第13話 居候達の実力

 アグレイが現場に到着し、そこには豪胆な彼でさえ息を飲む光景が広がっていた。

 生存者はすでに逃げ去った後のようで、動いている者は一人もいない。残された人影は全て血だまりに倒れ伏している。その数は約二十体で、六体は警備隊の顔見知りだ。

 憤激と憎悪を混合した琥珀の光芒をアグレイは敵に突き刺した。

 喰禍は周辺をあらかた破壊し尽くし、殺害すべき人間がいないことで暇を持て余すように徘徊しているだけだった。

 だが、殺気立ったアグレイにようやく気づき、無機質な眼差しを返す。そのうちの幾体かは血に濡れた凶器を提げていた。喰禍の群れは目算でおよそ四十体は存在していて、その威圧感は尋常なものではない。しかも、強敵が揃っていた。

 ほとんどは岩魔で、これは雑兵として問題ない。アグレイが目を細めたのは、つい先日彼に苦杯を舐めさせた煉鎧が五体もいることだ。さらに、その煉鎧より上位に位置づけられる喰禍が一体、中央に陣取っている。確か、名前は何だったか?

「ふむ。あれは駆逐型喰禍の一種、〈蟲騎士ちゅうきし〉だな。レンネンカンプ博士の『喰禍図鑑』で見た特徴と一致する。緑の体表と頭部の側面にある巨大な眼球。身体は丈夫な甲殻で覆われ、甲冑を連想させるのが名前の由来だ。四本の手で操る巨剣が脅威となる」

「まあ、博学ですのね」

「ふッ、リューシュ君。常識さ」

アグレイが背後を振りかえると、キク、ユーヴ、リューシュが何事もないように佇立している。言いつけを守らなかったことへの怒りと、居候の身を案じる配慮を吐き出す。

「バカ! 何やってんだ、危ないだろうが。離れてろよ!」

「あんただって危ないのに、それはいいわけ?」

「俺は、警備隊だからこれが役目なんだ。だけど、お前は……」

 反論を中断してアグレイは再び前を見やった。不穏な気配を察したからだ。蟲騎士が号令らしき動作で剣を振ると、先兵として岩魔がアグレイ達四人に殺到してきた。

「お前ら、俺が足止めするから早く逃げろ!」

 言葉だけをそこに残し、本人は疾風となって岩魔の集団を迎え撃つ。隣に一陣の風が並んでアグレイが怪訝に目を向けると、それはキクであった。彼はキクに怒声を飛ばす。

「キク。喰禍は女だからって手加減してくれないんだぞ」

「まるで、この前あんたが手加減したみたいな言い方じゃない」

 短いやりとりを交差させ、アグレイを追い抜いたキクが先に岩魔と接触した。三体の岩魔がキク目がけて棍棒を振り下ろす。背丈は低いが重い質量の岩魔が華奢なキクを押し包み、キクの身体が岩魔の下敷きになった。

 アグレイが驚愕の叫びを発しかけたとき、岩魔に幾筋もの光の線が走り、裂傷を起点として岩魔達の肉体が弾けた。四散する岩魔の残骸を浴びながら、キクが無事な姿を現す。その右脚が剣へと変貌していた。

 安堵の吐息を漏らす間もなく、アグレイは岩魔に肉迫する。

 岩魔は正面から棍棒を叩きつけ、アグレイは歯牙にもかけず強化した右手の掌底で棍棒ごとその顔面を粉砕した。両脇の二体が一閃させた手刀で葬られ、別の一体がやっと横殴りの一撃を放つ。アグレイは屈みながら踏みこんで棍棒を頭上に通過させ、半回転しつつ右裏拳で岩魔の頭部を破壊。四方で塵となる岩魔を見送って、構えを整える。

 二人と喰禍の力量差は歴然としていたものの、数量では圧倒的に喰禍が有利だった。二人は岩魔に包囲され、その背後には煉鎧が控えている。

「さすがに楽勝とはいかないか」

 肉体的疲労でなく心理的圧迫がアグレイの額に汗を浮かばせる。それはアグレイが首を曲げたことで雫となって飛び散った。以外な声がアグレイの耳朶を打ったのだ。

「波動の詩!」

 朗々たるユーヴの声音が場を満たした瞬間、衝撃波が岩魔を襲来した。直撃した二体が瞬時に灰となり、巻き込まれた岩魔が吹き飛ばされて包囲網に穴を開ける。

「ユーヴ?」

「待っていたまえ。今、君達を強化する」

 そう言って、ユーヴは手に持った万年筆を宙に走らせた。万年筆の筆跡が空中に光の軌跡を残し、誰にも解読できない文章を描き出す。

「ええと、対象はアグレイ君とキク君。効果は、敏捷の詩、守護の詩もおまけだ。それ」

 ユーヴが文章の末尾に終止符を打つと、虚空に書かれた文字列が拡散して空間に溶けこんだ。直後、界面活性にも似た揺らめきが二人の身体を包み、浸透するように消え去る。

「何だこりゃ? 身体が軽いぞ」

「それで、君達の速さと頑強さが強化された。ま、好きにやりたまえ」

 ユーヴの持つ万年筆は、蝕器しょっきと呼ばれるものだった。キクの右脚、蝕肢が侵蝕された人体であるならば、蝕器は侵蝕された物体である。それを媒体として、侵蝕の異能を引き出すことを可能とするのが蝕器であった。

「よし! 何か知らないが、ありがとよ」

 アグレイの動きは肉眼で見えず、彼の右手の輝きが煌めく先で岩魔が爆砕するだけだ。キクは俊敏さにおいて彼を上回る。倒立しながら下半身と上半身を連動させて一回転したキクを中心に、斬撃が竜巻の如く同心円状に広がり、岩魔の胴体を頭部と切り放した。

 一気に岩魔が掃討されるなか、煉鎧の一体が動いた。岩魔を相手にしているキクの無防備な背に、拳を振り上げる。反応できないキクが双眸を見開くと同時に、煉鎧は横から受けた不意打ちによって上体が消失、遅れて胴と脚部が粒子になった。

 キクが目を向けると、巨大な木製の武器を抱えたリューシュが笑顔を見せる。

 リューシュは間断なく愛用する弩の弦を留め金に張った。だが、肝心の矢をつがえる様子はない。そもそも、彼女は矢筒を所持していなかった。それなのに、虚空から特大の矢が出現し、弦には矢が張られた状態になる。リューシュの弩も、蝕器であった。

 リューシュの白い指が引き金に力を加えると、留め金から弦が外れて矢が放たれる。

 矢と呼ぶには獰猛な硬質の光条が空を切りキクのすぐ真横を通過。キクの悲鳴を置き去りにし、二体の岩魔を貫通しても勢いを減じず煉鎧の胴体に着弾した。アグレイの拳にも耐える煉鎧の骨格が一撃で粉砕され、無音の葬送曲に乗って煉鎧は粉末状に消えていく。

「……いつもリューシュが背負ってるの、武器だったの?」

「ええ。便利ですのよ、これ。よいしょ」

 リューシュの得物は、その巨大さと強力さにおいて比類ないが、女性の細腕では片手で支えきれず装填の度に片側を地に着け、片手で弦を張らなければならない。その作業中は無防備な姿を晒すことになる。そこを狙って岩魔が彼女に襲いかかった。

「懲りない奴らだ。波動の詩」

 ユーヴがまたもや岩魔を弾き飛ばし、矢の装填を終えたリューシュが岩魔に死の息吹を解き放つ。灰の幕が吹き荒ぶなかで、ユーヴとリューシュの威容が佇立していた。

「何だ、どうなってる?」

 そこに、遅ればせながら二十人ほどの警備隊を従えたフリッツが駆けつけてきた。

「報告では四十前後の喰禍が出現したはずだ。それが、十体以下に減ってるじゃねえか」

 フリッツの言う通り喰禍は激減している。蟲騎士はいまだ健在であり、その脅威は侮れないが、わずか四人で喰禍をここまで相手取ったことへの驚きがフリッツの声に濃い。

「アグレイ?」

「フリッツ、大丈夫だ。そこで待っていろ」

 アグレイが、唇の端から犬歯を覗かせる。

 その右手から光が消え、左足に燐光が宿る。アグレイの蝕肢は心臓であった。侵蝕された部位を血流に乗せて恣意的に移動し、身体各所を強化できるのがアグレイの能力である。

 短い助走からアグレイは強化した左足で跳躍、常人では考えられない飛躍は煉鎧の頭上を軽々と超えた。喰禍で作られた垣根を跳び越え、アグレイは喰禍の指揮官である蟲騎士と相対する。蟲騎士とアグレイが対峙する背後でも、戦闘は続いていた。

「はッ」

 キクの気合いと同時に剣となった右脚が薙がれると、煉鎧の腕が切断され地に転がったまま消えていく。キクはしゃがんだ状態で両手を地に着き、剣になって曲がらない右脚は横に伸ばすことで邪魔にならない姿勢をとっていた。これが彼女の通常の構えである。

逆上したように煉鎧がもう片方の腕で正拳を突いたが、キクは左斜め前に跳んで攻撃を躱すと両手で着地し側転しながら体勢を整える。軸足が地を踏みしめ脚部の刃が縦の軌道を走ると、煉鎧の球体が繋がった形状をした腕の結節点が、寸分の狂いもなく斬り落とされた。

「どう? 逃げてもいいのよ?」

 怒涛の勢いで煉鎧が突進。頭部の角が凶悪な光を放つ。煉鎧が間合いに踏み込んだとき、キクは時計回りを描いて、勢いを乗せてすくい上げるような斬撃を見舞った。

 刃は煉鎧の胴体の右脇下から胸を裂いて頭部に抜ける。煉鎧の肉体が拡散したかと思うと、それは砂嵐のようにキクの全身を包んだ。キクが不快そうに首を振って前髪を払う。

「キクって娘、強いじゃないか」

 フリッツは目を転じて、別の男女に向ける。二人とも見たことがない顔だ。あれが例の入境者ではないか。なぜ、アグレイと一緒にいるのだ。

「岩魔は全滅させた。残りは君だけ……うわぁ!」

 煉鎧が振り回す拳から全力でユーヴは逃げる。高度の能力を行使できても、ユーヴの身体能力は平凡な男性のものだった。必要最低限の動きで華麗に避けるなどという芸当はできない。やや無様に頭を抱えて地面に伏せるのが精いっぱいだった。

 仲間の仇を晴らすため煉鎧は握り拳をユーヴに振り下ろす。

「わわわ、リューシュ君!」

 目前の獲物に夢中でもう一人を失念していた煉鎧は、別の方向に首を向けた。煉鎧は極太の矢が自身目がけて飛来したのを認識できたろうか。上体が爆砕し、下半身だけが徐々に塵となる今となっては、知る術もない。

「あとは蟲騎士だけですわね」

 リューシュの笑顔に対し、ユーヴはどうにか愛想笑いを返すだけだった。

「来いよ。それとも、俺からいくか? どっちでもいいぜ」

 アグレイは挑発するように蟲騎士に言った。

 それを理解しているのか、いないのか、蟲騎士はゆっくりと四本の手で持った巨剣を振りかぶる。アグレイが地を擦るように足を進めるのに合わせ、蟲騎士も半身になる。どこを見ているか分からない独特の複眼が不気味さを際立たせていた。

 緊張した空気ほど、針で突くほどの些細な刺激で破られる。眼球の表面に幾千ものアグレイの姿を映していた蟲騎士は、一瞬の加速をえるためアグレイの筋肉が盛り上がると同時に、高々と上げていた剣尖を地面と平行にして踏み込みつつ刺突を放つ。まさに豪速。

 アグレイが身体の中央を貫かれた、と見えたのは残像で、本体は紙一重で横に移動していた。寸前で避けたのは格好をつけたのでなく、単に余裕が無かったのだ。

 最初の一手が外れても、四本の腕があるのが蟲騎士の強みだ。瞬時に慣性を殺して横殴りの斬撃に移行する。その直線上にあったアグレイの首は、身を屈めたことで断頭の刑を免れた。さらに、斜めに刃を斬り下げる袈裟斬りが続く。

 アグレイは左手を強化し、体捌きと連動して剣の腹を拳で受け流す。数回の攻防の後、蟲騎士が剣を振りかざしたのに乗じアグレイが懐に飛び込んだ。アグレイは剣の柄を握って動きを封じようとするが、蟲騎士が二本の腕を放してアグレイを突き飛ばし、距離が開くと剣の柄頭でアグレイの額を強打した。

「くぁ……」

 よろめくアグレイの喉元に光の線が走る。アグレイはわざと後方に倒れ、無機質な煌めきが視界を横切るのを見上げた。寝ている体勢で膝を額に着けるほど曲げ、それを戻す勢いと上半身のバネを利用して跳ね起きる。

「さすがに雑魚とは違うな。だが、俺も少しはやるぜ」

 アグレイの右足が燐光を帯びる。地を蹴ってアグレイは肉迫し、蟲騎士が振り払うような斬撃で応じた。かろうじてアグレイが刃の下をかいくぐり、その頭髪が数本宙に舞い散る。足を踏み出しながら身を沈めたアグレイが放ったのは水面蹴りだ。

 その一撃は蟲騎士の両足を弾いて転倒させるが、蟲騎士が倒れてきたのはアグレイの真上だ。このままではアグレイは押し潰されるしかないだろう。

 これがアグレイの狙いだった。蟲騎士が覆いかぶさってくる下で小さく後方宙返りし、手を地に着けると上下逆転した視界で倒立するように蹴り上げる。腕を伸ばすのと、折り畳んでいた脚部を跳ね上げる動作を連動させ、全身の筋肉を撓めた力を一挙に解放した。

 収斂させた蹴りの衝撃は、蟲騎士の身体を上空に巻き上げる。剣を落としてとり乱したように空中で手足を震わせる蟲騎士を追って、アグレイも飛翔。同じ高さに達すると、アグレイが渾身の踵落としで蟲騎士を打ち落とす。蟲騎士は石畳に激突してそれを陥没させ、石の欠片が飛び散った。すでに蟲騎士は戦闘不能であり、末端から塵となっていく。

 その横に悠然とアグレイが着地し、仲間の無事な姿を確認していた。

「やるじゃねえか、お前ら」

 ユーヴ、リューシュが駆け寄ってくる。二人はアグレイを囲み、ユーヴは楽しげに何やら騒ぎ立て、リューシュは黙って笑顔を浮かべる。キクは黙然とアグレイの正面に立っていた。それでもアグレイが掌を出すと、自らの手を打ちつけて軽やかな音を立てた。

 遠巻きに眺めるフリッツ以下の警備隊は驚きに目を疑うばかりだ。まさか四人だけで十倍に匹敵する喰禍を葬ったとなれば、人間業ではない。だが彼らの雰囲気は、勇士というよりも、仲のよい家族のようだった。

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