第11話 キク、ユーヴ、リューシュのお仕事(導入)
アグレイ宅の食卓の様相は一変している。アグレイとばぁば二人だけのときは、両者が向かい合って座ったが、新たな顔が増えたことで席替えが成された。
アグレイとユーヴが隣り合い、キクとリューシュが対面に座る。キクがアグレイの正面だった。その二組の横顔を、ばぁばが見通すことになる。
口が達者でないアグレイを相手にしていたせいで発揮されなかったばぁばの口数は、客の数と比例して増していた。
「……それでね、アグレイは私が添い寝しないと寂しいって泣くんだよ」
「へー、意外ねー。アグレイって寂しがり屋だったの?」
「ま、僕は気づいていたよ。アグレイ君は、そういう子だってね」
「恥じることはありませんわ。わたくしも召使に添い寝してもらいましたもの。ですが、さすがに十歳までは……」
「ち、好き放題抜かしやがって。居候どもめ」
アグレイは不機嫌に口腔を動かしていた。喋るためよりは、咀嚼に重点を置いて。
「アグレイにも、可愛い頃があったのね。そのまま育てば、もっといい子になったのに」
「お前にどうこう言われる筋合いはねえぞ、キク!」
二人に対してはあくまでも冷やかな態度を保っていたアグレイの感情が、キクの言葉を契機として沸点に達した。沸騰した心理の奔流を浴びて、キクも感情を晒け出す。
「本当のことでしょ! 文句でもあんのッ?」
「お前こそ、もっと静かにしてりゃ可愛げの一つもあんだろうがな!」
机を揺らして立ちあがり、物怖じせずに視線を交差させ、不可視の火花を散らした両者は、横合いからばぁばに諌められる。
「二人とも痴話喧嘩は止しなよ」
「ちッ」
「ふん」
二人は同時に腰を下ろした。腹立ち紛れにアグレイが横に座る男の頭に拳骨を叩き込む。
「痛ッ! アグレイ君、僕のが年上なのだぞ。理由もなく殴るのは不条理でないかい?」
「うるせえ。お前は一晩だけのはずだったのに、今日もいるじゃねえか。その代金だ」
「キク君! 君のせいで……」
「うっさい!」
十歳は年少の相手に一喝され、ユーヴは肩を落として黙り込んだ。
「本当に、これだけ楽しい食事は初めてですわ」
「まあ、気に入ってくれて助かったよ」
超然とした女性の声に、老獪な女性のそれが返された。キクの本来の姿が露出してきたことをばぁばは感じとっている。表面的に立ち直っただけでなく、その内面において生じた傷口に癒しの縫合がされたようだった。
キクが来てから、アグレイはばぁばとキクの茶飲み話を傍らで聞きながら、自身もお茶で喉を潤すのが日課となった。今もそれぞれの前に湯気の立つ陶器が並べられている。
「それにしても五人もいるとなると、さすがにアグレイの稼ぎでも家計が苦しいんじゃないかい。そこはどう考えているのさ」
アグレイは警備隊であるため、その危険な職務に見合った高給を食んでいる。だが、所詮はイフリヤの市民と比較してのことだった。自分に加え四人の大人を養うには心許ない。
「何だ、アグレイ君の稼ぎもたいしたことないな」
「んだと! イフリヤじゃ上等な方だぞ」
自慢ではあったが、それは事実でもある。産業や経済が停滞したイフリヤでは、扶養家族を支えるというだけでも、相当な苦労なのだ。その点、子どもとはいえ七人の寝食をその細い肩に背負っていたキクの苦労が並大抵ではないことを、アグレイも知っていた。
「とにかくな、お前らを家に置くのは許しても、自分で食い扶持くらいは稼いでもらうぜ」
「分かった。詩集を出すために早速明日から創作活動に……」
「そんな余裕はねえ! リューは仕事の当てはあるのか?」
「仕事ってあれですの? 召使がお茶を用意したり、着替えの用意をしたり。わたくし経験がありませんわ」
「それ以外の仕事を知らねえのか?」
つまり、アグレイ宅は穀潰しを二人抱え込んだわけであった。
「まあ、いい。というか仕方がない。統轄府なら頼めば二人くらいは何とかなるはずだ」
「働くなら、私は慣れてるけど」
「キクはいいんだ。ばぁばの家事を手伝ってやってくれ」
それに反論したのはばぁばである。
「私は大丈夫だよ。それに若い娘を家に閉じ込めとくもんじゃないよ、アグレイ」
かくして、アグレイは翌日、三人を引きつれて統轄府の門をくぐることになった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます