……なんで、いるんですか?


「……ここだ」


 タクシーを降りた僕に紅麗亜さんが言う。

 石柱と鉄格子で構えられた門の奥、三階建てのL字型をした建物と広い庭が屋外照明で照らされていた。

 僕らの作業場とは雲泥の差だった。


「本当に、いずみがいるのか?」

「留守電にかたきをとるって入ってました」


 嘘だった。

 でも予感がした。

 僕は門の一箇所に足をかけて首を伸ばし、教えられた作業場の方角を眺める。


「中に行きます」

「おいっ」


 侵入を試みた時だった。

 ガラスの割れる音がして、カーテンが外に向かってはためいた。

 そして、女性の声がはっきり聞こえた。


 それは聞き続けてきた声。

 だけど聞いたことのない怒声。


 咆吼とでもいうような叫び声が窓の奥から響いてきた。

「いずみさん!」

 僕は門を駆け上った。

「あ、おい学!」

 僕はガラスが割れた部屋へと走った。


 部屋に駆け込むと床にはあらゆるものが散乱していた。

 紙やペン、定規、インクといったアナログな画材道具はごくわずかで、それ以外は倒れた観葉植物にこぼれた土、パソコンの本体やディスプレイに周辺機器。

 いずみさんはそこにいた。


「あんただけは許さない。絶対に、絶対に許さない」


 肩で息をする女性は手にカッターを持ち、静かに吼えた。

 彼女の正面には、腰くだけになり壁に背を当てた男がいた。

 手を伸ばし、怯えた声で「待って」と繰り返していた。

 それ以外の人間は、男と同じように怯え混じりの顔で、彼女から距離を取って立っていた。


「いずみさん!」

「……まなぶ」


 いずみさんは、首を僕の方に向ける。

「なにやってんだよ、こんなことしたらいずみさんも問題になるよっ。マンガを描かせてもらえなくなるよ!」

「なんでここにいるの?」

「それはこっちのセリフ!」


 僕がいずみさんに話しかけている間に、「広小路!」と紅麗亜さんが部屋に飛び込んで、かくまうように男に被さった。

 やはり、彼が広小路だったのか。


「いずみっ、さっきも言ったとおりだ。私が彼に描かせたんだ。彼は何も悪くない!」


 いずみさんは黙ったまま二人を見下ろしている。

 紅麗亜さんは言葉を続ける。


「お前が怒るのはもっともだ。でもなマンガ家は描いてナンボだ。分かるだろ?」

「じゃあ、どうしてまなぶのなのよ。別のだってあったでしょ? 紅麗亜だってまなぶのこと楽しみにしてたじゃない……! あれだけ褒めてくれてたじゃないっ!」


 握るカッターが小刻みに揺れた。


「それは……」

 口を開きかけた紅麗亜さんの言葉を遮るように、彼が口を開いた。

「お、面白かったからです。彼の作品なら、僕は続きが描けると思ったから。これからも読んでくれる人が楽しんでくれると思ったから。僕にとってこれは、僕が読みたいと思い続けていた物語なんです」


「……なにそれ」

 いずみさんは俯いて肩をふるわせる。

「……この作品はまなぶが描いた、まなぶのマンガでしょ」


「ええ、そうです。でもこの話のおかげで僕はもう一度描けると――」

「お前なんかがまなぶの作品を語るな!」

「いずみさん!」


 俯いて叫んだいずみさんとおびえる男の間に立って手を広げた。


「怒るのは僕がやる! いずみさんは問題起こしちゃダメだ!」

「どいてっ! そいつはまなぶを傷付けてることを分かってない! 分かってないならわたしがそいつからマンガを取り上げる! そいつの読者なんて知ったことか! こいつは何にも分かってない!」


 彼女は握っていたカッターを振り上げる。


 ――だめだ!


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