やるべきことはなんですか? -2

 あの日から僕は学校が終わればすぐ家に帰り、部屋にこもった。

 ひたすら鉛筆で線を書き殴る。何度も引いた線は、人になり、声になり、熱になり、心になり、世界になった。出来たネームはかなりの枚数になっていた。

 

 それにペンを入れていくと、息は息づかいに、声は音色に、熱は感情に、心は想いに昇華して、40枚の紙に浮かぶ世界は、とてもとても小さな、少年と少女の世界が映し出されていた。


 完成が近づくにつれて眠気はどんどん吹き飛んでいく。翌日にしようという気持ちはいつもどこかに吹き飛んで、気付けば描き続けたままで夜明けを迎えたていることばかりだった。


 今日もまた、明るくなった空の下ですずめたちが鳴いていた。


「……できた」

 

 僕は最後の原稿を掲げて朝の光を当てていた。

 家を出るにはずいぶん早い時間だったけど、僕は学生服に着替えて、原稿を封筒に入れてカバンにしまった。

 そして物音を立てぬよう、そっと部屋を出る。


「お兄ちゃん」

「わっ!」


 玄関で母さんが声をかけてきた。


「おはよう」

「お、おはよう母さん。い、いってきます」

「あら、もう? じゃあ、ちょっとだけ待ってね」


 電子レンジの音がして、チーンと終りの合図が鳴る。

 おまたせと言って渡してきたのは小さな弁当箱だった。

 それも二つ。


「先生によろしくね」


 ……何で分かるんだよ。


「寝てないときは危ないから、車に気をつけるのよ」


 徹夜もバレているようだ。

 僕は無言のまま玄関に向かい、出かけ際、「ありがとう」と小声で母さんにお礼を言った。母さんは優しく、「いってらっしゃい」と僕を送り出してくれた。


 玄関を出て自転車にまたがる。

 車のエンジン音がした。

 既視感を覚えた。


 パワーウインドウのモーター音がして、鬱陶しい予感を抱いて振り返ってみると、


「まなぶー、お父さんが送っていくぞー!」「おにいちゃーん、わたしが送っていくぞー!」


 車から身を乗り出した父さんと妹が、窓から体を出して大きく手を振っていた。以前よりもさらに満足げなドヤ顔だ。


「……行ってきます」

「ちょっ!」「ちょっ!」


 僕は自転車にまたがり、冷たい空気の中を走り出した。



 風が吹き抜けるアパートの廊下は、まだ夜明け前のような暗さと冷たさがあったが、ほてった体には心地良いくらいだった。


 ……寝ているかな。


 思案しながら階段を駆け上がり、久しぶりにいずみさんの部屋の前に立つ。

 なんて言おう? 学校サボってきました。ご無沙汰しています。マンガできました。


 言い方はその時だ。


 久しぶりに会うことが緊張を高めすぎている。

 はやる気持ちを抑えながらも、僕はゆっくりインターホンを鳴らした。


 ………………

 …………

 ……


 しかし、何度鳴らしても家の中から反応が無かった。

 携帯電話にかけてみたが反応はない。まだ寝ているのだろうか?

 呼び出し音が耳の横でむなしく繰り返される。


「おい兄ちゃん」と声をかけられて振り返る。

 知らないおじいさんがいた。


「そこの人、昨日出てったよ。大きい荷物を持ってさ」

 ……え?



 手提げカバンが手から落ちて、原稿を入れた封筒が顔を出した。


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