第6話 “戌”の選定
「――夢見?」
ぱちりと目を開いた都季は、何度か経験した感覚にこれが自身が自然と起こした力によるものだと認識した。
相変わらず突然なんだな、とコントロールの難しさに小さく唸る。何かしら意味はあるのだろうが、今のところは何故かは分からない。
「それにしても、ここって何処だ……?」
目の前にあるのは昔ながらの日本家屋。平屋ではなく、一部は二階もある造りだ。
広い庭には敷地を囲う白い塀の近くに松の木や低木が植えられ、小さな池とそれに架かった石橋がある。一瞬、百澄を思い出したが、あの家には石橋まではなかった。
何処だろうかと視線を巡らせていると、今まで誰もいなかった縁側に、ぼんやりと人の姿が浮かび上がる。
「……魁?」
縁側に座っていたのは、今よりほんの僅かに幼い魁と、彼と少し似ている少年だ。
不安そうに俯いて両手を膝の上で固く握る少年に、魁は難しい顔をしていた。
「選定の儀なんて、やりたくないよ……。別にやらなくたって、月神様が選んでくれるんでしょ?」
「そうは言ってもなぁ。いきなり『やりません』ってのは無理なんだって。父さんも言ってただろ?」
『選定の儀』の話は都季も聞いたことがあった。
十二生肖の中でも、寅、申、戌、亥の四家はより強い力を求められる。勿論、月神はそれを視て選定しているが、中には「自分のほうが強い」と声を上げる者がいた。その結果、十二生肖の代替わりの時期になると、四家はより強い力を持つ者を明確にするため、まるで決まり事のように親族内で争うのだと。
(でも、結局はその勝者はつっきーが視た人と同じだから、周りを納得させるためだけの恒例行事なんだって言ってたっけ)
慣習となってしまえば廃止するのは難しい。これまでの十二生肖もずっとその道を通ってきたのだ。まともに生き残っている者が少ないとはいえ、周りも異を唱えるだろう。勿論、選定の儀については月神が幾度か注意はしたものの、それはそれで見えないところで行われてしまい、大きな問題になったのだ。
ならば、多くの目がある前でなら、最悪の事態にはならないだろうと現在の形に落ち着いた。
「紫葉は霊力も強いし、ちゃんと周りを見て動けるんだ。選定の儀だって、落ち着いて鍛錬を思い出してやればあっという間に終わってるさ」
「そうじゃない。僕、兄さん達と戦うのが嫌なんだ」
魁の目の前にいるのが、今、失踪している紫葉だった。
随分と気弱な雰囲気の紫葉は魁とは正反対だと思いつつ、都季はこれが選定の儀の前なのだと時系列を把握する。つまり、まだ魁は十二生肖ではない。
「鍛錬と同じだろ?」
「ううん。違う。……父さん達はあまり教えてくれなかったから、僕、今までの選定の儀を調べたんだ。そしたら――」
魁は、選定の儀は鍛錬の延長だと考えていた。いつものように手合わせをして、いつものようにどちらかの木刀を弾くか、膝をつかせれば終わりだと。
「相手が戦意を失うまでやるって……死ぬ人だっていたんだって」
選定の儀で使う武器は真剣。随分と昔の話にはなるが、体の一部を失う人もいたと。
戦意喪失するまでやるとなると、相応の怪我は覚悟しておく必要がある。紫葉は鍛錬のときでさえあまり意欲的ではない。一般人よりは戦えるだろうが、“戌”としてはやや問題だ。
「で、でも、みんな、お前が次の十二生肖だろうって言ってたし……ほら! 直接戦うのが嫌なら術を使ったっていいんだ」
「僕はそんなことをしてまで十二生肖になりたくない!」
「うわ、待て待て。声が大きい!」
宥めるつもりが反対に火をつけてしまった。「十二生肖になりたくない」など、誰かに聞かれていてはまずい。
慌てた魁は紫葉の口を手で塞ぎながら周りを確認し、誰もいないと分かると溜め息を吐いて手を離す。
「でも、俺とか晶達もお前より術はできないし、霊力だってこの血筋じゃ平均くらいだし、現実的に見ても敵いっこないんだけどな」
「そんなことない。兄さん達は強いよ。僕なんかよりずっと。……きっと、十二生肖には兄さんがなるべきなんだよ」
「紫葉」
今、代替わりが近いせいで一族の中でもピリピリとした空気が漂っている。そんな中、今の紫葉の発言は人によれば不快感を露わにするだろう。いくら「優秀」と言われる紫葉でも、立場が危うくなるかもしれない。
魁は深い溜め息を吐いた後、周りの気配を探ってから誰もいないことを確認すると、先程よりも声を潜めて言う。
「分かった。じゃあ、選定の儀で、俺はお前を負かす」
「っ!」
「戦意をなくさせればいいんだろ? 今のお前なら、手を出す前に終わりそうだし」
「…………」
「大丈夫。兄さんに任せとけ」
未だ不安げな顔をする紫葉に、魁は安心させるように笑みを浮かべて自身の胸を叩いて見せた。
直後、二人の姿が無数の花びらの塊へと変わった。驚く都季を前に、花びらは突風に吹かれて舞い散り、都季は思わず両腕を顔の前に翳して目を強く瞑る。
風が止み、両腕をゆっくりと下ろしながらその隙間から二人の姿を見た。
だが、縁側にいたのは魁と紫葉ではなく、手当てをする中年の女性と手当てを受ける十代前半の少女だった。二人の前には複数の老若男女が佇んでおり、一様に二人に背を向けて庭を見ている。
「何があるんだ……?」
切り傷や火傷の跡がある少女は、治療を受けながら時折、人垣の向こうを見ては憎らしげに顔を歪めていた。
都季は人垣の横にいたため、すぐに視線の先にあるものが分かった。
「魁と……紫葉君?」
人垣の向こうにいたのは、刀を構えた魁とその前で尻餅をついて両腕を翳す紫葉だ。怯えた様子の紫葉は明らかに戦意喪失しているが、誰も魁を止める気配はない。
魁は刀の構えを解く。そして、人垣の方を見ると険しい表情のままに言う。
「……もういいだろ」
相手が戦意喪失すれば選定の儀で勝者となる。紫葉にも戦う意思はなく、縋るように魁と同じ方向を見た。
二人の視線の先にいたのは、人垣の最前列で唯一、椅子に座っていた老人男性だ。周りの人達も、魁と紫葉と同じく彼を見ている。
少しの静寂の後、老爺はゆっくりと口を開いた。
「いや、まだだ」
「「!」」
しわがれた低い声。騒がしい中であれば聞こえないくらいの声量だったが、静かなその場ではよく聞こえた。
魁と紫葉は愕然として固まるが、老爺の隣にいた魁と少し面立ちの似ている男性が再開を促す。
「紫葉。晶は最後まで戦い抜いたんだ。それに、お前の力はまだ出し切れていないだろう? 兄弟の中で一番強い霊力を持っているんだ。それを今使わないでどうする」
「父さん、僕は――っ!」
男性は二人の父親のようだ。
彼に食い下がろうとした紫葉だったが、眼前に銀色の刃が振り下ろされ、言葉を飲み込んだ。
刃の先を辿れば、構えを解いたはずの刀を突きつけてくる魁がいた。
「立て」
「にぃ、さん……?」
「俺の方が上だってことを見せつけないと気が済まないんだと」
「け、けど……」
老爺はどう思っているかは分からない。だが、父を含めた他の親族は紫葉が勝つと思っている。ならば、魁は彼らを納得させるために戦う必要がある。
恐怖に染まった紫葉を見て痛んだ胸は気のせいにして、魁は怒鳴りつけた。
「さっさと立て!! 紫葉!!」
「っ!」
初めて見た兄の怒気に、立とうにも足に力が入らない。
そんな紫葉に魁は舌打ちをした後、数歩引いてから刀を構え直す。
紫葉が座ったままでも構わずに続行する姿勢を見て、固唾を呑んで見守っていた都季は思わず声を上げた。
「だめだ、魁! やめろ!」
夢見であることも忘れて、魁を止めようと地を蹴る。
魁はそのまま、紫葉に向かって踏み込んだ後、刀を振り抜いた。紫葉はまだ動かない。
鈍い、嫌な音が少し離れた位置にいた都季の耳にも届いた。
「紫葉!」
人垣の後ろで手当てを受けていた少女の悲痛な声が響く。
紫葉は刀で強く打たれた左肩を押さえて蹲る。それでもまだ老爺が止める気配はなく、魁が「くそっ」と吐き捨てて刀を地面に突き刺した。
何かを呟いた直後、地面が刀を刺した先から隆起したかと思えば、紫葉の体の下から岩が突き出す。容易く跳ね上げられた紫葉の体は受け身すら取れず、地面に叩きつけられた。
一方的な容赦のない攻撃に、見物人の一部は口元を手で押さえたり顔を背けている。
じわり、と紫葉の体の下に広がる血を見て、漸く老爺が口を開いた。
「そこまで」
「紫葉……!」
「…………」
勝敗は決まった。ならば、早々に紫葉の手当てが必要だ。
先に手当てを受けていた少女が、まだ自身も完全に治療が終わっていないのに、人垣を割って飛び出す。続いて、治療をしていた人と見物していた男性数名が駆け寄る。
やっと終わった、と魁は一度、深く息を吸って吐いてから、すぐに紫葉のもとへ向かおうとした。
だが、声を掛けようとしたところで、近寄ってきたことに気づいた少女にキツく睨まれて足を止めてしまった。
「近寄らないで!」
「っ!」
「紫葉に戦意はなかった。それなら、ここまでする必要はなかったでしょ!?」
「でも、まだだって……」
「他にやり方があったでしょう!?」
戦いを継続するように促したのは老爺だ。父親も紫葉を励ましていた。戌は戦闘能力を求められる家柄であり、この選定の儀もそのせいだ。ならば、戦って力を示す以外に方法はないのではないのか?
少女に言われている意味が分からず、しかし、紫葉に重傷を負わせた罪悪感もあり、魁はただ「ごめん……」としか言えなかった。
(確かに、こんなことがあったら、家には居づらいか……)
都季は魁が実家から出た理由、そして、悠から聞いた家族を傷つけたという話に漸く合点がいった。仕方がないとはいえ、重傷を負わせた上に責められれば家に居たくない気持ちも分かる。
担架に乗せられて運ばれていく紫葉が都季の横を通った。意識はあるのか、譫言のように「ごめんなさい。ごめんなさい、兄さん……」と繰り返している。
そして、選定の儀を仕切っていたであろう老爺を見れば、先程までの厳格そうな雰囲気と打って変わって何故か悲しげな表情になっていた。
ふいに過ったのは、少女の「他にやり方があった」という発言だ。
(あの子の言ってた「他のやり方」って何なんだろう?)
もしかすると、老爺も魁にそれを求めたのかもしれない。ならば、魁は誤った手段を取ってしまったということになる。
引っ掛かる箇所はあるものの、思考が急激に襲ってきた眩暈によって途切れてしまった。
景色が真っ白な光に包まれ、意識が遠退いていくのに合わせて瞼を閉じる。
遠く、誰かが都季を呼ぶ声がした。
「――都季」
「っ、は……」
目を開けば、見慣れた天井が映った。次いで、何かを悟ったような表情をした月神が都季の視界に入り込んだ。
夢見で霊力を消費したせいか、妙な倦怠感がつきまとっている。肘をつきながら上体を起こした都季は、全身にじっとりとかいた汗に不快に表情を歪めながら、一度深呼吸をした。
まだ室内は暗く、カーテンの隙間から漏れるのは朝日ではなく月明かりだ。
日付が変わる前にはベッドに入った都季だが、今は何時なのかとぼんやりする頭で月神に訊ねる。
「今、何時……?」
「まだ三時を回ったところだ。お主の夢見は突発的だのぅ」
「これってコントロールできるものなのか?」
「己の霊力を制御できるようになれればの」
「まだまだってとこかぁ……」
訓練は重ねているものの、一朝一夕で身につくとは思っていない。それでも落胆してしまったのは、最初の頃よりは随分と上達したと慢心していた証拠だ。
脱力するようにベッドに横になった都季の枕元で、月神は先程の夢見について問う。
「先の夢見は、戌の家で行われた選定の儀か」
「……うん。視えてた?」
「お主の目を通してな」
月神の器が体内にあるため、日常生活でも視界を共有することはあるが、夢見も同じのようだ。説明が省けて助かる、と思いつつ、都季はあることを月神に確認した。
「つっきーは、魁が“戌”に選ばれると視てた?」
「ああ。今回の選定の儀自体は視たのは今が初めてだが、我が選定したのは最初から魁だ」
「そっか。なら良かった」
「お主まで我の選定を疑うか」
「違う違う。女の子が言っていた『他の方法』とか、選定の儀にいたおじいさんがどことなく悲しそうに見えたのが気になって、もしかして魁の力押しで結末が変わったのかと思ったんだ」
むすっと唇を尖らせる月神に苦笑しつつ否定し、都季は夢見で気になた点を明かす。
すると、拗ねていたはずの月神は不満顔を消して腕を組む。脳裏に思い浮かべているのは、都季の言う「おじいさん」だ。
「
「え」
厳格そうな雰囲気を醸し出していた上、戦闘を続けるように促した老爺こと高安が甘いとは思えない。
何かの間違いかと怪訝な顔をする都季に、月神は気にせず言葉を続ける。
「犬というものは、時に冷静に狩りを行う種族だ。もしかすると、高安はそれを魁に求めたのかもしれんな。相手に傷を負わせずに倒すという方法に気づくかどうかを」
「力押しじゃだめってこと?」
「ああ。あくまでも推測だがな。しかし、魁はそれを見せることなく力のみで押し切った。故に、選定の儀を止めなかった可能性も考えられる」
少女が言っていた「他の方法」が、高安の求めるものだったかもしれない。
月神の推測が正しければ、あの二人の言動にも納得できる。うまく見せられなかったからこそ、力押しで勝利を掴んだことに対する不満が漏れたのだと。
「前にも言うたが、選定の儀は一族内で役を担う者へ不満を抱かないよう減らす手段でもあるが、やり方については今一度注意をしておいたほうがいいのぅ」
次の選定の儀までは約九年だ。その間に、選定の儀の見直しを進められるよう、月神は次の会議にでも持ち出すかと内心で話の出し方を考える。
難しい顔で黙り込んだ月神から、都季は天井へと視線を移した。浮かぶのは夢見で見た選定の儀だ。
魁と戦い、重傷を負った弟の紫葉。その彼が行方不明になっているのは、今の夢見の中で何かヒントがあるのか。
(紫葉君は、魁が十二生肖に相応しいって思ってたみたいだし、その点については不満はない……と思うんだけど……)
まだ紫葉と直接会ったわけではないため、不満があるかは分からない。しかし、夢見で視た限りでは魁に対して不満があるのはあの少女の方だ。
(あの子も、魁の兄弟なのかな……)
選定の儀の場に居たのだから親族なのは間違いない。年齢は魁と近いように見えたが、彼女が妹か従姉妹かまでは分からなかった。
無意識とはいえ、夢見を使ったせいか疲労感が睡魔となって今さら襲ってくる。
瞼が重くなるのを感じつつ、都季はまた魁に確認をしようと眠りについた。
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