第23話 立ち塞がる者達

 一行は遂に侵蝕の激しい北部地区に突入した。

 界面活性が常時発生しており、空間が揺らめいたかと思うとすぐに消えて別の場所で風景に歪みが生じる。路面や壁面には侵蝕が定着して蒼い輝きがこびりつき、彼らが近くを通ると風の流れに乗って微粒子が飛んだ。

「あら、何か聞こえませんこと?」

 リューシュの指摘で四人は立ち止まって耳を澄ませる。確かに何者かの声が耳朶を打った。甲高い叫び声のようだった。

「これって赤ちゃんの声じゃない!」

 反応したキクがいきなり走り出し、三人が追った。キクが足を止めて辺りを見渡すが、赤子の姿は無い。泣き声が不思議と頭上から響いてくるので、怪訝そうにキクが上方を仰ぎ見ると、その双眸が見開かれた。一同もキクにならって、その視線の向く先に目を移す。

 その赤子は、建物の壁面を四つん這いで移動していた。重力から乖離したようにはいはいをしていたかと思えば、壁に腰を下ろして両手を叩いて喜んでいる。

 行動は完全な赤子のそれであったが、その肌は侵蝕された蒼の色で覆われており、異様な存在だった。

「完蝕されているんだ。あの子は、元に戻せないね」

 キクは沈痛な表情を浮かべ、高みで無邪気に戯れる赤子を見守っている。

「分かった。それならば、僕が残ってあの子の悪夢を終わらせてあげよう」

 ユーヴが志願すると、横合いでリューシュが言った。

「ですが、高い場所ならわたくしの武器の方が適していますわ」

「お前、休憩したいだけじゃないだろうな」

「僕から言わせてもらえれば、君達にあの赤子が殺せるか?」

 その一言にみんな押し黙った。ユーヴは自ら後味の悪い仕事を買ったのだった。

「ああ、そうだった。済まねえ。先に行ってるぜ」

「ごめん」

 キクが言い残したのに手を振って応じ、三人の背を見送る。

「ま、これも年長者の役目、か」

 独語してユーヴは目線を上げた。赤子は建物の側面で楽しそうに転げ回っている。

「おーい、君。降りてきたまえ。この僕が、君の悪夢を終わらせてあげるよ」

 それが赤子の耳に届いたらしく、ゆっくりと壁面を伝って近づいてきた。

「あーうぅぅーーううああー。うぅぅあああーーあうー」

 距離が縮まるに連れて、赤子に特有の意味不明な声がユーヴにも聞こえるようになった。完蝕されたせいか、不自然なまでに響き渡る発声が不気味だった。それは建造物の間で反響し、ユーヴの身を押し包んで鳥肌を立てさせる。

「よし、下りてきたか。君を手にかけるのは気が引けるが、悪いね……」

「あんぎゃあぁぁぁああ! ぁぁあああんぎゃああぁぁぁーー!」

 ユーヴが不用意に近寄ると、赤子は奇声を発しつつ両手を頭上で打ち合わせた。それを機にして道路の両端に界面活性の帯が走り、ユーヴの後方を塞ぐように繋ぎ合わさる。そこから多数の人影を生み出すと、界面活性は跡形もなく消失した。

「……何としたことだ、これは?」

 ユーヴを包囲するように出現したのは、あの赤子と同じように完蝕されて青白く発光する肌を有した子ども達であった。その顔は一様に恐怖と苦痛で歪んでいる。

「うええぇぇぇええん! ええーぇぇん、ぇええーんえぇぇん……」

「寒いよぉぉ、怖いよおおおぉぉぉ!」

 四方を苦しみに任せて慟哭し続ける子どもの集団に囲まれて、視線を一周させたユーヴが恐れ戦いて呟いた。

「あ、悪夢だ……」


「あいつら、何者?」

 行く手を阻む三人の人影を見出して、キクは言った。

 ユーヴに先行していたアグレイ達は再び足止めを食っていた。周囲の建造物が低くなり、一面に商店が並ぶ通りである。かつてはミツバ通りと呼ばれたイフリヤ最大であった商店街のなれの果てで、待ち伏せしていた敵がいたのだった。

 二人は凡庸な男だったが、中央に位置する女性はちょっとお目にかかれない美貌だった。涼しげな切れ長の目には浅葱の瞳が鎮座し、紅茶のような赤い髪は腰まで流れるようだ。その男女に共通しているのは完蝕を示す肌の色合いだった。

「あれは警備隊の奴らだ。三人とも、ここ数年で行方不明になっている。右がフランツで左がヘンリだ。そして、真ん中の女はベル。警備隊で指折りの強さだった奴らばかりだ」

 二人の女性にアグレイが語り続ける。

「特にあのベルは忘れもしねえ。一八歳だった俺が組手で勝敗をつけられなかったのは唯一あの女だけだ。行方不明になって残念だったが、まさか完蝕されていたとは」

代表するようにベルが一歩踏み出した。

「久しぶりね、アグレイ。元気してた? 私がいなくて、寂しかったんじゃない」

 完蝕されているはずなのに、喋り方には自我が残されていた。アルジーが記憶を失っていたことと相違し、訝しげにアグレイが応じる。

「ベル、俺のことを覚えてやがるのか」

「そうよ。私は身体を支配されても、心は元のままにしてもらったの。禍大喰様にね。アグレイ、あんたもこっちに来たら? この身体、頑丈だし老化もしないし、便利よ。一人じゃ怖いなら、フリッツも呼べばいいじゃない」

 少し悲しげにアグレイが戦闘態勢をとると、キクも全身を緊張で覆う。その二人からベルの姿を隠すように進み出たリューシュが端然と弩を構えた。

「ここはわたくしが戦いますので、二人は先をお急ぎ下さいな」

「リュー、一人じゃ無理だ」

 リューシュは振り向むいて微笑を半面だけ覗かせた。

「あら、わたくしでは危ういと?」

「違う。相性の問題だ。遠距離専門のリューじゃ、あの三人は手に余るだろうぜ」

「そうだよ。残るんだったら、私が……」

「いえ、キクには最後までアグレイを守ってほしいんですの。お願いです。わたくしに任せて下さいませんこと」

 柔和だが、どこか頑ななリューシュには反対できない気迫があった。アグレイとキクは視線を交わして頷き合う。

「では、わたくしが隙を作りますので、二人はお先に」

 待ちかねたベルが声高に叫んだ。

「ちょっとぉ、小声で相談なんてつまんないわ。私にも聞かせてくれない」

「ふふ、もう済みましたの」

 言うや否やリューシュの手元から矢が解き放たれる。高速で飛来する光芒はベルの目前の地面に着弾、土塊を噴出し塵芥を巻き上げて視野を暗く染めた。

 その隙に道路の左右に分かれたアグレイとキクが突破を試みる。さすがに腕利きの警備隊として知られただけあって、フランツとヘンリの反応は速かった。ヘンリはアグレイ、フランツがキクに追い縋った。視界が利かないなかで一瞬の攻防が交わされる。

 アグレイはヘンリに一本背負いを決めると、掴んだままの右腕をへし折った。キクは蹴りの瞬間だけ右脚を剣に変形させる高等技術を用いて、フランツの両腕を断ち切った。行きがけの駄賃で敵の戦力を殺ぐと、二人は足早に戦場を去る。

 ベルは傲然とその場に止まっていた。二人のために一人残った女性に目を向ける。

「へえ、お譲ちゃん。見かけに寄らず根性あるのね。捨て石にしては立派じゃない」

「まあ、その石につまずく人の言葉としては上出来ですわ」

「生意気!」

 ベルが額に青筋を浮かべる。傍らに重傷を負っても戦意を衰えさせないフランツとヘンリが並ぶと、ベルは彼らを従えて地を蹴った。

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