第25話 リューシュの戦い

 リューシュは、前方と左右から迫りくる三者のうち誰にも狙いを定められなかった。弩を盾にしながら後退する。弩の表面に打撃音が集中するが、木製であっても蝕器は簡単には壊れない。

 攻撃を防いだリューシュが弩を振り回すと、三人は素早く距離をとった。

「いいのは威勢だけねえ、お嬢ちゃん。そう縮こまってちゃ、つまらないじゃないの」

 ベルが侮蔑の笑みとともに嘲りを吐いた。ことさら声に抑揚をつけたのは、有効打を奪えない苛立ちから挑発してみせたのである。相当、短気な性格のようだ。

 まだ人間であった二二歳当時、徒手格闘術では無類の強さを誇り、若さに溢れ血気盛んだったアグレイですら模擬戦闘ではついに勝ち越すことはなかった彼女である。

 だが、男に囲まれた職場に順応した結果か、彼女は誰よりも男っぽかった。その野蛮さと美貌を兼ね備えた彼女に恋慕する男が大勢いたのも事実だったが。

 リューシュは無言で、番えた矢をろくに照準することもなく射った。ベル達の中央に着弾した光条は爆音を上げ、再び粉塵を中空まで噴き上げる。

 相手に目潰しを食らわせたリューシュは手早く弦を張る。今度は破片が四散して広範囲の敵を殺傷できる茨の矢だ。これならば標的を正確に狙わなくてもよいし、運がよければ三人をまとめて倒せるかもしれない。

 リューシュの動作は普段のおっとりした彼女とは見違える俊敏さだったが、砂煙の幕を割って二手に別れたフランツとヘンリが突進してくるのに意表を突かれた。警備隊で歴戦の戦士だった両者には二度も同じ手は通じない。

 身構えるリューシュと擦れ違いざまに、二人は踵でその膝の裏を蹴りつける。姿勢を崩して膝立ちになった彼女の視野に、猛然と疾走するベルが映った。勢いそのままの中段蹴りが胸に直撃しリューシュが吹っ飛び、右半身から地に叩きつけられて滑走する。弩を大事に抱えていたせいで受け身も満足にとれなかったリューシュが激痛に身を震わせた。

「痛いー? お嬢ちゃん。これが戦いなのよ。数が多くて卑怯だなんて言わないでよね」

 リューシュは苦しげに身を捻るとみせかけ矢を射出する。

 ベルが横飛びで安全圏へと逃れた。それに釣られてヘンリも避難したが、逃げ遅れたフランツがその餌食となる。飛び散った鋭利な刃に切り刻まれたフランツが塵となった。

「へぇ、ただのお嬢ちゃんじゃないわね」

「ええ、わたくしも生半可な気持ちで残っているんじゃないですの」

 ベルとヘンリが退いた隙にリューシュは次弾を弩に装填した。茨つきの矢の特性を看破したベルが、ヘンリに指示を下す。

「面白いね。ヘンリ、一人でやってみなよ。密着すればたいしたことないからさ」

 ヘンリは頷くと、上体を丸めて片腕で頭部を防御した姿勢で突っ込んできた。ヘンリは右手の連打でリューシュを圧倒し、あっという間に壁際まで追い詰めた。リューシュは懸命に守備を固め、茨の矢をいつでも発射できるように指を引き金に当てている。

「ヘンリ、離れるんじゃないよ。お嬢ちゃんは、あんたが近くにいれば攻撃できない。自分も巻き込まれるからね」

「そんなもの、わたくしを封殺する材料にはなりませんわ」

 リューシュは迷わず引き金に添わせた指に力を加えた。解き放たれた矢はヘンリのすぐ背後の地面に命中、ばら撒かれた砕片がヘンリの背中を弾けた石榴のように破壊した。ヘンリの肉体を貫通した幾つかの輝きが、リューシュの柔らかい肌にまで食らいつく。

 ヘンリは棒のように仰向きに倒れ、湯気が立つように粒子が分解していった。

 弩を杖の代わりにして身体を支えるリューシュは、肢体の端々に赤い線を走らせている。額を切ったのか、血に染まった頬に金髪が張りついていた。

 ベルは腕組みを解いて言った。

「お嬢ちゃんのこと、ちょっと見くびっていたみたいだね」

 それは消極的な称賛だった。ベルは相手の力量を認め、初めて本格的な戦闘態勢をとる。それを目にしたリューシュも弩を構える。捨て身の戦法は多用できないと考え、彼女が用意したのは通常の矢だった。

 ベルが不意に身を沈めた、と思ったときには最高速に乗ったベルがリューシュの目前に到達している。逆巻く風が彼女の紅茶色の髪をかき乱し、血染めの羽衣を纏うようだった。

 咄嗟に対応できず棒立ちのリューシュに、一呼吸で三発の打撃を見舞う。弩を弾いて続けざまの右腹部打ち、拳を入れ換えるように左昇拳がリューシュを捉えた。たたらを踏んで後退するリューシュを回し蹴りが襲い、地面と平行に飛ばされたリューシュが閉鎖した商店の硝子窓を粉砕して暗がりに落下した。

 完蝕されたことで能力が向上していることを考慮すると、ベルの身体能力はアグレイやキクを凌ぐのではないかと、リューシュは明滅する視界に困惑しながら思った。

「どうしたのー? まさか、これで死んじゃったなんて言わないでよ。せっかく気分が盛り上がってきたんだからさ」

 朽ち果てた店内をベルが覗くと、闇を切り裂いて矢が飛来した。事も無げに体を開いて避けると、続いてリューシュが飛び出してくる。弩でベルを押し潰そうとするような浅はかな行為に嘲笑を浮かべ、自ら仰のけに倒れつつリューシュの腹を蹴って巴投げに返した。

「あぁッ」

 ベルは回転しながら遅滞なく立ったが、リューシュは背中を強打し、それまで気丈に耐えていたものの初めて苦痛の呻きを漏らした。

 よろめいて身を起こしたリューシュを目がけ、野生動物のようにしなやかな身ごなしでベルが迫った。かろうじてリューシュが矢の穂先を向けると同時に、ベルが弩を蹴り上げる。その反動で誤射された矢は、鏡写しの流星のように天空へと放たれた。

「悪い子ね」

 ベルに手をねじ上げられてリューシュが弩を手放した。掴んだ腕を一本背負いに繋げ、投げ飛ばされたリューシュが顔を上げたとき、ベルが傲然と彼女を見下ろしていた。

「ま、こんなものね。そこそこ楽しめたけど、続きはアグレイとやることにするわ。私の方が強いんだから、勝つのは決まってたのよ。無駄な戦いだったわね、お嬢ちゃん」

 浅葱の瞳が、すでにリューシュに興味を失っていた。それを敗者の視点で見上げると、リューシュの翡翠の双玉に何らかの意志の炎が灯った。

「『強者たるがゆえに、我は敵に打ち勝つ』と言うのですね。大前提を省略したその説得推論には、一つの誤謬がありますわ。強者が常に勝者の側になるとは、限りませんもの」

「学があるらしいけどね、お嬢ちゃん。私にも分かるように言ってくれない?」

「確かにあなたは、わたくしよりも強いかもしれません。ですが、勝つのはわたくし、ということですわ」

「へえ……? あんたみたいに知識をひけらかす奴って、大嫌いなのよねえ、私」

 ベルが拳を握りしめるのを見ながら、リューシュはある会話を想起していた……。

「リュー、あんた接近戦になったら打つ手がないだろ」

 そう言ったアグレイは、リューシュが肯定すると楽しそうに両手を顔の高さに上げた。

「じゃあ、打撃くらい覚えたらどうだ。例えば正拳だったら、腰を落として両手の力を抜いて構える。で、手と腕を平行にして、打つ!」

「ちょっと! リューはそんなこと覚えなくていいの」

 キクがアグレイを遠ざけた。戸惑うアグレイを尻目に、キクが講釈を引き継いだ。

「でも、襲われたときに有効なのはカニ挟みかな。簡単に相手を転ばせられるの。こう」

 キクがいきなり寝転ぶと、アグレイの脛と膝裏を足で挟んで身を捻った。自然とアグレイは俯せに倒れる。

「ね?」

「ね? じゃねえぞ、キク! 何しやがる!」

 リューシュをほったらかして喧嘩を始めた二人の横から軽薄を装った声がかけられた。

「まったく、あの二人ときたら。リューシュ君は、あんな野蛮なことする必要はないさ」

 リューシュが言葉の意味を尋ねると、ユーヴはもったいぶった口調で答えた。

「君の武器は、その笑顔さ。もし窮地に陥ったとしても、まあ適当な嘘でも吐いて敵の目線を逸らすんだ。問題は隙を作ること。なあに、君が微笑を浮かべていれば、敵は疑念を抱かずにはいられないよ」

 リューシュは三者を見渡して微笑を浮かべていた……。

「覚悟はいいわよね、お嬢ちゃん?」

 リューシュは意識して余裕を保った微笑を面に浮かべる。

「いえ。それは、あなたのことですわ」

「何さ、どういうこと?」

「わたくしの武器は蝕器ですの。本気になれば、遠隔操作してあなたを背後から狙撃することもできますのよ。……覚悟はよくて?」

「そんなバカなこと……!」

 口では否定してもベルは目を向けざるをえない。

「えいッ」

 無論、遠隔操作などできないリューシュは、必死にベルの腰にしがみついた。

「騙したね! お嬢ちゃん!」

 ベルが殴りつけてリューシュを引き剥がす。それも彼女の目論見にあって、寝転んだ体勢でベルの両足を自身のそれで挟むと、キクを真似て身を捻った。予想しなかった技に、体術の専門家としてはやや無様にベルが這いつくばる。リューシュは弩を手にしようと走り、遅れたベルが時間差をものともせずにリューシュの背に追い縋った。

「お嬢ちゃん、私を怒らせたね! これで終わりだ!」

 ベルは手刀をリューシュの背中に突き入れる。ここでも、リューシュは彼女の予測を裏切った。即座に反転すると、アグレイの言葉を脳内で再生、不器用ながら身体を動かす。

「腰を落として両手の力を抜く。そして、手と腕を平行にして、打つ!」

 正拳がベルの頬を打ち、その一撃は効いたようだったがベルは踏み止まった。

 リューシュが弩に辿りついて矢を番えたとき、ベルが彼女の後背に立った。矢は装填できたが、リューシュは弩を構えることができず、その射線を自身の身体で塞いでいた。

「悪あがきは立派だったわ。お嬢ちゃん、さよなら」

 ベルの手刀が脳天に届く寸前、リューシュは弩に覆い被さって引き金を弾き、自分ごとベルを射った。

 矢はリューシュの脇腹をえぐり、ベルの腹部の正中線を正確に貫いていた。

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