を軽く超えてしまうほどのものだった。

まず、彼女はこの時代の人間ではなかったこと。

百年以上も先の…この国の元号でいう“平成”という時代から、時空を越えてきたのだそうだ。

彼女が纏う装束が、最先端のその先を行っていることからも、その辺りは何故かすんなりと納得できた。

自分でも何故、こうもすんなりと納得できたのか不思議だが。

彼女がいた世界は、国内は比較的平和だという。

その世界で、外国語大学に通っており、様々な国の言語を勉強していたそうだ。

英語は勿論、フランス語やオランダ語…他にも習っているという。

普通に暮らしていた彼女が、どうしてこの時代に来てしまったのかは、彼女自身にも理解できていないらしい。

冬季休暇で久々に神戸へと戻ってきて、たまたま地元の友人たちと買い物に出かけていたと聞いた。

そして気づいたら、周囲の景色が一変していたそうだ。


「戻る方法が見つからない故郷を懐かしんで、涙を流していたのですね?」


私は再度、こう問いかけた。

その問いかけに、彼女はゆっくりと頷いて見せた。


「どうしてでしょうね。今まで誰にも話さなかったのに……ポートマンさんにだけは話せました」

「私たちは比較的年齢も近しいですからね」


だからではないでしょうか。


「それに……」

「?」

「嬉しいのです。あなたが抱えている秘密を、私だけに話していただけたというのが」


嬉しさのあまり、満面の笑みを浮かべてしまっていたが、それはこの際、置いておくことにする。


「あなたは、あなたがいた時代に帰りたいのですね?」

「………でも帰る方法なんて―――」

「私が協力しましょう」


今の時代の技術であっても、帰す方法は見つからないかもしれない。

だが、目の前で涙を流す少女を放っておくことはできなかった。

相当に無茶なことを引き受けたものだ、と後になって思った。


「なに、西洋の黒魔術でも、日本の陰陽道でも片っ端から調べれば、帰る方法が分かるかもしれません」


自信満々に言ってみせると、少女は泣き笑いの表情を見せた。

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