作品、どうなりましたか?

 紅麗亜さんに原稿を渡してから二週間が過ぎていた。

 作品の評価や結果が気になる僕は、アシスタントをする時以外は次の作品に手がつかず、描こうとしても線を引いては消すの繰り返しが続いた。


「まなぶちん、スランプかにゃ?」


 見かねたようにいずみさんが話しかけてくる。


「いえ。……あれ、どうなったかなって」

「気になるなら訊けばいいじゃん。紅麗亜の番号は知ってるでしょ?」

「でも、忙しかったら悪いし」

「ったく、デビューしたらそんな気は遣っていられなくなるよ。……はい」


 携帯電話を渡されて、緊張しながら発信音に耳を傾ける。

 しかし、通話中だったらしく、プープーと電子音が続くだけだった。


「通話中でした」

「あ、そっか。広小路君の連載が再開するからメディア対応もあるかもね。それで忙しいのかもね。今日が発売日だし」

「そうそう! 週刊だと約二ヶ月の休載は余計に長く感じますよね。なんとか落としどころ作って締めましたけど……」

「ちょっと無理矢理な感じはネットでずっと言われ続けてたからね」

「それは、それだけファンが待ち遠しかったってことですよ」

「まなぶも」

「そりゃもう、全巻復習するほどに!」

「ほんと好きだねえ」

「この道を目指すきっかけですもん。で、今週号は帰りに買おうと思って我慢してたんですけどやっぱり待ち遠しくって、来る途中に買っちゃいました」


 思わず緩む頬を抑えることができずに、僕はカバンから雑誌を取り出す。

 二ヶ月ぶりに広小路先生の絵が表紙を飾り、そこには雑誌名と同じくらい大きく、再開した作品のタイトルの横には『新章突入!!』と印刷されている。


「どうだった。面白かった?」

「まだ読んでないんです。仕事中は我慢しようと思って」

「律儀だねぃ。んじゃあ~わたしに先に読ませてっ」


 いずみさんが僕の手から雑誌をひったくる。


「あっ! 泥棒っ!」

「ふふふ、お前の初めてはいただくぜぇ~……って、うわっ! 単行本の年間発行部数がこんなになったの!? しかも自身の月間発行記録を更に更新だって! これ印税いくらなのっ!? えっと確か彼の印税率は10パー越えてたから……」


 いずみさんは本を置いて電卓を叩き始める。

 こういう時の動きは実に無駄がない。


「……いずみさんだって稼いでるでしょ?」

 計算してどーすんですか。呆れ気味に僕は言う。


「いやいや、桁が全然違うっスよ、桁がー。単行本の価格はこっちの方が上だけど、売れ行きに発行部数なんかそりゃあもう天と地の……ぐはあ、マジかぁ~。そりゃ、あんなところに住めますよね~」


 相当な額だったらしい。

 それからおもむろに椅子の上に正座し、雑誌に向かって合掌する。


「……いまから二億とんで六百四十万円のストーリーを拝見いたします。あやかりたいあやかりたい」

「行儀良い姿勢で、いやらしい言い方しないでください」


 僕が顔をしかめると、いずみさんの携帯電話に着信が入った。

「お、紅麗亜だ」と、僕に伝えて彼女は通話を開始する。


「はい~。……はい?」


 片手で電話を、もう一方で本をめくって対応していたが、急にその手が止まった。


「……は? ……いや、ちょっと待って。………………いや、今日はいないよ」


 彼女はひとこと言葉を発する度に、どんどんと音量をひそめていく。

「いいよ、今すぐ行く」


 携帯電話をズボンのポケットにしまうと、いずみさんは僕の買った雑誌とコートを手に取り玄関に向かった。


「どうしたんですか?」

「何でもないよ~」


 明るい声で返答が来た。


「……出かけるんですか?」

「うん、その、緊急招集的な? 代理原稿の話かな~? まなぶはもう帰っていいよ。あ、そだ、本は持ってくから。これは師匠命令でわたしが読み終わるまで読んじゃ駄目ね。また買うともったいないし」

「いや、それ元々僕が買った本――」

「じゃ、鍵はいつものところで。じゃねーっ」


 そう言い残していずみさんは家を出て行った。

 ひとり残された僕の胸に、何の電話だったのか疑問が生まれる。

 間もなくして、僕のところに紅麗亜さんから電話が入った。

 いずみさんの件かとも思いきや、あの変な対応の仕方に部屋を出て行ったこと。そしてこのタイミングで僕に電話が来る。

 間違いない……。持ち込みの結果だ!

 しかもこれは、そういうことかも!

 僕は大きく息を吸って電話に出る。


「もしもし篠崎です!」

「あ、学、か? いまから出版社まで来る時間は、あるだろうか?」


 相変わらずの固い口調で話があると告げてきた。


「はいっ!」


 出版社に呼ばれる。

 ということは、それはつまり、掲載とか、そういう事に違いない。

 心臓の打つ早鐘は、さらにテンポを上げていく。


「なら今から来てもらえると助かる。……あと、今週号の広小路先生の作品は読んだか?」

「いえ、まだです!」

「……そうか。とにかく、詳しいことは会社で話そう」

「はい! いますぐ行きます!」

「――――ぃ」


 聞き取れない何かをつぶやき、聞き返す間もなく通話を切られた。

 ……なんて言ったのかな?

 そんな疑問も持ち込み結果の期待に掻き消され、部屋の鍵をいつもの場所に入れて駆け足で自転車置き場に向かった。



 自転車では力いっぱい漕いでも出版社に着くまでは三〇分以上かかった。

 受付で呼び出されたことを告げ、上がった息を整えるため深呼吸を繰り返す。


「学、呼び出してすまなかったな」


 紅麗亜さんが氷水で満たしたビニール袋を右の頬に押し当ててやってきた。

 手で顔の半分を隠すようにしていたが、ティッシュを丸めた白の鼻栓がちらりと見えていた。


「どうしたんですか!?」

「……何でもない」


 答える声は、栓のせいで鼻声気味だった。


「あの、でも」

「……場所を移していいかな。この場所では、な」

「すいません、そうですよね。紅麗亜さんもその顔は見られたくないですよね。転んだんですか?」

「……いや、違う」


 はやる気持ちで言葉を投げる僕のリズムと、紅麗亜さんの返答するリズムは明らかに違っていた。

 それでも僕はどうしようもなく、せっかちに答えを求めてしまう。


「その、持ち込みの結果ですよね。実はもうものすごく待ってました。その、それで、あの作品は、どうでしたか? 面白かったですか?」

「……部屋についてから、話す」

 氷嚢の下、紅麗亜さんの顔がさらに痛そうに歪んだように見えた。


 応接間のソファに座らされて、

「まず話をする前に、今週号の広小路先生の作品を読んでくれ」

「は、はぁ……」


 促されるまま置かれた雑誌を手に、僕は言われた箇所に目を通した。


 ………………え?


 その一作は、読み進めるにつれて僕の肘やひざを硬直し、震えさせはじめた。

 目の動きも。呼吸も。自分の意識から離れていくような。

 僕は震えた手で雑誌を閉じる。


 目の前にあった事実をどう認識すればいいのかわからなかった。


 同じだった。

 同じだったのだ。

 

 コマ割りに構図。

 さらには新登場のキャラクターの性格や口調まですべて。


 ――シリーズの主役と絵柄をすり替えただけで――

 ――僕の描いた話とまるっきり変わることなく――


 広小路コウジの名前で、それは雑誌に載っていた。

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