第23話 マールの いけない悪戯♪

(女は偉大なのです)


 心の底から、そう思った。

 木目の綺麗な天井板を眺めながら、一人の勇者は一筋の涙を流した。

 安堵の涙だった。

 やり遂げた達成感かもしれない。

 不死身なのだ。

 痛みなど無いはずなのに、体はどこかぼんやりとして重かった。


(レベル217の私を、ここまで追い込むとは・・・さすがは旦那様です)


 懸命に体に力を入れて寝台に身を起こす。

 どうやら体に掛けていてくれたらしい掛け布がずり落ちた。このまま少女フィギュアの原型になりそうな美しい肢体が窓から差し込む光に晒される。

 ぼうっと向けた寝台の足元の辺りに、布地が極めて少ない下着マイクロビキニと、レース地の夜着ベビードールが置かれていた。


(あんなのよく着たなぁ・・・どうしちゃってたんだろ?)


 今になって不思議に思う。

 他の事ならともかく、色恋沙汰に関しては、こんなにグイグイいける性格じゃなかったはずなのに・・。


(ん・・?)


 何か聞こえた気がして、ノルンはトレーラーハウスの中に視線を巡らせた。

 しばらく耳を澄ませていると、窓の外にカリンの顔が覗いた。そのなんとも言えない、痛ましいものを見るような視線を前に、ノルンの涙腺が崩壊した。

 すぐさま、窓の外にいたカリンが扉を開けてトレーラーハウスに入ってきた。


「お方様っ!」


 悲鳴に近い声を上げながら駆け寄ってくる。


「ふっ・・ふふふ」


 エルフ族の聖女に抱きつかれながら、ノルンは燃え尽きた笑いを浮かべていた。

 花は大地から引き抜かれて、根から茎、葉から花弁まで全てを蹂躙されつくされた。もはや、枯死寸前の哀れな野花でしか無い。


「申し訳ありませんでした。そのっ・・・ご立派でございました」


 抜け殻のようなノルンを優しく抱き締めながら、カリンが慰めの言葉をかける。


「やったよ、カリン・・わたし、やったよ」


「ええ、ええ・・・お見事でございました。御館ジロード様からゆっくりお休み頂くようにと、温かいお言葉を頂いておりますわ」


「・・今は・・朝?」


「あれから2日経ちましたわ。お方様・・」


 背中を撫で擦るようにしながら言った。


「えっ!?」


 がばっと身を離して、ノルンはまじまじとエルフ族の聖女の顔を見た。

 無論、嘘を言っている顔では無い。


「ふ・・2日・・不死者の・・レベル200超えの勇者を・・2日も寝込ませるとか・・」


 虚ろな眼差しで力なく呟く。


「お方様っ、お気持ちを強く持って下さいませ!」


「必死に呼びかける美しいエルフの女・・・しかし、その本心は黒い」


 ぼそりと声が聞こえてきた。

 ノルンとカリンの視線が向いた先で、闇精霊がニヤリと昏い笑みを浮かべた。


「小旦那がここで倒れると、大旦那様はどうされるだろうか?おそらくは、久しく我慢なされていた女体への欲望を・・・忘れかけていた渇望を思い出してしまった大旦那様が、小旦那が目覚めるまで我慢なさるだろうか?」


「・・・マール?」


「大旦那様のお相手を小旦那が出来ぬとなれば、当然、その埋め合わせを供回りが努めるのが本筋。そして、当然のことながら、その尊いお役目は・・・」


 闇精霊の視線を受けて、エルフ族の聖女カリンが真っ青に顔色を失った。


「小旦那の覚悟、そして勇気は見事だった。マールは感服した」


「ありがとう、マール・・・もうね、色々と・・怖いものは何も無いわ」


「真に、勇者」


 闇精霊マールが深々とお辞儀をした。


「しかし、そのお供は残念」


「な・・なんだって言うの?わたしが怖がっているのが・・怖がっちゃいけないの?」


 カリンが声を震わせた。


「マールは聴いた。聖女カリンは罪を償うためにいると」


「・・っ!?」


「その言葉が嘘で無いなら、今ここで行動で証明するべき」


「それは・・・でも・・だって」


 カリンが悲痛な表情で俯いた。


「う~ん、マールが言ってることも分かるけど、心配しなくても大丈夫よ」


「小旦那?」


「カリンが旦那様に襲われたら・・まあ、お墓は建ててあげるわ。でも、多分、大丈夫よ。残念だけど、女の色香とか・・そういうのでわたしを抱いた訳じゃないのよ。わたしが死なないからっていう安心感と・・・夜にうるさくしたから、ちょっとお仕置き的なアレよ。たぶん、そういう事なの」


「お方様・・」


「死んじゃうのが分かってて、カリンに手を出したりしないと思うわ。そういう感じの人じゃ無いでしょ?うちの旦那様は?」


「・・は、はい・・すいません、動揺してしまって」


 まだ蒼白な顔色のままカリンが謝った。


「小旦那は、頭も良い」


「えへへ・・たぶん、アレよね?わたし、ちょっと騒がしかったよね?それで、ビビっちゃった?」


「魔獣も寄り付かない。もう、ここは聖域」


 マールが断言する。


「・・そ、そう?」


「声で結界を作った。勇者はあなどれない」


「うふふ、マールちゃん可愛いこと言うわぁ」


 ノルンがそっと優しく手を伸ばして棚に立っていたマールをつかみ上げた。

 そして、


「・・・けひゅぅぅ・・・」


 ぎゅっと握りしめられて、闇精霊が呻き声を絞り出した。


「くくく、マールちゃんよぉ?バレて無いとか思ってねぇよなぁ?あぁん?」


 危険な光を宿した勇者の双眸が、間近にマールを睨んでいた。


「お・・お方様?」


 突然の事に、カリンが驚いて止めに入ろうとする。


「わたし達に、何かの術をかけたわよね?いいえ、わたし達だけじゃないわ。大旦那様にも掛けようとしたそうじゃないの?」


「術を・・まさかっ!?」


 思い当たったのか、カリンがぴくぴくと痙攣する闇精霊マールを凝視した。すぐさま、聖術の詠唱を始めて、トレーラーハウスへ白銀の輝きを満ち拡げてゆく。


「・・なんらかの精神操作の魔法ですね。もやのように薄く張り巡らされています」


 伏目がちに集中しながらカリンが呟いた。


「おかしいと思ったのよ」


 ノルンがうふうふと危険な笑みを浮かべたまま両手で闇精霊を握った。大変に危険な目付きである。


「わたしはねぇ?いわゆる、へたれなのよ?男のひと相手に・・・それも気になってるひととか、まずは手を繋ぐところから始めましょう的なアレなのよ?ビビリなのよ?それが、あんな露出狂まがいの下着で夜這いとか、レベル高過ぎてどん引きよ?ありえないのよ!」


 ぴゅぎぃ・・


 ノルンの両手の中で、闇精霊がおかしな音をたてた。


「旦那様はご存じだったわよ?あんたが、精神汚染?闇の魔法を使ってるって、すべて知ってらっしゃったわよ?」


 手の平が開かれて、闇精霊が派手に咳き込みながら蹲る。


「でもね、マールちゃん」


 ノルンが闇精霊を見つめた。

 苦しげに咳きをしながら、マールが顔をあげた。


「お礼を言っておくわ。大変な思いはしたけど・・少しはジロードさんに恩を返せたっぽいし・・・でも、ね?」


「・・マールが悪かった。反省してる」


「わたしはねぇ、良いのよ?でもねぇ、大旦那様は・・・いい顔をなさらないと思うわぁ」


「大旦那様はヤバイ。本当に危険。なんとか、取りなして欲しい」


 闇精霊が本気で焦り始める。


「それはマールちゃんの心がけしだいねぇ」


 勇者の微笑みに、闇の精霊が身を震わせた。

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