第24話 戦う詩人

「ぐぅッ」

 泣き喚きながら群がる子ども達は、その意思に反して強制的に身体を動かされているようだ。涙を流しつつも容赦なく振るわれる鋭利な指先に肌を抉られて、ユーヴは耐えきれずに呻吟を声にして漏らした。

「えぇーん! ごめんなさい! でも、僕もこんなことしたくないのにぃー……」

「いや、君を責めているわけでは。痛ぃたい、く、うぐぅ! ま、待ってくれ、君達……!」

 ユーヴは必死に子どもの波をかき分けて、小さな頭で形成された輪の外に泳ぎ出た。衣服が破れて露わになった肌に幾筋もの朱線が走り、流れた鮮血が布地に染みて重くのしかかっている。膝を着いて呼吸を整える彼の背に、苦痛を足枷のように引きずる子ども達が詰め寄る。他者を無理矢理に傷つけさせられる恐怖に、頬は涙の跡で白く彩られていた。

「もう嫌だよお」

「キクお姉ぢゃん、どこにいるの……。助げでえ」

「何と酷い仕打ちなんだ。彼女達を先に行かせてよかった」

 ユーヴは足をもつれさせて逃げ惑いつつ荒い呼吸の合間に言葉を漏らした。身体を操られている子ども達は緩やかに弧を描いて彼を包囲しようとしている。一様に両手をユーヴに伸ばして歩み寄ってくる光景が恐怖心を煽り、ユーヴは万年筆を持つ手に力を込めた。

「……できない」

 そう言ってユーヴはただ子ども達から遠ざかる。完蝕されている人間を元に戻すことはできず、彼らを侵蝕から解放するにはその命を奪うしかない。だが、完蝕されているはずの子ども達には自我が残留している。つまり、痛みに震え、死を恐れる感情を所有しているということだ。その子ども達を殺せるほど、ユーヴの神経は図太くなかった。

「完蝕の状態で自我が残されているのには理由があるはずだ。あの子達が何者かに操られているとするなら、そこに糸口がある。きっと、子どもの感情を利用しているんだ」

 地面に点々と血の雫を垂らしつつユーヴが思考する。

「そうだ。敵が利用しているのは子どもじゃない、僕の感情か。泣き叫ぶ子どもを無下に殺せない人間の情を悪用しているんだ。年端もいかない子どもを盾にして、自分は高みの見物とは卑劣な……!」

 ユーヴは首を巡らして、彼らを陰から操作している喰禍の存在を探す。

「どこだ? どこにいるんだ。出てきたまえ。卑怯者めが。それとも、人目に晒せない容姿なのかい……!」

 すっかり血を吸って重くなった衣服が纏わりつき、血流は生気の喪失を伴って詩人の四肢に不可視の錘を加えていた。周囲では小さな手を彼の血に染めた少年少女が頬を濡らす。

 ふと、ユーヴの視線が一点に縫い止められた。最初に見つけたあの赤子である。目前の惨状を理解する風もなく、楽しげに手を打ち鳴らしている。いや、と理性が異議を唱える。赤子の目に光るのは無邪気さではなく、嗜虐的な喜悦に彩られた知性であった。

「貴様、貴様かッ! 無辜の子どもを苦しめ、人間の情につけこんで悪辣な手段に訴える下種野郎は!」

 ユーヴの怒号を受けて、赤子は両手を叩くのを止めた。落ち着いた動作で焦点をユーヴに定め、口角を歪める。 

「ヨクゾ、分カッタナ、ニンゲン。如何ニモ、コノ余ガ、ソレラヲ使役シテイルノダ」

「人語を解するだけでなく、喋ることもできるのか。ド・トクヴィル教授の『喰禍知性所有論』の第四論考、『喰禍の順応性。言語、動作、思考の学習』が証明されたわけだ」

 ユーヴは冷静に、かつ生真面目に言った。穏やかな口調を崩さないが、アグレイ達が目にすれば戸惑うような殺意に満ちた眼光を放っている。

「赤子の姿を借りた喰禍とは、面妖な」

「ニンゲン。オ前ラ成体ハ、幼虫ドモヲ傷ツケルコトヲ忌避シテイル。余ハ、ソレヲ利用シタニ過ギナイ」

「あの涙を流している子ども達を、言うに事欠いて幼虫だと!? 貴様が無情に扱った子ども達に代わって、この僕が貴様を……」

「オ前ハ、ソノ幼虫ドモニ殺サレルノダ」

 ユーヴの背中に衝撃が加わる。腹部の違和感にユーヴが目を下ろすと、自分の腹から細い腕が生えているのを焦げ茶色の瞳が映した。その手が引き抜かれ、前後から黒色の濃い血流が噴出する。ユーヴが傷口を掌で押さえても、指の隙間を縫って赤い蛇のような血流が手首まで伝い、乾いた路面に湿った紅の花弁を咲かせた。下半身に力が入らなくなって膝を屈すると、濡れた音とともにたちまち血だまりができあがる。

「あぁ! ご、ごめんなさいッ!」

 腕を真っ赤に染めた少女が泣きながら謝罪する。ユーヴは少女に手を伸ばし、少女が目を閉じた。その頭部に温かみを失った掌が置かれると、少女は静かに目を開く。

「怒ってなんかないさ。お譲さん、お名前は?」

「フィリス……」

「そうか、フィリス。君は心配しなくていいよ。僕が怒るのは、あいつだけだからね」

 ユーヴが目を向けると、赤子は禍々しい笑みを浮かべた。

「怒ルノハ自由ダ。問題ハ、余ニ勝テルカ、ソレダケダ」

 赤子が言うと、帯のような界面活性がその周囲を覆う。界面活性が消失したとき、赤子が体長四メートルはあろうかという巨体に変貌していた。その姿で突進してくる。進路上の子ども達などお構いなしであった。

「うわぁ!」

 一人の子どもが赤子の巨大な掌に押し潰される。少年の四肢が太い指の間で痙攣していた。そのまま虚空に溶けていく。

「貴様! なぜ子どもを気にしないんだ。かりそめにも君が操っているのだろう……!」

「ニンゲンノ幼虫ナド、イクラデモ補充が効クノダ。余ガ気ニスベキコトデハナイワ!」

 ユーヴの万年筆が宙を踊った。超波動の詩の衝撃波を顔面に食らった赤子は煩わしげに立ち止まる。手傷は負っていないが、牽制の効果はあったようだ。

「この子達は、もう元に戻す手段がないんだ。こんな奴に弄ばれるより、どうせなら、僕の手で楽にしてあげたほうが……」

 ユーヴは事実の確認というより、自分に言い聞かせるように言った。ユーヴの手が重傷者とは思えない速さで走り、筆先がその軌跡を淡い光で彩る。

「アグレイ君は、自分の過去を語ることで覚悟と僕達への信頼を表明した。僕がアグレイ君に報いるとすれば、その障害物となる存在を排除するしかないんだ。君達、済まない」

 暗然としながらも断固としたユーヴの殺意に、子どもは涙と鼻水に濡れた面を一様に悲愴と恐怖で満たした。赤子は油断した自戒からか、ユーヴの挙動を見守っている。

 そこに突如、ユーヴの唇から決して上手くはないが陽気な歌声が流れた。

「愛しいあの娘、かわいい娘。まるでとびきり上等な蒸留酒ウイスキー。僕の喉を灼いて、僕の胸を焦がすのさ……。地元の童謡だけど、ちゃんと歌えないなあ」

 子ども達は笑みを見せぬまでも、一時的に眼前の悲惨な状況を忘れたようだ。不思議そうに呆けた表情を作ったり、目元を和ませたりする子どもがユーヴをとり巻いていた。

「僕のことを恨んでくれて構わない。だけど、約束する。苦しみはないからね」

 ユーヴの穏やかな声と裏腹に、その手は素早く長文を練り上げている。終止符が打たれると、少年少女の肉体は瞬時に塵となった。まさに苦痛を感じる間もなかっただろう。

「紡ぎし罪の詩。喰禍には効かないが完蝕された者を問答無用で消滅させる、慈悲深くも罪深い技さ」

 赤子が楽しげに目を細めた。

「ホウ、ニンゲンモ惰弱ナ者バカリデモナイヨウダナ。ヨイ見物ダッタゾ」

 赤子が瀕死の獲物をいたぶるようにユーヴとの距離を詰める。跪いたまま俯いているユーヴに、大きな影が被さった。赤子がユーヴ包み込んでしまいそうな掌を掲げる。

「ダガ、コレデ終ワリダ。オ前ヲ殺シテ、他ノ成体モ叩キ潰シテヤル」

「君、まさか僕に勝つつもりでいたのかい? 万に一つも君が生き延びる可能性なんてないんだよ。このユーヴェ・フォン・シュリーフェンを怒らせてはね」

「ナンダト?」

 詩人はすでに口で語る言葉は尽きている。残りは、彼の万年筆で語るだけだった。

「超波動の詩。形式、一四行詩ソネット・シーケンスだ」

 ユーヴの万年筆の先端から幾筋もの衝撃波が迸る。それは単発で終わらずに、連射することで赤子の巨体の表皮を着実に削っていった。一発では倒れずとも、無数の攻撃を積み重ねられ、赤子の全身に穴が穿たれる。弾け飛ぶ蒼色の粒子が霧のように一帯に舞った。

 衝撃波が止んだとき、赤子は硬質の肌に蜘蛛の巣のような亀裂を走らせ、左半身と頭部の半分を失っていた。残った隻眼でユーヴを見つめると、剥き出しになった眼球にはっきりと畏怖が広がる。

「余ガ、一匹ノニンゲン如キニ敗レルトハ……」

 そう言い残して、赤子が自ら無情な仕打ちを施した子ども達と同じ命運を辿った。崩壊していく喰禍の残骸には目もくれず、ユーヴが踵を返した。

「僕としたことが、意外と手こずってしまった。アグレイ君、キク君、リューシュ君、彼らの援護に行かないと……」

 ユーヴは足を引きずるようにして凄惨な戦場を後にした。一歩踏み出すごとに、脇腹の傷口から鮮血が噴出する。やがてユーヴの膝が力無く折れ、前のめりに倒れていった。地面に横たわったまま、ユーヴが立ち上がることはなかった。

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