応援コメント

第3話 キクの孤児院」への応援コメント


  • 編集済

     フリッツのキャラがいいですね。「状況がどうにもならないのなら、おまえが変われよ」とかいう冒頭の会話がここで生きてくるのは、いい演出。そしてフリッツが「とっておきの話」をし出すと侵蝕がくるのは毎回のお約束になるのでしょうか?(笑) とにかく、彼の存在が物語にいいカンフル剤となってます。

     プロット上の問題をひとつ指摘しますが、これ、「アグレイが、何をする」物語なのでしょうか? ここまで事件らしい事件の提示もなく、彼の日常が描写されています。事件はなるべく早い段階で起こした方がいい。できれば冒頭一行目で。
     もし謎の男がこれから物語の主題として絡んでくるのなら、もう少しそこを演出した方がいいかな?


     あと、別の方がバトル描写に関して長々と語られていますが、すみません、ぼくにはなんのこっちゃか意味不明です。

     ただ、キクちゃんとのバトルを少し直すとすると、文中で使われているある文字ふたつを極力排してください。別の文字に入れ替える。バトルで使ってはいけない二文字があるんです。しってました?(笑)



     答えは「右」と「左」。

     たとえば、「アグレイはキクの右足を右の手に力を集中して受け止め、左手で殴り返した」と書くと、読者は「えーと、右脚がこうで、それを右手で受け止めたから、こういう格好でふたりは絡み合ってて……」といちいち考えなきゃならないですね。

     だったらこうしましょう。

    「アグレイはキクの刃脚を、力を集中させた手で受け止め、逆の手で殴り返した」

     小説のバトルで、右と左はほぼ関係ありません。バトル描写は武術の解説書じゃないから。作中の右と左を他のことば、前足、後足、軸足、蹴り足と書き替えても、なんの問題もないはずですよ。

     バトル描写の勉強なら、碧咲瑠璃さんの「スチールハート」をお勧めします。

     そして、意外な事実をひとつ。実はラノベ調の文体は、バトル描写には不向きだという残念なおしらせ。ただ、もしかしたら、ラノベの共通コード使用に慣れた読者には、描写が伝わらないかも知れないんですよね。文章を読んで読解して理解しているのではなく、定型句で読んでいる部分あるじゃないですか。そこのところが、ちょいとぼくには不明です。あしからず。

     バトルの一人称、三人称は、切りかえられなくもないですけど、ちょいと難しい。これはまた機会があれば。

    作者からの返信

    大竹さま!

    コメント、ありがとうございます!

    >フリッツのキャラがいいですね。

    ありがとうございます。フリッツはお気に入りで扱いやすい奴です。
    「グッバイ・レーニン」という映画の主人公の親友をモデルにしています。お調子者だけど友人に献身的なキャラ、という位置づけです。
    「とっておきの話」も、「古畑任三郎」の「赤い洗面器の話」からパクッ……、着想したものです。

    >プロット上の問題をひとつ指摘しますが、これ、「アグレイが、何をする」物語なのでしょうか?

    一応、一言で表すと「アグレイが過去と向き合い、敵を倒してイフリヤ市を救う物語」になると思います。
    構成としては、前半が仲間集め、後半が仲間とともに敵を打倒する、という流れになっています。
    私のイメージでは、アグレイが今の生き方(侵蝕に対して根本的対策がとれないまま戦いに明け暮れる)に疑問を覚えているところに仲間が加わり、仲間の助力を得て過去のトラウマを乗り越えて敵を倒す、という感じです。
    ただ、謎の男が物語の主軸に関わるのが後半に差しかかってからとなります。
    「事件はなるべく早い段階で起こした方がいい。できれば冒頭一行目で。」とのことなので、時機的にはだいぶ遅いようですね。この辺は改良の余地がありそうですね。冒頭で謎の男と出会わせるとか。
    あと、謎の男の正体もそのうち分かるのですが、物語の都合上仕方がないことでして、「え、なんでソイツ?」と思うかもしれません(もしかして、もう察しはついていますか?)。そう思っても、怒らないでください。仕方ないんです、最初に書いた長編なので(言いわけ)。

    >バトルで使ってはいけない二文字があるんです。
    答えは「右」と「左」。

    これが私にとっては衝撃だったのですが……。『侵蝕』どころか、最近書いた話でも右左満載の描写をしています。
    そういえば、私はバトル描写に力を入れて書いているのですが、一度も誉められたことはないです。思えば、読んでいて分かりづらかったのでしょうか。ちゃんと右手、左脚とか描写した方が分かり易いかと考えていたのに、それが裏目だったとは……。
    これは自分では気づけないことでした。勉強になります。

    > バトル描写の勉強なら、碧咲瑠璃さんの「スチールハート」をお勧めします。

    碧咲瑠璃さまのお名前は、大竹さまの近況ノートやレビューで拝見したことがあります(すみません、さりげなく覗いておりました)。
    読んで勉強させて頂きます。

    >意外な事実をひとつ。実はラノベ調の文体は、バトル描写には不向きだという残念なおしらせ。

    またもや衝撃。バトルの書き方を考え直さねばなりませんね。

    今回も勉強させて頂きました。ありがとうございました!

  • お邪魔します。

    前回は誤字脱字、文字抜け、切れた不思議な言葉など、さんざんなコメント文章だったので今回こそは二割減を目指してです。(`・ω・´)ゞ

    出だしは、一話応援コメントへの作者様へのお礼のご挨拶です。
    長ーいコメントゆえ、返信など大変だったと思います。
    丁寧にかつ真摯なものを頂き嬉しいかえるでございます。ありがとうございました。(`・ω・´)ゞ
    創作談義はお互いに確かめあってこそ、より良い考えを形づくれるものと考えていまして、作者様のご意見にカエルも勉強させていだたいております。
    うむ、挨拶が硬い。
    さくっと、楽しい返事をありがとうございますの、今回はアピールにあった「バトル」(前回、力尽きて(笑)掘り下げなかったので)を主軸に、かく語りきであります。

    ・キクちゃんのツンデレ具合が良い感じですね―――とまずは寄り道。

     この時点では、本当にアグレイくんを嫌っているかも知れませんが、読んでいる方はヒロインとしてみるので、そのツン具合とアグレイくんに言われて考えを直す誠実さは好感がモテます。
     現実だと、ツンツンはその人を接した時以外知り得ないので、「嫌な子」になりますよね。創作だから許せるんだからねっ、とすべてのツンデレキャラに物申したいっす。(笑)

    >「やっぱり……。あの日、帰って来た後のお姉ちゃん、様子が変だったんだ。『ちょっとやり過ぎたかな』とか言って、不安そうな顔してた」

     自然な感じも良いと思うのと、小説の技法(というより演出効果に近いのかな?)として、いいな!の部分でピックアップです。
     一人称でよく見かける手法(都合が良いので)ですけれども、第三者を通してキャラを知る流れは、アグレイくんがキクちゃん本人から感じたり聞いたりするよりも、効果がありますよね。
     その効果がどういうものかは、ケース・バイ・ケースなんですけれど、概ね、当事者間で知る読者側の印象や好感に「信憑性」だったり「補足や強調」だったりを与えてくれるものですよね。
     これを巧く使えるかどうかが、物語の質につながる一つのコツのようなものなのかな、とカエルは思います。
     「なんだかな~」と感じる作品には、こういった三者を通しての印象操作があんまりないイメージです。(偏見)

    ・では、本題の「バトル描写について」のカエルの考えと作品での冒頭のバトル、アグレイくんVSキクちゃんバトルを題材に、

     描写。

     「何が行われているのか」「どういった動きなのか」この点からなら、冒頭とキクちゃんのバトルはちゃんと描写できてる印象を持ちます。
     また、「殴るではなく”振りかぶって”殴る」「飛び退くではなく”回転しながら”飛び退く」などの比較で考えると、丁寧な描写のその場面のそれだとも言えます。

     それで、戦闘描写が上手いか下手かで、言えば、カエルの答えとしては、そもそも戦闘描写自体に上手い下手はない(=あまり意味がない)と結論づけます。
     一定の動きを表す文章力は必要だとして、そこに余程の面白味を見い出せなければ、描写の上手い下手が活かせないと言い換えたらいいのか、以下、結論まで長いですが、お付き合いして頂けると幸いです。m(_ _)m

     ①カエルの言葉の使い分けの説明 ②バトル描写とは、について ③バトル描写が上手いと言わせるポイント ④すべてはカエルの考えです、まとめをの流れです。
     そして、たぶん、言わすもがなと的にもわかりきったことなので、バトルを語るうえでの考えのすり合わせとして受け取って頂けると、(断定的に述べているので)カエルは助かりますのですじゃ。


    ①仮に、「一秒間に10発の拳を叩き込む」シーンがあり、ついでに動画だと、うだだだた、と一瞬のバトルのそれがあったとします。

     動画たと、とにかくは「なんかいっぱい殴ってる」が画面から伝われば、OKだと思います。
     観ている方も、「なんかすんごい」くらいの受け取り方だろうと思います。

     これを文章に”そのまま”書いたとして、「一撃目、右からの正拳」「二撃目フック」「三撃目、更に速さを増した正拳突き」~~「十撃目、どーん」、これをカエルはたった一秒で相手に叩き込んだ―――みたいになると思います。
     動画のシーンが伝えたい意図と剥離していますよね。
     「なんかすんごい」が文章の方だと”コマの絵を説明している”になっていますから、違う意味でのなんかすんごい細かい描写だね、になります。
     おそらく、動画の意図を表す伝えるに寄せた文章にするなら、「息をつかせない、拳の連撃で相手を攻め立てた」とかになるでしょうか。。

     仮に、「「一秒間に10発の拳を叩き込む」が『必殺技で、10発すべてをヒットさせないと効果がない技』でシーンだったら。
     動画だと、見せ場なので、スローになるでしょう。
     観ている側としては、「七発目、ヒット」「八発、九発」「そして、最後の一撃は!?」と画面のキャラと一緒になって、必殺技を追うと思いますし、追わせないと制作側は間抜けです。

     この感じのシーンをさっきの文章に置き換えると、あら不思議、相性がいいんですよね。
     「絵」を”そのまま”書いた描写でも、伝えたい意図で、だいぶ違うと思います。
     ですから、一概にバトル描写といっても、「絵」を書いたそれと、「絵の効果、意味」を書いたそれだけで、上手い下手が大きく変わります。
     それを踏まえると、なかなかに「バトル描写」を「いいね、わるいね」の是非で片付けられないカエルです。

     以下は、二種類の使えわけをします。
     ・”そのままの描写”「絵描写」 ・動きなど場面の役割として書いた描写 「役割描写」。


    ②作中内のバトルについて、率直な感じた気持ち。

     「うーん、良くも悪くもなくこんな感じだろうな~」です。(素っ気なくてすみませぬ。こういう部分は良い悪いでなくて、印象として確実に伝えたいので)

     (余談)正直、書き手カエルとしても、「普通」の印象コメントをもらうと、「悪い意味」じゃなくても、なにが「いけないんだろう?」という想いに駆られます。良い方にしたいって気持ちとか、一生懸命書いたとかいろいろあるからですね。
         更に「良く」する余地は、たぶんあると思います。
         けれども、重点を起きたいのはそこではないので、今回は、カエル側は「絵描写」「役割描写」ともに普通の認識で話を進めていると提示したいだけであります。

     んでもって、今更なんですが(汗)

     カエル、バトルがウリの小説って読んだことないんですよね。(苦笑)
     WEBでも、ドカン、バタン―――的な作品はまず目を通さないですし、考えてみたら、数える程度のバトルシーンを今回読ませて頂いたことになります。

     そんなスペックのカエルなので、コメントに自信がないのですが、とりあえず、「足りない」ものを一つ発見できました。
     バトル2つを比べると冒頭の戦闘のほうが状況的に感じやすかったのか、焦りや余裕など「心情の変化およびそれに付随した時間の速さ」があまり感じられなかったように思えます。

     三人称の得意な部分として俯瞰描写がありますから、どちらかと言えば主観的な描写は不向きではあります。
     なので、カエル理論だと、よくバトル描写は三人称が良いと言われていますが、一人称が勝る部分もあったりしますよ、になります。
     その勝る部分が、「心情」ですね。

     台詞などで焦りとかを伝えることができますが、「うわ、やべ・・・」「死ぬ~」とかのダイレクトな心の声は台詞にしづらい本作品。
     なので、地の文に頼るしかないのですけれども、ここが面白くてですね―――。

     通常三人称だと、キャラを通さないのでダイレクトな描写できる=バトルとかだと時間的なワンクッションを入れずに済むので、読者に直に伝えられる利点がある、と言われてるような気がします。
     でも、バトルで効果的な「焦り」「驚き」などの急速な時間変化は一人称が得意とする心情のほうが効果的かつ時間ロスがないんすよね。(カエル考え)

     三人称;その時カエルに白銀の刃が迫る。
     一人称:やべえ、まじやべえ。追い込まれた。

     極端にしていますが、「危機具合」とかの伝わりようが、心情のほうがやっぱり効果的なんですよね。
     三人称だと、刃が迫る状況だけで済ましてしまうと、シーンの「危機感」が生まれないので、後述であれこれキャラの置かれる立場や世界的にこの一太刀による結末がすんごい意味まりますよ~的煽りが必要になります。
     それを考えると、心情表現がラクですし、読者的にもラクのような気がします。(一人称はその分、周りの情報が曖昧になりますので、何やってんだろうこのキャラは? に陥りやすいですよね)

     と、ここまで述べましたが、ありがちな三人称の平坦さとありがちな一人称を比べてのお話で、あんまり人称は関係ないです。
     「焦り」「危機感」などの心情が、バトルには映えると思ったので述べてみました。

     処女作の冒頭なので、三人称の文章的なことはいいかな判断です。
     (三人称って、特に心情書けない描けないわけではないですし、作品の文体もありますし、心情があれば効果的と言っていますが、ケース・バイ・ケース&戦闘の趣もありますし)
     作風にあたる部分と考えますので、作品のバトル描写から「バトルについて思ったこと」としてのお話になります。


    ③バトル描写が上手いと思わせるポイント

     バトル小説読まないカエルが何を根拠にしているのか不明ですが、
     きっと、バトル描写自体に面白味はないと考えます。

     「すんごいパンチ」を「絵描写」で炎がぐるぐる纏わりつき、ぐわわっとうねりをあげながら主人公の腹めがけて繰り出された。ちなみにこのパンチは食らったら最後月まで飛んでゆく破壊力を持つ―――と、描写しても大して面白いとは思わないんですよね。
    面白いと思うのは―――そのパンチを、主人公がどのようにして回避もしくは対処したかの描写のほうだと考えます。つまりは展開ですね。

     これを前提にすると、「絵・役割描写」ともに必要だが、それ自体に面白味を見出すことはやや難しい(戦闘のディティール部分での面白味や興味は引き出せると思いますが、こちらはやや特殊な例ですね)

     そうして、カエルは思い返すのです、今までに面白いと思った感じたバトルを。
     右手のパンチがよかったや、あそこでキックがよかったなどはまずない。
     ひたすら耐え忍んでからのあの一発が良かったとか、駆け引きの顛末に驚かされた―――ああ、面白いバトルだった、になります。

     それで、時代劇の殺陣を出すのですが、ヤラレ役さんの剣技ってどうでもよくて、主役の剣技を最終的にかっこよくするのは、「見得」だと思うんですよね。
     どやっの「キメ」ですね。
     アクション映画だと、衝撃度の高い映像がよく挿入されているパターンがありますよね。
     メリハリと言えばそれまでなんですけれども、やはりそこがキモだよな~の映像媒体を例えに小説の考察をするカエルです(笑)
     心情へ訴える描写や役割描写がなく絵描写だけだと、なかなかに面白いバトルは言い難いので、絵描写は用いる要所の上手い下手、役割描写は展開としての上手い下手がバトルの面白さの明暗をわけるのかな、です。


    ④すべてはカエルの考えです、まとめを、の流れです。

     そのままです、上記はすべてカエルの「考えるな感じるんだ」から発生した考えです。あと、だからこそ明確にこうしたほうが良いなんてものは提示できません。(苦笑)
     だって、カエルはバトル小説読んだことないんですもの。
     (意図的に読まないようにしています。読むとそっちに(答え)に引っ張られる気がするので、試行錯誤自分の中から絞り出している感じです)


     だあ、今回も長い。そして、前回良いも更に抽象的かつ答えのない話になってしまいました orz
     申し訳なく候。

     物書きなんですが、どうにも感性だけで生きているカエルなので、人に伝えることが下手の部類なんですよね。ちなみに両生類でもありますが。
     読むの大変ですよね。
     そして、気づきますよね、カエルも気づきました、作中内のバトルに対し具体的に触れてな~い。
     だって、かえるはバトル小説(以下略)

     ここまで目を通していただき、ありがとうございますのお疲れ様でした。m(_ _)m
     (力尽きました。見直しせずに投稿します。誤字や難解な文章などあると思うので、前もって、すみませぬ (`・ω・´)ゞ)

    作者からの返信

    かえる先生

    またもやたっぷりのご感想、まことにありがとうございます。
    現時点では三話目まで読まれていることと思います。私としては望外の喜びです。

    しかし、今回のご感想は私にとっては少々耳が痛いですね(苦笑)
    バトル描写の巧さを追求したいと思う私の考えと、かえる先生のお考えとでは食い違いがありそうです。
    どっちが正しいというのではないかと思いますが。

    作中のバトルについて、
    >「うーん、良くも悪くもなくこんな感じだろうな~」
    ということですが、私的には「きっちーな」です(笑)
    バトル描写が売りと僭称する私にとって、読者の方に何の手応えも残さないのは、相当な痛手です(かえる先生が悪意なく一読者として感想を書かれているのは承知しています)。
    ですが、正直なご感想はありがたいことです。
    これが私にとってのバトル描写について考え直す契機となるでしょう。

    白状すると、私はバトルを作中に入れたいのではなく、バトルが無いと小説が書けないのです。拳銃、剣、魔法、拳、どれでバトルを展開しようか、そこから私の世界観作りやキャラクター作りが進むのです。
    思えば、私が小説を書くようになったきっかけは、角川スニーカー文庫の『ラグナロク』というライトノベルを読んだことです。
    この作品は派手で丁寧なバトル描写に定評のあるものでしたが、同時にバトルの合間にストーリーがあると揶揄される作品でもありました。このバトル満載の小説を呼んだとき、私は「こういう小説があってもいいんだ」と思い、小説を書こうと志したのでした。

    それを端緒として物書きを始めた私は、作中にバトルをとりいれた作品を追求しようと考えたのでした。
    私の私淑する大塚英志先生が、「新井素子が『ルパン三世のような小説を書きたい』と思ったときライトノベルが生まれた」というようなことを仰っていたのですが、この言い方を借りるならば、「私はドラゴンボールのような(バトル描写の)小説を書きたい」と考えたのです。

    長い昔語りをすいません。
    とにかく、私にとってはバトルはものつくりの根幹に関わる問題である(と思われる)のです。
    以上のようなことが、私がバトルに拘泥する理由といったものです。で、何が言いたいかというと、そのバトルに関するご感想を頂けて感謝感謝ということです。
    「絵描写」と「役割描写」の考え方や、
    >心情へ訴える描写や役割描写がなく絵描写だけだと、なかなかに面白いバトルは言い難いので、絵描写は用いる要所の上手い下手、役割描写は展開としての上手い下手がバトルの面白さの明暗をわけるのかな、です。
    ここら辺は大いに参考にさせて頂きます。

    実生活では物書きの知人などいないので、かえる先生のように読者兼書き手の意見を聞けることは、私にとって本当に幸せなことだと思います。
    バトルが売りとか言っておきながら、『侵蝕』の前半は気が滅入るような辛気臭い展開が多いですが、もう少しおつきあい頂ければと思います。

    今回は少し真面目に語ってみました。
    ありがとうございました。