第19話 出陣

 その日、夜明けとともに喰禍は大攻勢をしかけてきた。

 占領された九カ所の侵蝕域からほぼ同時刻に、蟲騎士を指揮官とする三〇体ずつの喰禍が現れたのだ。総数二七〇体ほどの敵勢は、衰弱した統轄府の手には余る巨大な相手だ。それでも統轄府は住民を守るため、警備隊と警官隊を総動員して迎撃に向かわせる。

 勤務を終えて統轄府に帰還していたユーヴとリューシュは、予備戦力として待機を命じられていた。自宅にいたアグレイとキクにもこの報は届き、至急統轄府に出仕するよう要請される。二人は黙々と準備を始めたが、このときアグレイは胸にある意志を固めていた。

 出勤をばぁばに見送られる際、アグレイは足を止めた。

「キク、ちょっと先に行っていてくれ」

「え? うん」

 アグレイはキクが玄関を出るまで待っていた。そこには、余人を介入させたくないこの男の意識が見てとれた。

「ばぁば、こうなったのも、あのとき俺がみんなを見捨てて……」

「止めなよ。もう何度も聞いたことだよ」

「ああ。でも、アルジーのことは俺に責任がある。だから今日、過去の清算をしてくるよ」

 アグレイは自身の掌を見つめた。そこに、握るべきであった何かの幻影を追い求めるように。ばぁばは、寝不足気味で重い双眸を孫に注いだ。

「一人でかい?」

「責任は俺にあるんだ。あいつらを巻き込むわけにはいかない。もしかしたら、もう帰ってこれないかもしれない。だから、今のうちに言っておくけどよ、ばぁば。ありがとよ」

 背後で名を呼ばれたようだが、アグレイは振り返らずに玄関の外に足を踏み出した。


 アグレイの言いつけ通りキクは先に統轄府に向かったようだった。アグレイは一人で統轄府に続く道を歩く。だが、その目的地は違う。道を曲がった先にはコバト院があった。

 早朝から無理を言ってレビンを呼び出し、怪訝そうなレビンが玄関口に顔を見せる。

「アグレイ。どうしたの、こんな朝から」

「おう、悪いな。すぐ終わるぜ」

 子どもながらに、レビンはアグレイのただならぬ雰囲気を察した。アグレイがレビンに目線を合わせてしゃがむと、少年が小首を傾げる。

「あのな、レビン。前から思ってたんだが、お前の瞳は青空みたいな色をしているんだぜ」

「アオゾラ……?」

 その言葉どころか、それの意味する現象を見たこともない少年にとっては謎の単語だった。透明さと大らかさを感じさせる響きを口ずさむと、レビンは当然その内容を尋ねた。

「それ、何なの?」

「お前は見たことないだろうけど、凄いんだぜ。まあ、一度見れば分かる。それでよ、これから俺が青空を見せようと、思ってよ……。だから、レビン。待っていてくれるか」

「キクお姉ちゃんは?」

「いや、キクは……」

「一緒に行くに決まっているでしょう!」

「わあッ? キク、何でここに……」

 アグレイが振り返ると、キクが腰に両手を当てて上体を傾け、傲然とアグレイを見下ろしていた。額には青筋が浮いている。その迫力に、彼は恐れをなして頬を引きつらせた。

「あんたの朝の様子を見ていれば、どんなバカでも感づくわよ。だから、隠れて尾行してみたら、案の定一人だけ抜け駆けしようなんて……!」

「ま、待てよ。一応、俺なりの覚悟があるという前提を考慮してだな……」

「うっさい!」

 キクの怒号に、アグレイは頭を抱え込んで黙った。

 かしこまったアグレイを睥睨してキクが胸を反らす。

「とにかく! 私も一緒に行くからね。異論と文句は受けつけません」

「わ、分かった。レビン、予定が変わったが俺とキクで必ず青空を見せるからな」

「アオゾラっての、どうしてたら見れるのさ」

 アグレイはレビンの頭に手を置いて、ぐりんぐりんと大きく回す。

「待っていれば、見れるよ。兄ちゃんが、約束する」

 レビンが目を見開いたとき、アグレイはすでに遠ざかって背中越しに手を振っていた。キクもレビンの頭髪に指を絡めると、軽やかにアグレイの後を追う。

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