第26話 名馬の乗り心地?
帰りは一瞬だった。
塔の外壁を粉砕したレン・ジロードが、ノルンとカリンを両脇に抱えて飛び降りたのだ。着地は地響きと共に、衝撃波が粉塵のように土煙を爆散させた。
マールがふわふわと舞い降りてきた時、喪心した様子の黒い勇者とエルフ族の聖女が地面に座り込んで
「大旦那、なんか臭う」
「言ってやるな」
レンは、地面に
「ずいぶん高かった。漏らしても仕方ない」
マールがトドメをさしにいく。
勇者と聖女の喪心して落ちくぼんだ眼窩が、闇精霊を虚ろに捉えた。
「マールが軽率だった。反省してる」
宙で回れ右をして逃げようとするところを、エルフ族の聖女によって握られてしまった。黒い勇者がスカートのヒダから大きな
拡げられた
「奥方、落ち着く」
焦って宥めようとするところへ、
「縫い物が得意なら、オムツを作れば良いじゃないか」
レンがぽつりと問題発言をした。
途端、弾かれたように、2人の若い娘が立ち上がった。きりきりと吊り上がった双眸に、揺らめき立つような炎が見える。2人とも、掛け値無しの美形だけに、その迫力はただ事では無い。
「・・そうすれば、万一の時でも、
間違いの無い解決策である。ちょっと量が多いときでも安心じゃないかという善意のアドバイスである。
「旦那様には、デリカシーというものを学んで頂く必要があります」
「でりかし?」
「繊細で傷つきやすい乙女に対する配慮ですっ!」
「いや、だから、オムツを・・」
「うんだがぁーーーー、忘れてぇーーーーーーーーー」
ノルンが泣き顔でレンにしがみついた。
「お・・ぉう」
「何も無かったのですよ?ここでは、何も見なかった?おぅけぃ?それが配慮というものですっ!時には見て見ぬふりが優しさなんですっ!」
「おぅ・・分かった」
「マールさんも、良いですわね?」
エルフ族の聖女が、にっこりと笑顔で闇精霊の眼を覗き込む。
「わ、わかった。マールは見てない。ちょっと臭っただけ」
「お方様、マールさんの首を落としましょう。これは悪いマールさんです」
カリンがノルンに向かって笑顔のまま、手に握った闇精霊を突き出した。
「そうね」
ノルンの
「マールは忘れた。なにも知らない」
「あらぁ、マールちゃんは良い子ねぇ」
黒い勇者が、右手に裁ち鋏を握ったまま、左手で闇精霊の頭を撫でる。
(やれやれ・・)
レンは嘆息しながら腰のポーチから魔人の戦斧を取り出すと土を掘り起こして、証拠物の隠滅を行った。
その時、
「・・・馬、来た」
マールの呟きが聞こえた。
(馬?)
視線を巡らせると、黒々とした塵のような物がどこからともなく集まって大きな獣の姿をとろうとしていた。
闇精霊のマールには、それが馬に見えているのだろうか。
「魔界の影馬・・珍しい」
「珍しいのはいいが、乗れないんじゃ意味が無いな」
レンは黒いモヤのようなものを見て言った。
「こっちでは形にならない。でも、たぶん乗れる」
「乗れる?こいつにか?」
レンは疑わしげに、黒いモヤを見回した。
「名前付ける。大旦那が主人になる」
「名前・・これ?」
レンは妙に静かになった
「ルシェ・・にしよう」
レンの故郷の言葉で、影という意味だ。
「良い名前。馬が喜んでいる」
「まるで分からんが・・」
「魔界に行けば形がある。こっちだと難しい」
「へぇ・・」
レンは手を差し伸べてみた。
さわさわと黒い煙のようなものが近づいて手に纏わり付いてきた。確かに、意思のある生き物のような感じがする。
(魔人は、こっちでも馬に乗ってたよな?)
レンが、どうしたものかと考えていると、黒い煙のようなものがレンの足元へ集まって腰から下を覆った。
「ぉ・・」
ふわりとレンの大きな体躯が持ち上がっていた。
「走りたがってる」
「・・なら」
レンは戦斧をポーチへ収納すると、両脇にノルンとカリンを抱き寄せた。
「へっ?」
「え・・?」
2人が小さく声をあげた瞬間、
「ひょえぇぇぇぇぇーーーー」
「きゃあぁぁぁぁぁ・・」
周囲の風景が千切れ飛ぶように流れ去った。
(おお・・速いな)
レンは素直に感心していた。自分で走るより速い馬など滅多にいない。形はよく分からないが・・。
(こいつは駿馬だ)
自然と口元に笑みがこぼれる。
「ああ、速いのは分かった。少し足を緩めてくれ。この2人が色々と危ない」
レンの声に、素直に速度が遅くなった。
「だ、大丈夫です」
エルフ族の聖女が震え声で頷いた。
「・・・平気よ。決まってるじゃない」
黒いドレスの勇者が強ばった笑いを浮かべる。
「奥方、マールはがっかりした」
「な、なに言ってんの?なぁに?なんか、あるっての?なんにも無いわよ?」
「大丈夫、マールは口が堅い」
「べっつにぃ、何てこと無かったしぃ?全然、平気だったわよ?何だって言うのぉ?」
「まあ、落ち着け」
レンに
「本当ですよっ?平気だったんですからね!」
真っ赤な顔で声を張り上げる勇者の目尻に一筋の涙が光っていた。
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