第5話 痕跡


 実家に戻ると、笑顔の龍司がいた。その向こうには疲れ果てた様子の両親も。

 今回の件で注意を受けて草臥れた両親の様子を尻目に、魁は「迷惑を掛けて悪かった」と頭を下げる。両親が一瞬、「また火をつける気か」と勢いよく魁を見たが、龍司もこれ以上何かを言うつもりはない。釘は刺すが。


「次はありませんよ。それで、どうかされましたか? ただご実家に戻ってきたという様子ではないのですが……」

「もう一度、ここを調べ直そうと思ったんだ。もしかしたら、慌ててたせいで見落としがあるかもしれないし」

「手伝います」


 十二生肖の戌の本家である魁の実家はそれなりに広い。昔ながらの日本家屋で、母屋以外に離れが一棟、大きさの異なる蔵が二カ所にある。夕方の今から一人で探すには時間が足りないだろう。

 勿論、家族も探してはいるが、部外者である龍司が加わることで見落とされていた場所にも気づけるかもしれない。

 龍司の説教が完全になくなったのをみて、魁の両親がほっと胸を撫で下ろした。

 魁は二人に「蔵とか見てくる」と声を掛け、父から蔵の鍵を受け取って元来た道を引き返し、玄関で靴を履く。

 龍司も魁に続いて靴を履き、二人で外に出た。


「室内は家族が今も見てくれてるから、とりあえず見直したいのは床下とか庭の影とか、あとは蔵かな」

「敢えて最初に探しそうな箇所ばかりですね」

「い、いや、最初はほら、本人を見つけることに集中してたから細かくは見てなくて……。蔵も表に近い方はともかく、奥のは滅多に人が出入りしないから、埃っぽくてあんまり近寄らないんだ。今の時期は暑いし」


 また説教モードになりそうな雰囲気を察して、慌てて理由を述べるもただの言い訳にしかならない。確かに、人を探すという目的なら、入れそうな場所などと的を絞ってしまい大まかになりがちだろう。それにしては随分と大雑把だが、そうなった理由は他にもあった。

 気まずさから片手を首の後ろに当てつつ、自身の能力に慢心していたことを反省する。


「分かってはいるけど、やっぱ、どうしても匂いに頼ってしまうとこがあって……。『匂いがないイコールそこにはいない』って判断しちまうんだよな」

「分かっていればいいんです。でも、今回は探しているとおかしな臭いがあったともお伺いしましたが?」

「ああ。まぁ、たまに幻妖が迷い込むこともあるから、そんなに気にしてなかったんだ」


 十二生肖の家には、結界を張っている家もあれば何もしていない家もある。

 戌井家については元々、戦闘に秀でた家柄でもあるせいか、敵意のあるものが入り込んだとしても、それも訓練として対処する姿勢だ。


「調べることはしなかったのですか?」

「そっちも本体は見つかってないし、それなら後でいいかって思って……でも、なんか町で変な噂が流れてるから、それとも関わってるかもしれない。たまたま通っただけならいいけど」

「『黒い巨大犬』ですね」

「あ。やっぱ知ってた」

「ええ。特務が当たっているとのことなので、軽くですが」


 目撃された後、異臭がしたという話もある。その臭いと魁が家で嗅いだものが同じかは分からないが、どうも別物とは考えにくい。

 単に黒い巨大犬が魁の家を通っただけならまだしも、関わりがあるなら特務に通達をして調べなければならない。

 二人は離れに行くまでの道すがら、暮葉や翡翠にも協力してもらい、屋根の上や人では入りにくい床下などを見てもらう。また、庭木の影にも何かないか確認する。


『時間が経過しているせいか、特に異臭というものはないな。暮葉ならば感じ取れるか?』

「クゥン……」


 屋根から下りてきた翡翠は、特に異変のない様子に首を左右に振った。話を振られた暮葉も耳を倒し、何もなかったことを申し訳なさそうにした。

 通常の匂いより霊力の匂いは長く残る。それがないとなると、ここには何も通っていないと考えたほうがいい。


「気にすんな。ここには手掛かりがないだけかもしれないし。とりあえず、蔵に行ってみよう」


 敷地内の奥にある蔵はまだ見ていない。

 普段、蔵には鍵を掛けており、その鍵を管理するのは戌井家の当主である魁の父親だ。その父が鍵を誰にも渡していないと言うので中までは調べなかった。周りも探したが、特にこれといったものはなかったはずだ。今度は中もきちんと見るために父から蔵の鍵は借りてきた。


「蔵には何があるんですか?」

「んーと……確か、古い文献とか、骨董品みたいなのとか。家財道具も使わなくなったのは入れてるって聞いたな」

「不要なら処分すればいいのでは?」

「気に入った物らしくて、手離すのが惜しいんだって」

「…………」


 一瞬、お気に入りの玩具を穴に埋めて隠す犬が浮かんだが、口に出しかけたところでどうにか飲み込んだ。代わりに、眼鏡のブリッジを押し上げて感情を誤魔化す。

 母屋に沿って歩き、角を曲がってすぐ、白い漆喰の壁の大きな蔵が見えた。屋根は母屋の上から覗いていたが、全体を目にするのは龍司は初めてだ。


「……立派な蔵ですね」

「そうか? 龍司さんのとこより小さいだろ」

(これが不要品を納めるための物置になっているとは)


 相手が魁だったからこそ、素直に受け取られただけだ。聞く人によっては、龍司の発言は嫌味に聞こえるかもしれない。実際、大きな蔵がほぼ使われない状態なのは勿体ないと思って言ってしまった。


『どれ。屋根を見てこよう』

「お願いします」

「暮葉は蔵の周りを頼む」

「ワンッ!」


 魁は指示を出した後、持ってきた鍵で蔵の扉を開ける。久方ぶりに開くため、埃が舞うのを覚悟して少し息を止めた。

 だが、魁の後ろから中へと入り込んだ風は熱を帯びた室内を循環しただけで、埃という埃は舞わなかった。ほとんど動かされていない物の上には積もっているが、床は比較的綺麗な状態だ。

 暑さにやられないように、と龍司が術で冷えた風を吹かせる。熱中症などで倒れては元も子もない。


「誰か掃除したのか……?」

「探すついでにされたのでは?」

「いや、蔵は鍵が掛かってたから、中までは見てないはずなんだけど……」


 魁は実家暮らしではないため、いつ掃除したかは把握していない。知らない間に掃除をしていれば埃がないことも頷ける。

 違和感を覚えながら、二人は何かないかと蔵の中を探す。古い桐箪笥の裏、人が入れそうな大きさの籠や壺の中。念のため、龍司は小さな箱の中も見たが、魁に嫌な顔をされたので「最悪を想定してです」と言っておいた。ここまで見つからないとなれば、生きていないことも考えなければならない。見落とさないとはそういうことだ。

 魁は不服そうながらも、二階へと続く階段を上がる。暑い空気は上に溜まりやすい。まだ冷やされていない熱気が魁を包んだ。

 すぐに龍司が上にも術を飛ばし、熱気はあっという間にちょうど良い温度になった。

 異変はすぐに視界に飛び込んできた。


「え?」

「何かありましたか?」


 二階も同じような物置状態だ。壁際に寄せられた箪笥や棚、何かが入った古びた箱などがある。

 魁が目を止めたのは奥にある机だ。

 声に気づいた龍司も階段を上ってくる。そして、魁が指す先を見て、眼鏡のブリッジを押し上げた。


「あれは……」


 机の上には、数冊の古い本や端の擦り切れた数枚の紙が置かれていた。また、机の周りには紙と巻物が散らばっている。紙や本などに埃はなく、明らかについ最近、誰かがここを利用した跡だ。

 紙には何やら墨で陣や呪文が書かれていた。魁には理解できないため、そちらは龍司に任せて魁は机の奥にある箱を調べる。


「……どうやら、誰かが幻妖を喚び出そうとしたようですね。紙は陣の練習と、巻物には古い術の他に幻妖のことも書かれていますね」

「幻妖を喚び出すって……何のために?」

「さすがに目的までは分かりかねますが、幻妖の種類についてや実戦に使える術、あと守獣と契約する際の陣と媒体についてのものもあります。……どなたか調律師に?」

「なってない」


 龍司は自身の知識と能力を併用し、紙や巻物、書物が何であるかを解いていってみせる。しかし、それでも明確な目的までは分からない。

 誰がやったかについては、鍵を持つ父が最初に浮かんだ。だが、本人がここで何かをしていたなら最初に明かすだろう。隠していたなら、鍵を貸す前に隠蔽に動くはずだ。


「鍵は誰かに貸したことはなく、ご当主が保管となると、何処かに忍び込める道があるはずです。千早のような転移の能力があれば話は別ですが」

「うちの家族に転移使えるやつとかいないしな……ん?」

「どうかしましたか?」

「いや、ここ……」


 周りを探っていた魁は、二階にある窓に目を止めた。両開きの格子状の枠が手前にあり、その向こうの漆喰の扉を開けて空気の入れ換えができる。枠は小さな閂で施錠していたが、よく見れば閂は外れていた。

 下を見れば木屑となった閂の残骸があり、月日を経て腐食したのだと分かる。


「なるほど。窓は閉まっていますが、閂が壊れているとなれば開けることは用意ですね。そこは開けられますか?」

「ああ」


 格子枠を内側に開き、奥の扉は押して開ける。夕方の熱を帯びた空気が肌に纏わりつき、不快感に思わず眉間に皺が寄った。


「ワンッ!」

「暮葉?」


 扉を開けた音に気づいたのだろう。下から吠えられて見れば、周りを探っていた暮葉が魁を見上げて尻尾を振っていた。

 単に魁の姿が見えたことによる喜びかと思いきや、暮葉は一度背を向けてまた魁を見上げた後、近くの松の木に駆け寄った。

 蔵の裏には敷地を囲う塀があるが、松の木は蔵と塀の間に植わっている。

 松の木の根元を嗅いでいた暮葉の鼻は、何かを嗅ぎ取ったようだ。匂いを辿っているせいか、暮葉の鼻は徐々に上がっていく。木の表面を嗅ぎながら前足は幹に置かれ、鼻が届く限界までいったところで魁を見て再び「ワウッ」と軽く吠えた。


「紫葉の匂いがある……?」

「失礼、魁」


 龍司も魁の隣から外を見て、松の木と塀、そこからこの窓までの距離を目測する。そして、外開きの扉を少し内に引いた後、屋根にいる翡翠を呼んだ。


「翡翠!」

『なんだ?』

「この扉の外側に、何か傷などはありますか?」

『どれ、見てみよう』


 扉の外側は中からは確認しにくい。外から見ても、小さな傷は見えない可能性がある。そこで、宙に浮ける翡翠の登場だ。

 翡翠は扉の外側に顔を向け、じっくりと観察して異常がないか確認する。


『これは……引っ掻き傷か?』

「翡翠」


 龍司が名前を呼んだ瞬間、応じるように翡翠は蔵から少し離れ、光に包まれる。翡翠の体が大きくなり、人が乗れる程になった。

 龍司は窓の縁に足を掛け、軽く蹴って翡翠に飛び乗る。慌てる魁にはその場に留まるよう片手を小さく挙げて制し、翡翠が見つけた扉の傷を確認した。


「本当ですね。魁。紫葉には親しい幻妖や、もしくは何か術に秀でたりはしましたか?」

「術は俺より詳しいと思う。親しい幻妖がいたかは他の家族に聞かないと分からないな」


 低級なら敷地内に自由に出入りするくらいだ。魁がいない間に親しくなった幻妖がいるかもしれない。特に、犬の姿の幻妖は家族全員が可愛がっている節はある。


「あの松の木に紫葉の匂いがあるということは、彼は何かしらの方法で松の木を登ってこちらに入ったかもしれません」

「ここが壊れてるって知ってたのか?」

「偶然、目にしたのかもしれません。散らばった破片や閂には床に比べて埃は積もっていなかったので、最近壊れたのでしょう。そして、扉が開いているのを見たとか」


 扉は閉じられていた。閂が壊れていたことを知っていれば開けられるだろうが、閉じた扉の鍵が壊れているとは想像しにくい。また、わざわざ滅多に来ない蔵の裏に用事はあるのか。

 龍司もその点については現状からの推測しか言えないが、記憶を視られる悠ならば何か分かるかもしれない。主に、生きている松から。

 蔵の中に戻った龍司は、悠にも連絡をしておこうと考えつつ、渋面を作る魁に気づいた。


「紫葉だったとして、なんでわざわざ忍び込むようなこと……」

「それは……これのせいでしょうね」


 龍司が視線で示したのは、まだ一部床に散らばっているままの紙や巻物だ。その下からは、白い線で描かれた陣が覗いている。

 魁は陣に歩み寄り、掃除された床に描かれた陣が見えやすいよう紙を退けた。陣には触れないように。


「これ、何が出てきたかとか分かったのか?」

「幻妖の喚び出しに成功した跡はありましたが、残念ながら種の特定までには至っていません」


 陣はただ幻妖を召喚するためのものだ。それも特定の幻妖ではなく、召喚者の霊力に合わせて喚び出すタイプのものだったため、絞り込むのは難しい。調律師ならば、残った霊力の残滓などから判別はつくかもしれないが。

 どちらにしろ、魁と龍司では分かる範囲にも限界がある。一旦、捜索を切り上げて悠か調律師を呼んだほうがいいだろう。

 そう判断して蔵を出たところで、蔵の裏にいた暮葉が慌てた様子で走ってきた。


「ワンッ! ワワンッ! ワンワンッ!!」

「お、おい。ちょっと落ち着けって。そんな呼ばなくても行くから」


 暮葉の言葉は魁には伝わる。また、同じ神使である翡翠にも。

 翡翠は普段、龍司といるときとの大きさに戻っており、屋根から下りてくると龍司の肩に緩く巻きついて何事かと暮葉を見る。

 誘導するように魁を振り返りつつ蔵の裏手に進む暮葉は、やがて松の木の隣に間隔を開けて植えられていた低木で足を止めた。まるで、何かがそこにいるかのように牙を剥いて唸る。


「ヴヴ……」

「『嫌な臭い』って……」

「何かありますね」

「……?」


 低木の影に、影とは別の黒い物が落ちていた。

 怪訝な顔をする龍司につられて、魁も眉間に皺が寄るのを感じつつ歩み寄る。

 暮葉の隣を通り過ぎる際、唸っていた暮葉は途端に慌てて、魁と低木の影を交互に見てたたらを踏んだ。「キュウン」とか細く鳴いたのは、主の危険を感じ取りながらも、ソレが怖いからだろう。


「動物の毛? ……この臭いって、確か――」

「魁。待ってください」


 低木の影にあったのは、十本もない黒い毛だ。やや硬質な毛は、黒という色からも暮葉のものではない。長さは人差し指程度。鋭利な刃物で切られたようだ。微かに腐卵臭がしたものの、近づけないほどの強い臭いではない。

 素手で拾い上げようとした魁だが、それを止めたのは様子を見ていた龍司だ。

 彼はポケットから薄手の白い手袋を出すと右手に着け、左手には手袋と一緒に出したハンカチを広げて持つ。


「僅かに霊力が残っているのは分かりますか?」

「あ、ああ……。かなり弱いけど、そんなに警戒するほどか?」

「念のためです。今さら見つかるとは、罠の可能性もありますから」


 ハンカチに毛を乗せ、飛ばされないようにそっと端を押さえる。

 魁の足もとでお座りをした暮葉は鼻を上げて毛を嗅ぐと、眉間に皺を寄せながら勢いよく鼻を鳴らして嫌な臭いを吹き飛ばした。

 翡翠は龍司の顔の横に顔を並べ、毛の主について記憶を探っている。

 霊力を含むということは、少なからず幻妖である可能性が高い。暮葉の様子からも。ただ、これまで敷地内に入り込んだ幻妖に、こんな不快な臭いをは放つものはいなかったはずだ。


「その臭い、前にも嗅いだことある」

「前にも?」

「ああ。鼻につく臭いが一瞬したんだけど、最初に紫葉を探しているときも同じような臭いがしたんだ。今のよりずっと強いのが」


 龍司には臭いは感じ取れない。嗅覚の能力を持つ魁だからこそ分かったのだろう。

 捜索中に漂っていた臭いと一致すると伝えると、龍司と翡翠は顔を見合わせた。


「何故、今になって出てきたかはともかく、紫葉の失踪と関係が深そうですね。喚び出した幻妖の可能性もありますし、調律部のほうにも伝えておきます」

「分かった。俺も鍵返してから向かう」

「魁が持っておくことは出来ないのですか? 十二生肖ですし」

「当主が管理するって決まりだからな。それに――」


 紫葉の捜索をしているのだ。どちらにしろ、後でまた蔵の中も捜索しなければならないため、鍵を借りておけないものか。

 魁は手にした蔵の鍵を握りしめる。


「俺がここに出入りするのを嫌がるやつがいるから、できるだけ近づきたくないんだ」


 声のトーンを少し落とした魁は、苦しそうな顔をしていた。



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