……どうしてですか?
「ま、真似なんかしてませんっ。本当です!」と僕は訴える。「だって、二週間以上前に描いたのは紅麗亜さんも知ってるでしょ!?」
似すぎていたのだ。
今週号の広小路先生の作品と。
コマ割りに構図、新登場のキャラクターの見た目に性格。
バトルシーンの連携も、その何もかもが。
「同じ、だな」
紅麗亜さんはソファに浅く腰掛けて静かに告げた。
「そうだ。
「え?」
『盗作』
その言葉が頭の中から出てきた。
「いずみにダメ
紅麗亜さんが机の上に長方形の茶封筒を置く。
僕の前にそれを押し滑らせる。
口元からは重ねられた薄茶色のお札の束が顔を出している。
「これで黙っていてほしい」
「……どうして、なんですか?」
「作品のことか? 私が先生に見せたからな」
「……なんで、そんな」
「担当する先生を何とかするのが私の仕事だ」
「……だったら盗作なんて」
「いいじゃないか、君の敬愛する広小路先生が、君の作品を認めて採用したんだ」
凍えていた手の震えは、今は別の震えに変わりはじめていた。
鼻を通る不規則な息も今は小刻みに、しかし荒々しい摩擦音を立てはじめる。
「僕が、僕が素人だからって、こんなことひどすぎます……」
「素人だからこういうことができたんだ。次はしない」
「一回はいいって言いたいんですか! 僕の作品を何だと思ってるっ!」
僕は机に足を乗せて彼女の胸ぐらを掴む。
小さな彼女の上半身は腕の力だけで簡単に跳ね上がる。
引っ張った勢いでシャツのボタンがちぎれて跳ぶ。
僕らの額はぶつかりそうな位置まで寄る。
封筒は落下し、薄茶色の紙幣が流れ出る。
僕は彼女を睨み、鼻から荒い息を吐く。
「シロウト? ふざけるな! 僕は毎日毎日描いてきたんだ! あの作品は描きたいこと、出したいキャラ、言わせたいセリフ、見せたいシーン……全部あの日から、柱の隅でうずくまってた僕に紅麗亜さんが手を差し伸べてくれたときから、ずっと温めてきたものを詰め込んだ作品なんだ! 紅麗亜さんなら分かると、本当は期待してたんだ!」
僕がそう叫んでも彼女は表情を一切変えなかった。
ただ無言のまま、赤く腫れた顔だって隠すことなく、だらんと手を下ろしている。
感情の消えた目は僕を見ることなく、じっと地面に向かっている。
「何か、言ったらどうですか」
絞るような声がこぼれ出た。
「……君のアクションマンガを待っている読者はいない。この話を、譲れ」
耳から入った音は時間差で僕の胸に突き刺さった。
手の力を緩めることも、さらに強く締め上げることもできないまま、僕は紅麗亜さんの襟元を握り続けていた。
「――――――――っっっっっっ!!!!!!!!!!!」
握ったシャツを、紅麗亜さんを、僕は突き放すように押し飛ばす。
離された紅麗亜さんの体は、ぼすっと応接用のソファに沈む。
振り返り、皮の椅子を蹴り倒し、踏みつけ、足の低い木製机を横転させる。
見えていた紙幣は全て机の下に潰された。
「僕が男じゃなかったら、紅麗亜さんを思い切り殴ってやりたいのに」
「やればいい。いずみはそうしたし、学の気が済むまで殴ればいい。私は誰にも言わないから……」
意志のない目。
でもそのまぶたにわずかに光るものがあった。
一回のまばたきの時、それはすっと流れる一筋を見せた。
…………。
「……」
…………。
僕は部屋を出て廊下を抜け、階段を一段一段降りて、一階のロビーに出た。
目に入った景色に、初めて持ち込みをした時の記憶が甦る。
初めて描いた原稿を手に応接間に通され、逃げ場のない空間で、お酒とたばこの匂いがした編集から、延々と延々と、タールのようなねばりとのこぎりのような刃をまとった言葉を擦りつけられ続けた。
『つまらない』
『地味』
『言いたいことが分かんない』
『売れてるなんかのマネでしょ?』
『でも一見して読みたくないねえ』
『二日酔いがひどくなる』
『ああ、こんな日本語ないからね。小説読んで勉強しようね』
『まあ仕事だから俺は読んであげるけどね』
『はあ、なんで俺が漫画編集かねえ……』
感情を必死に押しとどめようと俯いたまま、腿の下で拳を堅く握っていた。
あの出来事が急に体の奥底からせり上がってきて、腹、胃、胸、喉とギリギリと痛くなってきた。
――ど、どうしたのだ! 体調でもわるいのか!?――
あのとき、ロビーでうずくまった僕に声をかけ、いずみさんに紹介してくれたのが紅麗亜さんだった。
いずみさんと同じくらいに、僕は彼女に感謝していた。
しかし今日、僕はその人に裏切られた。
生まれる怒りは行き場をなくし、急に裏返って、僕の過去と共闘して僕の痛いところを攻撃する。
――誰か、助けて……――
滲み始めた視界の中で僕はそう思った。
頭の中で呼んでしまう。いずみさん。いずみさんなら分かってくれるよね?
情けないことに、心から彼女の声を聴きたいと感じていた。
僕は外に出て電話をかけた。応答したのは電波が届かないというアナウンスだった。鈍い動きで携帯電話をしまう。自転車置き場まで戻り、チェーンを外して自転車を進ませた。
暗い歩道からコンビニの明かりが目に入る。
あの週刊誌が外に向けて飾られていた。表紙を見て、みぞおちのあたりが痛くなる。
会ったことのない作家が、今は憎くて仕方ない。
……こいつ、殺してもいいかな?
「まかせて」と聞こえた気がした。
降ってきた予感としか言いようのないざわつきが全身に広がる。
……まさか?
僕は歯を食いしばり、紅麗亜さんに電話をかける。
「……広小路先生の仕事場はどこですか」
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