第16話 邂逅

 アグレイと居候の面々は北部地区を巡回していた。キク、ユーヴ、リューシュは警備隊に配属され、その任に就いている。

 四人一組の特別な小隊として活動しているのは理由がある。キク達が戦闘能力に秀でていても、警備隊としての実務経験が無いこと。さらに三人が統轄府で発揮した協調性の欠如が決定的な要因だった。アグレイでなければ三人を指揮できないと判断されたのである。

 戦力はほしいが、面倒はアグレイに押しつける処置であったと言えなくもない。余談だが、アグレイと組んでいたフリッツは人事異動で別の人物と組むことになった。

「ちょっと待てよ、冗談じゃねえッ!」

 そう絶叫したのはフリッツでなく、彼と運命共同体となった相手である。その横で相変わらずのにやけ面を浮かべているフリッツに、人々は疫病神を見るような視線を向けた。

 特に異変の起こらないまま歩き続けると、アグレイが会話のきっかけを作る。

「そういや、リューって何歳なんだ?」

「わたくしですか? もう、二二歳になりますわ」

「年上かよ。同年輩かと思ってたが」

「何あれ、リューの年齢を気にしちゃって。意識してんのかしら、やらしー」

 リューシュの後ろにいたキクが、年長の友人を庇うようにアグレイの前に立ちはだかる。

「んだと、キク。ちょっと年齢を聞いただけだろうが。何が悪いってんだ」

「女性の年齢を真正面から聞くってのが、すでに失礼なのよ」

そうなのか? と、アグレイが問うようにユーヴへと視線を転じる。

「この曇り、晴らしてみせる、いつの日か。……うむ、いい詩ができた」

「川柳だろうが、それ。質が低いし」

 アグレイは役立たずの詩人から目を逸らす。

「リュー、気をつけてね。アグレイなんか野蛮で、何するか分かんないよ」

「大丈夫ですわ、キク。わたくし、アグレイに男性的魅力を感じておりませんもの」

 予期しないところでアグレイは精神的打撃を被った。肩を落とす彼の背に失笑の響きが届く。アグレイは身を翻してユーヴに拳骨を叩き込んだ。

「痛ってえ! じゃなくって、痛ッ。アグレイ君、今のはあまりにも非人道的な扱いではないか? そりゃ、嘲笑した僕も悪いけども!」

「殴られるに足る理由だろうが!」

 ユーヴの素が垣間見えたのは置いといて、アグレイはキクに向き直った。

「俺は、別に変なつもりで聞いたんじゃねえ。お前こそ、俺に難癖つけるなよ」

「あんたがリューをやらしい眼で見てるからよ!」

「……見てるかよ!」

「何よ、その微妙な間は!」

 案の定、感情的な口論に発展した二人を見やり、年長の二人は静かに言葉を交わす。

「いいね、恥じらいもなく感情を表面に出せる、あの若さってのは。見習いたいものだ」

「あなたも、負けてはいませんわ。充分、幼いですもの」

「誉め言葉にしては、ちょっと棘が鋭いんでないかい。リューシュ君?」

「まあ、これは殿方に失礼を。フフフ……」

 リューシュは掌で口元を押さえた。

 初めてアグレイが会ったときと比べ、キクの言動は幼くなっていた。これは精神が逆行したということではないだろう。孤児を養うため『キクお姉ちゃん』として生きねばならなかった女性が、やっと背伸びをせずに等身大の振る舞いをできるようになったのだ。

 賑やかであり、やや真剣さを欠きながら、アグレイ達は曇天の下にできた薄い影を路面に這わせていた。その四つの人影が不意に止まったのは、行く手に深い陰翳を落としていた人物がいたからだ。

「どうかしました? ここは危険な……」

 キクが声をかけ、アグレイに肩を引かれて中断させられると、反抗的にアグレイを振り返る。だが、アグレイの表情が緊張に引き締まっているのを見出し、黙って後退した。

「俺が行く。ここで待っていてくれ」

 三人に言い残して、アグレイが進み出た。目前に立っているのは、確かにあの男であった。レビンが目撃し、キクの孤児院が侵蝕されたときアグレイが目にした、長身の男。こちらに背を向けて、キクの呼びかけも意に介した様子はない。

「おい、お前。俺の言葉が分かるか。完蝕されているのでなければ、分かるだろ」

「……」

「おい、聞いているのか」

 反応がないことに苛立ったアグレイは、男の肩に手をかけて強引に振り向かせる。男は抵抗せず身体を反転させ、その顔を晒した。アグレイは双眸を見開いて数瞬の間、男の容姿に視線を注いだ。うわごとのように、口唇がある単語を紡ぎ出した。

「アルジー……?」

 それを聞いて、男の黒い瞳の中央に浮かぶ鬼火が燃え上がった。

「なぜ、その言葉を知っている?」

「アルジー? アルジーか、そうなのか!?」

 アグレイは熱を帯びた声音で詰め寄った。

「何を話してるんだろ?」

 キクが心配そうに独りごちた。やりとりを遠巻きに眺めているだけの三人には、耳朶に声の欠片が断片的に届いても、それによって内容を窺い知ることはできない。

 アグレイが無理矢理あの男の肩を掴んで正面を向かせる。

 少しの間を置いてアグレイが不用意に顔を近づけ、彼は男に殴り飛ばされた。肉が弾ける音が鳴り、地面と水平に吹き飛ぶアグレイを助けることもできず棒立ちになっている三人の横を擦り抜け、背中と後頭部を硬い石造りの路面に激しく打ちつける。

 砂塵を上げて滑走したアグレイの身がようやく停止しても、彼が起き上がる気配はない。指先すら微動だにしないアグレイに、キクとリューシュが駆け寄った。

「アグレイ!」

「大丈夫ですか!?」

 アグレイは昏倒しているようだった。キクが呼びかけても反応しない。ユーヴは焦げ茶の瞳を驚愕で彩って男に注いだ。

「アグレイ君を一撃で? ただの完蝕では、ありえない……」

 男は困惑したようにアグレイを殴った手を見つめていたが、頭を振って迷いを晴らすと爪先をこちらに向ける。ユーヴが三人を守るように進路を阻んだ。

「く、波動の詩!」

 岩魔を蹴散らす威力を持った衝撃波は、彼にとっては微風にも満たないらしい。歩みを止める役にも立たず、巻き起こった風に長髪が乱されただけだった。

 ユーヴは男の死角でさらに万年筆を走らせていた。波動の詩よりも長い文章である。男が近距離に迫ると、ユーヴは終止符を打ち筆先で男を指して、破壊の力を具現化させた。

「もういっちょう、超波動の詩!」

 波動の詩が面単位の攻撃であるなら、超波動の詩とやらは、その範囲を狭くして威力を集約した線の衝撃波であるらしい。空間が歪曲して錐もみ状になった一撃は、鉄板ですら穿ちそうな脅威で男に迫る。しかも、至近距離で放たれている。避ける余裕はない。

 男は無造作に掌で受ける。衝撃波は彼の繊細な手の表面で爆音を発して霧散した。

「バカなッ!」

 ユーヴは焦燥を露わにして退こうとする。だが、全力で跳び退くユーヴより、男が煩わしげに腕を振る方が速い。裏拳が胸を直撃し、ユーヴは道路の横にある民家の木製の扉を突き破って姿を消した。木の破片と塵芥が撒き散って、路面を刷くように砂埃が流れる。

「ユーヴ!」

「何てことをなさるの!」

 アグレイの脇から離れたリューシュが即座に弩を構える。そこから射られた矢は寸分の狂いもなく男の胸部を照準していたが、そこに到達する前に男の手に捕らえられて握り潰される。矢の破片が空気に溶け込んでいくのを、翡翠の双玉が凝然と映していた。

 乙矢をつがえる暇もなく、リューシュが敵の攻撃を予想して目をつぶる。振り払うような男の手の甲が触れただけで、リューシュは道路の反対側の建造物まで吹き飛び、壁面に背を打ちつけてうずくまった。その背に、細かい石片が振りかかる。

「リュー……!」

 障害物を排除した男がまっすぐアグレイとキクに向かってくる。キクは気絶したアグレイの上半身を抱くだけしかできなかった。そのまま目をきつく閉じる。

 男の足音は暗闇のなかでやけに高く響いた。カツン、カツン、とキクの横に並ぶ。キクの体感で永遠に等しい時間が過ぎて、実際それは数呼吸の間だったろうが、男の靴はキクを通り過ぎ、その背後の地を鳴らした。

 両目を見開いたキクが男を振り向く。

 男はアグレイとキクなど眼中になく無視して数歩の距離をとると、両手を開いた。完璧に制御された球状の界面活性が彼を出迎える。玄関をくぐるように男が界面活性に身を投げ入れると、その姿は溶け込むように消えていく。

 界面活性と倒れ伏す仲間に視線を交互に送り、キクは選択を迫られていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る